LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

尊き距離

2014-06-22 06:20:09 | サイキックの眼

         
            
尊き距離
         
          
人生も。
人生の終末も。
そして、人生の終末のその後も・・様々なのです。
            
            
        ◇◆◇◆◇ 
             
宗教を信じている人は、宗教の小さい世界の中で判断を待ち続け。
            
自意識が限りなく細く、自己の気付きに結び付きの無かった人生を持った・・大昔の魂の群たちは、宇宙のチリとなって・・・冷たい土星の輪っかの一部となって、いつ来るやも知れない転生の時を待ち続けていたり。
         
今生のいちばん平和だった時と年齢の想い出の中で、肉体無き魂が・・永遠の中でリンゴ畑を歩き続いていたり。
      
また或いは。いちばん不幸だった時の記憶の中から出て行く未来が解らない魂もいる。
          
オレンジの安息の中で。そして真っ赤に燃えるジェリービーンズのような繭(マユ)の中で、再起を誓って目覚めの時を待つ魂がいる。
       
認知症を患ったまま息を引き取った霊は、あの世の中でも目覚めることが解らず・・・。
         
仏壇の中で、うつむいて顔をあげようともしない・・霊となった魂。
       
父親より先に若くして死んだ息子が、2階の自室で・・老いた父親の寿命の時を静かに待ち続ける、心深い魂の親子。
         
家の守り神の役目を終えて、自分の人生を見つめ直すことを決めた幼い子供の魂の未来。
         
古いシャツとズボンを着たお爺さんが、先に亡くなった弟の健康を心配して、新しく建て替えた家の・・今は無き昔に存在した陽の当たる縁側にひとり座り、亡き別れた弟への想いにふけっている。
         
数百年もの時間をさかのぼった前世の記憶の中で、ひたすら耐え忍び続ける・・、今世自ら命を絶った魂の生き方。
         
成仏出来ずに、200年も寺の片隅でふさぎ込み続けるお坊さん。
       
未来永劫・・子孫に不幸を与え続けようとするご先祖の執念。
      
ホテルの一室に無賃連泊している、目には見えない女性の先客。
         
電球のような頭の形をしたお爺さんが孫を見守っている。
         
足が不自由だったお婆さんが亡くなられた。棺の御遺体には新しい草履(ぞうり)を履かせて見送ってあげて下さい。もう元気に歩けるから。
         
我が子をも敵視する会社経営者の・・その息子の自殺。
         
2年間毎日遊びに来ていた、手にも乗るほどに仲の良かったスズメが寿命をむかえ死んで。それからまた2年後に一日だけ再来した。
      
姓名判断を信じ過ぎて、「あなたの息子の名前は最低です」と言われた母親の・・その息子の不慮の急死。
         
トラウマを乗り越え、家族の絆が成長した家庭。
         
虚栄心ばかりを追いかけ、誰からも信用を失う人の多さ。
      
誰も信用出来ないまま・・大人になってしまう苦しい日々。
         
脈々と続く・・因縁の数々。
      
        ◇◆◇◆◇
          
         
尊さを知ると、謙虚になるでしょう。
       
何に対して謙虚になるのでしょう。
      
例えば。職人さんが長い年月と苦悩と労力と命を懸けて造り上げたモノの前では、深い大切さを感じます。
それはスグには出来ないことが解るのから。
そして、自分の生命の年月と照らし合わせるからでしょう。
自分の命より長いであろう寿命のあるモノに対しては謙虚になります。
逆に。笑
これぐらい俺でもカンタンに出来るわぃ!・・と思えるモノにはバカにしたり軽んじたりするモンです。
なので。けっこう寿命の長さや時間の長さで勝ち負けを決めたり・・しているモンなんですよね。
不思議です。
寿命の短し虫には生まれたくないなぁ。とか。
早く移動出来る事が優秀だったり。
遅いことがノロマで劣っていると言われたり。
      
太陽を見て、半年後には太陽の向こう側に自分は地球と共に移動しているんだなぁと。僕はいつもそう想像していたり。
       
尊き距離。
色んな点と線が、時間を生み、方向を生み、対極を生む。
それを測ることが出来るのが、魂と肉体なのかも知れません。
       
それは常に苦しいスケールで・・。
なぜなら、いくら測っても計っても・・量りきれない距離と容量があるからです。
      
本文冒頭に、様々な人の尊い「存在の範囲」を記しました。
もちろんホンの一部に過ぎません。
何処から来て、そして何処へ行くのかは、その人の意思の範囲のみなのです。
         
         
サイキック 山本 浩二
         
          
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