風とおるみち

ふとおもうこと。

台本10

2011-11-03 | 自作
僕はあの小さく折りたたまれたキミの姿に打ちのめされていた。
キミの悲しみをわかっているつもりで、キミが本当に以前のキミを取り戻すまで、いつまでもそばにいてキミを安心させたいと思っていたけれど、そんなことは僕の思いあがりだったのだ。
僕はキミを救えると思っていた。
僕たちの間に吹いた冷たい風がふたりを繋いでいたものを全部持ち去ったような気がした。


キミに声をかけられないまま何日も過ぎていった。
僕は苦しくて、苦しすぎてキミのことを頭の中から消してしまいたいと思った。
ふらふらと街を彷徨った。
さそわれるまま遊び歩いた。
知らない女の子に声を掛けた。
振り返った女の子の顔が記号のように見えた。


また何日も過ぎた。
人であふれかえる街の中で、気がつくと僕はキミを探していた。
何万人の中から探し出せると言ったキミを探していた。
僕はもう一度キミをみつけることができるだろうか。


久しぶりに斉藤に会う機会があった。
あまり誰とも会いたくないと思っていたが世話役をしている集まりで行かないわけにはいかなかった。
斉藤にはキミとのことを時々話していたが「なんかいつまでたってももどかしい感じやけど、でも大丈夫や。きっと大丈夫や。」といつも言ってくれていた。
その日の僕の様子がいつもと違うので気になったのか斉藤はみんなと別れたあと僕を誘ってくれたが、今の僕たちのことはすぐに話せなかった。
するとしばらくして斉藤が話しだした。
それは初めて聞く話だった。


「俺はほんまは五歳から柔道をやってたんや。自分では覚えてないけどテレビでオリンピックの柔道を見て親にこれがやりたいって自分で言うたらしい。親はやってもいいけど、ぜったいにしんどいからとか痛いから言うてやめるのだけは許さんぞって約束したんやって。
小学校に入る頃にはもう俺は柔道でオリンピックに出たいと思ってて、ほんまにしんどいも痛いも絶対に言わんと柔道を続けてた。
中学2年でけがをするまでな。左膝をやられて柔道は一生出来んようになったんや。」


「それからの俺はもうなにをしてても面白くないし、誰ともしゃべりたくないし、これからの俺の人生にはなにもないと思った。柔道以外にやりたいことなんかなにもなかった。
でもなぁ、そんなふうに全部終わったみたいにくさってると親とか先生とか心配していろいろ言うてくるし、もういい加減けがしたことも柔道も忘れたような顔して生きていこうと、そうしてるうちにほんまに忘れられるかもしれへんって思ったんや。」
僕は高校に入ったころ、柔道部の勧誘を「痛いことは嫌いやねん」と言って笑って断っていた斉藤を思い出して胸が詰まった。


「でもな、忘れられるはずないねん。忘れたふりすればするほど自分がいかに柔道しかなかったか思い知るんや。きついでぇ。
しんどいことから立ち直るっていうのは、階段を一段ずつ上がって屋上に着くみたいな、山道を一歩一歩登って頂上に届くような、そんなもんやないねん。
屋上も頂上もないかもしれんねん。
もう大丈夫って思った次の日にどーんと突き落とされることもある。
あんなに調子よかったのにって。
そんな時は絶望するで。死んだ方がましやって思う。
でも死んだ方がましやって思うこととほんまに死ぬことは全然違う。
死んだ方がましやって思うのはまだ生きたいって思ってるってことや。
なんとか立ち直りたいって思ってがんばって苦しいから思うんや。」
斉藤が今まで僕にしてくれたことを、掛けてくれた言葉のひとうひとつを思い出していた。
そしてキミとの間にあったことを全部話した。


「俺は柔道に代わるものをいつかみつけるかもしれへんって今は思ってる。
でも彼女はお兄さんに死なれてしまった。
代わるものはないねん。
お兄さんはどこまで行っても彼女にとって絶対の存在やねん。
残念ながらお前はお兄さんの代わりにはなられへん。
どうあがいても無理や。
でもお前はお兄さんの代わりやなくて、お前はお前自身として彼女のそばにずっといることはできるやろ。それだけはできるやろ。」


「彼女はお兄さんに似た人を追いかけてしまって、大丈夫と思ってたことがまただめやったと落ち込んでる。
それに今回はお前にそれを知られてしまった。
彼女が今までお前のことをただの散歩の道連れやと思ってたわけがないやろ。
彼女はずっとお前の気持ちに応えたいと、その時がようやくやってきたと思ってたのにこんなことになってしまった。
お前は連絡を絶ってる。
彼女は取り返しのつかないことをしてしまったと思ってる。」


「十七歳のあの日、あの子をみつけたと思ったんやろ。ほんならこんなことで逃げたらあかん。今が一番あの子がお前を必要としている時やで。わかるやろ」
僕は本当に恥ずかしかった。
いつもどんなときでもキミのそばにいようと決めていたのに、自分の苦しさに負けてしまっていた。


「斉藤、はじめて言うけど、ありがとう。」
僕はもう駈け出していた。
キミに続く道へ。




キミと初めて会った日からずいぶん時が流れた。
今日僕はあの時の風を思い出しながら言ってみようと思う。
「ちょっと早いけど、僕は十七歳でほんまにみつけたのかもしれんなぁ」って。
そんなことを言う僕を、きっとキミは笑って見ているだけだろう。





           完

台本9

2011-11-03 | 自作
キミと初めて会ってから三年が過ぎたころのことだった。
キミからの何通目からの手紙に、実は僕に会う数年前にお兄さんを病気で亡くしたのだと書かれてあった。
16歳から四年間の闘病生活を送ったお兄さんは、幼いころからキミのことを特に可愛がっていた。
どんなことにも応えてくれるお兄さんはキミにとって全能だった。


病気がわかってからキミはお兄さんのことが心配で少しでもそばにいたいと病院に通いつめたり、学校を休んでお兄さんの世話をしたいと言ったりした。
でもお兄さんは「僕にかまわないで学校に行って、歌をうたって、毎日をちゃんと楽しんで過ごしてほしい」と言い続けたそうだ。
最後の日にも「僕がいなくなっても毎日元気に楽しく過ごすって約束して。」と言ってお別れしたという。



お兄さんを亡くしてからキミは歌を失った。
お兄さんはキミの一番の観客で、お兄さんのためだけに毎日祈るような気持ちで歌い続けていたのに、もうお兄さんはいない。
キミは歌うことの意味を失ってしまった。
キミの傷はなかなか膜を張らず、季節も自分と遠いところで移り変わっているようだった。


キミは言った。
最初に失ったものが歌だった。
そしてまた最初によみがえった希望が歌だった。
天から降りてきたようでもあり、内から湧き出るようでもあった。
もう一度歌いたい。
歌うことは自分を繋ぎとめる命の綱に思えた。


歌う力を取り戻したキミに。心配していた周りの人たちもようやくほっとできるようになった。。
部活にも戻り、以前の生活に近い毎日を過ごしつつあった。
でもまだまだ時間が必要だった。
何かをしないといけない、考えなくてはならない、話さないといけない。
生きているということは何かで時間を埋めていくことだ。
たとえすべてが時間つぶしであっても、それをしない人はどこかおかしい、心配だと言われる。
まだ立ち直れないのかと。


誰にも心配をかけたくない。
でも時間を何かで埋められない。
あてもなく何も考えず、ただ歩きたい。



ある日、部活で参加した合唱コンクールのハプニングで誰かが梅田まで行かないといけなくなった。
人ごみは好きではないけれどその日は学校を抜けたくなり自分が行くと言い、そこで僕に会った。
初めて会った人に「一緒に歩けへん?」と言われた。
本当にそんなことを言う人が自分の目の前に現れたことに、びっくりしすぎて笑ってしまった。あんなにずっとずっと笑ったのは何年ぶりかのことだった。


なにもしていないけど散歩をしている。
なにも考えていないけど散歩をしている。
隣には一緒にどこまでも歩いてくれる同い年の男の子がいる。
誰にも心配されない。
自分の居場所ができて本当に救われた。


『もう何年も前のことなのに、なかなか話せなくてごめんなさい。
そばにいてくれて、一緒に歩いてくれて、ありがとう。
今度こそ本当に大丈夫って思います。』


お兄さんのことを聞いたのもはじめてだったし、キミが自分の気持ちを言ってくれたのもはじめてだった。
次にふたりで会った時、キミは今までと少し違っていた。
僕がキミの手を取ると僕に寄りかかるように頬を寄せた。
ひとりで背負っていたものを肩からひとつおろして、一緒に持ってほしいと言われたようで、僕はうれしかった。
キミのどんな重い荷物もキミと一緒に抱えられる強い男になりたいと思った。




待ち合わせの場所にはたいてい僕が先に着いて待っていた。
どうしても早く来てしまうのだった。
時々、このままキミがここに現れないとしたら・・と想像してみることがあった。
僕には、キミが不意にどこかへ行ってしまうのではないかという漠然とした不安があった。
キミは僕と二人で時間を忘れて一緒に歩いたり、僕に笑いかけたりしてくれたんだから、きっと僕のことを少しは好きでいてくれたとは思う。
でも僕はいつもキミが僕を好きな気持よりもっとたくさんキミを好きだった。
だからもしキミが僕の前から姿を消してしまうことがあっても、そんなことは考えたくないし決してあってほしくないけれど、でも仮にそうなったとしてもまたいつかキミには会えるような気がしていた。
キミが僕の名を/呼べば、何千人何万人の中にキミの声がまぎれていても聞き分けて探しだせる自信があった。



また数ヶ月が過ぎた。
ふたりで本屋さんに入ろうとしていたときだった。
キミが店の中から出てこようとする一人の男性を見たとたん、全く動けなくなってしまった。
男性の方はキミの方をちらっと見たようだったけど、気に留めずに店を出ていった。
キミはその場で固まったままだった。
僕はキミの肩に手を掛けて「どうかした?知ってる人やったん?」と聞いた。
はっとしたキミは反射的に僕の手を振りほどいて、店から飛び出して行った。
僕はキミを追いかけた。
なんだか嫌な予感がした。
一瞬だけキミを追いかけない方がいいような気がした。


人ごみにまぎれてしまい、キミの後ろ姿を見失いそうになった時「お兄ちゃん」というキミの叫ぶような声が聞こえた。
その声に周りにいた人たちが一斉にキミを見た。
店から出てきたあの男性がキミの視線の先にいた。
男性は振り返りキミをもう一度確かめるようにじっと見たけれど、やはり心当たりがないというように元の方向へ歩いて行った。
僕が人をかきわけてキミのそばまで来た時、その場に折りたたまれていくようにキミは小さくうずくまって床に手をついた。


僕はキミに声を掛けることができなかった。
キミの悲しみの深さに言葉がなかった。
今日キミは僕の前ではじめてこんなふうになったけれど、同じようなことが今までにもあったのかもしれないと思った。
僕はキミのことを何もわかっていなかった。
キミを抱きかかえるようにして、黙ってキミを家まで送って行った。
キミも何も言わなかった。
ふたりのすき間に入り込む風が冷たかった。

台本8

2011-11-03 | 自作
キミは学校の部活で合唱をしているだけじゃなくて、歌やピアノの個人レッスンにも通っていた。
僕と違って幼いころから音楽に親しみ、合唱は小学校から始めたらしい。
僕は高校2年で初めて音楽を身近に感じ始めたところだったから、キミが歌や音楽について話すことのどんなことにも興味があった。
ふたりで一緒にいろんなジャンルの音楽を聴いた。
ウォークマンのイヤホンを片耳ずつつけて、一つの曲を分け合うように聴くのが好きだった。


キミがそのころ歌い始めたオペラのアリアというものを聞いて、いつか本当のオペラの舞台を見に行ってみたいと思った。
キミは「オペラってすごく不思議やねん。主人公の女の人が病気で死にそうになってるのにすごく立派な声で最後までアリアを歌い通すねん。そんなに歌えるくらい元気やのに死ぬっておかしいやんって(笑)。
それとか、敵同士ですごく仲が悪いはずの二人が長―いデュエットを並んで歌ったりもするねん。
一緒にいるのも嫌なくらい仲が悪いんやからさっさと離れたらええのにって。(笑)
最初はおかしいって思うことばっかり目について、大げさでわざとらしいし馴染めなかったんやけど、これも何回か見たり聴いたりしてるうちにだんだん面白くなってくるねん。
見どころや聞きどころがわかってくるし、それに前はわざとらしいと思ったところでも何回もじっくり聴いてるとちゃんとリアリティを感じようになってくるねん。
日常生活の中ではこんなふうに激しく表現することはないかもしれんけど、その気持ちの芯になってるところは自分も周りの人も持ってるような気がするわ。」と言っていた。
キミは特にプッチーニのオペラが好きだった。
自分に似ている登場人物をみつけたり、「ああ、これは友だちのあの子に似てる」とか、「こんなこと言いそうな人いてる」とか、とにかくキャラクターを身近に感じるらしい。
「ボエーム」に出てくる若者たちはみんなクラスのだれかにあてはまりそうと言っていた。
他にも「トスカ」や「蝶々夫人」の中のアリアをよく聞かせてくれた。




僕たちはそばにいて楽しい時間を過ごしていても、まだ恋人というわけではなかった。
僕はいつでもキミに自分の気持ちをちゃんと伝えられると思っていたけれど、キミの様子をみているとまだその時じゃないという気がしていたからだ。
うまく言えないけど、僕はキミのそばにいられるだけでよかった。


それでもキミに思い切り「好きだ」と叫ぶように言ってみたいと思うこともあったし、キミを僕の胸に強く引き寄せてみたい思うこともあった。
時々苦しいほどそう思った。


僕たちはあの懐かしい交換日記をやりとりすることはなかったけれど、時々手紙を書いてふたりで会った日に手渡すことがあった。
僕は話すのがそう得意じゃなかったから今日は楽しかったとか、あの時こうだったねという話が手紙なら素直に書ける気がした。
直接会っている時には恥ずかしくてなかなか呼べないキミの下の名前を手紙では書いてみたりした。
そして部屋の中で小さくその名を呼んでしまうこともあった。
思いのほかよく声が響いて隣の部屋の家族に聞こえたんじゃないかとひやひやした。


キミと会っている時間をなぞるように、補うように、僕は手紙を書いた。
キミに会えない時はさびしくて、もらった手紙を読み返すこともあった。
キミの手紙には行間がたくさんあって、それはキミそのもののようだった。
短い手紙の、言葉のない空白に何かキミの気持ちが落ちていないか、どんな小さな気持ちのかけらでもいい、拾い上げることができないか、
切ない気持ちで手紙をみつめた。、

台本7

2011-11-03 | 自作
僕たちはこの日から時々一緒に過ごすようになった。
ふたりで並んで歩いていると、はた目には普通のカップルのように見えたと思う。
けれど僕たちはまだちゃんと付き合っているというのでもなく仲のいい友だちという感じのままでいた。
僕のほうはキミをただの女友だちだとは思っていなかったし、キミもそれにはおそらく気付いていたと思う。


僕はキミを見た瞬間から、女の子は世界にキミとキミ以外の人たちに分けられてしまった。
すごく失礼なんだけど他の女の子はひとくくりに「キミじゃない女の子」になった。
それからこれもへんな話だけど僕はキミが世間的に見て「美人」であるとか「可愛い女の子」であるとか、そういうのも実はよくわからなかった。
僕も普通にその年ごろの男子が好きなアイドルや、クラスの人気者の女の子をちょっと「可愛いな」と思うこともあったけど、キミに対してはなぜかそういう判断が出来ないし、必要じゃなかった。


僕のことをキミがどう思っているか気にならないわけはなかったけれど、なにかはっきりした言葉や形を望んでいないように思った。
それは初めて会ったときからキミにはなにか大きな悲しみのあとを感じるからだろう。
キミは時々不意にさびしそうな顔をすることがあったが僕は知らないふりをしていた。
動揺するキミを見たくなかったし、なるべくそっとしておきたかった。
僕に出来ることはただ黙ってキミのそばにいることだった。
でも僕には心の中にキミに伝えたい言葉がいっぱいあったのだと思う。


僕はジュウシマツになってキミに告白の練習をする夢を見たことがあった。
なぜジュウシマツなのかというと、元々ペットとして交配されたジュウシマツは外敵に襲われる危険がないから、他の鳥よりも十分な準備をして愛の歌を歌うらしいと聞いたから。
複雑な文法を持つ美しい歌であればあるほど好みのメスの気を惹くことが出来るので、お父さんにお手本を聞かせてもらって、その歌を一生懸命練習する。
他のオスの歌が耳に入ると集中できなくなるから離れた場所を選んで、お手本の歌と違いがないか、自分の歌が下手になっていないかいつも熱心にチェックを欠かさない。
それなのにいざ本当に求愛する時には目の前のメスのことで頭がいっぱいになって、練習のときのようにはうまく歌えなくなるオスが多いという。
どんなに緊張しても実力が発揮できるよう、日頃から健気に練習を積み、それでもいざ本番では我を忘れるほど一筋に愛を告白するオスのジュウシマツ。
現実のキミにはなかなか言えないけれど、僕は夢の中で一生懸命告白の練習をした。
僕はいつかキミに愛の歌をうたえるだろうか。。


初めて会った日に僕が提案したツーティウォークには結局参加しなかった。
いや、正確に言うとその年のツーディウォークには参加しなかったのだ。
でもその2年後、高校を卒業した僕たちは初めてこのイベントにフル参加して、2日間二人で歩き続けた。
和泉市には池上曽根遺跡という弥生時代の貴重な集落遺跡があり、その遺跡にちなんではじめられたこのツーディウォークには僕が思っていたよりかなり多くの参加者があって驚いた。
イベントの数日前には二人で史跡公園横の「弥生文化博物館」へも見学に行った。


僕たちは額に気持ちのいい風を受けながら、これはまさに「弥生の風」と笑いあいながら歩いた。二日間、歩きに歩いた。
楽しかった。
あの時、口からでまかせに「歩くって意外と楽しいで」とキミを誘った僕の言葉は間違っていなかった。
キミとなら本当にどこまでも歩いてゆける気がした。


それまでの2年間も、僕たちは時間があるとよく歩いていた。
時々キミの住む神戸に行ったり梅田で待ち合わせたりもしたけど、キミが和泉市に来てくれて槇尾山にハイキングに行ったり、僕の家の近くの黒鳥山公園のあたりを散歩することが多かった。
なにをしたいか聞いてみると、キミはいつも散歩がしたいと言った。
何か話しながら、笑いあいながら歩くこともちろんあったけど、キミがふと黙ってしまうときは僕はむやみに話しかけないようにした。
邪魔にならない道連れに徹していようと決めていたからだ。


散歩の途中、急に雨が降ってきて遠くから雷の音が聞こえたことがあった。
「おばあちゃんは雷が鳴ると必ずクワバラクワバラっておまじないを唱えるわ」とキミが言ったから
「そのクワバラって和泉市の桑原町のクワバラのことやねんで。桑原町の西福寺にある雷井戸には雷が落ちへんっていうことからおまじないの言葉になったんやで」と僕が言うと「えーっ うそー 今思いついただけのこと言うとう」ってキミは笑った。
僕の言ったことはあんまり信じてもらえなかったみたいだけど、それより時々出るキミの神戸言葉が可愛いなと思っていた。

台本6

2011-11-03 | 自作
その日のうちにキミともう一度会う約束がしたかったが、僕は初めて会った女の子をデートに誘うという経験がなかった。
映画とか遊園地とか、そういうのに誘うのが普通なんだろうか。
でも僕はキミと映画を観たり遊園地の乗り物に乗ったりするところをなぜかうまく想像できなかった。
僕なりに考えたのはたまたま昨日の夜、母が父に話していた地元和泉市のイベントのことだった。
そんなものにキミを誘うって冷静に考えるとすごくおかしいことなんだけど、そのときはこれしかないと思って真剣に話を切り出した。
僕は今度はキミとちゃんと目が合うようにまっすぐ座りなおして、昨日母が言ってたことを思いだしながら話をした。
「あのな、知らんと思うけど和泉市に弥生ロマンツーディウォークっていうウォーキングのイベントがあるねん。
ツーディっていうても1日でも半日だけでもええねん。
コダイくんとロマンちゃんっていうゆるキャラもちゃんとおるねんで。
ちょっとかわいいで。」
そこまで一気に言って、それから大きく息を吸って、僕はキミに投げかけた。


「よかったら僕と一緒に歩けへん?」
僕が急に落ち着いたような、腹を決めたような調子でしゃべるのを、キミはまたちょっと表情を止めるようにして聞いていた。
やがてくちびるの端が細かく震えて頬に伝わり、もうこらえきれないというように笑い出した。
「それってもしかして、デートに誘ってるん?」
僕をドキッとさせるあのゆるゆるとした手の動きで口元をおさえるようにして、今までよりも少し高い声でキミは言った。
僕はキミに笑われているのに、なせかうれしかった。
笑われているのにほんわかとしあわせだった。
「歩くって意外と楽しいと思うで。なぁ、歩いてみよ」と僕は何度もキミを誘っていた。
キミはおかしくてたまらないというように、ずっとずっと笑っていた。


たまたま思い出したのがウォーキングのイベントだったけど、僕はなぜかはじめからキミと一緒に歩きたいと考えていた。
それはイベントでなくてもなんでもよかったんだけど、とにかくキミと歩きたい、一緒に歩くところなら映画や遊園地とちがってすぐにふたりの画が浮かんだ。
そして僕の思い込みなのか、キミもなんだか歩きたいと思っている気がした。


歩くというのはどこでだって出来るし簡単なようだけど、ひたすらひとりで歩いていると何かのトレーニングみたいになってしまう。
特に目的もなく、ただ風に吹かれてゆっくりと歩きたいときには邪魔にならない道連れがあるといい。
キミは道連れが僕であることは特に望んでいないかもしれないけど、誰かと一緒に歩きたいと思っていて、僕ならば決して邪魔にはならないだろうと思ってくれるように願った。


実は僕は和泉市にそんなウォーキングのイベントがあることも、コダイくんやロマンちゃんというキャラクターのことも、昨日母が父にそのイベントに参加しようと誘っているのを聞くまでは全く知らなかったから、キミにそんなことを持ちかけるなんてちょっといい加減だったかもしれない。
でも不思議とこのことはそのあと一度も後悔しなかった。



学校に戻った僕を見てすぐに斉藤が近づいてきた。
「行った時と顔が全然違うで。なんかあったやろ」と言った。
僕は斉藤にだけはキミのことを話してもいい気がした。
他の人には笑われてそれでおしまいというような話でも、斉藤なら僕の気持ちを少しはわかってくれそうな気がしたからだ。
僕は今日自分に起こったことを全部話した。
斉藤は最初から最後まで真剣な顔で話を聞いてくれた。
そして「ちょっと早すぎるかもしれへんけど、みつけたのかもしれへんな」と言った。


みつけた・・・
言われてみれば僕はキミを見た時「出会った」ではなくなぜか「みつけた」と思った。
そう斉藤に言うと「んー、やっぱりそうなんかもな」と言ってこんな話をしてくれた。
それはギリシャ神話のアンドロギュノスの話だった。
神話の時代、人は男と男、女と女、男と女、という3つの組み合わせで頭が二つ、手足が4本ずつで今の人間が二人背中合わせにくっついている形をしていた。
その中の男と女の組み合わせはアンドロギュノスと呼ばれて、男と女どちらの性も持っているのでとても安定していた。またその丸い形で前後左右自由に動き回れるから次第に神が恐れるほどに力を持ち、それが過ぎて神はとうとう怒りによりその体を半分に切り裂いてしまう。
切り裂かれて半分になり、それぞれ男、女として別々に生きることになった人間は不安で仕方ない。
以前の安定したふたりでひとつの状態を求めて自分のもとの半身、片割れだった男や女をずっと探し続けているのだと。


僕は斉藤の話を興味深く聞いたが、そうすると昨日までの僕はもとの体の半分の存在で、今日かつての片割れだったキミをとうとうみつけてしまった・・・・
なんてことまではさすがにすぐには考えられなかった。
でもいつかずっと先に、「僕はちょっと早いけど、十七歳で本当にみつけたのかもしれんなぁ」って、そんなことをキミに笑って話せる日がくればいいと思った。

台本5

2011-11-03 | 自作
近畿大会の結果は優秀賞だった。
他の部員は最優秀賞でなかったことをくやしがっていたけれど、僕はここで歌えたことに十分満足していたし、まだもう1年あるので来年も絶対に来たいと思った。
「表彰式の舞台にはお前が上がったらええよ、なぁ。」と他の部員に同意を求めながら斉藤が言ってくれた。
僕はまだ仮入部の立場で申し訳なかったが、斉藤やみんなの気持ちにありがたく応えて壇上へ上がった。
受け取った楯と賞状を客席のみんなの方に持ち上げて見せた。
こんなふうに一緒に頑張った仲間と喜び合うという経験もほとんどなかった僕は、しみじみうれしかった。
(思えばこの時も礼を言い忘れたなぁ、斉藤)


この日、自分たちの学校へ戻ってから、みんなで賞状や楯を包みから出して部室に飾ろういうことになった時、ある間違いに気付いた。
優秀賞を受けた学校は2校あって、もう1校は神戸にある女子高だったのだが、もらった賞状を取り出してみると、そこにはその神戸の学校の名前が書かれてあった。
僕が舞台で賞状を受け取った時は間違っていなかったけれど、一度本部に戻して、帰り際に手渡されるまでに入れ替っていたようだ。
すぐに大会本部と相手校に連絡を取って、結局自分たちで直接賞状を交換することになった。


この時もなぜか斉藤は僕に賞状の交換に行くよう促した。
相手校の学生と待ち合わせた梅田のハンバーガーショップの前に僕は少し早めに着いていた。
斉藤に言われるままに来たものの、僕はとにかく賞状を交換したら少しでも早く学校に戻り、部活の練習時間に間に合いたいと思っていて、
相手校は女子高だから女の子がやってくるというごく当たり前のこともなぜか僕の頭になかった。




約束の時間が来た。
僕が最初に目にしたのはキミの後ろ姿だった。
人を探しているような女の子の左の頬が斜めうしろから一瞬だけ見えた。
その薄く赤みがかった左の頬が見えた時、僕は急にいてもたってもいられないような気持ちになった
ひとりの女の子の後ろ姿と片側の頬が少し見えただけでこんなにうろたえるなんて、そんなことが本当にあるんだろうか、
あまりにも急だったから、今自分は周囲の人と同じものを見ているのか、それとも僕だけ見えないはずのものを見ているのかわからなくなってきた。
僕は一度目をつぶり、数秒待ってゆっくりと目を開けた。
キミはたしかに僕の前にいて、今度は後姿ではなかった。
僕とキミの間に風が吹き抜けた。
僕はキミをみつけた。


制服の特徴を伝えていたので僕に気付いたキミが近づいてきて、なにか簡単なあいさつのようなものを交わしたと思う。
あとから思い出そうとしてもこの時のことはあまり現実感がない。
キミを見た瞬間からの、どうにも落ち着かない気持ちのまま、僕はキミの前でただ立っているのが精いっぱいだった。
当初の目的は賞状の交換だったとやっと思い出した。
キミの学校名が書かれた賞状を僕が差し出すと、キミはよく確かめることもなく受け取って、うつむいたままちょっと笑ったように見えた。
それを見てまた緊張して、そのあと僕はキミから賞状をどうやって受け取ったか記憶がない。


用件は済んでしまったが、そのまま帰る気持ちにはなれなかった。
何か言わなくては。
じりじりとした時間が過ぎる。
キミにおかしな人だと思われているんじゃないか。
いつまでも黙って向かい合ってるのはどう考えてもおかしいから、やっぱり今日のところは帰るしかないかとあきらめかけた時、


「のど乾いたし、ジュースでも飲めへん?」と言ってキミは目の前のハンバーガーショップのカウンターを指差してさっさと歩きだした。
キミがなにを言ったのか、理解するのに数秒かかったと思う。
びっくりすると同時に「そうか、そんなことを言ってもよかったんや。」とヘンな感心もした。
すぐにキミを追いかけるようにカウンターに走り、キミと同じオレンジジュースを注文した。
席についても明らかに顔が強張っている僕を見かねてか、キミは僕の顔が半分だけ視線に入るような角度で座った。


「学校も家も大阪なん?」とキミに聞かれて
「うん、でも家は大阪市内やなくて和泉市やねん」と答えると、キミは少しの間言葉に詰まる、というか、表情を止めているような顔をした。
そのあと「・・・和泉市って・・・行ったことないかもしれへん・・」と言った。
こういう反応に僕は結構慣れている。
自分の学校の友だちに和泉市に住んでいると言ってもあまりピンと来ていないなと思うことがあるからだ。
「知らんなぁ、どこにあるん?」とまで言われることもある。
そういう時僕は仕方ないなと思いつつも、正直ちょっとだけさびしい気持ちになる。
たしかに和泉市は大阪の中でメジャーな市町村とは言えないかもしれないけど、
僕は生まれ育った和泉市のことが好きだったし、和泉市のことをちょっとでも知ってもらいたいなぁという気持ちがいつもあった。


最初に僕を落ち着かない気持ちにさせたキミの少し赤い左の頬も、もちろん同じように赤い右の頬も、丸いおでこも小さな瞳も、みんなどちらかというと十七歳という年齢よりも幼いような、素朴な印象があった。
それなのにキミが時折見せる少し物憂げな表情や、ゆるゆるとしたスローモーションの映像にも思える手の動き、頬づえをつく様子、それらひとつひとつにはドキッとするほど大人っぽさがあった。


それでいて不意に口を閉ざしてしまったり、目の動きがすっと止まってしまうような頑なさが出てしまう瞬間もあった。
どこかぎこちない、張りつめている。
その時はまだ何も知らなかったけれど、それはきっとキミが人よりも早く大きな悲しみの淵に立ったことのある人だったから。


人は悲しみや苦しみを知らないで過ごせるなら、誰だってそうしたいだろう。
なのに何も知らないで過ごす時期は思うよりも短い。
悲しみによって陰のような深みと、背中あわせに空気の入りすぎた風船のような危うさを感じさせることを僕はキミに出会って知った。
その時はただキミのつかみどころのない印象が、僕をまた何度も落ち着かない気持ちにさせていただけなんだけど。


この落ち着かない気持ち、キミの言葉やしぐさのひとつひとつがが気になって仕方ないという気持ち、
これがなんなのか、たぶん最初の瞬間から気付いてはいた。
僕は初めて会ったキミに強く惹かれていた。
一人の女の子に強く惹かれることは四歳の時の僕とは違って、
これは恋というちゃんとした名前のある気持ちだと知っていた。
その言葉と意味を知ってからおそらく初めて僕はこんなに強く、急激に人に惹かれた。
準備のしようもなかった。
それだけに、キミが僕にとって特別な女の子だとはっきりわかった。
そう確信できると、不思議と僕はもうそれまでのようには緊張しなくなった。
僕はもう僕のまんまでキミと向き合うだけだった。

台本4

2011-11-03 | 自作
高校2年、十七歳の夏が来た。
僕は学区内の公立高校の受験に失敗して、自宅のある和泉市から大阪市内の私立高校へ通っていた。
第一志望の高校に入れなかったショックを思いのほか長く引きずってしまい、入学から1年以上経過しても、充実した日々が送れているとは言い難かった。
授業は退屈に感じたし、これといって入りたいと思う部活もなく、毎日決まった時間に電車に乗って家と学校を往復するだけだった。
なにか打ち込めるものをみつけて、このうすぼんやりした毎日から抜け出たいと思ったが、うまくいかななかった。


このままでいいのかと思っていたところへ、同じクラスの斉藤に声を掛けられた。
そのころの僕にはクラスに友だちらしい友だちもほとんどいなかった。
そんな中、斉藤だけがそれとなく僕のことを気にかけてくれていた。
クラスの真ん中で楽しくやれるやつなのに、僕のような人間も放っておかない。
斉藤はそういうことを本当にさりげなく出来る数少ない男だと思う。
心を閉ざしがちな僕がクラスの中で完全に孤立しないでいられたのも斉藤のおかげだと思う。僕も斉藤とはなぜか気が合うように感じていた。


斉藤は体がでかい。
その巨体を揺するように近づいてきて、僕の目の前に立って深く頭を下げたからいったいなにごとかと思った。
「あのな、頼みがあるねん。合唱部に入ってくれへんか。コンクールに出るのに、どうしても男の人数が足りなくて困ってるんや。コンクールまでの3ヶ月の間、その間だけの仮入部でもいいから。頼むわ。助けてほしいねん」と、でかい体から絞り出すような声で言った。


合唱部・・?
合唱なんて全く経験もないし、だいいち僕はそういうことが本当に全部ダメで、芸術科目を一つどうしても選ばないといけなかった時も、音楽や美術はとてもムリだと思って、どうにかこうにかやり過ごせそうな書道の授業を選んだくらいなのだ。
それに斉藤だって僕とおんなじ書道選択クラスなのに、昼休みに合唱部の女子たちに廊下で囲まれて、「斉藤君、お願い。見学だけでもいいから来てみて」と引っ張って行かれた音楽室で、
「なんか女の子がいっぱいで楽しそうやし、ちょっとやってみるわ」とデレデレとその日のうちに入部することになっただけなのだ。


しつこいようだが斉藤は体がでかい。
見た目で言うと柔道部が一番似合うようなやつなのだが、「痛いことは嫌いやねん」と言って武道関係の勧誘は全部断っていた。
それにしても合唱部に入るとは、その時人ごとながら驚いたり呆れたりしていたけど、斉藤はその後も結構機嫌よく部活を続けているのだった。
一年以上もかなり熱心に部活を続けているということは、それがただ女の子に囲まれて楽しいというだけでないのは僕にも伝わってきていた。
合唱ってもしかして僕が思っているより面白いものなのか・・


そのとき断ろうと思えば断れたと思う。いくら斉藤がでかい体をふたつに折って、
「頼むっ、頼むわっ」と懇願してこようとも、「いや、僕には無理や」と言ってしまうことはできた。
楽譜ももちろん読めないし、そんな自分が入部しても役に立つとは思えない。
なにもできない、たいして意欲もない、そんな人間が一人でもいると一生懸命な人たちには目障りに映るだろう。
そういうことに僕は鈍感でいられる方じゃなかった。
それなのに、斉藤の頼みを聞いているうちに、少しの間ならやってみるのも悪くないかもしれないと思い始めていた。
やってみてやっぱりダメだったらきっちり3ヶ月でやめればいい。


3ヶ月の間はもしかすると苦しいだけの修行みたいになるかもしれない。
でもまぁそれもいいかと思った。
うすぼんやりした毎日を送っているだけの今の僕には、それくらいガツンとくるキツい修行のようなものが要るのかもしれない。
斉藤はおそらく僕なんかには最後の最後にダメもとで頭を下げているんだろう。
僕があっさりと「わかった。やってみるわ。」と言うと、今度は斉藤のほうが一瞬面くらったような顔になった。
それから「おーっ」と叫びながらでかい体で僕に抱きついてきた。
(いやいや斉藤、暑苦しいぞ。)


3ヶ月後、僕は合唱コンクール近畿大会の舞台に立っていた。
仮入部当初は僕が斉藤に無理やり連れてこられたんだろうと部員たちがみんな気を使ってくれて、歌えなかったら口パクでもいい、立っているだけでもいい、とまで言われていた。
それに事実、初めの二週間くらいは「これは想像以上に場違いなところに来てしまった。やっぱり修行間違いなしやな」と思っていた。
それが3ヶ月経って、自分でも不思議な感覚なのだけど、すごく部活が楽しくて、他の部員に負けないくらい、いやおそらく出会いから日が浅いぶんより新鮮に、歌うことって楽しいなぁと思いながら舞台に立っていた。。
覚悟して、ちょっとだけ期待もしていたガツンの修行の日々は結局来なかった。


僕は電車で毎日読んでいた本をかばんに仕舞い込んで、そのかわりに楽譜を読む練習をしながら学校に行くようになった。
目的のある学びは楽しい。
時間を忘れた。
中学時代の交換日記のことをちょっと思い出した。
はじめはまったく興味がなかったのに、だんだんその面白さがわかってきて目の前が開けていく感じ・・・
僕の中をまた風が吹き抜けるのを感じた。
僕は歌を、音楽を大好きになった。


考えてみれば書くことと同じようにも歌うことも、最初からうまくやろうと思わなければ、誰にだって出来ることだ。
人は原始の時代、話すよりも先に歌っていたと言われているそうだ。
歌うとそれまで眠っていた体の細胞のひとつひとつが目を覚ましていくような感覚がある。
活動を始めたそれぞれの細胞の力が集まってきて歌のエネルギーになる。
毎日歌えば歌うほど、僕も少しずつ声が出てきたみたいだ。
ハーモニーというのがまた面白いと思った。
いろんな様式がある建造物のようでもあるし、縦糸横糸の絡み合う織物のようでもある。
親密だったりぶつかりあったり、いい時もよくない時もある人間関係にも似ている。


ピアノの音も初めてちゃんと聞いたような気がする。
いったい何色あるのだろうと不思議なくらい、一つの楽器からいろんな色の音が出てくる。
ピアノ一台でオーケストラの曲を演奏することもできるらしい。
楽器のなかで一番よく知られているけれど、その魅力ははかりしれないと思う。
フルートという楽器を吹ける部員もいて、練習が終わったあとによく聞かせてくれた。
鳥の声にも人の声にも似ていると思った。
まるで鳥が、人が、歌っているように聞こえた。
歌うというのは単に人の声で歌うことだと思っていたけれど、楽器も歌っているんだと僕は初めて知った。
歌うように奏でる、まさに「カンタービレ」だ。


僕のように音楽にまるで興味のなかった人間が、こんなに短い間にその魅力に取りつかれるってかなり特殊なことだろうと思っていたけど、実はそんなにめずらしいことではないようだった。
女子部員が斉藤を勧誘したように、斉藤が僕に声を掛けたように、きっかけが100%受け身で始めた者が、びっくりするほど音楽に熱中しはじめるというのはわりとよくあることらしい。
斉藤とそんな話をしたことはないけれど、僕に音楽と出会うきっかけを与えてくれたことに、とても感謝している。
(そんなこと言うたらまた暑苦しく抱きつかれるやろうな)

台本3

2011-11-03 | 自作
中学に入る頃にはいわゆる「男女交際」を始めている同級生たちもいた。
僕も何度か特定の女の子と仲良くなることもあったがあまり長続きはしなかった。
男はこのころ精神的にまだまだ幼いから、男女交際においてもどうしても女子側のペースにはまりがちで、男にはあまりよくわからないまま始まり、よくわからないままいつしか終わっているということもあったと思う。
あのころ、まだ携帯電話やメールは中学生が普通に使えるものではなかったから、少し仲良くなった女の子との主なやりとりの手段は「交換日記」だった。


交換日記のノートは女の子同士のペアやグループでもよく回っていたが、
女子同士なら基本的におおっぴらにノートを回すことが出来るけれど、男女のカップルの場合はそういうわけにはいかない。
まず特定の女子と交換日記をしていることは一応周りに知られてはならない「秘密」なのだが、女の子の方はだいたい仲のいい友だちに、「○○くんと交換日記をしてるねん」と言ってある。
なので男はその友だちの好奇の目が光る中でノートを女の子に手渡したり、机の中に入れたりしなくてはならない。
これには本当に勇気と緊張を強いられた。


中学2年の時、席替えでたまたま隣に座ることになったユキちゃんという女の子と時々話しているうちになんとなく仲良くなった。
数日たってユキちゃんから「交換日記しよ」と言われた。
すでに交換日記というのがかなり厄介なものだと知っていた僕はすぐには返事が出来なかった。
それにユキちゃんとは何日か話していて楽しいと思っていたけど、それだけで女の子として本当に好きなのか、まだよくわからなかった。
しかしとにかくすべては女子のペースで進められるこの時期のこと、僕に迷っている隙は与えられなかった。
ユキちゃんはすでに表紙にハートが書かれた交換日記用のノートを用意していて、
1ページ目には「三日以内に書いて渡すこと」「一回につき十行以上は書くこと」などいくつかのルールが色とりどりのペンで書かれてあった。
返事に困っている僕のことはあまり気にならないのか、交換日記はその日から始められてしまった。


この日記はキツかった。正直、学校の宿題よりもキツかった。
教室では隣の席だから毎日直接喋っているのに、家に帰ってわざわざノートに書かなくてはならないようなことはみあたらなかった。
どこにでもいる普通の中学生の僕にそうそうハプニングがおこるはずがない。
僕は余白を埋めるため、大きめの字を書いてみたり、本当に何も書くことがない時はへたなイラストまで書いて、いやイラストなんて言えるようなものじゃない、僕は文章も絵もすごく苦手だったけど、もう何でもいいから十行以上書いて、いつもぎりぎりの三日目にノートを渡していた。


ユキちゃんの方は一度に2ページも3ページも書いてくるんだけど、その内容はと言うと、「女友だちの○○ちゃんが新しいサインペンを持っていてかわいいから私も明日買ってこようかなぁ」とか「制服のリボンちょっと短くしてみたけどどう思う?」だとか。
女の子にとっては一大事なのかもしれないけれど、男には正直どっちでもいいような話ばかりだった。
それでもせっかく隣の席で仲良くなったユキちゃんをあんまりがっかりさせてはいけない、それくらいの気持ちは僕も持っていた。


小学校では素直に女の子と喋ることもできなかった僕が、ユキちゃんとは楽しく話が出来るんだからすごい進歩だ。
きっと僕はユキちゃんという女の子が好きなんだろう。
だから新しいサインペンや短くしたリボンのことを僕なりに一生懸命にほめようとしたことを今でも覚えている。


そんなふうに最初は交換日記というものに戸惑ったり、苦労するばかりだったんだけど、やがてちょっと不思議ななりゆきをみた。
学校の宿題よりも数倍キツいと感じるこの日記のノルマをこなしているうちに、習慣になったせいなのか、気付いてなかっただけで元々性に合っていたのか、僕はだんだんと文章を書くことが楽しくなってきたのだ。
大きなハプニングは起こらなくても、毎日の生活は同じようでいて少しずつ違っていた。
そう思って過ごしていると書く材料はけっこうたくさんみつかるものだ。
またそのころから人が書いたもの、本や雑誌なども読むようになった。
珍しいことや特別なことが起こった方が面白いものが書けそうに思いがちだけれど、意外とそういうものでもないんだなぁと思うようにもなった。
なんでもないようなことを書き手の視線と表現で読ませる人たち、特に時々クスッと笑えるようなところがあると、僕もそんなふうに書けるようになりたいなと思った。
こんななりゆきをみて、僕は毎日の日記を自分なりに書き綴ることが楽しみになってきた。
僕の中にすうっと風が吹き抜けて、今までと少し違う自分が現れたような気がした。


それからこれはまったく思いがけないことだったが、僕はこの交換日記を続けたおかげで小学校からずっと苦手だった作文の成績が抜群によくなった。
もし今の中学生で作文が苦手で困っている人がいたら、僕なら塾に行くことよりも交換日記がおすすめです。
と言っても誰もしないかな。


僕とユキちゃんの交換日記は三日を待たず毎日のように行き来するようになり、順調そのものだと自分では思っていた。
そんな時だった。
ユキちゃんがいつものような日記を書いたそのあとに、矢印で「次のページを読んでね」と示してあった。
こんなことは今までなかったなと思いながらも矢印に従ってページをめくると
「今日でこの交換日記を終わりにします。明日から普通の友だちに戻ろうね。」
と書かれてあった。
この日記の終わり方について、結局僕はユキちゃんにとくに理由を聞くことはしなかった。
正直言うと、理由を聞くのが少しこわかった。


ユキちゃんは僕と日記を始める前とあまり変わらない感じでいたけれど、時々「明日一緒に帰れるかな?」とか「次の日曜日空いてる?」というような僕をちょっとドキッとさせる一行を日記の最後に書いていることがあった。
僕はそのことにはっきりとした返事が出来ないでいた。
そして日記はすでにユキちゃんとのやり取りと言うよりも、僕の作文練習帳みたいになっていて、そのことに自分勝手に気を良くしている僕を、きっとユキちゃんはちょっとさびしい気持ちで見ていたのだろう。
何も言わずに日記を終わらせたユキちゃんは、本当はすごく優しい子だったのかもしれないと今でも思う。
僕は作文が得意にはなったが、人の気持ちに立てない男だった。

台本2

2011-11-03 | 自作
僕もそうだし、もしかしたらみんなそうなのかもしれないけど本当に邪気のない気持ちで人を好きだった頃をほとんど覚えていない。
物心ついて記憶が残っている頃になると、とても自分の気持ちにまっすぐとは言えないようなことをいっぱいしてきたと思う。


小学校でのこと、年齢的にもそれなりに記憶が残っている。
このころはもう遊び仲間は男同士になってきていた。
もちろん女の子が嫌いとかそういうわけでもなく、女の子というのは自分たちとかなり違う生き物だとわかり始めてきたんだと思う。
四年生で同じクラスになったアユミちゃんのことははっきり覚えている。
アユミちゃんは勉強がよく出来て、すごくしっかりした感じの女の子だった。


アユミちゃんのことが気になっているのに、普通に話したり遊んだりしたいはずなのに、僕がしていることはなぜか気持ちと裏腹なことばかりだった。
寒い冬の日、アユミちゃんの机の前を通りがかると、アユミちゃんが学校にかぶってきた毛糸の帽子が置いてあった。
外にいたアユミちゃんが教室に入ってきたのを見た僕は思わずその帽子をつかんで自分の背中の方に隠してしまった。
なぜとっさにそんなことをしたのかわからないけれど、もう帽子を机の上には戻せなくて、教室の後ろの方へ走り、誰も見てないうちにロッカーの上に帽子を置いた。
放課後アユミちゃんが机のまわりで帽子を探すのが見えた。
いつもしっかりしているアユミちゃんが泣きそうになりながら帽子を探している。
僕は何も言いだせずにただアユミちゃんの悲しげな、困った顔を見ていた。
アユミちゃんの困った顔は僕の心をヒリヒリさせた。


別の日のこと、友だちと話をしているアユミちゃんと背中合わせに立っている男子がいた。
僕は何かにつまずいたふりをしてその男子の方に倒れかかった。
するとその子もバランスをくずしてアユミちゃんと背中同士ぶつかった。
アユミちゃんはよろけながら「痛いっ」と言った。ぶつかった男子は僕を責めずに「ごめん」とアユミちゃんに謝った。
アユミちゃんは怒っているんじゃなくびっくりしているだけで、しばらくするとぶつかった二人がちょっと照れているのがわかった。
僕は二人の方に向かって「顔が赤くなってる」なんて大きな声を出した。
面白そうにひやかしながら、僕の心はまたヒリヒリと痛んだ。


僕は本当はアユミちゃんの笑った顔が見たかったはずだ。
困った顔も悲しい顔も見たくはなくて、笑ってほしかったんだ。
僕がひやかしたあとその男子と喋っているアユミちゃんを見ると、二人は楽しそうに笑い合っていた。
僕はすごく悲しくて、くやしくて、その男子に腹を立てた。
僕が二人をぶつけて、僕が二人を笑わせて、そして僕は一人で腹を立てている。
心をヒリヒリさせている。
本当にバカみたいだった。


最近になって仕事帰りの飲み会で小学校時代の話題になった時、今まで人に話したことがないこのアユミちゃんの話を始めてしまった。
お酒も入ってちょっと気が弛んだのかもしれない。
僕の話が全部終わらないうちに口を挟んだのは十歳以上歳の離れた先輩たちだった。
「あー スカートめくりやなぁ。スカートめくりの心理っちゅうやつや。なぁ。」と言われ、あとは笑い飛ばされた。
僕はそれとはちょっと違う気がする・・と思ったけれど、そんなことを言うと面倒くさい感じになりそうだったから、「はぁ、そういうものですかねぇ」ととりあえず相づちを打っておいた。


スカートめくりというものが昔小学校で流行っていたというのは知っていたけれど、女の子にするいたずらにしては大胆すぎて僕たちにはとても真似出来ないと思った。
そんなことをしたらめくった犯人はすぐばれるし、ばれたら間違いなくその女の子に嫌われるだろう。
スカートめくりに比べると僕のしたことはなんだかじっとり暗いし、自己嫌悪もたしかに感じる。
人としても男としても本当に情けない行為だったと思う。
でも僕はこの情けなく、屈折した少年時代の自分をちょっとかばってやりたいような気持になってしまった。


僕はアユミちゃんの困った顔を見ると胸がヒリヒリと痛むのに、その痛みさえも少しだけ求めていたのかもしれないと思う。
こんなことを言うとこいつは危ないやつだと言われかねない。
何度も言うが僕のしたことは暗いし、紙一重で危ないことだったかもしれない。
でも小学生は大人が思うほどに単純ではないし、少なからず危うい気持ちを抱えているのじゃないかと思う。
もう僕のことはそっちのけでスカートめくりの思い出話に花を咲かせている先輩たちに、僕のこのナイーブな少年時代の気持ちを話す気にはとてもなれなかった。
先輩たちと同じ、小学生男子特有のスカートめくりの心理だったということに今日のところはしておこう。



先輩たちは加えて、「だいたいスカートめくったあとは何人かの強い女子に追いかけられて、お尻か太ももの裏あたりにケリ入れられたんや。小学校のときは女子の方がデカイやつ多いからめっちゃ痛かったで。」とも言っていた。
勇ましい女の子たちと半泣きの先輩たちが目に浮かぶ。それにしてもお尻にケリくらいでスカートをめくったことを許してくれていたのだから、やっぱり結構おおらかな時代だったと思う。

台本1

2011-11-03 | 自作
去る9月4日、和泉シティプラザ「弥生の風ホール」にて
和泉市音楽家連盟「音の和」の第4回本公演が開催されました。 
オリジナルの物語を俳優さんに語っていただき
シーンに合うさまざまなジャンルの名曲を
ヴォーカル、ピアノ、フルートのソロ、デュオ、アンサンブルなどで演奏するという、
あまり他に例をみない新しい試みの演奏会でした。

以下は実際に公演に使われた台本ではなく
原作・・・のようなものです。
今回この物語は私が創作しました。
10回に分けてブログでご紹介させていただきます。






 ~語りと名曲~
『あの日風が吹いて 僕はキミをみつけた』



スカボロフェアは風が吹くような曲だと思う。
風の通る場所が好きだ。
風に運ばれるもの、留まるものを思う。
風の通る瞬間が好きだ。
何かが少し変わる。時に大きく変わる。
十七歳のあの日、僕とキミの間に風が吹き抜けて、僕はキミをみつけたんだ。


僕は大阪の南のほうにある和泉市というところで生まれ育ち、中学まで家の近くの公立学校へ通った。
幼稚園も市内にあったが、歩くには少し距離があったので通園バスを使っていた。
この幼稚園時代のことで、のちに母から何度も聞かされた話がある。
年中組、四歳のころだという。僕はマホちゃんという女の子が大好きだったらしい。


通園バスには先にマホちゃんが乗っていて、僕は後から乗り込むとマホちゃんの座っている席までまっすぐ歩いていき、
うれしそうに毎日隣に座っていたというのだ。
幼稚園に着いても、絵本や紙芝居の時間は自由に移動できるから、僕は必ずマホちゃんが座ってからその隣に自分のイスを持って行って座り、絵本や紙芝居の間、何度もマホちゃんの方を見てはうれしそうに笑っていたらしい。
僕にはその四歳の記憶はまったくないのだが、母はこの話を僕が小学校6年生くらいのときにしつこいくらい何度もしてきた。


幼稚園の先生から聞いたのだと可笑しそうに話す母には「そんな幼かった息子がもうすぐ中学生に・・」というような親としての感慨があったのかもしれないけど、
すでに思春期の入口に立っていた僕にはそんな話は恥ずかしいだけだし、それをわからないはずはないのにわざわざ何度も話す母のことがちょっとうっとうしくもあった。
かといってあからさまに声を荒げて反抗するタイプでもなかったので、母がその話を始めると黙って自分の部屋へ引き上げることにしていた。
母の前を通る時、くちびるの端っこを片方だけちょっと持ち上げて「その話もういいから。ちょっとデリカシーに欠けるんちゃう?」って顔をする、それくらいが僕にできる精いっぱいの母への抵抗だった。


おとなになってから僕はもう一度そのマホちゃんとの話をくわしく聞いてみたいと思ったけれど、
歳を取った母はもうあまりそのことを覚えていないらしい。
他の兄弟たちの話と区別がつかなくなってしまったようだ。
今となっては恥ずかしがらずにあのころもっと話を聞いておけばよかったと思う。
なぜかというと、やっぱりそれが僕の初恋というものの話ではないかと思うからだ。


ひとを好きになるということは、つまりはただ、その人のそばにいたいという、たったそれだけの気持ちだと思う。
それだけできっともう十分で、でもあとひとつだけ望んでいいと言われたら、その人ににっこり笑いかけると、にっこり笑い返してほしい、
もし笑ってくれたらうれしくて、その瞬間世界でいちばんしあわぜなのはきっと自分だって思えることだ。


今の僕はもう、おとなとして十分過ぎる年令になった。
あの四歳の年中組から何年、何十年の間に、たくさんの恋を経験したとは言えない、むしろ数としてはとても少ない方だと思う。
それでも僕なりの道のりの中で巡り巡って思っていることがある。
母から聞いたあの四歳の僕、マホちゃんの隣でただニコニコと笑っていた僕、その時の僕が種で、
間違いなくそこから芽が出て大きくなったに違いないとやっと思える、そんなふうに人を好きになっている今の自分がいる。


四歳の僕はマホちゃんが大好きっていう気持ちに恋という名前があるということを知らなかった。
でも僕はたぶんわかっていたと思う。
僕はあのころマホちゃんも、幼稚園の先生も、シャングルジムもホットケーキも、みんな大好きだったらしいけど、
全部がおんなじ「好き」じゃないってこと。
僕は四歳にして、誇らしいくらいに清々しく、まっすぐに恋をしていたんだ。