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マイナンバー、官庁のためのユアーナンバーにしてはならない!

2021-01-31 | Weblog
 シリーズーマイナンバー、官庁のためのユアーナンバーにしてはならない!
 コロナ禍対策のため実施された一律10万円給付が、4月30日の第1次補正予算成立を受けて実施に移されたが、一律給付が最も早く配賦できるとの触れ込みにも拘わらず、日時を費やし、7月になってようやく見通しがついた。この配賦の遅れの原因の1つとしてマイナンバーの普及率の低さ(約16%)に加え、申請システム設計の複雑性などが指摘された。そのため総務省を中心として、銀行口座登録の義務化や個々人の医療関係情報の記載などによる適用分野の拡大などが検討されている。
1、 一律10万円給付の遅れはマイナンバー制自体の問題ではない
マイナンバーの普及率は、実施から4年半以上経過しているのに16%程度の低率に止まっている。従って、仮にマイナンバーの利用により迅速に給付できたとしても、全体の16%程度しかカバーできなかったはずである。残りの84%が問題だったということになるが、実際はマイナンバーも機能しなかったことが、マイナンバーに労力が集中され、それが煩雑で機能しなかったため、郵便等への対応が遅れた事による。マイナンバーが複雑で国民に受け入れられていないことが明るみに出たと言えよう。
 米国は、大統領選挙の年でも有り、日本に先立ち一律給付を実施したが、ソシアルセキュリテイ・ナンバーに基づき、「小切手」が直接各個人に送られている。ソシアルセキュリテイ・ナンバーは、米国民や米国で働く者が誰でも加入できるもので、これがないと将来的な年金と公的機関からの社会保障が得られないのでほとんどの人が所持している。
 恐らく、日本も郵送等により実施していたら、もう少し円滑であった可能性がある。行政が普及率の低いマイナンバーに固執したことが一律給付を阻害した形となった。行政が、マイナンバーの普及率が16%でしかないことへの認識不足とこれに固執するミスジャッジを認識することが必要だろう。

2、 国民のためではないマイナンバー!
 政府(総務省)は、一律給付金の配賦のもたつきへの反省から、銀行口座記載の義務化や、医療診療関係情報の記載などの分野の拡大などを検討している。同時に普及促進のため、新加入者がキャッシュレス決済のカード等を登録するとポイント付与(マイナポイント)とテレビなどでの普及を行っている。
 政府の認識が大分ずれているのではないだろうか。実施後4年半以上経って普及率が16%程度にしか達していないのは、国民側が、メリットを余り感じない一方、機微な個人情報の流出や国家管理の強化を恐れているからであろう。政府側がまずこの点を理解しない限り、改善、改革などと行ってみても、国民の財産把握を含めて国家管理し易くする所詮政府寄りのもので、システムが複雑化し、関係官庁には好都合であろうが、国民にとってはほとんどメリットとはならないものになってしまう恐れがある。関係官庁はまず、国民が不安、不要と感じている諸点をそぎ落とし、国民に不安がないようにすることが求められる。
 マイナンバーには既に、住所や本籍、家族構成、年金、健康保険や一部銀行口座・カード情報、所得、税金関連情報等が入っている。これだけでも外部に流失したり、犯罪グループの手に入ったら、大きな被害を受ける可能性がある。マイナンバーは法律上加入「任意」としているが、税の申告に当たっては記入事項とされ、また銀行口座や証券投資の際には執拗にマイナンバーを照会してくるので、登録した人は納税申告関係や銀行口座を含む資産情報など、個人にとっては大変重要な情報が記録されることになる。
 現状でも、マイナンバーを日常的な支払いやポイント記録などに使用すると、流失や紛失の恐れが高くなるので、持ち歩くことは大変危険であろう。
 更に総務省は、決済サービスのためキャッシュレス使用を登録するとポイントが付くマイナポイントが9月1日より実施されている。そのためにテレビ広告やポイント付与のため、税金を使うということであり、筋が違う。国民がマイナンバーに利点を感じれば加入するだろう。総務省がポイント付与をしてまで普及を図っている事実こそが、国民がマイナンバーに利点を感じていない証拠である。いずれにしても納税関系では、マイナンバー保持者が亡くなると、銀行口座、証券、不動産等があっというまに凍結され、残された者は一円も自由にならず、諸費用捻出に苦労することにもなる。
 また医療・診療情報も入れることが検討されているが、医療・診療情報は非常にプライベートなもので、他人に見られるのは気が進まない。ましてや政治家や入社試験、管理職候補などについては、医療・診療情報が万一にでも外部に流出すると昇進等にとって致命傷になる恐れがある。

 3、現在のカードは官庁のためのユアーナンバーでしかない!
しかし現在のマイナンバーは、税金関係の役割が強く、投網のごとく税申告者を把握し、確実に徴税するために好都合になっている。5年に1度、国勢調査が実施されているが、国勢調査で記載された個人情報は国税庁、警察・公安には明らかにされず、徴税や犯罪調査には利用されないことになっている。国民の協力を得やすくするためだ。
現在のマイナンバーは、国税庁(税金)を含め全ての行政分野が対象で、対象で所得、年金・医療保険、銀行口座、証券、不動産などが全ての個人情報が記載される。国民には年金掛け金納付、健康保険料納付や納税義務があることは分かっているが、このように網羅的に資産状況が国家に把握され、義務の履行が管理、監視されることになると、国民の国家管理の色彩が強い。その上情報流失の危険性がある。少なくても国勢調査同様のものとし、簡素化することが望ましい。
また情報管理のため各種の防護措置が講じられてはいるが、それは逆に操作を複雑にしている。1つ入力を間違えると前に進められなくなり、複数回誤入力すると凍結されてしまい、解除に時間と労力が掛り、悩まされることになる。結局は、利用者の手間や負担を増やし、行政側を楽にするシステムでしかない。その意味でも現在のマイナンバーは、行政のためのユアーナンバーでしかない。
関係官庁の担当官や専門家が集まり、官庁側に必要な個人情報を網羅し、その上に本人確認やその他のなりすまし排除のための防護措置を掛けるのだから、普通人には理解困難な緻密で複雑な制度設計、システムとなる。それでなくても各種申請書は複雑で、馴れている人でもなければ記載に手間取る。それがインターネットとなると、各種のチェック措置が加わるので、一般人には操作が困難だ。書類によるアナログ世代にとってはなおさらのことだ。

4、国民を守るためのマイナンバー制度に限定すべし
 国民の年金・医療保険などの厚生福祉、緊急時の安全確認など、国民の基本的な権利と行政手続きの簡素化など、国民の福利に絞ったナンバーであれば、国民もこぞって加入する意味がある。それを支えるのが国や地方自治体の業務であり、義務ともなる。またカバーする分野を絞ることにより、利用者側は普段持ち歩く必要も、情報流失の際も影響を少なり、犯罪グループへの露出度を少なく出来る。それでも米国のソシアルセキュリテイ・ナンバーよりも複雑だが、国民の福利にとって心強いものとなる。そのような改革が望まれる。]

5、 行政のIT化促進は行政の更なる肥大化、複雑化の恐れ
 IT化は、情報を多量に処理できるので、仕事をどんどん増やし、行政の肥大化を呼ぶ恐れが強く、万能ではない。
(1) IT化とともに、旧来事務の廃止、整理を行うことが不可欠であろう。
同時に、制度設計の簡素化、単純化に常に留意しなくてはならない。
(2)ITにより一律のサービスを確保出来るが、プログラムから少しでも外れるとエラーとなり、凍結してしまうなど、融通が利かず、非常に硬直的、事務的となる。
(3)保秘やデジタル攻撃に留意する必要がある。そのためにパスワード等  
  を加えると、更にシステムが複雑になる。
(4)公文書、公的文書類の保存・管理の問題が深刻だ。森友学園問題での公文書改ざんや自衛隊の日報問題、或いは「桜を見る会」などでは、コンピューターに蓄積された記録でさえ廃棄されたと報告された。そのようなことはほぼあり得ないが、問題が生じたときすべての関連コンピューターを押さえ、調査できるようにするなど、文書管理が非常に難しくなるので注意が必要だろう。重要な文書は、アナログの紙で保存する必要もあろう。 (2020.9.1.、9.19.加筆)
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政党交付金を候補者個人への支援金とすべし!(一部改訂、再掲)

2021-01-31 | Weblog
シリーズ本音トークー政党交付金を候補者個人への支援金とすべし!(一部改訂、再掲)
 2019年7月の参院選挙で、広島選挙区(改選2議席)から当選した自民党公認の河井案里候補(現参院議員)に、選挙を前にして党本部が約1億5000万円提供したことが明るみに出た。同候補は、選挙カーの「うぐいす嬢」に規定(15,00円)の2倍を支払う選挙違反をしたのではないかとの疑いを掛けられている。
選挙違反問題は当局に委ねるとして、新人候補に自民党が1億5000万円相当提供した事実については驚きだ。
自民党には、1候補に1億5000万円も提供出来るほど潤沢な金があるのか!
新人候補が当選することは難しいとしても、当選するためにはこれほど金が掛かるのか!一般人にはとても立候補など雲の上の話だ。
選挙と金、選挙に金が掛かるという話は以前よりあり、1990年代に、選挙区を中選挙区から1人区とする他、選挙を公費(税金)で支援するために政党助成金を設け、党より候補者に資金的な援助をする制度などが導入された。
今回の事件は、このような措置が所期の目的通り適正に機能しておらず、弊害が多いことを如実に物語っている。
次の理由により、「政党助成金」を廃止して、選挙区ごとに投票総数と得票数に基づき一定の基準を設け、各候補者に選挙資金を一部補助する制度とするべきではないだろうか。現在の供託金制度は維持する。
1、政党助成金は党の恣意的な介入により、有権者の判断が反映されなくなる
同じ広島の選挙区で、参議院議員を5期努め、6選を目指していた同じく自民党公認の溝手顕正候補(元防災担当相)が落選した。同候補は自民党からの1,500万円しか提供されていなかった。選挙に際し公認候補は自民党より1,500万円前後の助成を受けるのが相場とされているようだ。党の裁量が強く働く。
これでは公費による選挙資金助成の意義は失われる。税金を負担している有権者の意思は何ら反映されないばかりか、党の裁量で歪められる可能性が強い。
更に政党助成金につては、党が各議員の選挙資金や活動費を握っているため、党議拘束が余りにも強くなり、議員の個性や個人の主張を失わせており、文字通り、党に‘金縛り’になっているに等しく、党独裁の色彩が強くなり、多様性を基本とする民主主義にも反する。
一定の基準を設け各候補者個人に選挙資金を補助する制度とするべきだ。
 2、最大の問題は政党助成金依存が強くなり、各政党の党員、党友が一向に増えないこと
 2020年8月28日、安倍首相が健康上の理由で辞任の意向を表明したのを受けて、自民党の新しい総裁が選出され、国会で新たな首班が指名される。安倍首相には健康回復をお祈りしたいが、9月中旬に自民党総裁選が行われる。しかし本来であれば、党の両院議員だけではなく、同数の党員の投票を含めた総裁選挙が行われるが、今回は、緊急を要する等として議員票を中心とした両院議員総会で決定される見通しだ。主要派閥が特定候補の支持を早々に表明し、党員に人気のある都合の悪い候補を排除するため、議員総会で決めようとしているなどと伝えられている。安倍首相は新総裁が決まるまで執務を行う見通しなので、「首相が欠けた場合」でも「緊急」でもない。となると派閥で決めるため、党員投票を外すということになる。国の政党助成金(税金)と企業献金があるので、党員会費などそれほど重要ではないということだろうか。自民党の党員でも110万人前後に止まっているが、政党助成金依存で党員を増やそうという熱意も薄れる。これでは党レベルでの民主主義は後退し、旧態依然の派閥中心、派閥人事となり、国民からますます遠くなってしまう。

3、政党には企業・団体より多額の政治献金が入っている
 政党助成金が導入された際、議員や党と企業・団体との癒着が問題視され、企業・団体献金に頼らない選挙とすることが考慮された。しかし政党助成金が導入された後も、企業・団体献金が復活し、横行している。
2018年の政党への献金総額は、約29億円、その内企業・業界団体献金が約25億円となっており、個人による献金は何と 1.2億円でしかない。企業・業界団体献金が、政治献金の86%強を占めており、企業・業界団体が突出しており、政治への金による影響力を強めている形だ。企業別では、2017年ではトヨタ、東レ、キヤノン、日産などが上位を占めている。
この企業献金については、経団連が一時控えていたが、現在では政党別の星取り表、序列を作成して企業・団体に政治献金を誘導している。
だからと言って政治と企業の癒着などとは言えないところではあるが、経団連の役員や献金の多い企業・団体のトップが政府の各種の委員会の座長や委員になっているなど、金の影響力は明らかだ。その委員を‘民間議員’などと誤解を生む怪しげな呼称をしているメデイアもある。
企業・団体の議員個人への献金は禁止されているので政党への献金となるが、個人からの献金が伸びていない。共産党は共産党組織、公明党は創価学会という下部組織が強固であるので個人献金等も多いが、自民党はじめほとんどの党は、党員や党友なども低迷しており、本来あるべき個人献金は伸びていない。最大与党の自民党でさえ、2012年12月の総選挙で勝利し、自・公連立政権の下で7年余、103万党員から120万党員を目標に党員増を図って来たが、それでもせいぜい108万にしか届いておらず、その後は低迷している。日本の有権者総数は1億658万人(2019年7月現在)で、自民党員はその1.0%にしか達していない。最大与党でも有権者の1%程度でしかなく、有権者を代表するとも言えない政党を何故税金で助成するのか。そもそも民意で作るべき民主主義の基本に反する上、共産党を除き、政党側の努力が足りない。税金で政党を助成している限り、政党は税金助成に依存し、自ら努力はせず、成長もしないであろう。
政党助成金や企業・団体献金があるので、個人献金を募るインセンテイブもないのだろうが、本来、議員や政党は有権者への政策説明や活動報告など日常的な活動を通じ支持を増やし、少額でも個人献金を増やしていくべきであろう。政党助成金は、そのような議員や政党の努力を阻んでいる。
いずれにしても政党は企業・団体や政治団体双方から献金を受けているので、国(税金)による助成は、政党ではなく、一定の基準に基づき候補者個人に配賦されるべきであろう。

 4、有権者のほぼ4割の無党派層にとっては「政党助成金」はありえない
 2019年7月の参院選挙で、選挙区の投票率が48.8%と低迷した。そもそも参議院の存在については、衆議院のコピー、クローンのようなもので、その存在意義が問われている。その上有権者の約40%が無党派層であるので、比例区では投票すべき政党もないので投票に行かない有権者も多く、また投票に行った人が、支持政党がないので白票で出し、無効票となった人も多く、無駄だった言う人もいる。いずれにしても、投票率が5割を割った中で当選しても国民の代表などと言えるのか疑問でもある。
 無党派層にとっては、支持する「政党」を書けと言われても無理な話だ。
「政党助成金」についても、無党派層にとっては支持もしていない政党に払った税金が使われるというのは合点がいかないであろう。
 更に選挙後に、特定政党が分裂し、新たな政党となった場合、政党助成金を分割して引き継いでいるが、そんな政党を選挙で支持したわけではないので疑問が残る。
 政党助成金や政党を選ばせるということは、有権者の意思を無視した、政党のご都合主義であり、候補者個人への資金支援、議員個人への投票という民主主義の基本に戻すべきであろう。
(2020.2.1.8.31.一部改訂)
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2021年度予算案、踊る過去最大と膨大な借金!

2021-01-31 | Weblog
 シリーズ本音トークー2021年度予算案、踊る過去最大と膨大な借金!
 政府は、2020年12月21日、コロナ罹患者が「過去最多」を塗り替えている中で、2021年度政府予算案を決定した。一般会計の総額が、第3次補正予算を含めた15か月で、106.6兆円となり「過去最大」となり、どのメデイアも「過去最大」を強調している。景気浮揚を図りたい自・公連立政権としては狙い通りと言ったところだろう。
 しかし何と財源の40.9%が赤字国債を含む政府の借金だ。財源となる税収はもともと国民の税金だが、政府の借金もいずれ国民が負担しなくてはならないので、「過去最大」などと国民をぬか喜びさせるのではなく、40%を超える借金をせざるを得ないことを国民にまず詫びるべきであろう。コロナ対策は誰の責任でもなく、国民1人1人が自らの健康を守る努力をしなくてはならないし、政府のコロナ対策は不可欠だが、アベノミクスの不始末と財政健全化の先延ばしが影を落としている。
 自・公連立政権は、1,100兆円を超える膨大な公的債務を抱える中で、基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化を2025年度に先送っていたが、更に27年度に先送りした。これは安倍政権では目標を掲げながら事実上断念したことを意味する。選挙になると予算の大盤振る舞いをし、財政の健全化は何ら達成されないどころか、安定にあぐらをかき、誠意ある努力の跡も見られない。アベノミクスでは、大規模な財政出動と金融緩和を継続し、「いざなぎ景気」だの何のと成果を強調していたが、それならばその内に少しでも財政健全化、公的債務の削減、金利の引き上げなどに努力すべきであった。それさえも行わず、財政再建目標を先延ばしした。もっとも「いざなぎ景気」とは奇弁で、実際は1%台程度の低成長をやっと維持できていたに過ぎない。それでも財政健全化の目標を掲げた以上、少しでも努力すべきだ。
 それを継いだ現政権も、2021年10月の衆議院議員の任期切れ前に総選挙を行わざるを得ないので、補正予算を含む大盤振る舞いを、借金を重ねてでも実施しようとしているに過ぎない。この点では、2013年より務めている財務相の責任は非常に重いと言えよう。
 コロナ対策においては、既に2回の補正予算で11.5兆円もの予備費を確保し、国会の審議も、承認も無く任意に使っている。借金して勝手に使っており、そのツケは国民への税金となる。7月20日に唐突にGo toトラベルを強行したのも、10月前後での解散、総選挙を念頭に置いた観光・旅行業者支援であり、それが首相交代で頓挫すると、11月25日に拡大しつつあったコロナ拡大を抑制するため「3週間の勝負の期間」として国民の自粛を要請した。しかしGo toトラベルについては65歳以上の抑制に限定し、その他を制限せず容認したのも、2021年年初の解散、総選挙を念頭に置いた観光・旅行業者支援が最大の関心であったと見られている。しかし「3週間の勝負の期間」は、65歳以下は大丈夫との誤ったメッセージを若い世代に与える結果となり、コロナ禍は毎週のように「過去最多」を重ね、大失敗に終わった。借金をして使った金は一部の業者には恵みの支援となったことは事実だが、その結果は「過去最多」の感染拡大で、1月11日まで東京を含むGo toキャンペーンの中止となり、逆に年末年始のかき入れ時を前に関係業者に追加的な負担と不安を与えている。
 そこで今度は「過去最大」の2021年度予算案を打ち出さざる得なくなったが、これまで財政健全化努力を怠っていたため、手元に資金はないので、40%以上を借金として見せかけの景気対策やコロナ対策を組んでいる。しかしそれも、借金で水ぶくれした景気対策である上、3月に予算案が衆議院を通過した後の解散、総選挙を念頭に置いたものであろう。それもこれも選挙のための見せかけの大盤振る舞いと映る。はっきり言って、景気対策やコロナ対策も本当に困っている国民には届いていないようだ。
 国民は何時までこんなことを容認しているのだろうか。(2020.12.23.)
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NHK事業予算、外務省予算を上回るほど必要か?? (再掲)

2021-01-30 | Weblog
シリーズ本音トークーNHK事業予算、外務省予算を上回るほど必要か?? (再掲)
 NHKは、2020年度の事業予算として事業収入7,204億円(内、受信料収入6,974億円)、総事業支出7,353円を国会に提出し、審議されている。7,200億円を超える事業収入がありながら、149億円の赤字計画で、赤字分は1,000億円を超える潤沢な繰り越し余剰金で補填する。
 NHKの総事業支出7,353円は、分かり易い比較では、外務省の2020年度予算7,120 億円を233億円も超える巨大事業となっている。言うまでも無く、外務省は、世界の190を超える諸国、国際機関を相手とする国家事業である。NHKの一定の公共放送は必要と思うが、世界を相手とする外務省予算を233億円も超える事業が必要だろうか。しかも1,000億円を超える繰り越し余剰金が存在する。行き過ぎであろう。
 NHKは、2020年10月より受信料を引き下げ、受信料が高すぎることを認識していることは評価できるが、ほんの申し訳け程度の引き下げであり、コロナ禍で多くの国民や企業が死活を掛けて生活している中で、誠意を疑われても仕方がない。
 現在国家、国民が直面する広範囲な困難やニーズを考慮すると共に、家計所得が実質的に減少し、受信料も多くの家庭で負担となっていることを考慮すると、公共放送に必要不可欠な事業規模、従って受信料にすることが時代の要請ではなかろうか。NHKの番組には、公共放送でなくてもよい番組が多く、またその多くは視聴率も低い。特に現在、武漢型コロナウイルス問題で多くの国民、産業が収入の道を失い、或いは家計所得、営業利益が大幅に減少し、その日の生活にも困っている状況で、NHKが、10月より数%の値下げをするようではあるが、家計、事業者より視聴料を聴取して、NHKがこれまで通りの事業を続けているのも違和感がある。政府関係事業にはその他にも同様の事業があるのかもしれない。
例えばNHKの受信料を総合放送については2分の1に減額し、必要な公共放送を維持する一方、BS放送については暗号化して希望者との個別契約(但し緊急時の放送については契約無くしても受信可能とする)とするなど、抜本的な改革を行うべき時期であろう。いずれにしても、必要最小限の公共放送を維持する一方、国民の負担を大幅に軽減することが望ましい。
現在、映像をともなう情報ソースが多様化しており、受信機を持っている個々人全てに総合放送とBS放送双方の受信料支払いを義務付けることは不合理且つ不適切になっている。
 空いた時間やチャンネルは、NHKの関連の子会社が多数育っているので、民間に開放し、公共放送との一貫性や連携を確保しつつ、多様な放送として活用可能であろう。(2020.3.10. 10月一部追加)
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日本学術会議会員拒否、国のあり方に重大な問題提起!

2021-01-30 | Weblog
シリーズ本音トークー日本学術会議会員拒否、国のあり方に重大な問題提起!
 政府は、日本学術会議により推薦された会員候補105名の内、6名を拒否した。同会議は首相が所管する独立の諮問機関で、210名(任期6年)で構成され、3年ごとに半数が改選される。今回は、8月に安倍首相(当時)に推薦されていたが、同首相辞任表明のため、管新首相に引き継がれたものである。
 日本学術会議としては、6名の任命拒否の理由説明と任命要請を内閣府の事務局に提出しており、前例のないこと、学問の自由を制約するなど各方面で問題視されている。
 1、 日本学術会議会員の任命権は首相にある
日本学術会議会は同会議法に基づき設置されており、会員は「同会議の推薦により、首相が任命」と規定されているので、任命権は首相にあり、任命拒否は可能である。因みに、会員の任期は6年、70歳までとなっており、罷免については特段の規定はない。
 管首相も、法律に基づき判断したとしている。また前例がないとの指摘に対しては、研究者の世界は閉鎖的でメンバーシップが既得権化する面があり、前例を踏襲しないこともあっても良いのではないか等とし、「学問の自由」には関係が無いとしている。
  確かに、日本学術会議の会員は特別職の国家公務員であり、手当も受けているので、政府の政策や立場に反対する者や野党支持をするなど政治信条の異なる者などを任命しないことはあり得るだろう。特に拒否された6名の内3名が国立大学の教授であり、もともと国家公務員であるので、政府の政策、立場に従うことは当然であり、国会その他の公の場や授業、或いは論文などにおいて政府の立場に反する立場を表明することは好ましくないと判断されるであろう。また拒否された6人とも、歴史や宗教、行政法、憲法など人文科学に属するグループであり、政府の政策や立場との関係が生じやすい。
  この点は、日本学術会議会に限らず、全ての政府の審議会、委員会の委員についても同様で、そもそも政府の政策や立場に反する者は委員に選ばれることはまず無く、また委員会などで反対の立場を述べる者は体良くお引き取り頂くことになり、再任されることはないようだ。

 2、日本学術会議のあり方が課題
  このような政府の解釈、対応となると、日本学術会議の今後のあり方自体が問題となり、岐路に立っていると言えよう。
 日本学術会議の会員は特別職の国家公務員であり、政府の政策や立場に従うことが期待される。これが常態化すると、いわば政府の御用学者の様相を呈することになる。またその下部グループとして連携会員が多数存在するが、将来会員となりたい者は御用化すること傾向となろう。
 (1)日本学術会議は独立性を保てるのか、御用機関化するのか
 こうなるとやはり「学問の自由」にも影響を与える。会員は、3部構成となっており、1部が人文科学、2部、3部が生命科学、理学及び工学を中心とする科学となっているが、人文科学に属する会員、連携会員が影響を受けやすい。まさに人文科学に属する6人だけが任命を拒否されている。「学問の自由」は、信条の自由や表現の自由と表裏の関係があるが、国会で野党推薦の証人として、例えば安保法制や共謀罪関係法について政府と異なる立場は取り得なくなり、会員、連携会員である限り、自由な研究は抑制されると共に、授業や論文なども影響を受けることになる。政府側は学問の自由に影響はないとしているが、当事者である教授が影響ありとしているので、影響があると考えるべきであろう。会員から外されれば「学問の自由」は確保されるので、影響はないとする考え方もあろうが、それでは著名で業績のある210名の会員と多数の連携会員は「学問の自由」は現実的には制約されることになる。これでは少なくても人文科学の分野では、自由な研究が出来なくなるであろう。
 また政府は研究助成として約4兆円の研究助成を行っているが、助成を受けるためには政府の政策や立場を忖度しなくてはならないので、自由な研究を助成し、研究を活性化させるという趣旨が損なわれ、また助成を検討する日本学術会議も自由な研究を促進する機関ではなく、変質する可能性がある。
 本来であれば、政府機関であるとしても、政府は、憲法で保障される信条の自由、表現の自由、学問の自由を尊重すべきであり、それを任命権や政府権限で制約することには疑問が残る。自民党は、現行憲法は日本になじまない点があるとして、憲法改正を「党是」としており、国家権限の強化や一定の自由の制限などを改正案に入れているようであるが、それを憲法解釈で実態を確保することは適正ではないであろう。
 日本学術会議が、独立性、学問の自由を重視するのか、政府機関として残るため人文科学を切り離すかなど、選択を迫られているようだ。
 (2)国家公務員である国立大学の教授の今後
 国家公務員と言えば、国立大学の教授等は国家公務員である。従って日本学術会議会員以上に、研究費の助成や研究内容、論文、授業内容、国会など公の場での発言には政府の政策、立場に反しないことが求められるのであろう。今回の問題が表面化したことにより、国立大教授等も国家公務員として一層の自覚が求められそうだ。
 しかし、そのようなことでは学問の自由や自由な研究や教育は望めそうにない。特に人文科学の分野がそうであり、日本は経済大国や技術大国等と言われ久しいが、経済学、経済政策等などの人文科学分野で日本人はノーベル賞を受賞していない。こんなことでは、いつまで経っても日本の学問は政府依存になり、御用学問の府となる恐れがある。政府の立場や政策に縛られ、或いは忖度しているようでは真の学問の自由はないのではなかろうか。
 もともと国立大学は行政分野での人材を確保することを大きな目的の1つとしているが、現在、これ程多数の国立大学が必要とも思われない。学生への無利子の奨学金や家賃を含む修学支援を充実させれば、国立大学はもはや必要とせず、より自由に学問を追究できるように私学化する時代ではなかろうか。それは私学と国立の教育費の負担衡平にもなろう。

 3、前例、既得権打破とはそういうことだったのか
 管首相は、就任に際し、「縦割り、既得権、前例主義の打破」を表明し改革を進める仕事師内閣とすることを打ち出した。保守党政権としては今までに無い斬新な姿勢として、一本調子の政府支出・国の借金の拡大と規制・既得権益擁護の屋上屋が重ねられ、いわば閉塞状況の日本において各方面で期待されていた。
 ところが今回の日本学術会議の会員任命拒否問題で、自民党参議院議員が、前例にとらわれない姿勢で、これが正に管首相の姿勢だと擁護する始末だ。
 安倍前首相は、党是である憲法改正を推進しようとしたが、与党内でも公明党が慎重な上、野党はじめ憲法学者などがその内容に懐疑的で実現することは出来なかった。国民の多くは改正に理解を示しているが、問題は改正内容だ。安倍前首相は、本格的な防衛活動が出来るように9条を改正する他、自民党の改正案に沿って政府権限の強化、一定の自由の制限などを望んでいた。その思想的背後には、任意団体の‘日本会議’があり、旧帝国憲法に沿った天皇権能の明確化、政府権限の強化、「教育勅語」の復活を含む一定の自由の制限などを支持し、そのような体制の下での「美しい日本」の建設を標榜しており、多くの保守系議員が賛同している。安倍前首相時代の森友学園問題は、「教育勅語」を教育に取り入れ、規律正しい教育を目指した森友学園に安倍夫妻が共鳴し、学園建設の促進課程で生じた問題である。恐らく、教育方針に賛同したことをきちんと国民に説明し、理解を求めていたらあのような公文書の書き換えなど、戦後最悪の行政失態には発展しなかったであろう。
 このような思想を支持する国民も少なくないが、国民平等に基づく民主主義、自由という基本的な価値に立脚した現行憲法を支持する国民層も多く、旧帝国憲法への回帰、専制主義的な政府、自由の制限などを懸念されている。従って憲法改正は内容、方向性の問題でなかなか進まないため、安倍政権は憲法解釈の変更、手直しで安保法制などの実現を図ったのであろう。それは1つの選択肢である。
 現在、日本学術会議任命拒否問題については、内閣委等で閉会中審査が行われ、野党を中心に内閣府事務方の追求が行われているが、首相は出席しておらず、事務方が木で鼻をくくるような一辺倒の答弁をしているが、一向に政策的意図が国民には分からない。事務方は、官邸首脳の主導で行われ、「それに従わなければ配転等を強いられる」ことになるので、必死に忖度し防戦している。官僚も人事の強権で震え上がっているから仕方ないのであろうが、大変気の毒である。森友学園問題や「桜を見る会」などで、文書を書き換えやデータを廃棄したのも、このような人事強権の下で起こったのであろう。官僚にここまでさせるのか。強権人事は行きすぎると、権力の乱用、恐怖政治化、専制政治化するおそれがある。が、一向に政策的意図が国民には分からない。事務方は、官邸首脳の主導で行われ、「それに従わなければ配転等を強いられる」ことになるので、必死に忖度し防戦している。官僚も人事の強権で震え上がっているから仕方ないのであろうが、大変気の毒である。森友学園問題や「桜を見る会」などで、文書を書き換えやデータを廃棄したのも、このような人事強権の下で起こったのであろう。官僚にここまでさせるのか。強権人事は行きすぎると、権力の乱用、恐怖政治化、専制政治化するおそれがある。
 しかし本来、官邸主導、政治主導で進める施策を、官僚に代理戦争させるのは筋違いであり、首相他が国会の論戦に応じ、きちんと対応すべきではなかろうか。
今日、日本は将来を左右する岐路にあり、どのような選択肢を選ぶか、国民が決めなくてはならない。(2020/10/08)
 しかし本来、官邸主導、政治主導で進める施策を、官僚に代理戦争させるのは筋違いであり、首相他が国会の論戦に応じ、きちんと対応すべきではなかろうか。
今日、日本は将来を左右する岐路にあり、どのような選択肢を選ぶか、国民が決めなくてはならない。(2020/10/08)
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東京一極集中解消』2020年目標を安倍政権断念!-再掲

2021-01-30 | Weblog
シリーズ本音トークー『東京一極集中解消』2020年目標を安倍政権断念!-再掲
安倍政権は、『東京一極集中解消』を2020年までに達成することを断念し、改定案を検討することとしたことが分かった。
同政権は、政権が発足して2年目の2014年に、人口減少対策として「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を閣議決定し、『東京一極集中』を2020年までに是正する計画であった。しかしその後2018年になっても東京への大幅な転入超過が続き、2020年までの目標達成が困難な見通しとなり、5年目にして目標達成を断念する旨を明らかにしている。
政府・自民党は、「地方創生」を政権の目玉の一つとし、7月の参議院選挙に向けても「地方創生」を目玉の一つにしているが、『東京一極集中解消』が安倍政権の下で前進どころか、大幅な転入超過の後退となっているのが現実だ。掛け声ばかりで、逆に一極集中激化となっているので、「地方創生」自体も結果を出せず、空疎な掛け声だけで終わることが懸念される。
 1、『一極集中』を呼び込んでいるのは政府
 『東京一極集中』を呼び込み、地方の人口流出、過疎化を加速させたのは1990年代以降の政府である。1990年代初期に日本の人口減が予測され、実際に農村に嫁が来ず、後継ぎまで少なくなり、アジア途上国からの嫁取りや技能研修制度の名の下で事実上の低賃金外国人労働者の受け入れなどで凌いできた。だから地方の停滞はその頃から予測され、始まっていたことだ。中央政府は、都市機能の分散などを打ち出してはいたが、アリバイ造り程度のちまちました対応で、効果的な対策を取って来なかった。
 現自・公政権においても、「地方創生」を標榜して来ているが、その中身は、地方への選択的交付金、補助金等の交付が主であり、地方が中央政府に従属する形を固定化、強化する結果となっており、地方自治も地方の自主性も発揮される状況にはない。規制緩和の唯一の施策として提唱された「戦略特区制度」も、加計学園問題で明らかになった通り、政権との特殊な関係や忖度で進められ、その他に目に見える成果はない。そもそもこの「戦略特区制度」は、全般的な規制を前提として、地域を選別して規制を緩和するということであり、一見緩和と見えるが、全般的な規制に地域的な規制を加えることに等しく、規制の屋上屋でしかなく、地方振興にはほとんど効果はない。規制制度の複雑化でしかない。
 更に政府は、東京都を支援する形でオリンピック2020を推進し、膨大な費用を掛けて国立競技場の建設はじめ、各種のスポーツ施設を整備し、道路・鉄道などの交通網を整備しており、これにより東京には多くのスポーツ施設が集中し、長期にわたりスポーツのメッカとなると共に、それ等施設を利用した各種イベントも更に集中することになろう。
 これまでのような細々とした改善、施策の積み重ねは、努力は評価するが、効果は出ない。グランド・プランが不可欠のようだ。

 2、‘皇居’を‘京都御所’に戻すことが一極集中解消の切り札となる!
 天皇は、明治維新後、江戸幕府が無血開城した江戸城内に‘皇居’を新設し、京都御所からそこに移り住まわれている。それは徳川将軍派の再起を封じ込める意味と米欧列強の介入を抑止する上で必要であったと思われる。第2次世界大戦後も、昭和天皇は江戸城址内の皇居に留まった。これは、米国を中心とする連合軍が進駐し、皇居のある江戸城跡内に連合指令本部が置かれることを防ぐためにも止むを得ない措置であったと考えられる。
 昭和天皇崩御後、平成天皇はそれを継承したが、現在は米軍の進駐はもとより考えられず、また国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に留まっている必要はなくなっている。逆に江戸城にふたをし、歴史を封じ込める結果ともなる。宮内庁が未だに江戸城址内にあるのも歴史に反する。
新天皇の即位の礼は、平安朝以降の伝統に基づき、明治天皇はもとより、大正天皇、昭和天皇も京都御所で行われている。即位の礼が東京で行われたのは、平成天皇が歴史上唯一の例外となっている。
 むしろ新憲法の下の新時代においては、伝統に沿って天皇は京都御所に復帰され、江戸城址は国民に開放すべきではないだろうか。
 そうすれば京都に伝統的ないぶきが「入り、京都、滋賀、大阪、兵庫などを中心として関西は活気付くであろう。 そのようにすることが、日本の歴史に沿うことになると共に、東西の文化的、社会的なバランスが回復し、東西のバランスある発展が望めるのではなかろうか。
 そのためには伊丹空港からの輸送手段の抜本的な改善はじめ、伝統を尊重したインフラ造りなどは必要となろう。

 3、首都圏直下地震対策としても‘皇居’を京都御所’へ
 首都圏直下地震等の大規模災害の発生は現実のものとなりつつあり、各種の、緊急対策が検討されているが、それでも自然災害や何らかの不測の事態が想定の範囲を超える可能性も念頭に入れて置く必要があろう。そのような首都圏緊急事態への対応の一環として、伝統に則り天皇の居所を京都御所に戻しておくことが望ましい。そのような緊急事態の際、立法、行政、司法の政府機能が打撃を受けるが、象徴たる天皇をも巻き込むことを避けるため、皇居の京都御所復帰を真剣に検討すべきであろう。天皇が京都御所に復帰される場合の対応については、十分対応可能であると共に、江戸城址の国民への開放や赤坂御所の有効活用などの可能性が広がり、有益であろう。
政府は首都圏直下地震等の大規模災害への対策が必要とし、国民に注意喚起をする形になっているが、抜本的な対策からは程遠い。(2019.6.18.)
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‘皇居’を京都御所に戻すべきこれだけの理由!! (再掲)

2021-01-30 | Weblog
シリーズ平成の本音―‘皇居’を京都御所に戻すべきこれだけの理由!! (再掲)
 2019年4月30日に平成天皇が退位、5月1日の新天皇が即位され、同年10月22日に新天皇の即位を内外に表明する「即位の礼」が実施される。
 新天皇のご即位をお祝いする。しかし戦後の新憲法の下でのあり方には違和感もある。即位の礼についても、詳細は明らかにされていないが、式典に使用される「高御座(たかみくら)」が保管されている京都御所で解体させたうえ東京に輸送された。それだけに掛かる費用が、総重量8トンの解体・輸送経費などで9億円と言われているが、平成天皇同様、新天皇の即位の礼が東京で行われ、江戸城址内にある‘皇居’に住まわれ続けるのであろうか。
 即位の礼は、伝統に基づき、明治天皇はもとより、大正天皇、昭和天皇も京都御所で行われている。天皇は、明治維新後、江戸幕府が無血開城した江戸城内に‘皇居’を新設し、京都御所からそこに移り住まわれている。それは徳川将軍派の再起を封じ込める意味と米欧列強の介入を抑止する上で必要であったと思われる。第2次世界大戦後も、昭和天皇は江戸城址内の皇居に留まった。これは、米国を中心とする連合軍が進駐し、皇居のある江戸城跡内に連合指令本部が置かれることを防ぐためにも止むを得ない措置であったと考えられる。
 昭和天皇崩御後、平成天皇はそれを継承したが、現在は米軍の進駐はもとより考えられず、また国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に留まっている必要はなくなっているのではないだろうか。即位の礼が東京で行われたのは、平成天皇が歴史上唯一の例外となっている。
 むしろ新憲法の下の新時代においては、伝統に沿って天皇は京都御所に復帰され、江戸城址は国民に開放すべきであり、その理由は次の通りである。
 1、歴史上最も平安な現在、天皇が江戸城址に留まる必要はなくなった
 明治維新となり天皇は京都御所から江戸城内に移り住んだが、上記の通り、明治維新直後や戦後直後と異なり、今日国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に陣取っている必要はなくなっていると言えよう。「帝国憲法」が廃止され新憲法となった居る今日でも、江戸城址内に宮内庁が占拠しているのも適切でない。
 新天皇は、歴史に則って京都御所に復帰することが望ましい。天皇が国民統合の象徴であることは認識されているので、京都におられても問題はない。それ以上に関西及び西日本の人々にとっては喜ばしく、誇りにもなることであろう。無論、京都御所には必要な改修等を行った上である。
 天皇のご公務については、憲法上国事行為として10項目掲載されているが、必要な時には東京等、必要な場所に赴くことは交通事情が飛躍的に向上している今日では問題ない。また東京に滞在し、或いは一定の期日東京での公務が必要な時は、赤坂の迎賓館(赤坂離宮)を所定の改築をし、そこで執務、宿泊されればよい。現在赤坂の迎賓館は、年数回しか使用されておらず、著しい無駄になっており、その活用を真剣に考える時期であろう。日本は、少子超高齢化の本格化を迎え、税負担人口が減少する一方、国民総所得の2倍に当たる1,000兆円を超える公的債務を抱え、これが年金支給額の実質削減と並んで国民の将来不安の大きな原因になっている。国家や地方公共団地が無駄な施設や土地を抱えている余裕はなく、無駄を無くしていくことが不可欠になっている。

 2、旧帝国憲法の下での’皇居’の存在は現行憲法の下では時代錯誤
 戦後日本においては、旧帝国憲法に代わり、新憲法が制定され、主権は国民にあり、いわば大政は国民に奉還されているので、国民の偉大な歴史的、文化的遺産である江戸城跡に‘皇居’を置いておく必要性はもはやなく、江戸城址を国民に奉
 3、日本や世界にとっての偉大な歴史遺産、江戸城址は国民に開放すべき
 江戸城を中心とする江戸の人口は、幕府が発足した17世紀初頭には15万人程度と言われているが、18世紀初頭には100万人を超えたと考えられている。
人口はロンドン(1801年約 86万人)、パリ(同約 54万人)と比較しても世界一の大都市であったと推定されている。文化的にも、参勤交代により地方の文化も持ち込まれ還することが望ましい。それ以上に明治維新は過去のものとなり、天皇専制は終わり新憲法になっても江戸城址を‘皇居’により封じ込めて置くことは不適当とも言える。‘皇居’、‘皇居’と言われ、そのような先入観があるようだが、江戸城址なのである。
 そのようにすることが、日本の歴史に沿うことになると共に、東西の文化的、社会的なバランスが回復し、東西のバランスある発展が望めるのではなかろうか。
、多様性があり、また版画や日本画、歌舞伎、相撲そして魚市場など、欧州でも評価される高い文化が華を開いた。
 その中心が江戸城であり、江戸文化は東京だけの歴史、文化遺産ではなく、日本の、そして世界の文化遺産と言えるので、それを再評価し、人々に開放し、可能な範囲で復元、保存して行くことが望まれる。江戸城址は世界有数の観光資源となるであろう。またそれに関連する城外の江戸時代の遺跡を加えると更に豊かな歴史文化遺産となろう。

 4、首都圏直下地震等の大規模災害等に備え、天皇の京都御所復帰が望ましい
 首都圏直下地震等の大規模災害の発生は現実のものとなりつつあり、各種の、緊急対策が検討されているが、それでも自然災害や何らかの不測の事態が想定の範囲を超える可能性も念頭に入れて置く必要があろう。そのような首都圏緊急事態への対応の一環として、伝統に則り天皇の居所を京都御所に戻しておくことが望ましい。そのような緊急事態の際、立法、行政、司法の政府機能が打撃を受けるが、象徴たる天皇をも巻き込むことを避けるため、皇居の京都御所復帰を真剣に検討すべきであろう。天皇が京都御所に復帰される場合の対応については、上記1.の通りであり、十分対応可能であると共に、江戸城址の国民への開放や赤坂御所の有効活用などの可能性が広がり、有益であろう。
 江戸城址が開放されれば、国民の憩いの場、歴史研究の場や格好の観光スポットとして活用できる以上に、大規模災害時の都民の避難場所となると共に、緊急時総合対策センターとして活用できるように整備して置けば、都心の360度対応可能な緊急センターとして活用も出来る。
東京への一極集中を是正し、地方都市の活性化を図るため、従来型の地方への助成金などでは限界的な効果しか期待できず、もっと抜本的なシステムの転換を図らなければ達成できないことは明らかだ。戦後の歴代政権の施策では地方の活性化を実現出来なかったばかりか、逆に東京への集中を招き、地方の人口減や限界集落の増加が加速していることからも明がだ。抜本的な転換が望まれる。(2019.5.1.改定、同7.4.補足)(Copy Rights Reserved.)
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世界の公的債務激増、世界経済へ暗雲

2021-01-28 | Weblog
シリーズ本音トークー世界の公的債務激増、世界経済へ暗雲
 世界通貨基金(IMF)の報告書によると、2020年の先進工業諸国(日米欧など27か国)の国民総生産(GDP)に対する政府の債務残高の比率が、前年よりも23.5ポイント上昇し、128.2%になるとしている。第2次世界大戦直後の1946年に記録した124.1%を上回る。
 同報告書によると、世界各国の武漢発コロナウイルス禍に対応する経済対策の総額は、少なくとも11兆ドル(約1,170兆円)に達する。財政出動(減税を含む)の対GDP比率では、米国が12.3%、次いで日本(11.3%)、ドイツ(9.4%)、豪州(8.8%)、ブラジル(6.5%)、英国(6.2%)の順となっている。
武漢型コロナウイルス禍は安全なワクチンや効果的な治療薬が実用化されるまでは継続すると見られ、米国初め多くの国が追加的経済対策を検討、実施する可能性が高いので、各国の公的債務残高は更に積み上がる可能性が高い。IMFは一方で未だ危機を脱したわけではなく財政措置は必要とし、感染拡大の収束が見通せるまでは景気下支え策が不可欠としているが、際限なく公的債務残高を増やすことは世界経済にとり危険であり、難しい舵取りが必要になっている。
 1、際限ない公的債務の積み上げは国民への負担への転嫁となり懸念大の暗
 問題は、こうした政府支出が税収から賄われている限り問題はないが、国・
公債などによる政府の借金により捻出される場合が問題となる。
 日本の場合、公的債務総額は既に1,114兆円を超え、国民総生産の2.4年分を超える膨大な借金を抱えている。更に2020年度予算では、コロナ禍対策で2度の補正予算を組み、それだけで約25兆円規模の国債を発行し、本予算を含め何と約180兆円にも及ぶ戦後最大の国債を発行し、世界の借金大国の座を不動のものとしている。
 世論調査では、財界や自・公与党支持層を中心として、これまでの経済政策の継続を希望する向きが強いようだが、それは国民総生産の2年半分を超える政府の借金で賄われており、目先の支持は得られるだろうが、いずれ国民が税や高インフレなどにより負担を強いられるもことになる。国民はそれを十分認識する必要があろう。
 2010年1月にギリシャで従来よりの放漫財政が表面化し、債務残高も国内総生産の113%に達していることが明るみに出るなど、経済危機に陥り、EUから緊縮財政が求められた。結局、一番困るのは国民だ。武漢発のコロナの感染拡大後、既にレバノンやアルゼンチンが債務不履行に陥るなど、世界各国で財政危機に陥り始めている。財政の規律、財政の健全化に留意する必要がある。

 2、IMFが語っていない膨大な信用増発による世界インフレの危険
 更に、IMFの報告書に今回書かれていないことがある。それは中央銀行等による信用の増発だ。アベノミクスでは、中央銀行による「異次元の金融緩和」が行われ、下がり始めていた円安が更に円安となり、輸出やインバウンドの外国人観光客などで関連産業が潤い、株価も上昇し、一定の経済効果があったと言えよう。金融緩和は2008年のリーマンショック後、継続して取られてきた政策で、アベノミクスで金融が更に緩和され、7年8ヶ月に亘り一本調子で金融緩和が維持されてきた。金利もマイナス金利となったままだ。更に1月以来のコロナ禍対策の一環で金融緩和が一層強化され、もはやタガが外れ、無制限に膨大な信用供給が行われている。株価はコロナ禍以前の水準を取り戻し、一部の機関投資家や株屋、大株主などにだぶだぶと金が溜まっている。他方、実体経済は年率マイナス30%前後が予想され、財政支出と金融緩和の恩恵を受けている企業を除き、ほとんどの企業が大幅な赤字予想となっている。航空、観光、外食産業などは減収にあえいでいる。信用が増発されても金の行き場がないので株やゴールド、骨董などに流れるのも分からないではない。
そんなことが長続きする訳もないし、一部の機関投資家や株屋、大株主などにだぶだぶと金がため込まれているのも問題視されそうだ。またハイパーインフレの危険性もあり、銀行預金を含む金融資産は紙くず同然になる恐れがある。国債なども紙くず同然になろう。

 3、財政規律、金融規律の回復が不可欠
 本来であれば、安倍自・公連立政権の間に財政・金融規律を回復し、財政の健全化と金融の正常化が図られるべきであったのであろう。自・公連立政権は国会で圧倒的な多数を保ち、権力を維持してきたので、それが出来たはずだ。一般家庭でも、将来の困難に備え、貯蓄をし、節約をする。それを行っていた人はコロナ禍もなんとかしのげる。国家レベルでは全国民の生活のためであるので、財政・金融規律を回復し、財政の健全化と金融の正常化は不可欠であったのだろう。
 もっとも、国民が選んだ政権が行った政策とも言えるのだが、果たして国民に政策の意図や副作用の危険性、国民に戻ってくる負担などについて公正に伝えられていたか疑問である。
 最近のマスコミの報道や論評などはどうも政権への忖度が強く、企業利益優先で短絡的で無気力に響き、マスコミ力が低下しているように映る。知識人と言われる国・公立の教授等も所詮教職に従事する公務員であるので自然に政府寄りであり、また専門家やコメンテーターなども仕事優先で世論迎合型になるのも仕方が無いのかもしれない。情報番組にお笑い系のコメンテーターが多くなっているが、視聴率稼ぎでしかないのであろう。だが1局や2局であればまだしも、NHKを含むほとんど全局でお笑い系が登場しているので、笑えない。民間研究機関に至っては、ほとんど全てが企業利益優先で、公正な研究機関としての役割を果たしているとは思えない。従って、多くの国民は一定方向の情報や分析、政策の選択肢しか見聞きすることはない状態になっているのではないか。
 それぞれの報道機関が特定政権や政党を支持、擁護する形で報道することは企業体である以上仕方ないことであるが、論調を国民に押しつけるのではなく、対立する意見や選択肢を提示して、国民に選ばせる姿勢が欲しいものだ。それがマスコミ力というものであろう。マスコミ力の低下は、民主主義の発展を妨げる。(2020.9.10.)
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2021年度予算案、踊る過去最大と膨大な借金!

2021-01-28 | Weblog
 シリーズ本音トークー2021年度予算案、踊る過去最大と膨大な借金!
 政府は、2020年12月21日、コロナ罹患者が「過去最多」を塗り替えている中で、2021年度政府予算案を決定した。一般会計の総額が、第3次補正予算を含めた15か月で、106.6兆円となり「過去最大」となり、どのメデイアも「過去最大」を強調している。景気浮揚を図りたい自・公連立政権としては狙い通りと言ったところだろう。
 しかし何と財源の40.9%が赤字国債を含む政府の借金だ。財源となる税収はもともと国民の税金だが、政府の借金もいずれ国民が負担しなくてはならないので、「過去最大」などと国民をぬか喜びさせるのではなく、40%を超える借金をせざるを得ないことを国民にまず詫びるべきであろう。コロナ対策は誰の責任でもなく、国民1人1人が自らの健康を守る努力をしなくてはならないし、政府のコロナ対策は不可欠だが、アベノミクスの不始末と財政健全化の先延ばしが影を落としている。
 自・公連立政権は、1,100兆円を超える膨大な公的債務を抱える中で、基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化を2025年度に先送っていたが、更に27年度に先送りした。これは安倍政権では目標を掲げながら事実上断念したことを意味する。選挙になると予算の大盤振る舞いをし、財政の健全化は何ら達成されないどころか、安定にあぐらをかき、誠意ある努力の跡も見られない。アベノミクスでは、大規模な財政出動と金融緩和を継続し、「いざなぎ景気」だの何のと成果を強調していたが、それならばその内に少しでも財政健全化、公的債務の削減、金利の引き上げなどに努力すべきであった。それさえも行わず、財政再建目標を先延ばしした。もっとも「いざなぎ景気」とは奇弁で、実際は1%台程度の低成長をやっと維持できていたに過ぎない。それでも財政健全化の目標を掲げた以上、少しでも努力すべきだ。
 それを継いだ現政権も、2021年10月の衆議院議員の任期切れ前に総選挙を行わざるを得ないので、補正予算を含む大盤振る舞いを、借金を重ねてでも実施しようとしているに過ぎない。この点では、2013年より務めている財務相の責任は非常に重いと言えよう。
 コロナ対策においては、既に2回の補正予算で11.5兆円もの予備費を確保し、国会の審議も、承認も無く任意に使っている。借金して勝手に使っており、そのツケは国民への税金となる。7月20日に唐突にGo toトラベルを強行したのも、10月前後での解散、総選挙を念頭に置いた観光・旅行業者支援であり、それが首相交代で頓挫すると、11月25日に拡大しつつあったコロナ拡大を抑制するため「3週間の勝負の期間」として国民の自粛を要請した。しかしGo toトラベルについては65歳以上の抑制に限定し、その他を制限せず容認したのも、2021年年初の解散、総選挙を念頭に置いた観光・旅行業者支援が最大の関心であったと見られている。しかし「3週間の勝負の期間」は、65歳以下は大丈夫との誤ったメッセージを若い世代に与える結果となり、コロナ禍は毎週のように「過去最多」を重ね、大失敗に終わった。借金をして使った金は一部の業者には恵みの支援となったことは事実だが、その結果は「過去最多」の感染拡大で、1月11日まで東京を含むGo toキャンペーンの中止となり、逆に年末年始のかき入れ時を前に関係業者に追加的な負担と不安を与えている。
 そこで今度は「過去最大」の2021年度予算案を打ち出さざる得なくなったが、これまで財政健全化努力を怠っていたため、手元に資金はないので、40%以上を借金として見せかけの景気対策やコロナ対策を組んでいる。しかしそれも、借金で水ぶくれした景気対策である上、3月に予算案が衆議院を通過した後の解散、総選挙を念頭に置いたものであろう。それもこれも選挙のための見せかけの大盤振る舞いと映る。はっきり言って、景気対策やコロナ対策も本当に困っている国民には届いていないようだ。
 国民は何時までこんなことを容認しているのだろうか。(2020.12.23.)
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NHK事業予算、外務省予算を上回るほど必要か?? (再掲)

2021-01-28 | Weblog
シリーズ本音トークーNHK事業予算、外務省予算を上回るほど必要か?? (再掲)
 NHKは、2020年度の事業予算として事業収入7,204億円(内、受信料収入6,974億円)、総事業支出7,353円を国会に提出し、審議されている。7,200億円を超える事業収入がありながら、149億円の赤字計画で、赤字分は1,000億円を超える潤沢な繰り越し余剰金で補填する。
 NHKの総事業支出7,353円は、分かり易い比較では、外務省の2020年度予算7,120 億円を233億円も超える巨大事業となっている。言うまでも無く、外務省は、世界の190を超える諸国、国際機関を相手とする国家事業である。NHKの一定の公共放送は必要と思うが、世界を相手とする外務省予算を233億円も超える事業が必要だろうか。しかも1,000億円を超える繰り越し余剰金が存在する。行き過ぎであろう。
 NHKは、2020年10月より受信料を引き下げ、受信料が高すぎることを認識していることは評価できるが、ほんの申し訳け程度の引き下げであり、コロナ禍で多くの国民や企業が死活を掛けて生活している中で、誠意を疑われても仕方がない。
 現在国家、国民が直面する広範囲な困難やニーズを考慮すると共に、家計所得が実質的に減少し、受信料も多くの家庭で負担となっていることを考慮すると、公共放送に必要不可欠な事業規模、従って受信料にすることが時代の要請ではなかろうか。NHKの番組には、公共放送でなくてもよい番組が多く、またその多くは視聴率も低い。特に現在、武漢型コロナウイルス問題で多くの国民、産業が収入の道を失い、或いは家計所得、営業利益が大幅に減少し、その日の生活にも困っている状況で、NHKが、10月より数%の値下げをするようではあるが、家計、事業者より視聴料を聴取して、NHKがこれまで通りの事業を続けているのも違和感がある。政府関係事業にはその他にも同様の事業があるのかもしれない。
例えばNHKの受信料を総合放送については2分の1に減額し、必要な公共放送を維持する一方、BS放送については暗号化して希望者との個別契約(但し緊急時の放送については契約無くしても受信可能とする)とするなど、抜本的な改革を行うべき時期であろう。いずれにしても、必要最小限の公共放送を維持する一方、国民の負担を大幅に軽減することが望ましい。
現在、映像をともなう情報ソースが多様化しており、受信機を持っている個々人全てに総合放送とBS放送双方の受信料支払いを義務付けることは不合理且つ不適切になっている。
 空いた時間やチャンネルは、NHKの関連の子会社が多数育っているので、民間に開放し、公共放送との一貫性や連携を確保しつつ、多様な放送として活用可能であろう。(2020.3.10. 10月一部追加)
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