理緒とハンスは、テーブルの下でこの慌ただしい雰囲気に一抹の不安を感じていた。
王族・貴族やらが怯えながら広間から出て行くのだ。ガウラも兵に連れて行かれた。この場には男の人が一人しか居ない。
何か思案している様で、玉座に佇んでいた場所から移動して食べ物が乱雑に放り出されたテーブルに着くと、銀の光るナイフを手に握っていた。
「!!(え!!)」
男の人がいきなり自分の手の平を切りつけた。鮮血がポタポタ零れ落ち、白い床がいっそう目立つ。
何か言葉を呟いた後、赤い魔法陣が床に現れ、そこから黒いしなやかな毛をした犬が現れた。
大きさは中型犬よりも一回り大きい。背中には黒い色の翼。瞳は赤色で額に緑の石みたいなのを填めて。王様の声が広間に響く。
「久しぶりだなディル。悪いがお前の特異な鼻で異世界の覇者を捜せないか? この王宮に居ると思うんだが」
「ウオンッ!」
了解したと尻尾を振り、主の痛々しい手の平の傷を申し訳なさそうに見つめ丁寧に血を舐め尽くす。
主に一鳴きした後部屋の匂いを嗅ぎ、忠実に命令を守る犬はテーブルの上に乗ってる食べかけの食べ物には見向きもしない。私の隠れているテーブルの下まで来ると、再び匂いを嗅ぎウロウロし始めた。
「ワンワンッッ(出て来い!!)」
「ニャアアッ!!(ちょっ、ちょっと、ここじゃないってば!!アッチ行ってよぉ)」
「グウウウウッ!!(ウルセェッ!俺の鼻に狂いはねーんだよっ!!)」
「!?何だ、意外と近くにいたんだな」
正にここ掘れワンワン状態。こっちに向かって激しく吠えられる。王様が黒犬に近づいて良くやったと褒めると喚く声はピタリと止んだ。
少しの静寂に逃げたい衝動に駆られるが体がどうにも動かない。
テーブルの下で震えている時、カツカツと足音が聞こえて来た。人の足が自分の手前で止まるのを確認すると心臓が激しく暴れ出す。隣のハンスを見ると、黒犬が持つ激しい気性に彼は気絶していた。(ギャーー!!)
沈黙が貫く。暫くの間固まっていると上から声が聴こえた。
「覇者とやら、もうそろそろ出て来たらどうなんだ?」
「!」
どうやらワンコの活躍で自分の位置を知られている。逃げる事も出来無いと悟った時、テーブルの下から恐る恐る出た。
チラリと見上げると鷲色の髪をした男の人――豪華な服装からして多分王様だろう。黒犬を従えて仁王立ちしていた。
上からの目線で焦げ茶色の瞳が、体の隅々まで覗かれてる様だ。目を逸らした方の負けだ。獣の習性がそう告げる。王様と云えど、先に目を逸らすまじ!!
「やはり猫だったか――」
「ニャ!(ムッ)」
自分のヒゲがピクピクッと反応する。やっぱり私を馬鹿にする気か?
引っ掻く位は出来るかもと無謀な考えに、唸りながら警戒態勢に入る。
「おっと、覇者殿の言葉は私には分らぬのでな。そうだ、先ほど商人が奇怪な物を手にしてた。アレを使うか」
「ニャ、ニャアア!(エエッッ、ヤダァッ!)」
冗談じゃないと後ずさりするが遅かりし。ヒョイッと片手で首根っこを掴み上げられる。
……この掴み方は屈辱でムカついたので暴れてやった。
「フギャァァッッ!!(離せーー!!)」
「暴れるな、落ちるぞ」
「フウゥゥッ(脅しには乗らないんだからっ)」
じたばたと激しく暴れてみる。気持とは裏腹にかすり傷一つ負わせられないのが腹立たしい。それでも猫パンチを空振り連打する。すると大人しくしていた黒犬が激しく吠えた。
「ワンワンッッ!!(静かにしろっっ!!)」
「フッ、フニャァッッ(ヒッ、ヒィッッ)」
「ワンワンワンッ!!(万に一つの確立だが、もし陛下に、俺の主に傷の一つでも付けてみろ……)」
ダンッ!と右手を床に叩きつけて狩猟犬さながら威嚇して来た。牙を剥き出しにして激しく吠えられる。
「グルルルッッ(その時はお前の体を噛み千切ってやる!!)」
いきなり出て来てネコ殺しの宣告―――!!!
今にも襲いかからんばかりに威嚇され、負けん気無しの強気な体が縮こまった。
黒犬が怖いので、かわりに恨みがましく王様を仰ぎ見る。その拍子に思わず涙がチョチョ切れた。
「フッ、フニャァァ・・・(怖いよ・・・)」
「白い猫の覇者殿は良いとして、牢に入れてるカイナを“処分”されたくはないだろう? だったら協力しろ」
残酷な言葉に体の動きを止め、金色の瞳を目いっぱい見開く。言葉に偽りが無く、視線を外さない様に焦げ茶色の瞳を私に合わせて喋る。
――反論する事は許さないと。その言葉を耳にして大人しくする。
そうだ、ガウラがいるんだ。下手な事して怒らせて、ガウラが殺されたりしたら嫌だ。この一時だけされるがままにしようと観念した。
「イイコだ」
首根っこを掴まれた状態から腕に漸く抱かれた。うん。この状態の方が安定する。心なしか抱えている腕が優しい。逃げないと分かったからだろうか。
でも王様が着てる豪華絢爛な赤い色の服に猫の白い毛が付かないかとても心配だ。赤い生地に金色の細かい刺繍が施されてる。首元の襟や胸元に輝く光はもしや宝石? 慌てて自分は人畜無害だぞと知らしめる為に、王様の手をペロッと舐めた。
離宮にある牢屋に着くと、番兵らしき男がこちらに気づき敬礼をした。
そっか、この男の人はこの国の王様だったんだ。忘れてた。
ここに着く前に私の体全体をくすぐられて完全に遊ばれていたのだ。体がムズムズしてこそばゆい。も、悶え死ぬ。見た目二十代の体格のいい大人のクセに、心は幼児並みのようだ。
「フギャア〜ア〜(や〜め〜て〜)」
「白い猫はこの国では貴重でな。今度エヴァディスと猫じゃらしで遊んでやろう」
「フニャア(元人間のプライドが失われていくぅ……)」
「クッ、喜んでくれて幸いだ」
一方的な会話に項垂れる私の鳴き声が予想通りなのか、勝手に都合の良い解釈をつける王様の顔が朗らかになる。
私、猫のなりはしても、中身は花も恥じらう15歳の乙女なんだけど。
王様に大人しく付き従う黒犬ディルは私を羨ましげに見つめてきた。
主を独り占めしてる様に見えるんだろうか? 今なら熨斗付けて返してやるっ! とディルに睨んでやったらプイッと顔を逸らされた。
男の人にくすぐられた状態を、元の世界に居る父や二人の兄が見ればどうなるか。
特に陽兄は手段を選ばないからなぁ。太一兄やお父さんは必死になって助けてくれると思うんだけど母はどうだろう? 笑い転げて悶絶してそうだ。
和やかな雰囲気に敵対意識は無くなったものの、少しの理不尽さに心が萎えいだ。
噛み合わない会話だが王様はさっきよりも機嫌が良くなったと思う。私の大人としての対応の賜物だよね。
「フニャ♪(フフン♪)」
「? さぁ、入るぞ」
ギイイと番兵が牢の鍵を開ける。
先程私が来た同じ部屋で、衛生状態も良いし危害も加えられていない。水も食料もある。
それでもガウラは鎖で繋がれた状態だった。
王様の腕からピョンと跳び下りるとガウラの傍へ駆け寄った。
「ニャアァァ(ガウラ、大丈夫?)」
「リオ、何故こんな所に?」
琥珀色の瞳が、私の姿を怪訝に捉える。ガウラは私を危険な目に合わせたくない様子が窺えた。彼は大人だ。ちゃんと私の事を考えてくれる。けど友として、困難を一緒に乗り越える位は良いよね?
「ニャオンン(不可抗力なんだもん)」
ガウラからの視線を無視して、ギロリと視線をこの国の王様にしてやった。番兵が王様と話し終えたようで、ガウラの頭に手をやる。人との会話を可能にする金属を外すと、今度は私の方に近付いて取り付けようとしたが――
バチッッ
「うわっっ」
「!!」
番兵が仰け反って、金属が床に落ちる音が部屋に響く。
白い魔法陣が発動した。
でも何の基準で現れるんだろう? ただ金属を取り付けようとしただけなのに。
訳が分からないので王様を見た。兵の人が落とした金属を王様は手に持ち、暫く眺めてから喋り出す。
「この金属に付いてる宝石には魔力が込められてる。それに一瞬で判断して発動したんじゃないか?危険があるかどうかは別としてな」
真剣な瞳で私の体を見据えてくる。
「私が見てもこの金属には呪い等は掛かっていない。エリシュマイルの加護を得てはいるがそれを管理出来ていないのだろう? 自動で発動するとなると、これから随分不便になるぞ。悪意のない行動でも全て発動すればな」
……ちょっと待て王様。管理するとかしないとかってナニ? 悪意のある呪いって? どっちも私は理解出来てないんだけど。王様、そこから指摘してくんない? コレは会話が出来ないとマズイ様な。
確かここに来た時、銀髪の騎士の人にデコピンされた。命に係わりは無くても、何か衝撃があればあの後魔法陣が発動するかもしれなかったのに。でもあの時点では何も出なかった。
レイオンと出会った時もそう。魔法陣は危機に察して発動してくれたが尻尾を掴まれて体から力が抜けた後だった。これで完璧と言える?
自分にとっては良くても周囲が迷惑を被ることにもなると付け足される。逆を言えば、発動して欲しい時には出ない事もあると、王様は推察してきた。
私の頭を大きな手が優しく撫でる。
どうしてそんなに期待するの。
私が皆の言う覇者だから? その根拠は何処から来るの。
傍に居るガウラを見ると彼は私を心配そうに窺っていた。
やり切れない感情に彼の毛皮に寄り添って俯く。話を現実的に受け止めきれない私の様子に王様は気付き、膝を床に付け目線を合わせた。
「へっ、陛下、お辞めください!!」
「今は金属を取り付けなくても良い。しかし会話の疎通だけは何とかして欲しい。見たところ覇者殿は私の会話が理解できている様だが、私には理解する事が出来ない」
会話の重要性――それは私もさっき痛いほど分かった。こっちだって王様に話が通じなくて不便極まりない。態度で示すしかないもんね。
番兵は床に膝を付いている王様を慌てて立たせようとするが、立とうとはしなかった。番兵の人は顔面蒼白。ガウラと勿論私も目が点になったんだ。王様が床に膝を付ける事は有り得ない事だと、この場に居る誰もが思ったからだ。
「ファインシャートに生きる全ての民は、皆ここ数年覇者殿の降臨を今か今かと待ち望んでいたんだ。度重なる魔族の襲来、作物の凶作には皆が必死に食い止めようと生き永らえて来た。それは人であれ、獣人であれだ」
……え、魔族? ここには獣人だけじゃなく魔族が居るの?
ファンタジーな単語に目を何度か瞬きする。
「先程我が国ディッセントに魔族共が襲来した。今は私の腹心エヴァディスがその対処に追われている。魔族は退けても、それだけでは人の心が元に戻るのはかなり時間が掛かる。そこで、だ」
だから何だと言うの? ここの獣や動物は皆人間の言葉を理解してるよ。
レイオンもガウラも、ハンスだって。そんなの私じゃなくたっていいんじゃ? 嫌な予感がする。もしかして――
「覇者殿に世界の危機を救って貰いたい。勿論荒んだ人の心もだ」
やっぱし……
王様の黒犬 ディル
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