プチコミ情報局

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元号強要は国民への追加的負担!!

2021-07-31 | Weblog
 平成の本音―元号強要は国民への追加的負担!!
 4月1日、政府は新元号が「令和」となる旨発表した。4月末で「平成」は終了し、5月1日に新天皇となるに伴い新元号となる。これをビジネスチャンスと捉え各種の商品やサービスが提案されており、経済効果が期待される。もっとも5月2日の早朝のスポーツニュースで、令和初のホームラン、令和初のヒット、令和初の盗塁などなど、何かにつけて´令和初’を付けて報じていたが、野球と元号は関係はないので耳障りでチャンネルを変えた。ニュースにしたいのだろうが、無節操な報道姿勢の体質は変わっていない。
 新元号のネーミングについての評価はいろいろあると見られるが、元号で物事が変わるものではなく、その後為政者がどのような時代にしていくかに掛かっている。
一般国民にとっては、新元号になろうとなるまいと、増え続ける規則や慣例、慣行に縛られることなく、出来るだけシンプルで、ストレスが少なく、豊かで希望の持てる社会となることを待望している。
新たな時代に取り組むためには、新元号に期待を持たせるだけでなく、「平成」がどのような時代であったかも謙虚に評価することが必要だろう。その評価無くして進歩も改革も期待できない。
 新元号への変更については、政府、政府関係機関で各種申請書、文書、許認可証等の年号が円滑に進められるよう膨大な作業が行われている。地方公共団体や民間企業、団体でも元号使用に関連し各種の対応策が行われている。
 政府は、4月1日に新元号を公表し、混乱なく改元が進むよう対応が進んでいるとしているが、元号の決定プロセスの不明瞭性と共に、改元や元号使用に伴う国民生活や経済活動に追加的な負担となり、また犯罪の種ともなっている側面を見落としてはならない。
 改元に伴いキャシュ・カードなどの交換が必要として巧みにカードを盗む‘元号詐欺’が横行している。元号が使われる限り、今後もあの手この手で‘元号詐欺’は続くことが懸念されている。
 国民生活にとっては、元号が変わること時代計算や各種の申請書、履歴書類の作成などで作業を複雑にし、追加的な負担となっている。特に超高齢化している現在、明治、大正、昭和、平成、新元号と5元号を経ることになり、何年前だったかなど分からなくなってきている。NHKや民放などでも、元号でニュースや過去の記録との比較を伝えることが多いが、何年前だったかなどが直ちには分からない場合がある。意味の無い元号表示だ。
多くの国民にとっては複数の年号を経るので元号表記は煩雑で、そのために費やす手間暇は可なりのもので、超高齢化の時代では更に煩雑な計算が必要となる。時間の喪失感は無視できないほどで、社会的な損失も大きい。
 元号は、一般国民の生活、各種活動において使用が強制されるものではないので、国民、企業、諸団体自らが西暦年号表記の使用を促進することが望ましい。
 日本にはこの種の伝統や慣習や時代と共に旧弊が多なる上、法律、規則、更には‘通達’などで公的機関への提出文書を細部まで定めていることが多い。一方日本人は良く働き、残業も多く、夏季休暇が以上に短い上休暇も返上して働くのに、労働生産性は欧米諸国が加盟するOECD 35カ国中20位(37年連続という醜態)、先進7カ国中では40日程度は夏季休暇を取るイタリア、フランスよりも低く最下位だ。
 要するに日本人は労働時間が長いのに反して賃金、役員報酬がおしなべて低いということに尽きる。では何故そんなに労働時間が長いのか。その大きな原因の一つが、元号の換算や箸の上げ下げまで規定する規則、‘通達’ずくめの制度にある。米国はじめ多くの国が、日本は市場参入が難かしい、投資が難しい、非関税障壁があるのではないかなど、市場の開放性に疑問に思っている。確かに日本人でありながら新規に何かをしようとすると制度や申請書類などが細かく複雑で大変だ。その上元号記載となることが多い。行政書士や代行業が流行るのもうなずける。  
古い慣習や制度、規則、通達類を、例えば10年ごと、20年毎など、一定期間で廃止することを義務付けるなど、簡素化して行かないと、労働生産性も上がらないし、市場参入などへの阻害要因がアルバム式に増えることになる。
 古い制度や規則を時代の変化に伴い漸次廃止していく意識と努力が必要だ。元号はその一つで、西暦年号の使用を一般化すべきだ。少なくても、地方公共団体を含め、行政への申請書類は西暦年号記載を認めるべきであろう。
 新元号の選定についても不明朗だ。政府は‘新元号選定委員会’を設け、数名の委員を任命しているが、明治天皇時代への復古的思想の強い日本会議のメンバーである女性作家はじめ財界の長老格やなどが中心で、偏向が強く、これが日本国民を代表しているとも思えない。
 元号の使用(その場合必ず西暦年を併記)は、宮中行事の他、憲法に規定されている天皇の「国事行為」に限定すべきではないか。それ以外については、元号使用は任意とし、西暦年号を認めるべきであろう。元号は日本独自の文化であり、伝統であるので、それを保存して行くことは大切であるが、世界がグローバル化し、各種の度量衡、基準、標準などが国際基準で統一されている今日、日本だけが「元号」表記を強要することは、ジャパン・オンリーの独りよがりであり、日本を更に‘ガラパゴス化’して行く恐れがある。現在、世界の人々は、日本の文化や伝統的な技能、技術、建築、日本食などを個々の目で評価しており、ジャパン・オンリーをことさらに強要する必要はなくなって来ていると言えよう。
(2019.5.2.再改定 )
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日本学術会議会員拒否、国のあり方に重大な問題提起!

2021-07-31 | Weblog
シリーズ本音トークー日本学術会議会員拒否、国のあり方に重大な問題提起!
 政府は、日本学術会議により推薦された会員候補105名の内、6名を拒否した。同会議は首相が所管する独立の諮問機関で、210名(任期6年)で構成され、3年ごとに半数が改選される。今回は、8月に安倍首相(当時)に推薦されていたが、同首相辞任表明のため、管新首相に引き継がれたものである。
 日本学術会議としては、6名の任命拒否の理由説明と任命要請を内閣府の事務局に提出しており、前例のないこと、学問の自由を制約するなど各方面で問題視されている。
 1、 日本学術会議会員の任命権は首相にある
日本学術会議会は同会議法に基づき設置されており、会員は「同会議の推薦により、首相が任命」と規定されているので、任命権は首相にあり、任命拒否は可能である。因みに、会員の任期は6年、70歳までとなっており、罷免については特段の規定はない。
 管首相も、法律に基づき判断したとしている。また前例がないとの指摘に対しては、研究者の世界は閉鎖的でメンバーシップが既得権化する面があり、前例を踏襲しないこともあっても良いのではないか等とし、「学問の自由」には関係が無いとしている。
  確かに、日本学術会議の会員は特別職の国家公務員であり、手当も受けているので、政府の政策や立場に反対する者や野党支持をするなど政治信条の異なる者などを任命しないことはあり得るだろう。特に拒否された6名の内3名が国立大学の教授であり、もともと国家公務員であるので、政府の政策、立場に従うことは当然であり、国会その他の公の場や授業、或いは論文などにおいて政府の立場に反する立場を表明することは好ましくないと判断されるであろう。また拒否された6人とも、歴史や宗教、行政法、憲法など人文科学に属するグループであり、政府の政策や立場との関係が生じやすい。
  この点は、日本学術会議会に限らず、全ての政府の審議会、委員会の委員についても同様で、そもそも政府の政策や立場に反する者は委員に選ばれることはまず無く、また委員会などで反対の立場を述べる者は体良くお引き取り頂くことになり、再任されることはないようだ。

 2、日本学術会議のあり方が課題
  このような政府の解釈、対応となると、日本学術会議の今後のあり方自体が問題となり、岐路に立っていると言えよう。
 日本学術会議の会員は特別職の国家公務員であり、政府の政策や立場に従うことが期待される。これが常態化すると、いわば政府の御用学者の様相を呈することになる。またその下部グループとして連携会員が多数存在するが、将来会員となりたい者は御用化すること傾向となろう。
 (1)日本学術会議は独立性を保てるのか、御用機関化するのか
 こうなるとやはり「学問の自由」にも影響を与える。会員は、3部構成となっており、1部が人文科学、2部、3部が生命科学、理学及び工学を中心とする科学となっているが、人文科学に属する会員、連携会員が影響を受けやすい。まさに人文科学に属する6人だけが任命を拒否されている。「学問の自由」は、信条の自由や表現の自由と表裏の関係があるが、国会で野党推薦の証人として、例えば安保法制や共謀罪関係法について政府と異なる立場は取り得なくなり、会員、連携会員である限り、自由な研究は抑制されると共に、授業や論文なども影響を受けることになる。政府側は学問の自由に影響はないとしているが、当事者である教授が影響ありとしているので、影響があると考えるべきであろう。会員から外されれば「学問の自由」は確保されるので、影響はないとする考え方もあろうが、それでは著名で業績のある210名の会員と多数の連携会員は「学問の自由」は現実的には制約されることになる。これでは少なくても人文科学の分野では、自由な研究が出来なくなるであろう。
 また政府は研究助成として約4兆円の研究助成を行っているが、助成を受けるためには政府の政策や立場を忖度しなくてはならないので、自由な研究を助成し、研究を活性化させるという趣旨が損なわれ、また助成を検討する日本学術会議も自由な研究を促進する機関ではなく、変質する可能性がある。
 本来であれば、政府機関であるとしても、政府は、憲法で保障される信条の自由、表現の自由、学問の自由を尊重すべきであり、それを任命権や政府権限で制約することには疑問が残る。自民党は、現行憲法は日本になじまない点があるとして、憲法改正を「党是」としており、国家権限の強化や一定の自由の制限などを改正案に入れているようであるが、それを憲法解釈で実態を確保することは適正ではないであろう。
 日本学術会議が、独立性、学問の自由を重視するのか、政府機関として残るため人文科学を切り離すかなど、選択を迫られているようだ。
 (2)国家公務員である国立大学の教授の今後
 国家公務員と言えば、国立大学の教授等は国家公務員である。従って日本学術会議会員以上に、研究費の助成や研究内容、論文、授業内容、国会など公の場での発言には政府の政策、立場に反しないことが求められるのであろう。今回の問題が表面化したことにより、国立大教授等も国家公務員として一層の自覚が求められそうだ。
 しかし、そのようなことでは学問の自由や自由な研究や教育は望めそうにない。特に人文科学の分野がそうであり、日本は経済大国や技術大国等と言われ久しいが、経済学、経済政策等などの人文科学分野で日本人はノーベル賞を受賞していない。こんなことでは、いつまで経っても日本の学問は政府依存になり、御用学問の府となる恐れがある。政府の立場や政策に縛られ、或いは忖度しているようでは真の学問の自由はないのではなかろうか。
 もともと国立大学は行政分野での人材を確保することを大きな目的の1つとしているが、現在、これ程多数の国立大学が必要とも思われない。学生への無利子の奨学金や家賃を含む修学支援を充実させれば、国立大学はもはや必要とせず、より自由に学問を追究できるように私学化する時代ではなかろうか。それは私学と国立の教育費の負担衡平にもなろう。

 3、前例、既得権打破とはそういうことだったのか
 管首相は、就任に際し、「縦割り、既得権、前例主義の打破」を表明し改革を進める仕事師内閣とすることを打ち出した。保守党政権としては今までに無い斬新な姿勢として、一本調子の政府支出・国の借金の拡大と規制・既得権益擁護の屋上屋が重ねられ、いわば閉塞状況の日本において各方面で期待されていた。
 ところが今回の日本学術会議の会員任命拒否問題で、自民党参議院議員が、前例にとらわれない姿勢で、これが正に管首相の姿勢だと擁護する始末だ。
 安倍前首相は、党是である憲法改正を推進しようとしたが、与党内でも公明党が慎重な上、野党はじめ憲法学者などがその内容に懐疑的で実現することは出来なかった。国民の多くは改正に理解を示しているが、問題は改正内容だ。安倍前首相は、本格的な防衛活動が出来るように9条を改正する他、自民党の改正案に沿って政府権限の強化、一定の自由の制限などを望んでいた。その思想的背後には、任意団体の‘日本会議’があり、旧帝国憲法に沿った天皇権能の明確化、政府権限の強化、「教育勅語」の復活を含む一定の自由の制限などを支持し、そのような体制の下での「美しい日本」の建設を標榜しており、多くの保守系議員が賛同している。安倍前首相時代の森友学園問題は、「教育勅語」を教育に取り入れ、規律正しい教育を目指した森友学園に安倍夫妻が共鳴し、学園建設の促進課程で生じた問題である。恐らく、教育方針に賛同したことをきちんと国民に説明し、理解を求めていたらあのような公文書の書き換えなど、戦後最悪の行政失態には発展しなかったであろう。
 このような思想を支持する国民も少なくないが、国民平等に基づく民主主義、自由という基本的な価値に立脚した現行憲法を支持する国民層も多く、旧帝国憲法への回帰、専制主義的な政府、自由の制限などを懸念されている。従って憲法改正は内容、方向性の問題でなかなか進まないため、安倍政権は憲法解釈の変更、手直しで安保法制などの実現を図ったのであろう。それは1つの選択肢である。
 現在、日本学術会議任命拒否問題については、内閣委等で閉会中審査が行われ、野党を中心に内閣府事務方の追求が行われているが、首相は出席しておらず、事務方が木で鼻をくくるような一辺倒の答弁をしているが、一向に政策的意図が国民には分からない。事務方は、官邸首脳の主導で行われ、「それに従わなければ配転等を強いられる」ことになるので、必死に忖度し防戦している。官僚も人事の強権で震え上がっているから仕方ないのであろうが、大変気の毒である。森友学園問題や「桜を見る会」などで、文書を書き換えやデータを廃棄したのも、このような人事強権の下で起こったのであろう。官僚にここまでさせるのか。強権人事は行きすぎると、権力の乱用、恐怖政治化、専制政治化するおそれがある。が、一向に政策的意図が国民には分からない。事務方は、官邸首脳の主導で行われ、「それに従わなければ配転等を強いられる」ことになるので、必死に忖度し防戦している。官僚も人事の強権で震え上がっているから仕方ないのであろうが、大変気の毒である。森友学園問題や「桜を見る会」などで、文書を書き換えやデータを廃棄したのも、このような人事強権の下で起こったのであろう。官僚にここまでさせるのか。強権人事は行きすぎると、権力の乱用、恐怖政治化、専制政治化するおそれがある。
 しかし本来、官邸主導、政治主導で進める施策を、官僚に代理戦争させるのは筋違いであり、首相他が国会の論戦に応じ、きちんと対応すべきではなかろうか。
今日、日本は将来を左右する岐路にあり、どのような選択肢を選ぶか、国民が決めなくてはならない。(2020/10/08)
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男女平等を支持、だが個人の平等も未達成の日本!

2021-07-31 | Weblog
シリーズ平成の本音―男女平等を支持、だが個人の平等も未達成の日本!
  2021年2月3日に開催されたJOC臨時評議会におけるオリンピック組織委森会長の発言が、女性蔑視的発言としてマスコミ等に報道されたことを端に発し、日本国内での批判が多方面に及んだため、森会長(当時)が釈明会見を行った。しかし謝罪はメモを読むような形で行われ、また記者との質疑応答も高圧的とも見られるやりとりがあったため、批判は更に広がった。国際オリンピック委員会(IOC)も、当初は「謝罪したからよい」との姿勢であったが、米国はじめ国際世論が厳しさを増したため、同会長の発言はオリンピック規定に沿わないとの見解が出されるに至り、辞任に追い込まれた。
 更にその後森会長側が特定者を後任候補に指名、推薦したことが報道され、不透明な指名等として批判されるに至り、2月12日、オリンピック・パラリンピック組織委・評議会合同会議が急遽開催され、森会長が正式に辞任を表明する一方、後任候補については検討委員会において行われることになった。
ここまでの経緯についても、同組織委の右往左往振りは拙劣であり、事務局の事務的トップであり、また森会長慰留に奔走した事務総長の責任が問われている。また同組織委についてが、事務局職員は月収20万程度から200万円となっているようだが、多数のボランテイアが無報酬或いは少額の手当で募集されているにも拘わらず、事務総長はトップとして月200万円、年額2,400円という高額の報酬を得ているのではないかとの疑問の中、事務局幹部の報酬も不公表となっている上、オリ・パラ大会が2020年7月から1年間延期されたにも拘わらず、その後も同じ報酬を得ているのではないかとの疑問も聞かれる。
 新会長については、政府、与党自民党幹部筋やから「女性か若い人」などとして具体的な名前が報道され、これがかえって女性や年長者に対する「逆差別」などとの批判が出るなど、迷走振りは日本だけでなく世界の目からも醜態と映っているようだ。
 1、男女平等が身についていない日本の社会
 このように男女平等への意識が低いという国際世論を背景として、新会長は女性からなどという意見が出ることは、一見理解ある対応と見えるが、要するに国際社会の目を配慮しての対応であり、それで男女平等が確保されるわけでもなく、そのような発想自体、男女平等意識が身についていないことを示している。また、もっと若い人をと言う発想も、新卒優先の定年制や制度を年齢で区別する行政や社会慣行をベースとした、過剰な年齢差別の意識と言えよう。80歳以上の年長者が時代遅れの不適切な発言をしたからと言って、「若い人」を会長とすれば問題が解決するわけでもない。
 他方、森会長(当時)の「女性理事が多いと会議の時間が掛る」との発言については、辞任するほどの発言ではないとの見方もある。しかし今回の批判は、その発言だけではなく、与党自民党の幹部を務め、党内最大の派閥を率い、自ら首相となり、安倍内閣を誕生させた有力な政治家ではあるが、政治活動の中での心ない言動やオリンピック・パラリンピック組織委の会長に就任してからも新国立競技場建設に当初予算の2倍以上の3,500億―5,000億円内外を掛けようとしたり、エンブレムでは盗作疑惑を掛けられたり、数々の不祥事起し、また小池東京都知事との確執など、とかくの風評があったから今回の問題に発展したとのであろう。国際的スポーツの祭典に国レベルにせよ世界レベルにせよ政治を持ち込むのはなじまないのかもしれない。
 その会長を武藤事務総長が組織のために慰留したとされ、事務総長自体も森発言の問題を理解していない。更に同事務総長は森会長が辞任した後も、新会長候補の指名に関与したり、新候補選びでは「候補者検討委員会」のメンバー選びが不明瞭な上、氏名を不公表とするなど、迷走に迷走を重ねている。同事務総長は、組織委の事務方トップとして森会長が引っ張った元財務官僚であり、組織委発足以来、上記の一連の不祥事を重ねて来ており、事務処理上も拙劣に映る。その事務総長が、「候補者検討委員会」の進行役を務めているようだが、一体この「候補者検討委員会」は何なのであろう。

 2、個人の平等も達成されていない日本
  男女平等は勿論支持するところだが、実は日本において国民の「個人の平等」が未だに実現されていないのが現状だ。
 民主主義の基本は、男女を含めて「個人の平等」であり、憲法にも規定されている。個人の平等を最も基本的に体現できるのは、国民の代表を国会に送る選挙であろう。しかし戦後国民1人1人の投票の重み、価値が1対1に近い形で平等な選挙が行われたことは1度もない。都道府県毎に選挙区が区割りされ、定数が割り振られているが、人口の少ない選挙区と多い選挙区では、1票の重みが衆議院では最大で3倍以上、参議院では5倍以上の状態が続き、選挙のたびに弁護士グループが憲法違反訴訟を提起して来ている。裁判においては、地裁レベルでは「憲法違反」とする場合もあったが、地裁レベルでも、最高裁においても「違憲状態」とされる場合が多く、国会の対応に委ねられて来た。しかし国会では時に微調整は行われたものの、長期に亘り抜本的な検討はなされなかった。そこで裁判所も国会へ対応を促すため、最近では衆議院で2倍以内、参議院で3倍以内なら違憲ではないと裁定するようになっている。それでも、都市圏の人口の多い選挙区では少ない県に比し、個々人の1票の価値は衆議院で2分の1以下、参議院で3分の1以下となっており、とても「平等」とは言えない状態が長期に続いている。男女平等どころではない。男女を問わず国民の平等は未だに確保されていない。
 最高裁の「平等」に関する考えは、「単なる1対1の関係が基準ではなく、地域など他の要素を考慮する」ということに尽きるようだ。この並びから言うと、男女平等も「単なる1対1の関係が基準ではなく、他の要素を考慮する」という解釈となり、女性への待遇等が男性の2分の1か3分の1以下でも許容されることになる。そうなのですよ。憲法の番人であるべき最高裁でさえも、建前では国民、男女の「平等」と言っていますが、「他の要素を考慮する」という恣意的な判断を加えることを容認しているということ。平等は原則1対1の関係という初歩的な算術も理解されていないようだ。これが現実なのでしょう。
 最高裁のこのような恣意的な「平等」が容認されると、男女平等についても、女性が男性の2分の1、3分の1でも容認されることになる。それが最高裁の本音なのかもしれないが、速やかな是正が望まし。
 最高裁の判事も、内閣により任命される公務員、時の内閣に不利になる判断を出せば、人事で不利にもなりかねないので、わきまえるしかないのは誰も同じと言えそうだ。しかし、そんなことでは3権分立の意味は薄れるばかりでなく、社会も、全体的な民主主義も進まない。
 国会は真に平等な国民の代表ではない。その国会で指名された首相も真の意味で国民の代表ではなく、その内閣に任命された裁判官も同様という負の連鎖が続いているように見える。これに意見が言えるのは、マスコミや学者を含む知識人なのであろう。
 しかし従来、マスコミや学者、有識者などもこの状況を許してきたと言える。マスコミやコメンテーター等もビジネスであるのでスポンサーや雇い主等を考慮しなくてはならないことは当然だろう。学者については、著名で国の各種委員会等で委員を務めている国立大学の多くの教授、研究者は国家公務員であり、言動には国家公務員としてわきまえなくてはならない。余計なことを言えば外される。全国には国立大学が86校(2020年4月現在)もあり、これ程多くの最高学府の学者、研究者が国家公務員であり、発言は自粛、制限される。自由な発信は望めない。いわば御用学者が多過ぎると言える。特に政治・社会・経済・歴史を含む人文科学、社会科学の分野では自由な発想、研究や表現は望めない。日本は、政治に縛られない生物化学、物理、及び文学の分野ではノーベル賞受賞者を出しており、喜ばしい限りだが、政治と密接に関係する社会科学の分野では1人も受賞していないことは、教育制度に国家色の強い偏りがあるからであろう。学問や表現の自由を確保する意味からも、国立大学の民営化と、学生の経済的負担を軽減し、平等の教育機会を与えるとの観点から、その予算を、将来負担を軽減した奨学金制度の拡充及び研究助成に振り向けることを検討すべき時期ではないだろうか。
 また最近情報系バラエテイ番組でお笑い系のタレントが重用されているが、お笑いの人からコメントなど聞きたくないという辛口の意見や、わきまえて話すお笑い芸人は面白くも可笑しくもないとの声がある。
 従って現実問題として、残念ながら日本は中から政治・社会・経済制度の改善、改革の動きは出にくく、今回のように国際社会からの批判や圧力、良く言われる「外圧」がないとなかなか動かないのかもしれない。それで良いわけがない。(2021.2.17.2021./2.20.一部加筆)
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政党交付金は廃止すべし

2021-07-31 | Weblog
 政党交付金は廃止すべし
 総務省は、11月27日、2019年分の政治資金収支報告書(中央分)を公開した。収入総額は、1,098億円(前年比1.3%増)で、参院選があり借入金が例年の約5倍の36.5億にものぼるので、借入金を差し引くとネットで1,063億円になる。その内自民党の政党本部収入は約245億円で、ダントツのトップである。
 1、政党交付金にあぐらをかく政党、各候補個人への選挙費助成に転換すべ
多数党で最も多く議員を擁しているので当然と言えば当然であるが、自民党本部の収入の72%強の約176億円が税金を財源とする「政党交付金」であることは驚きだ。まるで政府がほぼ丸抱えした政党が与党となっている。これではまるで中央専制国家のようで、政権与党の税金お手盛り振りが明らかのようだ。その上、自民党本部は戦後75年も経っている今日でも、国会に至近の国有地を割安で賃貸しており、まるで国立政党のようだ。
 これはいかにも異常で、民主主義国家であれば、政党は基本的には個人や企業・団体の浄財、任意の寄付で運営されることが望ましい。長期に亘り政権を担ってきた政党の72%強の収入が国民の貴重な税金である政党交付金で賄われ、政党本部が国有地を優先使用している現状は、共産主義国や独裁国家と余り変わらず、民主主義とは言えないのではないだろうか。  
戦後直後ならまだしも、75年も経っている今日、政党助成金を廃止して、候補者個人への選挙費助成金とする時期ではないか。その方が、助成を受けた候補が国民の税金の有難味が分かるのではないだろうか。また各政党が国民から支援を広げる努力をするようになるのではないだろうか。

 2、河井案里議員側が自民党より受領した支援金1.5億円は政党交付金から
 2019年7月の参議院議員選挙に際し、自民党は、擁立した河井案里側に1億5千万円の支援金を提供した。それが、案里側により、車上運動員(通称うぐいす嬢)に法定上限2万円を超える報酬支払いや県議や市議、市長等に配られた疑いで、案里議員事務所と夫である河井克行衆院議員(元法相)が公職選挙法(買収)及び政治資金規正法違反の容疑で起訴され、まず案里事務所の公設秘書が禁固1年6ヶ月、執行猶予5年の有罪判決が確定した。
 河井衆院議員の判決は別途行われることになるが、自民党から通常1200万円/人と言われている選挙支援金の10倍を超える1.5億円もの支援金が出されていなければ、これだけ広範な選挙違反行為が行われていなかったであろう。その支援金は、税金を財源とする政党交付金から出されていることが分かっている。1.5億円の税金で買収等の選挙違反行為が行われたということであり、納税者である国民としては納得できないであろう。
 党の政党交付金管理責任と結果責任が問われそうだ。また政党交付金が選挙違反行為の原資になったと見られることから、遅滞なく全額を国庫に返納することについても問われるのではなかろうか。

 3、共産党、自助努力で204.5億円の党収入を確保
 共産党は、政党交付金を受けず、党員による会費と機関誌赤旗の販売など自助努力により、同年204.5億円の党収入を確保している。自民党に次ぐ高額の党収入であるが、政党交付金無しの自助努力ではダントツの1位となっている。
 要するに、政党交付金無しでも、会費、事業収入などの自助努力で党収入は図れるということであり、与野党を問わず、会費、事業収入などの自助努力で党費、政治活動費を賄うという、民主主義本来のあり方を築いて欲しいものだ。
 もっとも、共産党は中央統制による共産主義というイデオロギーを信奉するグループであり、多様性を基礎とする自由、民主主義、自由市場主義という日本を含む世界の大多数の諸国に共有されている価値観とは相容れない、絶対的なイデオロギー信奉政党であるので、他の政党が会費などの自助努力で党収入を図ることには困難があるだろう。しかし民主主義政治の基本はそういうことであるので、そのような政治環境を構築するのも政党の仕事であろう。
 他方、共産党はこれまで党収入が潤沢であったため、原則として全ての選挙区で候補者を立てているが、野党の票を喰う結果となっているので、野党の発展を阻害する結果となっていることも否めない。共産党の存在は、保守政党にとっては都合の良い存在となっているのが現実であり、同党がイデオロギー信奉を離れ、国民政党となることが問われているのではないだろうか。いずれにしても、野党同士が食い合う状況を解消することが課題だろう。
 なお、公明党は、政党交付金を受けているが、会費収入や機関誌発行などの自助努力で129億円規模の第3位の収入を図っている。もっとも公明党は、宗教団体である創価学会メンバーのいわば下部組織であり、宗教的信仰を基礎とするものであるので、他の政党の参考にはならないだろう。
 いずれにしても、何時までも税金を財源とする政党交付金に依存し続けているのでは、民主主義政党としては努力が足りないと言えるだろう。政党交付金は廃止し一定の基準を設け、候補者個人への公職選挙支援助成金に転換すべき時期ではなかろうか。(2020.12.1.)
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東京オリンピック開催、開催国に勝者はいない

2021-07-31 | Weblog
東京オリンピック開催、開催国に勝者はいない
 7月23日、東京オリンピックが開催される。主催者である東京都、その下部組織であるものの、政府色の強いオリンピック・パラリンピック組織委は「安全安心な開催」に向けて具体的な準備を進めている。政府はこれを支持しており、ロンドンで開催される主要国首脳会議において「安全安心な開催」につき各国の支持を得た。
 1、世論は大きく割れており、東京都、組織委、及び政府に勝者は居ない
 東京オリンピック7月開催についての世論調査では、2021年1月以来5月頃までは、一貫して70%以上が「中止、又は延期」であり、「延期」については実現の見通しはない上、いずれにしても7月開催には反対ということであるので、70%以上が本年7月の開催に反対していることになる。その背景には、若い世代についても、2020年4月に大学等に進学してもキャンパス生活を送ることも出来ず、アルバイト先もなく、また就労世代についても解雇や雇い止めなどが一般化し、学校を卒業しても就職機会は限られており、将来不安や孤独感が募っている状況がある。産業面でも、飲食業から娯楽・イベント、観光などが大打撃を受けており、1日も早い感染収束を願っている。誰しもオリンピック・パラリンピックが安全安心に開催できれば良いと思っているが、今はそれどころではなく、日常の生活や日常の健康を取り戻したいという意識が強く反映されていると言えよう。
 6月になって、緊急事態宣言が延長され新規感染者が減少し、ワクチン接種が進んでおり、開催準備についても具体的に進められていることなどを反映し、7月開催に賛成が若干増えているものの、依然不安視する意識が根強い。
調査主体により若干数値に偏りがあるが、JNN世論調査では7月「開催」支持は44%になっているのに対し、「中止」が31%、「延期」24%となっている。「延期」は7月の開催には反対を意味するので、支持が若干増えているものの、7月開催反対は実質的に55%と依然過半数を超えている。読売の調査によると、「開催」が50%、「中止」が48%としているが、「開催」についてはいずれも観客数を制限してのものであり、開催支持50%中、半数以上の26%相当が無観客での支持であり、根強い不安が明らかになる結果となっている。
 日本だけでなく、世界において感染拡大が収まりきっていない状況において、世界200か国・地域からオリンピック選手約1.5万人、及び競技関係者、IOC関係者並びに報道関係者7万人前後が7月23日の開会式に向けて訪日する。未だ具体的な参加国・地域数、参加者数が公表されておらず、また入国管理措置、国内での行動制限や監視体制などの「安全、安心な開催」に向けての全容は明らかにされていないが、どのような措置をとっても漏れが出る可能性がある。また措置を厳しくすればするほど、参加選手や来日者の不満、批判もつのるだろう。
 多くが100%安全な措置は困難と思っている。入国時に必ず漏れがある。これは経験済みのことだ。2021年1月よりビジネス交流が緩和された。その結果、厳しい入国時のチェックのも拘わらず、イギリス型変異種等が入り、インド変異種が入って感染拡大を起こした。
 海外からだけではない。開催となれば、組織委関係者のほか、警備やボランティアを含め19万人内外が東京を中心に活動することになり、人流が多くなることは明らかだ。
 開催すれば、日本国内で新規感染者や日本から参加国・地域に感染が広がることはまず避けられないであろう。国内世論の7割前後は年初来不安を抱いており、開催されればその不安は更に強くなると予想される。オリンピック中はもとより、大会後、国内外で新たな感染が発生するとなると安全が確保されたことにはならない。
 従って、オリンピックが程度如何を問わずウイズ・コロナで開催される限り、国民の「不安」が解消されることはなく、「安心な開催」自体はもはやない。
 「安全」については、制限や検査・監視が強化されればされるほど、外国人選手、関係者、報道関係者などの反感や疑問が高まる。選手やIOC、競技関係者には80%程度ワクチンが接種されるとされているが、20%前後の3,000~4,000名が不接種でほぼ同じ時期に来日するので、入国管理とその後の措置、及び滞日中の行動制限と検査の確保などが重要となる。「安全」を確保するためには、これらの措置で漏れが出ないよう厳密な対応が必要となるものの、言語や倫理、慣習などの差によりトラブルが生ずることが多々あろう。
 更に各国から多くの報道その他の関係者が訪日し、可なりの数がワクチンを接種していない可能性があり、また各種のアングルで競技場以外の取材を希望する可能性があるので、行動を漏れなく制限し、監視することは不可能に近い。
これらのルールは、プレーブックに記載され、違反する者には罰金や参加認定の取り消しを行うとしている。守ってくれれば有難いことだが、言語の問題や詳細なルールを何処まで理解されるかの問題のほか、これを誰が執行するのか、どこまで強制できるのかなど、実効性に疑問が残る。個人の尊厳は尊重されるべきであり、異議があった場合、仲裁は出来るのか。問題が多い上、漏れが生じる可能性が高く、またトラブルがあちこちで起きるだろう。
 また日本の方も、5万人以上のボランテイアや10万人前後の警備や整備関係者が各地から来るので、人流は更に増え、これらの人達にもルールを守ってむらわなくてはならない。
 100%、或いはそれに近い「安全」を確保することは困難であり、日本に感染が流入し、海外に感染が広げられる可能性が高い。その度合いがピンポイントの隔離や治療で感染拡大しなければよいが、難しそうだ。
 とすると、現在「安心な開催」を望むことは困難である上、「安全な開催」についても程度の差こそあれリスクは残る。
 7月23日にオリンピックが開催されても、「安全、安心」を確保することは困難であるので、オリンピック・パラリンピック組織委はもとより、東京都も勝者にはなれそうにない。
 政府については、6月11-13日、英国で開催された主要7か国首脳会議において、「安全、安心な開催に向けて準備しているので、開催を支持して欲しい」旨求め、主要国首脳から「安心、安全な形での開催」につき支持を取り付けたことは大きな支えとなる。一見外交上の成果と見えるが、開催につき自らの手を縛る“自縄自縛”の国際約束として退路を断たれた上、「安全、安心な形」での開催が前提条件となった形であるので、それを確保する責任は日本政府が負うことになったと言えよう。その条件が満たされなければ、首相が国会で明らかにしている通り、開催中止の流れとなるものと予想される。いずれにしても勝者になる芽はない。
1年前の2020年7月20日、安倍自・公政権(当時)は、オリンピック・パラリンピック2020が1年延期されたことを受けて、唐突にゴー・トウ・トラベル、ゴー・トウ・イートの前倒し実施を行った。経済回復を目的としたもので、観光業、ホテル、飲食事業への支援とはなったが、地方を含めコロナウイルスを日本全土に拡大する結果となった。公費を使いそのような旅行、飲食奨励キャンペーンを行わなくても、旅行、飲食の制限を解除さえすれば、客は8割前後戻っただろう。当時政府は、「ゴー・トウ・トラベル、ゴー・トウ・イートがコロナウイルスを拡散した証拠はない」との詭弁を弄し、マスコミやコメンテーター、医師会までも黙らせたが、証拠は十分にあった。コロナウイルス拡散防止のため、政府や地方自治体が入国管理を強化し、国内での外出自粛、大人数での飲食やイベント等を制限しており、それは人流を拡大(原因)すると感染を拡大する結果となるという疫病対策の基本であり、因果関係が歴史的に確立しているからだ。安倍自・公政権(当時)は、2020年秋に解散総選挙を実施することを念頭に、目先の経済効果を狙ったが、安倍首相が健康上の理由で辞任し、感染拡大を残す結果となったと言えよう。
今回もオリンピック実施でまた同じような誤りを繰り返すのだろうか。


 2、消えた国民と参加国との交流の機会と「お・も・て・な・し」
 このように東京オリンピックが開催されても、各国選手はバブル方式で、宿舎と競技場に行動制限され、移動も公共交通は使用出来ず、行動は監視され、国民との自由な交流は認められていない。またその他の競技関係者や報道関係者も2週間程度は同様の行動の制約を受け、国民との交流どころか、観光やグルメ探訪などは自由には出来ない。
 東京オリンピックの売りであった「お・も・て・な・し」は、毎日の検査と宿舎での食事しかない。その上、オリンピック・パラリンピックの競技以外の意義である国際的な交流も原則としてないことになる。これでは日本の東京で開催する意味はほとんど無い。膨大な費用を掛け、オリンピックを開催する意義は何なのかが改めて問われることになろう。

 3、IOCは日本をコロナウイルス対策の大実験場にしようとしているのか
 6月15日、国際オリンピック委員会(IOC)のコーツ調整委員長(副会長)が来日した。コーツ委員長は、「緊急事態宣言中でもオリンピックは実施できる」旨発言していた。またバッハ会長は、それに先立ち、日本の世論の70%前後が開催に不安を持っていることを知ってか知らずか、「日本は忍耐強い」と述べていた。恐らく、開催を強行しても日本は耐えるだろうとの印象を得ていたのであろう。IOCが唯一開催、中止の権限を持っている。
 インド変異種(デルタ株)感染で50代の死者が出ており、またそれよりも感染力が強いとされるベトナム変異種が入ってくれば、コロナウイルス感染は新たな拡大が起こる可能性が高い。日本国民のオリンピック開催への不安は消えていない。
 無論、誰しもが感染リスクを100%除去し、安全に開催されることを望むところだ。しかしオリンピック・パラリンピック組織委の事務総長でさえも「リスクを100%防ぐことは困難」としている。組織委はこれまでも次々と問題を起こして来たので、リスクを100%防げなくても開催する意向なのであろう。
 7月23日に開催されれば、それに向けて200内外の国、地域から選手15,000人と7万人前後のIOC・競技関係者と報道関係者が訪日する。そのため、日本でも組織委、JOC関係者他ボランティア、警備関係者など19万人前後が集結する。日本国内はもとより、世界への感染拡大のリスクは除去できそうにない。
 国際オリンピック委(IOC)は、日本をコロナウイルス対策の一大実験場にしようとしているのだろうか。感染リスクは、日本人だけでなく、各国からの選手、訪日者にもある。(2021.6.15.)
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森友学園公文書改ざん問題、新証拠で再審査か!(再掲)

2021-07-30 | Weblog
シリーズ本音トークー森友学園公文書改ざん問題、新証拠で再審査か!(再掲)
 国有土地を常識外の低価格で売却しようとしていた森友学園問題で、公文書の改ざんを実際に行い、自殺した近畿財務局の職員(当時国有財産管理官)の「手記」が同職員妻により公開され、生々しい手記の内容と共に週刊誌が報じた。
遺族側は、改ざんを指示したとされる佐川理財局長(当時)と国(財務省)に対し民事訴訟を起している。民事訴訟に際し、同手記の公開に踏み切ったと思われる。
公務員は公務中の活動につき退職後その責任を問われないとしている。他方政府(財務相側)は、改ざんを強いられ自殺した職員が残した記録と政府の考えとは一致しているとして、再調査はしないとしているが、それは財務省(佐川元理財局長)が近畿財務局を介して同職員に改ざんを執拗に強いたことを認めたに等しいので、国家(財務省)責任は免れそうにない。
1、「新証拠」となる改ざん指示を受け自殺した職員の「手記」
同手記によると、森友学園側への超低価格での国有地売却に安倍首相夫人の影響が国会で問題になり、首相がそれを強く否定したことから、超低価格での国有地売却の経緯を記した公文書(本部財務省理財局への超低価格での売却に繋がる報告、申請書類などと思われる)を改ざんすることになった模様であるが、その指示は「すべて、佐川理財局長(当時)の指示」と明記され、また直属の上司である「近畿財務局長に報告したと承知」とも記されていると報じられている。近畿財務局への具体的な指示は本部理財局よりなされたものであろうが、指示は、「資料は最小限にする」、「できるだけ資料は示さない」など詳細で、関連文書の改ざんは佐川理財局長(当時)の指示により組織的に行われたとみられる。
 ‘死人に口なし’とは言われるが、上層部より指示を受け、既に決済された公文書を改ざんした職員が残した「手記」であれば、この事案の「新たな証拠」と言える。
森友学園問題で、不当に安い価格での国有地売却により国に損を掛けた背任の疑いや公文書改ざん、関係文書・資料の保存期限内廃棄等が疑われたが、当時この事件を担当した大阪地検特捜部の女性特捜部長が佐川元理財局長を不起訴としたが、その後間もなく函館地検に転勤となり、昨年末に大阪地検の次席検事に栄転しているようだ。本件は、検察審査会での再審要請についても不起訴とされている。
 改ざんした職員が残した「手記」という新たな証拠が明るみに出た今日、捜査のやり直しが検討されなくてはならない。

 2、財務省の再調査は不可避か!
 この「手記」に関し問われ麻生財務相は、2018年6月に財務省の調査は公表されており、「手記と調査報告書の内容に大きな乖離があると考えていない」と述べ、再調査は今考えていない旨明らかにしている。安倍首相も再調査は必要ないとしている。
 しかし「手記と(財務省)調査報告書の内容に大きな乖離がない」とすると、財務大臣は佐川元理財局長の指示で公文書を改ざんし、多量の関係文書を廃棄させていたことを知っていたことになり、事態は深刻だ。いずれにしても「手記」
が、佐川元理財局長の指示であったこと、及び、関連公文書を改ざんし、本来の文書類が廃棄されていることが明らかになった以上、再調査は不可避のように思われる。

3、公文書の廃棄、改ざんの前例としてはならない森友学園事件
この森友学園事件で公文書の保存期限内廃棄、国会や検察はもとより、マスメデイアやコメンテーター等が改ざんを見過ごしてきたことが、その後の防衛日報の隠蔽、加計学園問題など、更には「桜を見る会」での招待者リストの廃棄、データの破壊等を招いているのではないだろうか。
それをどこかで止めないと、善意の公務員が不正を強いられ、不幸の連鎖が起こることになると共に、公平、公正であるべき正義は守られず、国家機構や民主主義体制自体が劣化する恐れがある。(2020.3.25.)
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首相官邸・内閣府、法令遵守崩壊か!?(改訂/補足版)

2021-07-30 | Weblog
シリーズ本音トークー首相官邸・内閣府、法令遵守崩壊か!?(改訂/補足版)
 首相官邸はじめとして政権中枢部局は、森友学園問題での公文書の廃棄、文書の書き換え・改ざんや加計学園問題での縁故者優遇などを背景として、首相主催の「桜を見る会」の招待者リストの廃棄、コンピュータ・データの廃棄、破壊など、行政の公正さ、透明性、そのための検証を確保出来ない状態になってきているように映る。行政官僚は、行政の公正、公平よりは、そのような政権の意向を忖度し、政権の意向を優先するようになる。行政官僚も生活のため、保身に走るのも仕方ないのかも知れないが、一般国民にとっては事態は深刻だ。
そのような行政の信頼性を失わせるような状況で、東京高検の検事長の定年63歳を延長する「閣議決定」がなされた。政府は、上記の閣議決定に先立って、「従来国家公務員法に基づく定年60歳の延長は検察官には適用されない」との解釈を所管の法務大臣が口頭で変更し、当該検事長の定年についても「国家公務員法を適用できる」との解釈を採択していたとされる。
このような中で自・公政権は、国家公務員の定年引き上げ法案と共に、検察庁法改正案を併せて閣議決定し(3月13日)、通常国会も終盤に入った段階で採決をしようとしている。本検察庁改正法案では、検察官の定年を現行の63歳から段階的に65歳に引き上げ、高検検事長や検事正などの幹部は63歳でポストを退く「役職定年」も設け、その後は「特例」で定年延長を最大3年間可能にし、検事総長については「特例」で最長68歳まで延ばすことが可能になるようだ。
 1、検察官の定年延長については、法改訂が不可欠
 検察官も広義では国家公務員ではあるが、時の政権や政党、諸団体、社会等の影響を受けることなく、独立性を保てるよう「検察庁法」が定められている。
 検察庁法は、一般国家公務員と区別し、検察官が時の政権や政党、利益団体の圧力に対抗できるよう、心神喪失等と認められる場合を除き、罷免されないよう法律で保護している。定年についても国家公務員に比し不利とならず、定年延長の判断に左右されないよう、63歳として優遇している。従って、既に保護、優遇されているので、定年延長の規定もない。政権等からの介入を防ぐためでもある。
 定年延長の規定がない以上、検事長を含め検事の定年延長には法律改正が不可欠と言えよう。
 法律を守るべき法務大臣が、検事長の定年延長を‘口頭で了承した’としているようであるが、国民には、「法律でございます、規則でございます」などと言わせておきながら、自らは法律軽視、法律無視であり、言語道断だ。文書による決裁がなされておらず、事務方が文書決裁としなかったのは、文書での決裁には広範な部局の決済が必要であるが、事実上それが不可能であり、事務方が拒んだことを意味するのかも知れない。そうだとすると、事務方にも多少の良心が残っているとも言えるので、救いではあるが、疑義が呈されたときに誰も責任を取らず、‘無かったことにする’ためのこの政権の常套手段と思われ、行政の闇がここまで広がっていると言えよう。法務大臣がこれをやり通したことは、上からの指示で、検察といえども人事に介入するとの政権の意図が見える。
 また定年延長を‘受諾‘し居座っている黒川検事長については、国民に「法律違反の嫌疑を掛ける立場」でありながら、法律違反に当たる定年延長を受けるとは、何と見識の無いことか。その程度の法律の理解では、国民に嫌疑を掛ける資格は全くない。自ら身を引くべきであろう。そうでないと検察当局とは、こんなところかとの印象を国民に与える。
 定年延長自体は、一般国家公務員も65歳定年に向け法改正を行う予定とみられるが、検察官についても検察庁法の改正によって行うベきであろう。それまでは、法律を守るのが当たり前だ。
 この問題をメデイアや言論界が仕方ないとしてやり過ごすとすれば、由々しきことだ。また民間調査・研究機関等も経済問題を含め全く頼りにならない。
 国家公務員の定年引き上げ法案については良いが、検察庁法改正案については、一見、一般国家公務員の定年を65歳に引き上げる国家公務員法改正案と一本化するかたち見えるが、次の通り検事の独立性の確保の上で根本的な問題を抱えている。
(1)検察官は、一般国家公務員と区別し、検察庁法を別途規定して、検察官が時の政権や政党、利益団体等の圧力に対抗できるよう、法律で保護し、定年についても現行法の国家公務員60歳定年に対し63歳として優遇している。検察庁法改正により定年は65歳までとなるが、一般公務員と同様となり保護も「優遇」もされなくなる。更に検事総長や検事長らの検察幹部は63歳で定年となり、その後は1年毎に最大3年間定年延長が可能になるが、「特例規定」により法相または内閣が判断することになり、一般公務員より抑制され、不利になる可能性ある。さらに検事総長については、法相または内閣の判断により最長68歳まで延ばすことが可能となるが、検察幹部は常に法相や内閣の顔色をうかがって仕事しなくてはならない。それでは検察の独立性などないことになる。
(2)首相は、「恣意的判断は入らない」などとしているが、上記の通り、黒川検事長を検察庁法上の規定に従わず、内閣の判断で6ヶ月定年を延長している。これは内閣による行政判断が法律を上回るという法律無視、下克上的姿勢であり、まさに内閣による「恣意的判断」に他ならない。そのような「恣意的判断」をして置きながら、「恣意的判断はしない」と言われても誰も信じないであろう。
(3)法相は、「三権分立に反しない」などと言っているが、訴追をする検察官は行政に属する公務員であり、裁判所の問題ではないので、当たり前のことで、単なる言い逃れとしか聞こえない。しかし検察官は、国民を罪人として訴追する側として、権力のある者にもない者に対しても公正、公平であるべきとの観点から、圧力に屈しないように法律で一定の保護をしている。そのために一般国家公務員法とは別に検察庁法を規定しているのであり、首相側や与党はその趣旨を理解しようとはせず、逆にそれを歪めようとしている。
 政権側の説明は、言行不一致で不誠実であり、連立政権を担っている自民、公明党両党の議員がこれを支持しているとすれば、両党議員も正義からほど遠く、国民の代表として再び国会に送るべきか大いに疑問が残る。

 2、「桜を見る会」など、官邸のコンプライアンス違反の常態化
 「桜を見る会」については、確かに何人招待したかなど、たいした問題でもない。しかし行政当局による招待者リストの棄却、更にコンピュータ・データの消去にとどまらず、データを蓄積している基盤まで破壊したとしていることは、非常に悪質で、深刻だ。これでは政権内で不正が行われていても懸賞不能になる。国民の7割以上が十分説明しているとは思わないとしている。
 その理由が「個人情報保護」、プライバシーなどと主張しているが、全く理由にもならない。首相が国家、国民に貢献し、功績、功労があった者を招待し、労をねぎらうことを目的としており、そうだとすれば招待された者は世の中に大なり小なり知られた方々であろうから、名前や功績の内容、出身地などは既にそれぞれの分野では知られており、その範囲であれば個人情報保やプライバシーを侵害することは一切無いであろう。会の趣旨からして氏名や出身地域などを公表することは何ら問題ない上に、当事者にとっては光栄なことであろう。この会の趣旨にも反する訳の分からない理由に、いわば納得している形のマスコミやコメンテーターと称する人たちは一体何なのであろうか。
 2019年の首相主催「桜を見る会」には約1万8200人もの人が各分野、各都道府県より招待され、5,000万円以上が公費から支出されている。その内山口県については、安倍事務所の推薦で参加した者は何と800名以上にものぼっている。安倍事務所関係だけでそんなに多くの功績、功労者がいるとは考えられないが、山口県の誇りだ、氏名を公表して欲しいものだ。
 しかし公費を使っているので関心もしていられない。5,000万円以上の公費を使っており、予算(毎年1,700万円程度)の3倍前後も使っているのに、精算、決算の裏付けとなる招待者リストも跡形もなく直後に廃棄されているとされているので、内閣府内の精算、決算が如何にずさんかを物語っている。こんなにずさんな形で差額が補填されているとすれば、官房機密費が充てられている可能性もあるが、いずれにしても公費であるので、こんなにずさんに公費が使われるのでは国民としても納得できないであろう。会計検査院や決算委による個別検査が望まれる。費用の根拠となる招待者数、参加者数は、招待者リストに基づくが、招待者数の適否を査定するためには被招待者が、招待されるにふさわしい業績、功労があるかを点検する必要もあろう。それを精算、決算前に資料を消したということになり、とても常識では考えられない。
「安倍晋三後援会 桜を見る会前夜祭」については、2019年4月に某大手ホテルで行われた趣だが、地元の安倍事務所が推薦、斡旋した800人ほどが参加したと伝えられている。会費が1人5,000円とされるが、高級寿司店まで入っている会合であるので、通常は1人15,000円~20,000円内外と予想され、差額1人1万円内外はホテル側が宿泊代から割り引かれたことになる。予算委員会での首相答弁では、安倍事務所がホテル側と話し、そのような取り扱いとし、また会費領収書はホテル側より各参加者に出すことにした旨説明されている。常識的には考えにくい手法だが、もしそのようにされていたとすれば、政治資金規正法の報告義務の悪質な‘脱法行為’と言えよう。こんなことが認められて良いのか。選挙管理委員会は、このようなやり方が適正か否か、見解を出すべきであろう。
 だが、実体的には安倍事務所の要請でホテル側が安倍事務所推薦の参加者に利益便宜がなされたことは明らかだ。宴会場の入り口で会費やご祝儀を受け取ったのは安倍事務所関係者や後援会関係者であろうから、金の授受がなかったとは思えないが、いずれにしても、実体的には安倍事務所の口利きで、各参加者に対し1万円内外の利益が供与されたことになる。またホテルに宿泊しなかった参加者も参加費5,000円とすると差額は誰が支払ったかの問題もある。だから差額はホテル側が持ったとする説明はまずあり得ない。
 また800名内外の参加者がホテルから10台以上のバスを連ねて会場の新宿御苑に向かったとされるが、バスの借り上げ代は誰が払ったのか。まさか各人がバス会社に払ったとはいえないだろう。ここにも安倍事務所の地元参加者への利益供与の可能性がある。
 このような問題を、コロナウイルス肺炎の脅威がある中で、何時までも追求すべきではないとする意見やコメントが聞かれるが、それこそ危険な意見だ。危機を持ち出して、国民を黙らせる手法は、往々にして独裁国家に導く恐れがある。第2次世界大戦もその1例だろう。
 こんなことを何時までも続けていれば、行政システムは適正に維持できないばかりか、良心を持つ有為な人材は確保出来なくなるだろう。新型コロナウイルス肺炎の問題はそれとして緊急に対応しなければならない。今優先して行うべきことは、検査体制の拡充と医療機関受け入れ体制の強化であろう。同時に、この状態で対応に当たっている首相はじめ関係閣僚、事務方、及び与野党議員はじめ関係者の尽力には敬意と感謝の意を表したい。
 しかし行政システムを適正に保ち、健全な民主主義を維持して行くための努力は続けていかなければ、健全な国家、健全な国民生活は維持できない。

 3、行政府内のチェック機能が機能不全
 このような首相官邸を中心とする指導部のコンプライアンスの崩壊により、会計検査院、人事院、内閣法制局、そして検察庁という行政府内のチェック機能がほとんど機能しない機能不全の状態に陥っている。
 首相官邸の政策遂行上のリーダーシップが強化され、関係省庁が一国一城のあるじ的な存在となり、政策や人事が各省庁にほとんど委ねられ、縦割り行政の弊害がなくなることは望ましいことである。しかし現政権では、官邸トップによる人事権が強くなり過ぎて、個別の措置などについてトップの意向に沿うよう行動していないと不利益があるとの意識が行政各部に広がり、行政府内部のチェック機能が低下しているように見える。人事権の乱用であり、恣意的な人事の横行である。
その好例が、検察幹部への恣意的な人事であった。本来であれば、検察庁法改正案は、法律違反であり、内閣での決定を避けるべきであった。人事院や内閣法制局が沈黙を余儀なくされた。森友問題での国有地の捨て値の払い下げについても会計検査院が特別検査を実施すべきであった。
首相官邸の政策遂行上のリーダーシップが強化され、縦割り行政の弊害が除去されることは良いが、官邸による人事権の乱用、恣意的な行使を今後どうチェックできるかが課題となった。
(2020.3.10.2020.5.15.一部改訂、同年6.18.第3項追加)
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江戸城最古の石垣発掘、内外の人々に公開すべし

2021-07-29 | Weblog
江戸城最古の石垣発掘、内外の人々に公開すべし
 江戸城趾の1 部である東御苑に開設されている三の丸尚蔵館が2019年から拡張工事を行っているところ、2020年11月に「現存する最古とみられる江戸城の石垣」が発掘された。石垣は、同館の建て替え工事実施に伴い、江戸城趾が所在する東京都千代田区が必要な発掘調査を行ったところ発見されたもので、2021年4月13日なって公表された。
 石垣は、地下約7メートルから7段程度積まれており、高さ約4メートル、幅約16メートルのもので、江戸時代初期の1610~1620年ごろに築かれた堀の石垣と推定とすいていされている。石組みは粗く石と石の間に河原石がそのまま使われているなど、荒い作りとなっている。
 千代田区は、関係当局とも協議の上、積み方が弱く、くずれる危険性もあることなどから埋め戻すこととしている。
 1、折角の貴重な歴史的遺跡、展示する方法を検討すべし
 東御苑尚蔵館は、皇室が国に寄贈した美術品などを展示するために1992年(平成4年)9月に建設されたもので、石垣はその拡張工事に伴い発見された。ここは、現在東御苑とよばれているが、江戸城趾の中心部の1角の「3の丸」があった付近である。東御苑のある一帯には、嘗て江戸城の天守閣があり、将軍の居所であり、接見等の場所である本丸のほか、大奥や二の丸、三の丸があったところである。本丸は江戸初期に火災で焼失し、それとは別の二の丸のあった場所に建設され、その後拡張と焼失を繰り返しながら区画を移動した。従って、東御苑として公開されている区画は、江戸城の中心部に当たり、焼失毎に埋め立て、別の区画を拡張するなどを繰り返しているので、地下に貴重な遺跡が残っている可能性が高い。
 宮内庁は、尚蔵館が手狭になったことから新館の建設を提案したが、文化庁(宮田亮平文化庁長官当時)が反対し、立て替え拡張されることになった。幸いなことに、工事前に遺跡の有無の調査が行われ、江戸城最古とみられる石垣が発見されたものだ。
 今回発掘された石垣は、江戸初期のもので当時の情景を残す数少ない遺跡であり、その後の城内の変化発展している様子を見て取ることができるので、適切な防護、安全措置を執り、公開されるべきであろう。折角の貴重な遺跡を埋め戻してしまえば、国民の目に触れることなく、歴史を埋めることになるので適切でない。
 逆に、江戸城にはなじみのない現代の建物である尚蔵館の拡張工事のために、江戸城の最古の石垣を埋め戻すというチグハグさ、歴史的遺跡への過小評価に違和感をおぼえる。
 2、江戸城趾東御苑などの再発掘の良い機会
 今回尚蔵館の拡張工事に際し、発掘調査が行われ、‘たまたま’石垣が見つかったことは幸いであったと言えよう。ということは、少なくても江戸城三の丸周辺では十分な発掘調査が行われていなかったことを物語っている。
 三の丸のある東御苑には、江戸城天守閣をはじめ、本丸や大奥、二の丸、三の丸など、1603年から1868年までの江戸幕府の中枢部分があった歴史的にも文化的にも非常に興味ある遺構である。現在は、天守閣の石垣や二の丸庭園の一部があるのみで、三の丸の尚蔵館など新たに建てられた建物を除き、更地の庭園となっている。公開はされているが、江戸城の面影は天守閣の石垣や二の丸庭園を除き何もない。265年続いた歴代将軍の生活の痕跡がない。江戸城は、内戦を避け英仏列強の介入を避けるため歴史的な無血開城が行われ、第2次世界大戦での米国による直接の爆撃が避けられ、大手門を失っただけであるので、明治維新には、お堀周辺の石垣や門などだけでなく、東御苑となった場所にも歴史的な建物が存在したはずである。
 本丸や大奥、二の丸、三の丸などの建物は、江戸初期から何回も火事に遭い、本丸、二の丸、三の丸へと移動しながら再建、拡張を繰り返し、使われてきたものである。従って、地上にあった建物等が倒壊されたとしても、地下には江戸時代に焼けた建物の一部や土台、礎石、及び生活用具類等の一部がが残っている可能性がある。
 今回、三の丸尚蔵館拡張工事のため、周辺の発掘調査が行われ、予期していなかった江戸城最古の石垣が「たまたま」発見されたことは、これまで三の丸を含め東御苑等の発掘が十分に行われていなかったことを示している。
 江戸城が無血開城された後、明治維新となり明治政府が江戸城の一部を残しで倒壊したが、担当太政官と写真師内田九一が江戸城内を写真撮影し、また内田九一は自らも当時の映像を残している。その写真師内田丸一については、「内田九一の江戸城新発見写真」 展覧会が2020年3月上旬にお茶の水シェイクスピア・ギャラリーで開催されたようだが、コロナウイルス騒ぎの真っ最中であったこともあり、一部の通信社が伝えているのみで余り話題にならなかったようだ。内田丸一は宮内省御用掛の写真師となったが、32歳の若さで亡くなったこともあり、江戸城の写真はほとんど世に出ることはなかった。
 江戸265年の歴史は、庶民文化や商業主義や家内工業的な匠の技術を含む経済・社会が急速に発展し、地方と江戸との各種の交流等を促進させ、良きにつけ悪しきにつけ、多くの分野で今日の日本、そして将来の日本のルーツの1つになっている。因みに、各藩の藩主に江戸詰めを求めた参勤交代は、謀反を起こさせないための制度とか各藩を疲弊させるためのものとかと批判されることが多いが、その面だけで無く、地方と江戸との交流促進や交通通信制度の基礎となった面がある。歴史研究においても江戸城趾の発掘が進めば、多くのことを学ぶことが出来、また内外の人たちの観光資源となることが期待される。
 3、両国の片隅に立つ「江戸博物館」
 両国にある国技館の裏手に「江戸博物館」がある。展示物等に目を見張る物は少なく、下町の庶民生活の様子は暗く狭苦しい。人影もまばらなことが多い。
 江戸城趾の広大な敷地の中に江戸を伝える博物館や展示場は1つもない。江戸の歴史が消されているような印象を受ける。明治以降の治世は第2次世界大戦後、現行憲法の制定をもって終わっている。もはや江戸の歴史を埋める必要はないのではないだろうか。江戸城趾は全国民の、そして恐らく世界の多くの観光客を引きつける歴史的遺跡となろう。(2021.5.14.)
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男女平等を支持、だが個人の平等も未達成の日本!

2021-07-29 | Weblog
シリーズ平成の本音―男女平等を支持、だが個人の平等も未達成の日本!
  2021年2月3日に開催されたJOC臨時評議会におけるオリンピック組織委森会長の発言が、女性蔑視的発言としてマスコミ等に報道されたことを端に発し、日本国内での批判が多方面に及んだため、森会長(当時)が釈明会見を行った。しかし謝罪はメモを読むような形で行われ、また記者との質疑応答も高圧的とも見られるやりとりがあったため、批判は更に広がった。国際オリンピック委員会(IOC)も、当初は「謝罪したからよい」との姿勢であったが、米国はじめ国際世論が厳しさを増したため、同会長の発言はオリンピック規定に沿わないとの見解が出されるに至り、辞任に追い込まれた。
 更にその後森会長側が特定者を後任候補に指名、推薦したことが報道され、不透明な指名等として批判されるに至り、2月12日、オリンピック・パラリンピック組織委・評議会合同会議が急遽開催され、森会長が正式に辞任を表明する一方、後任候補については検討委員会において行われることになった。
ここまでの経緯についても、同組織委の右往左往振りは拙劣であり、事務局の事務的トップであり、また森会長慰留に奔走した事務総長の責任が問われている。また同組織委についてが、事務局職員は月収20万程度から200万円となっているようだが、多数のボランテイアが無報酬或いは少額の手当で募集されているにも拘わらず、事務総長はトップとして月200万円、年額2,400円という高額の報酬を得ているのではないかとの疑問の中、事務局幹部の報酬も不公表となっている上、オリ・パラ大会が2020年7月から1年間延期されたにも拘わらず、その後も同じ報酬を得ているのではないかとの疑問も聞かれる。
 新会長については、政府、与党自民党幹部筋やから「女性か若い人」などとして具体的な名前が報道され、これがかえって女性や年長者に対する「逆差別」などとの批判が出るなど、迷走振りは日本だけでなく世界の目からも醜態と映っているようだ。
 1、男女平等が身についていない日本の社会
 このように男女平等への意識が低いという国際世論を背景として、新会長は女性からなどという意見が出ることは、一見理解ある対応と見えるが、要するに国際社会の目を配慮しての対応であり、それで男女平等が確保されるわけでもなく、そのような発想自体、男女平等意識が身についていないことを示している。また、もっと若い人をと言う発想も、新卒優先の定年制や制度を年齢で区別する行政や社会慣行をベースとした、過剰な年齢差別の意識と言えよう。80歳以上の年長者が時代遅れの不適切な発言をしたからと言って、「若い人」を会長とすれば問題が解決するわけでもない。
 他方、森会長(当時)の「女性理事が多いと会議の時間が掛る」との発言については、辞任するほどの発言ではないとの見方もある。しかし今回の批判は、その発言だけではなく、与党自民党の幹部を務め、党内最大の派閥を率い、自ら首相となり、安倍内閣を誕生させた有力な政治家ではあるが、政治活動の中での心ない言動やオリンピック・パラリンピック組織委の会長に就任してからも新国立競技場建設に当初予算の2倍以上の3,500億―5,000億円内外を掛けようとしたり、エンブレムでは盗作疑惑を掛けられたり、数々の不祥事起し、また小池東京都知事との確執など、とかくの風評があったから今回の問題に発展したとのであろう。国際的スポーツの祭典に国レベルにせよ世界レベルにせよ政治を持ち込むのはなじまないのかもしれない。
 その会長を武藤事務総長が組織のために慰留したとされ、事務総長自体も森発言の問題を理解していない。更に同事務総長は森会長が辞任した後も、新会長候補の指名に関与したり、新候補選びでは「候補者検討委員会」のメンバー選びが不明瞭な上、氏名を不公表とするなど、迷走に迷走を重ねている。同事務総長は、組織委の事務方トップとして森会長が引っ張った元財務官僚であり、組織委発足以来、上記の一連の不祥事を重ねて来ており、事務処理上も拙劣に映る。その事務総長が、「候補者検討委員会」の進行役を務めているようだが、一体この「候補者検討委員会」は何なのであろう。

 2、個人の平等も達成されていない日本
  男女平等は勿論支持するところだが、実は日本において国民の「個人の平等」が未だに実現されていないのが現状だ。
 民主主義の基本は、男女を含めて「個人の平等」であり、憲法にも規定されている。個人の平等を最も基本的に体現できるのは、国民の代表を国会に送る選挙であろう。しかし戦後国民1人1人の投票の重み、価値が1対1に近い形で平等な選挙が行われたことは1度もない。都道府県毎に選挙区が区割りされ、定数が割り振られているが、人口の少ない選挙区と多い選挙区では、1票の重みが衆議院では最大で3倍以上、参議院では5倍以上の状態が続き、選挙のたびに弁護士グループが憲法違反訴訟を提起して来ている。裁判においては、地裁レベルでは「憲法違反」とする場合もあったが、地裁レベルでも、最高裁においても「違憲状態」とされる場合が多く、国会の対応に委ねられて来た。しかし国会では時に微調整は行われたものの、長期に亘り抜本的な検討はなされなかった。そこで裁判所も国会へ対応を促すため、最近では衆議院で2倍以内、参議院で3倍以内なら違憲ではないと裁定するようになっている。それでも、都市圏の人口の多い選挙区では少ない県に比し、個々人の1票の価値は衆議院で2分の1以下、参議院で3分の1以下となっており、とても「平等」とは言えない状態が長期に続いている。男女平等どころではない。男女を問わず国民の平等は未だに確保されていない。
 最高裁の「平等」に関する考えは、「単なる1対1の関係が基準ではなく、地域など他の要素を考慮する」ということに尽きるようだ。この並びから言うと、男女平等も「単なる1対1の関係が基準ではなく、他の要素を考慮する」という解釈となり、女性への待遇等が男性の2分の1か3分の1以下でも許容されることになる。そうなのですよ。憲法の番人であるべき最高裁でさえも、建前では国民、男女の「平等」と言っていますが、「他の要素を考慮する」という恣意的な判断を加えることを容認しているということ。平等は原則1対1の関係という初歩的な算術も理解されていないようだ。これが現実なのでしょう。
 最高裁のこのような恣意的な「平等」が容認されると、男女平等についても、女性が男性の2分の1、3分の1でも容認されることになる。それが最高裁の本音なのかもしれないが、速やかな是正が望まし。
 最高裁の判事も、内閣により任命される公務員、時の内閣に不利になる判断を出せば、人事で不利にもなりかねないので、わきまえるしかないのは誰も同じと言えそうだ。しかし、そんなことでは3権分立の意味は薄れるばかりでなく、社会も、全体的な民主主義も進まない。
 国会は真に平等な国民の代表ではない。その国会で指名された首相も真の意味で国民の代表ではなく、その内閣に任命された裁判官も同様という負の連鎖が続いているように見える。これに意見が言えるのは、マスコミや学者を含む知識人なのであろう。
 しかし従来、マスコミや学者、有識者などもこの状況を許してきたと言える。マスコミやコメンテーター等もビジネスであるのでスポンサーや雇い主等を考慮しなくてはならないことは当然だろう。学者については、著名で国の各種委員会等で委員を務めている国立大学の多くの教授、研究者は国家公務員であり、言動には国家公務員としてわきまえなくてはならない。余計なことを言えば外される。全国には国立大学が86校(2020年4月現在)もあり、これ程多くの最高学府の学者、研究者が国家公務員であり、発言は自粛、制限される。自由な発信は望めない。いわば御用学者が多過ぎると言える。特に政治・社会・経済・歴史を含む人文科学、社会科学の分野では自由な発想、研究や表現は望めない。日本は、政治に縛られない生物化学、物理、及び文学の分野ではノーベル賞受賞者を出しており、喜ばしい限りだが、政治と密接に関係する社会科学の分野では1人も受賞していないことは、教育制度に国家色の強い偏りがあるからであろう。学問や表現の自由を確保する意味からも、国立大学の民営化と、学生の経済的負担を軽減し、平等の教育機会を与えるとの観点から、その予算を、将来負担を軽減した奨学金制度の拡充及び研究助成に振り向けることを検討すべき時期ではないだろうか。
 また最近情報系バラエテイ番組でお笑い系のタレントが重用されているが、お笑いの人からコメントなど聞きたくないという辛口の意見や、わきまえて話すお笑い芸人は面白くも可笑しくもないとの声がある。
 従って現実問題として、残念ながら日本は中から政治・社会・経済制度の改善、改革の動きは出にくく、今回のように国際社会からの批判や圧力、良く言われる「外圧」がないとなかなか動かないのかもしれない。それで良いわけがない。(2021.2.17.2021./2.20.一部加筆)
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安倍自・公政権、掛け声ばかりで成果出ず!?(一部改訂)

2021-07-29 | Weblog
シリーズ本音トーク―安倍自・公政権、掛け声ばかりで成果出ず!?(一部改訂)
 2020年8月28日午後5時過ぎ、安倍首相は持病(潰瘍性大腸炎)の再発による健康上の理由で首相を辞任することを明らかにした。健康上の理由であり、7年8ヶ月に亘り国政を担われたご苦労に対し敬意を表するとともに、ゆっくり静養され健康を取り戻されることを心よりお祈りしたい。
 しかし日本の今後の国政のあり方や真の民主主義の今後の参考とするため、在任中の政策や手法につき精査することが望ましい。本稿はその一助としたい。
 2019年7月21日の参議院議員選挙に向けて与・野党がそれぞれの国民への政治課題を訴えている。政権与党は、「政治の安定」を最大の焦点としている。
 これに関連し、自民党支持を鮮明にしている保守系紙は、「安倍政権の評価が問われる」として政治的「安定と安心」が焦点としている。
 そこで安倍自・公政権の6年間の「安定」が国民に何をもたらしたか問うてみよう。
 1、 経済成長戦略の成果は局部的、低位安定 安倍自・公政権の「3本の矢」政策は、2009年からのゼロ金利、金融緩和政策の中で「異次元の金融緩和」とマイナス金利により、市場に大量の資金が流され、円安と株高をもたらすと共に、輸出産業や観光産業などに効果をもたらし、局部的に一定の効果をもたらした。
 しかし同時に次のような注意すべき副作用をもたらしている。
(1)地銀を含む市中銀行の衰退
長期の超低金利、ゼロ金利により地銀を含む市中銀行が衰退。多数の店舗削減とリストラが加速。金利のない状態継続は異常。
(2)預金金利が得れず銀行に行く意味が無くなった
 預金金利は実質無くなり、手数料や店頭での時間を考慮すると実質マイナス金利で、預金金利による収入機会が長期にわたり喪失。物価上昇を考慮すると大幅なマイナス金利となり、支出抑制の要因。
(3)経済政策の上での手段の手詰まり
 景気が低迷しても更なる金融緩和が困難。為替面でも効果的な円安誘導は困難。金利の無い金融政策はもはや、資本主義市場経済とは言えない。コスト観念の無い社会主義的中央管理経済と言えそうだ。
(4)株高は金融バブルか
 家計所得は減少しており、「いざなぎ景気」以来の景気継続はフェイク。「いざなぎ景気」は成長率10%前後の高成長が継続したが、アベノミクスでは1~2%の低成長で、景気は低迷。これが「景気継続」とは大いに疑問。

 2、 年金不安の増幅。
 年金だけでは暮らせない。安心どころか、将来不安が増幅。
 2013年1月からの安倍自・公政権において、年金は給付額が削減された上、給付年齢が引き上げられ、年金から強制的に差し引かれる介護保険料が引き上げられるなど、国民にとって年金受給額は後退した。
他方8%への消費増税が行われ、2019年10月には10%に引き上げられる。消費増税による政府の歳入増分が政府支出面で社会福祉に十分に充てられていない。

 3、『税と社会保障制度の一体改革』に取り組まず
 自民・公明連立政権は、民主党政権時代に「社会保障と税制の一体改革」に同意し、また議員定数の実質的削減にも同意し、2011年12月の総選挙で勝利し政権の座に返り咲いた。しかし安倍自・公政権は、口先ばかりで、「社会保障と税制の一体改革」に取り組むとの国会、国民への約束を実行していない。6年以上政権を保持し、国会で圧倒的多数を占めており、実施する意思があれば出来るのにかかわらず実施していない。
『安定政治』を標榜しているが、それは政権維持、党利党略のためだけであり、国民にとっては不安と負担増の結果となっている。

 4、 ロシアとの北方領土問題進展せず
 解決するとして選挙区の山口県にまでプーチン大統領を豪華におもてなしし、
「個人的信頼関係構築」などとして選挙のたびに国民に期待感を持たせたが、北方領土問題は解決しないどころか、解決の方向性も見えていない。
 米国のトランプ大統領との関係の構築自体は評価できるが、同大統領の言うなりで日米同盟を強化し、イージス・アショアーやステルス戦闘機など高額の兵器を大量に購入し、軍事同盟化に向かえば向かうほど、ロシア等は懸念を強め、北方領土も遠くなる。バランスある認識と外交が望まれる。日米「安定」、日ロ「不安定」では、安定とは言えないだろう。

 5、北朝鮮日本人拉致問題も進展の兆しもなし
 北朝鮮日本人拉致問題も自分の世代で解決するなどと、選挙のたびに期待感を持たせてきたが、米国頼みで、直接の接触もままならない状況だ。中国の習近平主席にも北朝鮮の金正恩委員長に伝言を託したようだが、『留意する』とのそっけない反応で、首脳会談などは全く見通せない。米国に先を越され、6年間何をやって来たのか。それが「政治の安定」の答えか。

 6、韓国文政権とは悪化の一途
 韓国の文政権とは、靖国参拝、歴史認識で対立し、「慰安婦問題」や「戦前戦中の徴用工問題」で問題が蒸し返され、その上日本の対韓輸出管理導入で対立が激化する恐れもある。それを外交当局の責任に転嫁する向きもあるが、首脳間のパイプの無さが最大だろう。6年間何をやって来たのか、それが「政治の安定」の答えか。
 過去6年間、安倍自・公連立政権は、「政治の安定」を売りにしてきたが、それは局部的な効果はあるものの、「政権維持のため」という保身、党利の色彩が強く、国民や国家の安定、安心にはそれほど結び付いてはいない。

 7、 財政健全化を断念
財政赤字が継続し1,100兆円を超える膨大な公的債務を抱える中で、基礎的財政収支(プライマリーバランス)を2025年度に黒字化するとしていたが、27年度に先送りした。これは安倍政権では事実上断念したことを意味する。選挙になると予算の大盤振る舞いをし、財政の安定化は何ら達成されていないどころか、安定にあぐらをかき、誠意ある努力の跡も見られない。
 8、『東京一極集中解消』2020年目標も早々に断念
 安倍政権は、『東京一極集中解消』2020年達成の目標を掲げたが、ほとんど見るべき努力の跡もなく断念している。これもそれも『安定』重視の為なのか。
 他方、地方創生は遅々として進まなかった上、若い世代が地方から去り、各地に過疎村や限界集落を生み、効果的な政策はとらなかった。
 9、女性活躍社会の推進
 在任期間中、大臣に任命された小渕議員その他が選挙資金規正法違反など次々と辞任に追い込まれるとともに、女性閣僚や女性議員は後退した。稲田 朋美議員(自民党幹事長代行)は防衛大臣当時、南スーダンに派遣されていた自衛官の日報に関し、国会で虚偽の答弁をするなど不誠実な対応で辞任した。
 10、首相官邸、内閣の法令遵守崩壊
 一方、森友学園問題での公文書の改ざん、加計学園問題で政策実現における縁故者優遇、桜を見る会に関わる公費の無駄使いや地元支援者への利益誘導など、政策実現における法令遵守(コンプライアンス)の緩みと官僚への不適切な対応と権限乱用など、政策目標を掲げながらその国民への説明や実施段階におけるフェアーでない対応が国会で問題視され、報道されている。国民のための政治、国民のための公正な行政の回復、再構築が望まれる。

 これでは「政治の安定」とは、政権維持以外は、いわば安定にあぐらをかいて、ほとんど何もしないに等しい。それも有権者の選択であるので仕方がないが、大きく変化する時代の要求に沿って柔軟に‘変化’‘改革’して行かなければ、真の国家、国民の安定、安心は得られない。要は国民の選択に掛かっている。(2019.7.9.、2020.8.28.一部改訂)
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