ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

サーヤ号泣・・・

2006年05月30日 | 子ども
我が家の長女、サーヤ。
たくさん食べる小学生。そして、情緒豊かで繊細な心の持ち主。(どう扱ったらいいのか分からなくなる時があるのだが。)

今日、運動会を観るために来八していた母が帰ってしまう。
朝起きた時から、なんだか寂しそうな表情が少し見えるサーやに気づかぬふりをして、学校に送り出した。
サーヤはおばあちゃんが大好き。サーヤの語ることを一つ残らず聞いてくれ、耳を傾け、サーヤに注意を払うおばあちゃんの存在は、日ごろエリーにママを取られがちな彼女にとっては、なくてはならない存在なのだ。心の支え。よき理解者。愛そのもの、なのだ。

サーヤの帰りを待って、駅に送りに行く。駅に着くまでにも、たくさんたくさん話しているサーヤとおばあちゃん。サーヤも寂しい気持ちがあるのと同じように、母も、そして娘である私も、寂しい気持ちでいっぱいだった。寂しい気持ちは時に、苛立ちとなって表れる時があるが、車中ささいなことでサーヤを怒ってしまった。あ~あ、また泣かせてしまった・・。無用な涙を流させてしまう自分にも、そしてここぞとばかりに泣くサーヤにも腹が立った。
そんな余韻を残したまま、車はとうとう駅に到着してしまった。降車して、母を見送ろうと思った瞬間、サーヤは母の腕をつかみ、泣き出してしまった。
「帰らないでー!あと5日いてーー!!」
「ババー!ババー!だめー!帰っちゃだめーー!」
「ババの家はここなのぉぉぉ!!」
す、すごかった。本当に、母の腕が折れるんじゃないかという位の強さで、必死にしがみついて離さない。
降車した場所から、1歩も移動できずに10分くらいは経ったと思う。母も、ジュースを買いなさい、と言いながら小銭を渡してみたものの、そんなんじゃごまかされはしなかった。「おーい、おーい」と言いながら泣いている。でも、電車の時間は否応なしに迫っている。
「もう電車の時間だから、サーヤ、今日はさよならしよっ。」
私が何度言ったって、母が何を言ったって聞きやしない。
「いやだー!ぜったいにいやだーー!!!おーいおーい」

母も思わず涙。私も思いがけずもらい涙。
すぐ近くなんだから、またすぐに会えるよ、って頭で分かっていても、この別れかよ!!!と思うと、なんだかおかしくて、涙を出しながら笑ってしまった。笑いながら泣いてしまった。

しばらくして、本当に電車の時間が近づいてくると、サーヤも泣きながら諦め、車に乗ってくれた。号泣しながら、「ババー!ババー!」と叫びながら、車の窓から手を振る。振り返る。ハンカチで顔中を押さえる。ひっくひっくする胸に苦しそうにしながら、少し落ち着いたかと思うとまた、「ババー!ババー!ババがいいのぉぉぉぉぉぉぉ!!!」と泣き崩れる。私は、複雑な思いでハンドルを握りながら、帰り道を間違わないように注意して車を走らせていた。途中、ツーっと涙が頬をつたった。別れが寂しい涙なのか、サーヤの気持ちを考えての涙なのか、それともこれほどまでに母を慕うサーヤへの愛情不足を感じてのふがいなさの涙なのかは分からなくなっていた。動転していたのだ、私も。
ただ思ったのは、私もサーヤと一緒になって「ババと別れて寂しいねー」と言って泣いてしまってはいけないということ。それだけは母親としての頑なな姿勢を保たねばならぬ。そんな風に考えていたら、ふと、“親”というのはこうやって、いろんなことを耐えて忍んで、様々な感情を我慢して押し殺して、子どもたちを育ててきたのだろうな、と思った。“親”って、大変だ、と思った。と同時に、そんなふうに育てられてきたことにありがたさを覚えた瞬間だった。

この日の夜、眠る時も、「ババと一緒に寝たいから、今から北海道に行く!」と泣いた。
「無理やから・・。」冷たい私の返事に、悲しい表情で一人ソファーで眠ってしまったサーヤ。
夜、なんだか頭が痛くなるほど、何かを考えている自分がいた。いったい何を考えているのかは、自分自身にも分からない。脳の奥の方で、私に分からないように、私は何を思っていたのか。
ただはっきりしているのは、「サーヤ、もうあんなに泣かないでね。反則だ!」と眠りにつくまで頭をぐるぐる回っていたことだった。

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