伊達政宗の三男宗清の居城跡
国道4号線から大和町の中心部へ向っていくと、陸上自衛隊大和駐屯地手前、小高い台地上に福祉施設と公園が整備されている場所が吉岡城跡となっています。

吉岡城は、慶長九年(1604)、伊達政宗の三男宗清が拝領し、慶長十六年に隣接する下草古城に入城しますが、水害などの被害が多く、元和二年(1616)に吉岡に新たに居館を築き、城下町も移転しました。
その後、寛文二年(1662)に奥山氏が六千石で、宝暦七年(1757)に但木氏が千五百石で拝領し、明治維新まで居住しました。
但木氏は、代々仙台藩の奉行職を務め、幕末の藩政を主導した但木土佐成行は有名です。
居館は、街道沿いに位置した長方形の台地上に営まれ、周囲に塀や柴垣をめぐらしてしました。
現在は、宅地となり一部に土塁や塀が残っています。

現在、この地に城あったという遺構は残っていません。
大和町の保健福祉総合センター「ひだまりの丘」という施設があり、周囲を公園として整備されています。
(出典 国別 城郭・陣屋・要害・台場事典 )
【吉岡城跡(ひだまりの丘)MAP】
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