ただウェブに駄文を綴るのみ

駄文綴り続けて早1年。
誰かのためになることを書いたら負けかなって思ってる。

書き手としての心情,読者として心情

2006-05-07 | Webのお話
 例えば,「こんなのはつまんねーよ」っていう内容の記事を自分が書いてWeb上に公開しちゃうようなこと.公開してなくてもつまんないと心の中で言っておきながら,それを言った本人が書いている.こういうことはないだろうか.
■読者として
 うちのブログを題材にあげていきますが,読者としての自分にとってほとんどの記事はつまんないことを書いているのが大半であると思っています.それは全カテゴリーに言えること.

 「Webのお話」なんてカテゴリーなんか,はっきり言って他の人が書いているようなことをただ自分の言葉に置き換えただけのようなものも多くあるでしょう.中にはその内容を消化しきれずに劣化させた記事を書いてしまうこともあるかもしれない.そして,読者としての僕の目線からは,「なんか似たようなことを見たことあるな.面白くもない」とか「もっと面白い書き方してるブログなんて星の数ほど存在するだろうになぁ」なんて感じることもある.実際,今書いているこの記事も「あんまり面白いこと書けてないな」って読者側になった僕自身は思いながら書いてたりもします.

 読者としてつまんないと感じ,つまんないと分かっていながらWeb上に公開する.どこか矛盾しているような感じ.こういうのをダブルスタンダードって言うのでしょうか.では,つまんない記事をあげる理由はなんだろうか.
■書き手として
 いくら読者としてつまんないと思っていても,書き手としては面白い題材だと感じてそれを自分が是非書いてみたいと思う.
 確かに読んでもつまらないかもしれない.ただのエゴだろうと,アホな主張と言われ,読み返してみると確かにそうだと自分でも納得したとしても,書き手としての自分はつまんないという内容について自分なりの言葉で表現し,そしてそれを主張してみたい.

 また,最近はてなダイアリーの方でなんでチラシの裏に書かないんだ!っていう日記を書き始めたのですが(宣伝のようで宣伝じゃありませんからね),そこで書いている日記についても「Web上に公開するようなものかぁ?」と自分では思っている.でも,それはあくまでも読者としての自分.書き手としては書きたいという欲求が強いんですよ.あ,つまんないと思っているのはあくまでも自分が書いている内容のこと.日記そのものがつまんないわけではなく,実際,日記的に書いているブログで面白いと思って読んでいるブログもありますので,そこんとこは勘違いしないようにお願いします.

 つまんないと言いながらも,書き手としてこういう心情があるのです.読者としての自分と書き手としての僕は,同じ自分であって違う自分なのです.
■心情を切り離して書く
 Web上に「こういうのはつまらない」という主張を公開することは,読者として僕が思っていることを書き手としての僕が書きたいと思ったから書く.そして,読者としての僕が「こういうのはつまらない」と感じるものをWeb上に公開することは,書き手としての僕が書いて公開したいから公開する.

 矛盾する? ダブルスタンダード? そう言われるのは大いに結構である.それでも,書き手としての心情と読者としての心情は分けて考えていきたいのです.同じ人間から発せられる言葉であろうとも,立場が変われば心情も変わるというものなんですよ.

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