半分バイク海苔な日々(´・ω・`)

提督と愉快な仲間達が織りなす妄想青春グラフィティ

長野・群馬珍道中記 小諸なる古城のほとりにて~千曲川旅情編(なんとなく滝川クリステルシンドローム)

2009年09月29日 12時00分00秒 | バイク
美ヶ原を後にしてビーナスラインを離れる
その途中で入った道・・・・
なんじゃこりゃぁ!?
水・・・苔生した・・・・腐葉土と化した落ち葉・・・狭く陥没した路面
罅割れてる・・・・・

こんな感じ
なんとか下山を果たし、マルメロの駅 ながと


程度の良いオート三輪
ちゃんと走るらしい
立科町を通過して小諸市
寄ったのは小諸城址記念公園

バイクは200

こんなのもある


小諸城
長享元年(1487年)に大井光忠によって築城されたと考えられている[1]。戦国時代、武田信玄の東信州経営のために現在の縄張とされた。現在残っている城跡の元になったものは信玄の軍師であった山本勘助の縄張りだと言い伝えられているが、根拠となる史料はない。

安土桃山時代から江戸時代にかけて、石垣を構築した近世城郭に改修された。現在のような構えとなったのは仙石秀久の改修によるもので、三重天守もその頃に建てられたものであった[2]。天守には桐紋の金箔押瓦が用いられていたが寛永3年(1626年)に落雷によって焼失している。

城郭は城下町である市街地よりも低地に縄張りされ、市街地から城内を見渡すことができ、このため穴城という別称がある。また、浅間山の田切地形の深い谷を空堀として利用しており、西側の千曲川の断崖も天然の防御陣として利用されている。

         提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

島崎藤村は小諸義塾の講師として、この小諸市に住んでいました。
資料館とか石碑とかもありますよ


有名な油彩画家、小山敬三画伯 の美術館もありんす
小山敬三
小山敬三(こやま けいぞう、1897年(明治30年)8月11日 - 1987年(昭和62年)2月7日)は、昭和期の洋画家。

フランス人女性と国際結婚をしたことでもしられる。実子はない。

父と祖父は、小山久左衛門(襲名)と称した小諸城下・荒町の豪商であり、商家でありながら、馬廻り格の士分待遇を小諸藩から受けていた。
           提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



こもろ寅さん会館
他にも動物園や神社とか色々

天守台からの写真
高所恐怖症じゃなくても怖い

一輪車

最後に茶屋で小諸名物胡桃おはぎを(゜д゜)ウマー

確か去年も兼六園の茶屋で兼六団子を(゜д゜)ウマーしてたなぁww

何だかんだで10時~11時過ぎまで見学してた俺、
「あちゃっ!11時には軽井沢入りするつもりだったのに・・・」
急いで出発
軽井沢軽井沢
軽井沢(かるいざわ)とは、長野県佐久地方にある地域である。狭義には長野県北佐久郡軽井沢町旧軽井沢地区や軽井沢町全体を指すが、広義にはそれに加えて群馬県にある北軽井沢地区なども含まれる。

(写真はイメージです)
目的は中軽井沢駅近傍のラーメン屋梅の家
ここのラーメンは美味いらしい

小洒落た建物の近くに発見
思ったより小さい店

11時開店なのに11時22分現在、準備中??何故?
よくよく見てると取材を受けてるらしい
暫くして主人が客を招きいれる
店内はボックス×2 カウンターは6人が限界か?
客は常連が多いようだ
取材は長野こまち
第5回信州ラーメン博に出展するそうで

私はチャーシューメンを注文

比較的太麺で味はスープ、チャーシュー共に濃い目、薬味は玉葱
美味しいけど、スープ単体では私にはしょっぱいか?
でも美味いのは確か

ここで長野県とはさよならです。

次回、多分最終回 群馬~三国峠そして新潟へ 帰郷 榛名湖のイニシャルH編
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (魔王)
2009-09-29 22:20:37
さすがに解らん名所…!長野は蕎麦のイメージあるがラーメンかい!明治初期、日本が誇る大阪さかい事件を検証しなさい(* ̄O ̄)ノ


Unknown (hir○shi)
2009-09-30 06:46:49
>魔王
そんなん知らんがなwww
おはようございます (ippu)
2009-09-30 09:04:16
≪美ヶ原を後にしてビーナスラインを離れる≫
私の所からは比較的近いので何度か行っています。いいところですね。
Unknown (hir○shi)
2009-09-30 21:41:15
>ippuさん
最高に景色がいいですね(^^)v

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