なんでも、自分でやりたがる、2~3歳児のように
私は、なんでも自分だけでやりたがります。
仕事も、人にお願いしたり、協力をお願いすることは苦手で、
それなら、自分でやります!と引き受けてしまいます。
こうして、精神的に落ち込んでいても、できるだけ自分の力で
何とかしたい!と思って、
自分に引きこもったり、誰にも会わないようにしたり、するのですが、
結局は、自分ひとりではなにも解決できず、
友人に話したり、カウンセリングを利用したり、
エンジェルカードを引いたりしています。
名古屋へ行った12月。
紹介してくれた友人と、今日会いました。
偶然にも、彼女は今週末名古屋へ行くそうで、その前に会おうと提案した
私の勘は、冴えていたといえます。
いえ、きちんと面と向かって、私の気持ちをお伝えしなさいという、
神様の采配があったのかもしれませんね。
「あゆみさん、もう名古屋には行かないのでしょう?」
いろいろと話をした最後に、こう言われました。
「はい。行きません。」
そう、応えました。
「先生の体調の限界もあるから、これが最後のチャンスなのに、
もったいない。。。きっと、あゆみさんの言う、
“すべてを削ぎ落とした自分”になれる最短の道かもしれないのに。」
それを言われたときは、泣きそうな自分がいました。
身内から、サヨナラを言われたような気持ちがしました。
あなたたちとは、前世か、その前のどこかで、きっと一緒に
過ごしていたかもしれない。。。その感覚は、確かにあるのです。
でもね、嫌で脱藩するのではなく、
あなたたちと離れたところで、自分ひとりでなんとか成長していきたいと、
今世は思っているのです。
なぜだか、わからないのですが。。。
「先生が、何度もおっしゃったのが気になっていて。。。
“自分には師匠はいなかった”って、何度も言ってました。
私には、それが、メッセージのように聴こえたのです。
だから、今回は、違うのかもしれないと思ったの。」
そう、答えていました。
宗教団体ではない。
けれど、それに近いものを感じました。
誰かすごい人がいて、もしかしたら神様の世界と繋がっている人。
その人の周りに、たくさんの人が群がって、
なんだか崇めているように見えるのは、
私にとってはやはり違和感がありました。
崇めてしまうのは、悩み苦しむ人たちです。
それは、仕方のないことだと思います。
ただ、崇められるほうが、
崇められたままにしておくのは、違うと思う。
そういうことです。
崇められ、尊敬される人物は、
崇め、敬う諸人よりも、低い位置にいてほしい。。。
上に立つのではなく、
より腰を低めていてほしい・・・
そういう自分なりの、「本物の人物像」があるのです。
これが、エゴだといわれれば、そうかもしれませんが、
私の直感と、判断は、きっと
私だけではなく、私の家族にとっても正解だったと思っています。
私は、あの場所では、私の生きたいようには育たない。
と、いうことです。
でも、遠い過去に、一緒に修行した仲間やお姉さまたちに
再会させていただけたこと、
そういう場所があるということを教えてくれた友人には、
ほんとうに感謝します。
ありがとうございました。
私は、なんでも自分だけでやりたがります。
仕事も、人にお願いしたり、協力をお願いすることは苦手で、
それなら、自分でやります!と引き受けてしまいます。
こうして、精神的に落ち込んでいても、できるだけ自分の力で
何とかしたい!と思って、
自分に引きこもったり、誰にも会わないようにしたり、するのですが、
結局は、自分ひとりではなにも解決できず、
友人に話したり、カウンセリングを利用したり、
エンジェルカードを引いたりしています。
名古屋へ行った12月。
紹介してくれた友人と、今日会いました。
偶然にも、彼女は今週末名古屋へ行くそうで、その前に会おうと提案した
私の勘は、冴えていたといえます。
いえ、きちんと面と向かって、私の気持ちをお伝えしなさいという、
神様の采配があったのかもしれませんね。
「あゆみさん、もう名古屋には行かないのでしょう?」
いろいろと話をした最後に、こう言われました。
「はい。行きません。」
そう、応えました。
「先生の体調の限界もあるから、これが最後のチャンスなのに、
もったいない。。。きっと、あゆみさんの言う、
“すべてを削ぎ落とした自分”になれる最短の道かもしれないのに。」
それを言われたときは、泣きそうな自分がいました。
身内から、サヨナラを言われたような気持ちがしました。
あなたたちとは、前世か、その前のどこかで、きっと一緒に
過ごしていたかもしれない。。。その感覚は、確かにあるのです。
でもね、嫌で脱藩するのではなく、
あなたたちと離れたところで、自分ひとりでなんとか成長していきたいと、
今世は思っているのです。
なぜだか、わからないのですが。。。
「先生が、何度もおっしゃったのが気になっていて。。。
“自分には師匠はいなかった”って、何度も言ってました。
私には、それが、メッセージのように聴こえたのです。
だから、今回は、違うのかもしれないと思ったの。」
そう、答えていました。
宗教団体ではない。
けれど、それに近いものを感じました。
誰かすごい人がいて、もしかしたら神様の世界と繋がっている人。
その人の周りに、たくさんの人が群がって、
なんだか崇めているように見えるのは、
私にとってはやはり違和感がありました。
崇めてしまうのは、悩み苦しむ人たちです。
それは、仕方のないことだと思います。
ただ、崇められるほうが、
崇められたままにしておくのは、違うと思う。
そういうことです。
崇められ、尊敬される人物は、
崇め、敬う諸人よりも、低い位置にいてほしい。。。
上に立つのではなく、
より腰を低めていてほしい・・・
そういう自分なりの、「本物の人物像」があるのです。
これが、エゴだといわれれば、そうかもしれませんが、
私の直感と、判断は、きっと
私だけではなく、私の家族にとっても正解だったと思っています。
私は、あの場所では、私の生きたいようには育たない。
と、いうことです。
でも、遠い過去に、一緒に修行した仲間やお姉さまたちに
再会させていただけたこと、
そういう場所があるということを教えてくれた友人には、
ほんとうに感謝します。
ありがとうございました。
“囚われ”ているように感じるのはわたしの思い過ごしでしょうか。
私自身も、自分で囚われの身に置いていることを自覚しています。
大事なことに
思いいたった
あなたの見識と聡明さ
私は、評価したいです。
偉そうに書き込んでしまいましたが。
今、現在、
私の思っていることとドンピシャリだったので。
ごめんなさい。
上から目線ではなく
救われている人から学び、救われる人だということ
ほんとに そうだと
同感です