英語教育と国語教育:木下是雄さんを悼む 国語教育と英語教育の架け橋
今年の5月、たしか読売の夕刊の書評欄に、木下是雄著の『理科系の作文技術』(中公新書)について、「大変意味のある本であるが、「論文盗用」などをしないようにするには、この本以前の心構えが必要だ」、というようなことが書いてありましたが、見当違いだなあと思った記憶があります。
1981年に発行されて以来、物理学者が書いたこの書は、いわゆる文系に属する、井上ひさしや、丸谷才一が評価したこともあって、その後毎年、4月には大学の近くの書店では平積されるロングセラーとなっています。単なる理系の人のためのハウツーものではなく、一つの日本語論になっているということ、国語教育に一石を投じたという点で、根強い評価が継続しています。
しかし、この書の、どの類書とも異なっている点は、文章は読み手のために書くものだという姿勢が終始貫かれ、この書のどこを紐解いても、著者のその主張が強く感じられる点です。これは、「うまく文章を書きたい」などと思って、この書を手にする人の頭をコチンと叩いてくれるものです。或る意味で、それは倫理的態度というもので、「作文技術」という書名で、ハウツーものの外見を装いながらも、この書をそれとはまったく違うものにしています。冒頭の読売の書評者はそのことに気がついてのではないかと思うのです。
もっとも、この書の持つ本質は、この書評を書いた人だけでなく、他の多くの人にも十分意識されていないと思います。たしかに、単なるハウツーものでないというということをぼんやりと理解している人は多いようです。ですから、この本を読んで或る種の感情的効果が心に生まれ、個人的に人に、「良い本だ」と薦めるということはよくあるようです。
しかし、木下さんの提起した国語教育論が、議論を呼び、教育の実践において改革をもたらすという動きは、初版がでてから33年もたつのに、目だっていません。その理由は、文章を書くことが他者との関わりであるというこの書の趣旨が十分意識化されてからではないかと、私はにらんでいます。書くということは、読み手の時間をもらい、読んでいただく、ということの切実さがまだ日本人にはないからかもしれません。「読ませる文を書くために!」などという、取りようによってはかなり傲慢なキャッチフレーズを出版社が用いても、傲慢だと感じる人はほとんどいません。
と、こんなことを考えていたら、上の書評が書かれた5月19日の一週間前の5月12日に木下さんが亡くなられたということを偶然に知りました。享年94歳でした。その書評には木下さんの逝去はまったく触れられていません。私が知ったのは英語教室の生徒さんに、『理科系の作文技術』と、木下さんが書かれたもう一冊の書、『リポートの組み立て方』(1990)の重要性を、ウイキペディアで検索して説明していたときのことです。
今、英語での発信ということが急に言われて、あたふたしている人が多いようですが、そういう人には、まず、この本を読むことを薦めたいと思います。英語で発信するということは、日本語を母国語としている我々にとっては、英語という他者を相手にするということです。その点で、日本語で文章を書くという行為と英語で書く、話すという行為は連続しているのです。それとも、日本語で書くことは内輪のつきあいで、英語だけが他者とでもいうのですか...。英語を書く際の難しさの何割かは日本語で文章を書く際の困難と共通しているということは、語学で格闘してる人ならみな知っていることです。じっさい、木下さんがこの本を書くきっかけになったのは、日本人の英語論文を添削していて、問題は狭義の英語ができる、できないということではなく、日本語能力に問題があるからだと気がついたからだそうです。
英語教室でも、大学の社会人講座、それに一度依頼された「高校、大学連携授業」の場でも感じたことは、まだまだ道は遠いということです。「発信」などという言葉に振り回されるまえに、木下書発刊以来、33年もたっているということを深甚に考えてみる必要があるのではないでしょうか。
最後に、木下さんの『リポートの組み立て方』の、パラグラフ内の「中心文」、つまり「トピック・センテンス」を論じた章から三つの「例文」を見ていただきましょう。大学の社会講座などで、皆さんにどれが好きですかといつも問いかける文章です。どれが正しいというのではありません。書く側が同じことを考えていても、書き方によっては、読み手に異なる効果を与える、ということを考えていただくための例文です。みなさん、どう思われますか。私は多くの皆さんのさまざまな反応を経験して来ました。選んだ理由もいろいろ聞いています。ここでそれを述べると先入観を与えてしまうことになりますから、書きません。皆さんの意見を聞きかせてください。ちなみに、1990年の頃に書かれた内容と日本の現状を比べると、予想が当たっているところとあたっていないところがあって面白いですよ。
①
日本は工業化社会から情報化社会に移り変わりつつある。かつて日本製が世界を席巻したカメラやテレビは、韓国・台湾などが主生産国になりつつある。自動車も同じ道をたどりかけている。やがて日本は、製品ではなく技術(すなわち情報!)を生み出し、輸出することによって経済力を維持することになるだろう。
②
かつて日本製が世界を席巻したカメラやテレビは、韓国・台湾などが主生産国になりつつある。自動車も同じ道をたどりかけている。やがて日本は、製品ではなく技術(すなわち情報!)を生み出し、輸出することによって経済力を維持することになるだろう。日本は工業化社会から情報化社会に移り変わりつつある。
③
かつて日本製が世界を席巻したカメラやテレビは、韓国・台湾などが主生産国になりつつある。日本は工業化社会から情報化社会に移り変わりつつある。自動車も同じ道をたどりかけている。やがて日本は、製品ではなく技術(すなわち情報!)を生み出し、輸出することによって経済力を維持することになるだろう。
木下是雄:『リポートの組み立て方』(1990)より
★上から3つめの写真は、谷崎潤一郎と木下是雄