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森友、加計疑獄に突き落とされた行政官僚!ー再掲

2019-04-27 | Weblog
平成の本音―森友、加計疑獄に突き落とされた行政官僚!ー再掲
 森友学園への国有地安値売却問題で、売却の経緯などを記載した決裁書が書き換えられていたことが明らかになった。決裁書には経緯として、首相夫人や複数名の国会議員の名が記載されていた一方、国会に提出されていた文書からは本件の‘特殊性’となる部分がすべて削除されていた。
 佐川前財務省理財局長の衆・参両院での証言(3月27日)においては、文書書き換え・改ざん(2017年2月から4月)に関して、当時担当局長であった佐川氏(前税務長官)が全責任を認めたが、改ざんの理由や削除に至った経緯の詳細については‘刑事訴訟の可能性がある’として説明を拒否した。そのため、何故大幅な値下げが行われたか、何故公文書の改ざん、変造という重大な犯罪的行為が行われたかなどの核心は今回の証言では明らかにされなかった。
 1、検察当局に委ねられた真相究明―2つの罪
 佐川前理財局長は、文書改ざんが‘国金局内’で行われた旨証言したことから、今後は、大阪地検特捜部によって同氏を中心とする理財局の捜査が行われることになろう。公文書改ざん、変造は、原本中の関連部分の大幅削除のほか、300か所余に及ぶと言われており、広範かつ綿密に行われたものと見られるので、事態は深刻だ。検察当局による詳細な調査に基づき起訴され、法令に基づき罰せられることになろう。
 その罪は2つある。一つは、決済後(有印)公文書の書き換え・変造であり、その責任は佐川前理財局長も認めている。
 もう一つは、森友学園への国有地払い下げについて、破格の値引きがなされ
たが、そもそも何故そのような‘特別な’値引きがなされたかであり、そしてそのような国有地の‘破格の値引き’は適正であったか否かである。国有地は、国庫、国民の財産であるので、財務省には公正、適正な管理義務があり、これに反する罪があったかなかったかである。この点は、その契約を許可した近畿財務局長と迫田元理財局長の下での理財局、財務省の問題となる。
 これらはいずれも犯罪にかかわることであるので、基本的には司直の手に委ねられるべきことであろう。
 2、財務省当局を不正処理に向かわせた政治的、道義的責任
 森友学園への国有地安値売却に関する本来の決裁書が公表され、佐川前理財局長の国会証言により、文書の書き換え・改ざんについては首相や官房長、秘書官などの指示はなく、第一義的には佐川局長(当時)の下で理財局内で行われたことがほぼ明らかになった。
また佐川氏は、国有地の安値売却の判断や経緯に関する事項、特に接触のあった首相夫人や保守系議員の名前を何故決裁文書から削除し・改ざんしたかなどについては、訴追の可能性を理由に証言を拒否しているので、真相は明らかになっていない。
財務省当局の本件の‘特殊性’への判断と文書書き換えの問題は、上記の通り司直の捜査を待ちたいが、破格の値引きの判断において首相夫人と複数の自民党議員が関係していることが本来の決裁文書から明らかになった。
 国会における質疑において、安倍首相は同夫人の‘いい土地だから進めてほしい’との発言については、籠池氏の発言を引用した‘伝聞’でしかなく、首相が夫人に確認したところ‘そのようなことは言っていない’旨反論している。しかし首相も夫人から聞いたこととして述べているだけで、首相の発言も‘伝聞’でしかなく、説得力に欠ける。
 しかし決裁された公文書に経緯として首相夫人や関係議員の財務当局側への接触や関心が記されているので、これが財務省当局の判断の根拠であったことは明らかであるので、首相夫人や保守系議員が接触し、関心を持っていたことが明確になったと言えよう。少なくても財務当局はそう認識していたということだ。
それは勝手に財務省担当部局が書いたもので事実に反し、虚偽であるなどという説明が通用するだろうか。そのようなことを言い始めたら、行政文書は信用できないと監督すべき首相や大臣が言うようなものである。首相夫人や一部保守系議員か関係していたことについてはそれで十分だ。
 森友学園への国有土地の破格の値引きについては、首相側は‘指示や関与’を否定しているが、首相夫人や関係議員が関係しており、それが公文書で決済された形となっているので、財務当局への影響は明らかである。
 そのこと自体には違法性はないが、そのような認識や印象を財務当局に与え、破格の値引きをさせた政治的、道義的責任は免れない。更にそのような事実や関系を首相が否定したことが事務当局の国会答弁の流れを作り、野党からの資料請求を前にして文書改ざんに追い込まれて行ったとみられるが、事務当局の公文書に掛かれているような認識とは異なる答弁に終始した首相サイドの言動にも政治的、道義的責任がある。
 首相だけでなく、財務相は2017年2月、3月以降の国会答弁において、‘売却は、法令に基づき適正に行われていた’と再三にわたり述べ、また佐川前理財局長の国税庁官任命についても‘適材適所’などと無責任な答弁に終始していたので、重大な管理、監督責任があると言えよう。
 また決裁済みの公文書の改ざん・変造については、指示や関与はなかったとしても、事柄が行政活動全体の信頼性に係ることであるので、首相及び関係閣僚の管理、監督責任は非常に重いと言えよう。
 籠池夫妻との関係、特に旧帝国憲法時代の‘教育勅語’を基本に据えた教育方針やそのような教育方針を持った学校の建設推進を、この段階で国民の目に晒したくないと気持ちが働いたのだろうか。
 3、官僚受難の季節
 決済後の公文書書き換え自体については、耳を疑う程の異常な行為であり、財務当局の責任であるので、最終的には司直の手により裁きを受けることになろう。
 そもそもその前に、森友学園への安値の国有地払い下げについて、改ざん前の決裁書に破格の値下げをする経緯(‘特殊性’の理由)に明確に記されているように、首相夫人や複数の保守系議員の関心案件であり、値下げの規模として、あたかも地下のゴミの除去費用に対応させて値引きを決定しなくてはならなかったのであろう。破格の値引きについては、近畿財務局のみでは決められず、本省理財局の決裁が必要なため、‘その特殊性’や経緯を記載した決裁書が必要であったと見られる。確かに‘特殊な’事例である。
 首相夫人が森友学園の教育方針に好意を持ち、学校建設のための国有地確保に好意的であったことなどは法に触れることでもなく、また指示していたというものでもない。しかし、それに関わり、関係していたことは公文書の記録から明らかだ。少なくても財務当局はそのような認識をしていたことは明らかだ。
 首相が、森友学園や籠池夫妻との関係ややりとりを否定し、事実に沿わない発言に終始したことから、森友学園への安値による国有地払い下げ問題は、財務省は公文書改ざん・変造という犯罪的行為に追い込まれ、直接の担当官がその重荷に耐え兼ねたのか既に2人も自殺に追い込まれ、当時理財局長であった佐川氏他が捜査対象になっている。
 理財局を中心とする財務省当局の責任は非常に重い。しかしそのような異常な結果に導いた政治的、道義的責任は更に重い。国会の場で事実とは異なる発言や説明をしていたことだけでレッド・カードに値する。当初から事実を話し、説明を尽くせば、政策的な異論は出ようが、‘政局’にはならなかったのであろう。
 現在、与党自民党や保守系新聞、一部保守系有識者等は、この問題を行政組織による文書管理の問題として関係省庁を批判、追及しているが、これは問題を官僚に擦り付け、問題を矮小化しようとするものではなかろうか。無論公文書管理の問題は深刻で、ましてや改ざんや事実に反することを誘導する類のことは、犯罪的行為であり関係当局はその責任を追及されなくてはならない。だがこれらの職員は、首相夫人や首相の関心に沿うようにと思って仕事をしたにも拘らず、一切の関与、指示を首相側に否定されたため、つじつまを合わせるために決済された公文書から関係の箇所を削除し、また膨大なゴミがあったかのように口裏を合わせようと動いたのであろう。
 官僚にとっては正に受難の季節となったが、政権交代の可能性が長期に薄れ、独裁的な政権となると常軌を逸した異常な行動を誘発するのであろうか。独裁的政権のおごり、恐ろしさが露呈したとも言える。やはり8年前後で政権が交代し、与・野党間でのチェック・アンド・バランス、政治と官僚組織とのチェック・アンド・バランスの機能が働くような制度設計とその具現が必要なのであろう。一見、民主主義の非効率にも見えるが、独裁政治による節度を越えた独善と暴走を防ぐためには仕方がない知恵なのであろう。
 組織のリーダーが真実を語らず、部下がそれに反しないよう嘘を繰り返し、証拠となる文書を改ざんまでしてリーダーを守る姿はおぞましく、無様であると同時に、気の毒だ。組織のリーダーたる者は、部下を叱咤激励して働かせるが、ひとたび問題が生じれば、リーダーが責任を取るものだ。にも拘らず、リーダーが真実を語らず、部下がそれに従って嘘をつき守る、しかし問題が発覚すると自分は知らない、‘部下が部下が’では組織は動かない。それ以上に、コンプライアンス(法蓮順守)は崩れ、内部統制は腐敗し崩壊して行く。
 一部保守紙等は、しきりに行政の文書管理問題、官僚の責任に問題をすり替えている。だが、そもそもの問題は首相が事実を隠そうとしたことから行政の体質が表面化しているものであるので、このような一部保守系メデイアの姿勢は国民の目を政権批判からそらし、矛先を行政組織に向けさせようとするものであり、国民の利益に反することを国民自身が認識することが望まれる。
 これが国家レベルで政府、行政組織で起こっているので、事態は非常に深刻だ。
 森友学園問題・財務省・官邸だけではなく、家計学園問題・文科省・官邸も類似の構図だ。更に、防衛省の南スーダン、イラクへ派遣された自衛隊の日報隠ぺい事件、厚生労働省の裁量残業不正統計事件など、官僚の資料工作、隠ぺい体質、虚偽説明が一気に表面化した形だ。これは戦後に積み上げられた官僚組織の体質が背景にあり、組織防衛のためには何でもするという強固な団結、組織の縛りが明らかになったもので、官僚組織の体質改善が急務だ。官僚の新卒優先採用と終身雇用制という排他的な制度が諸悪の根源とも言える。人材を公正、適正に入れ替える開かれた行政組織、制度設計が不可欠だ。
 本来それが出来るのがその管理監督にあたる閣僚、官邸であるが、それが事実を語らず、官僚に嘘をつかせる結果となっている。その意味で戦後最悪の政権であり行政組織であると言えるだろう。
 政権側の公正、誠実な政権運営と行政組織の適正、公正な行政、更に双方のコンプライアンス(法令順守)の重大な危機であり、国民はもっと真剣に政権選択や行政のチェックと向き合うことが必要になっているようだ。病巣は広く、深い。
(2018.4.12.)
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韓米軍事同盟に日本は参加すべきではないー再掲

2019-04-27 | Weblog
 平成の本音―韓米軍事同盟に日本は参加すべきではないー再掲
 韓国の康京和(カン ギョンファ)外交部長官は2017年10月30日、議会での外交関係の国政監査において、対北朝鮮防衛強化のため配備された米国の迎撃ミサイルTHAADを巡り悪化している中国との関係について、中韓首脳会談開催への期待を表明しつつ、次の3つの立場を明らかにした。
・THAADの追加配備は行わない。
・米国のミサイル防衛(MD)システムに参加しない。
・韓日米安保協力は軍事同盟に発展しない。
 これはTHAADの配備を巡り悪化している中韓関係の‘復元’、正常化を狙った発言と見られており、‘三不’政策とも言われている。
 これに対し中国外務省は、同日午後に報道官が康長官の発言に関連して、「韓国側のこうした3つの立場を重視する」とし、韓国側がこれを実際に行動に移すことを願う旨述べた。しかし中国側が、韓国外交部長官の発言を‘約束’との表現を用いたため、韓国内でも議論となっている。
 中国側は、韓国におけるTHAAD配備と共に、米韓日の軍事同盟化を強く警戒していると見られ、中国が10月の全人代で習体制を固めて以降、日本との関係を改善する姿勢になっているのはこれを阻止するためとも思われる。
 韓国が、米韓日の軍事同盟を望んでいなければそれに参加する必要はない。日本側がそのような意向を表明したこともない。もっとも軍事同盟については、一方の同盟国への北朝鮮を含む第三国からの攻撃は日本への攻撃とみなされ、参戦しなくてはならなくなるので、日本の現行憲法ではそのような軍事同盟に参加することは困難であろう。従って韓国側から言われるまでもない。
 そもそも朝鮮戦争は1953年の休戦協定により軍事対決こそ回避されているが、米韓両国と北朝鮮は現在でも敵対関係にあり、北の核、ミサイル開発は基本的に米韓への対抗措置として進められているものである。日本は、朝鮮戦争の当事国でもない。また第二次世界大戦後、北朝鮮とは平和条約を締結していないが、2002年9月に小泉首相(当時)と金正日総書記(当時)とで調印された日朝ピョンヤン宣言において、拉致家族問題の他、日朝国交正常化交渉の開始などが盛り込まれており、この宣言は自・公連立政権において破棄はされていない。
従って政策論としても、朝鮮半島有事の場合には米軍への必要な後方支援は行うことになろうが、日本及び日本国民の安全のためにも、米韓との軍事同盟に参加しないことが賢明な選択肢と言えよう。
(2017.11.23.)
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元号強要は国民への追加的負担!!

2019-04-27 | Weblog
 平成の本音―元号強要は国民への追加的負担!!
 4月1日、政府は新元号が「令和」となる旨発表した。4月末で「平成」は終了し、5月1日に新天皇となるに伴い新元号となる。これをビジネスチャンスと捉え各種の商品やサービスが提案されており、経済効果が期待される。
 新元号のネーミングについての評価はいろいろあると見られるが、元号で物事が変わるものではなく、その後為政者がどのような時代にしていくかに掛かっている。
一般国民にとっては、新元号になろうとなるまいと、増え続ける規則や慣例、慣行に縛られることなく、出来るだけシンプルで、ストレスが少なく、豊かで希望の持てる社会となることを待望している。
新たな時代に取り組むためには、新元号に期待を持たせるだけでなく、「平成」がどのような時代であったかも謙虚に評価することが必要だろう。その評価無くして進歩も改革も期待できない。
 新元号への変更については、政府、政府関係機関で各種申請書、文書、許認可証等の年号が円滑に進められるよう膨大な作業が行われている。地方公共団体や民間企業、団体でも元号使用に関連し各種の対応策が行われている。
 政府は、4月1日に新元号を公表し、混乱なく改元が進むよう対応が進んでいるとしているが、元号の決定プロセスの不明瞭性と共に、改元や元号使用に伴う国民生活や経済活動に追加的な負担となり、また犯罪の種ともなっている側面を見落としてはならない。
 改元に伴いキャシュ・カードなどの交換が必要として巧みにカードを盗む‘元号詐欺’が横行している。元号が使われる限り、今後もあの手この手で‘元号詐欺’は続くことが懸念されている。
 国民生活にとっては、元号が変わること時代計算や各種の申請書、履歴書類の作成などで作業を複雑にし、追加的な負担となっている。特に超高齢化している現在、明治、大正、昭和、平成、新元号と5元号を経ることになり、何年前だったかなど分からなくなってきている。NHKなどでも、元号でニュースを伝えることが多いが、何年前だったかなどが直ちには分からない場合がある。
多くの国民にとっては複数の年号を経るので元号表記は煩雑で、そのために費やす手間暇は可なりのもので、超高齢化の時代では更に煩雑な計算が必要となる。時間の喪失感は無視できないほどで、社会的な損失も大きい。
 元号は、一般国民の生活、各種活動において使用が強制されるものではないので、国民、企業、諸団体自らが西暦年号表記の使用を促進することが望ましい。
 日本にはこの種の伝統や慣習や時代と共に旧弊が多なる上、法律、規則、更には‘通達’などで公的機関への提出文書を細部まで定めていることが多い。一方日本人は良く働き、残業も多く、夏季休暇が以上に短い上休暇も返上して働くのに、労働生産性は欧米諸国が加盟するOECD 35カ国中20位(37年連続という醜態)、先進7カ国中では40日程度は夏季休暇を取るイタリア、フランスよりも低く最下位だ。
 要するに日本人は労働時間が長いのに反して賃金、役員報酬がおしなべて低いということに尽きる。では何故そんなに労働時間が長いのか。その大きな原因の一つが、元号の換算や箸の上げ下げまで規定する規則、‘通達’ずくめの制度にある。米国はじめ多くの国が、日本は市場参入が難かしい、投資が難しい、非関税障壁があるのではないかなど、市場の開放性に疑問に思っている。確かに日本人でありながら新規に何かをしようとすると制度や申請書類などが細かく複雑で大変だ。その上元号記載となることが多い。行政書士や代行業が流行るのもうなずける。  
古い慣習や制度、規則、通達類を、例えば10年ごと、20年毎など、一定期間で廃止することを義務付けるなど、簡素化して行かないと、労働生産性も上がらないし、市場参入などへの阻害要因がアルバム式に増えることになる。
 古い制度や規則を時代の変化に伴い漸次廃止していく意識と努力が必要だ。元号はその一つで、西暦年号の使用を一般化すべきだ。少なくても、地方公共団体を含め、行政への申請書類は西暦年号記載を認めるべきであろう。
 新元号の選定についても不明朗だ。政府は‘新元号選定委員会’を設け、数名の委員を任命しているが、明治天皇時代への復古的思想の強い日本会議のメンバーである女性作家はじめ財界の長老格やなどが中心で、偏向が強く、これが日本国民を代表しているとも思えない。
 元号の使用(その場合必ず西暦年を併記)は、宮中行事の他、憲法に規定されている天皇の「国事行為」に限定すべきではないか。それ以外については、元号使用は任意とし、西暦年号を認めるべきであろう。元号は日本独自の文化であり、伝統であるので、それを保存して行くことは大切であるが、世界がグローバル化し、各種の度量衡、基準、標準などが国際基準で統一されている今日、日本だけが「元号」表記を強要することは、ジャパン・オンリーの独りよがりであり、日本を更に‘ガラパゴス化’して行く恐れがある。現在、世界の人々は、日本の文化や伝統的な技能、技術、建築、日本食などを個々の目で評価しており、ジャパン・オンリーをことさらに強要する必要はなくなって来ていると言えよう。
(2019.4.6.再改定 )
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大嘗祭は宗教行事であり政府による国家行事とすべきでない(改定版)

2019-04-27 | Weblog
 平成の本音―大嘗祭は宗教行事であり政府による国家行事とすべきでない(改定版)
 新天皇が初めて行う新嘗祭(にいなめさい)を大嘗祭(だいじょうさい)と言うが、宮内庁は、大嘗祭を2019年11月14、15日に行う予定としている。
 1、大嘗祭は神道形式の天皇家の宗教行事
 この祀りごとは、天皇が五穀豊穣を祈るものであるが、新天皇が即位後初めて行う大嘗祭については、天皇の一世一代の‘秘儀’とされている。そのため、一般にはその内容の詳細は知られていないが、神話に則り、その年の新穀を天皇が天照大神(あまてらすおおみかみ)および天神地祇に供え、自らも食し、その天孫降臨と一体化する神道形式の宗教行事のようだ。つまり、天孫降臨した邇邇芸命(ニニギノミコト)、即ち天照大神の子孫に、新天皇がなる儀式と言われる。

 2、大嘗祭を国家行事とすることも、国家予算を使うことも適当ではない
  宮家がこの儀式を信じるか否かは自由であるが、宗教行事である大嘗祭を政府が国の行事として行うべきではなかろう。国は憲法上宗教行事を行うことは出来ない。また国家予算を使うべきでもない。
 宮内庁は、この大嘗祭を江戸城址(一部を皇居として使用)内の東御苑で行うとしている。平成天皇の大嘗祭もここで行われたが(1990年11月21日)、即位儀式に関連する政府支出が全体で約123億円にも達し、高額に過ぎるとの批判があったことなどを考慮し、今回は東御苑の一部のみを使用し、節約を図るとしている。しかし大嘗祭は宗教性が強いと言う以上に、神道行事そのものであり、天皇家の中にも‘公費を使用すべきでない’との意見がある。一方で大嘗祭を若干小規模として予算要求がなされているとの報道もある。
 その大半の予算が、東御苑に社殿、社屋を建設する費用である。行事は、その中で行事が行われるが、大嘗祭後取り壊されるものの、国家予算で神道の社殿、社屋を建設することは国家、政府が宗教行事を行うに等しく、容認されるものではない。

 3、大嘗祭を江戸城址内(東御苑)で行うことは歴史に沿わない
 そもそもこのような神道形式の宗教行事を江戸城址内で行うべきではない。
大嘗祭のために東御苑に社殿、社屋を建設し、その中で神道行事を行うことは歴史を歪め、踏みにじる行為と言えそうだ。明治維新後、旧帝国憲法の下では、天皇を擁する官軍が幕府軍に勝ったので、戦勝者である天皇派が江戸城址を占拠、使用することは容認されても、旧憲法は廃止となり、新憲法となっている今日、それが引き続き容認されるべきではなかろう。
 更に、‘皇居’内に「三殿」が常設されており、天皇交代に伴い宗教行事が行われていることが報じられるようになり、国民の目にとまるようになった。「宮中三殿」は賢所、皇霊殿、神殿で構成され、中心として天照大神が祀られている神道の神社に相当するものであり、そこで新旧天皇がお参りや祈祷をするが、それは正に「神道」による宗教行事である。その内部は明らかにされていない。天皇も国民の一人として信仰、信条の自由があるが、国民の統合の象徴である天皇が、公の‘皇居’内で特定宗教の神道行事を行うことは、「国の宗教活動を禁止する」憲法の趣旨の反するのではないか。そもそも国の財産である江戸城址内に神道神社である「三殿」が新憲法になった現在でも存在することは、憲法の趣旨のみならず、江戸城址という歴史的な意味や価値に反するものではないだろうか。明治維新は終わり、その後の天皇君主制も帝国憲法も終わっている。
 新憲法では、天皇は軍の指揮権はもとより、統治権などは無い。その上国の征服者でも支配者でもない、‘国民統合の象徴’である天皇が、江戸城址を占有することは、‘反幕府’、幕府支配の抑止、封殺を意味し、尊皇派支配を意味するので、‘国民統合の象徴’としてはふさわしくない。現状では‘分断の象徴’、‘抑圧の象徴’と映ってしまう。

 4、「東御苑」を‘皇居東御苑’と称するのは歴史の冒涜
 江戸城址を‘皇居’と称するのも、歴史を閉じ込めるものではないだろうか。
特に江戸城天守閣跡や本丸などの江戸城の中心部の一角は「東御苑」として一般にも公開されているが(大手門、平川門、北桔橋門から一定日に入場可能)、ここが‘皇居東御苑’と呼称され、地図にもそのように表示されている。これまで気にとめていなかったが、戦後74年も経ち、新憲法の下で明治維新後擁立された‘日本帝国’は廃止され、民主的な日本国として歩んで来た現在も、江戸城址の中心部が‘皇居東御苑’と呼称されているのは驚きだ。世界にも誇れる江戸城、江戸文化を考えると、歴史の冒涜であり、不適切と言えそうだ。
 その上、東御苑を含め宮内庁が所管しているのも時代錯誤と映る。「江戸城址」
として文部科学省の所管とし、貴重な文化遺産として保存し、歴史研究等に門戸を開放すべきではなかろうか。いずれにしても江戸城址は、世界にも誇れる貴重な国民の文化遺産であり、そうあるべきであろう。
 一行政機関である宮内庁が江戸城址内にあることも、あたかも他の行政機関とは異なる国民から遠い存在との印象を与えると共に、国民を江戸城址から遠ざける結果となっており、明治維新、日本帝国時代ならともかく、今や好ましくない。
 最近外国人の観光者が著しく増えており、‘皇居’が外国人観光者の東京における人気の場所の一つになっている。その理由を外国人観光客にインタビューすると、「侍が好きだから」、「古くからの石垣に興味がある」など、武士や城に関連するところとしており、城址として認識されている。外国人観光客は江戸城址に関心があるようだ。その場所を‘皇居’という名称で‘江戸城址’という歴史的史跡を覆い隠す結果となっており、日本人のみならず外国観光客に対しても日本の歴史や貴重な文化遺産を正しく伝えていないことになりそうだ。
 明治以来の3代に亘る尊皇派支配は終わり、天皇は国民統合の象徴となっているので、天皇は京都御所に戻り、江戸城址は‘江戸城址’として国民及び世界からの観光客に開放すべきではないだろうか。因みに、京都御所は東西700m、南北に1.3kmの広大な敷地を擁し、現在参観を除けば、活用されていない。
 なお敢えて付言すれば、飛鳥、奈良時代を含め、明治天皇以前の天皇陵については研究目的の発掘、調査を原則許可し、歴史研究に資すべきであろう。
 いずれにしても天皇家の宗教行事である大嘗祭は、古来からの歴史に従って京都御所で行うことが適当であろう。もし京都で行うことが嫌であれば、伊勢神宮や明治神宮、昭和天皇の御陵地などで行うことも出来るだろう。
 また大嘗祭は、少しづつ形を変えながら古来より行われている貴重な歴史的な行事であり、無形文化と言えるので、衣装や装飾品、建物などを含め大切に保存すると共に、公開することが望まれる。ましてや国家予算で行われる行事であれば、全体を原則公開とすべきであろう(改定2019.1.26.)
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東京オリンピック入場券30万円、公営ダフヤまがい!!

2019-04-27 | Weblog
平成の本音―東京オリンピック入場券30万円、公営ダフヤまがい!!
 東京オリンピック・パラリンピック2020が1年後となり、5月より入場券の予約販売が始まる。
 確かに世界中のトップクラスのアスリートが集まるスポーツの祭典・競技ではあるが、その入場料の高額なのに驚いた。
 オリンピック開会式の一番良いとされる席種(A席)で30万円!ダフヤまがいの高値だ。開会式は、5000億円を越える高額のデザインが批判され改めて募集されて決まった新国立競技場で行われるが、組織委の公表によると席数は何と8万席と広大だ。席種はAからEまでと別枠でみんなで応援席と車いす席があり、A席がなんとなんと30万円となる。早くもダフ屋価格かとも思ったが、なんと公式価格だ!
C席以下だと、選手の顔はほとんど見えない状況で、E席ともなるとグランドの蟻を見ているような状況と予想されるが、それでもC席107,000円、E席 12,000円と高額で、それならスポーツビューイングのある店や自宅でテレビを見ていた方が賢明そうだ。しかも新国立競技場の夏は蒸し暑そうだ。
これが純然たる商業イベントであれば仕方ないが、東京オリンピックは、諸施設の建設費の他、運営費、警備費等の諸経費を含めると高額の税金を使って行われる公的な行事である。税金を使っていながら、金を持っている人だけが良い席で見ることが出来、スポーツが好きでも金を持っていないと良い席では見れないというのは、何のための税金支弁かと言いたくなる。組織委を中心とするオリンピック関係者の'何事もこの世は金次第'という風潮と不条理さを感じる。
世界の多くの諸国でオリンピック開催が不人気な理由もこの辺にあるのだろうか。(2019.4.23.)
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沖縄、辺野古埋め立て続行で地方自治の終末!

2019-04-27 | Weblog
 平成の本音―沖縄、辺野古埋め立て続行で地方自治の終末!
 安倍自・公政権は、3月25日、普天間米軍飛行場の代替地となる辺野古の新たな海域へ土砂投入を再開した。
 沖縄県は、2月24日、住宅密集地にある米軍普天間飛行場の辺野古移設を巡り県民投票を実施した。その結果、辺野古沿岸部の埋め立てに反対が約72%で、圧倒的な多数が反対の意思を表明した。投票率は52.48%(有権者数1,153,591人)で県民の過半数以上が投票しており、県の民意は明らかとなった。北城知事は、3月19日首相官邸に赴き、この結果を改めて安倍首相に伝え、善処を要請したが、住民投票で示された県民の意思は、国政選挙での同県自民党の敗北、知事選での辺野古移設に反対を表明した北城候補の勝利に続き、7割を超える県民の反対が示された住民投票の結果も尊重されないことが明らかになった。
 これでは地方自治の死に近い。
 安全保障は、外交と並んで中央政府の‘専権事項’とされている。しかし、住宅密集地にある米軍普天間飛行場の返還と代替地しての辺野古への米国海兵隊航空基地の事実上の拡大移設は、軍事同盟化を深める日米同盟に係る安全保障の問題であることは事実である。
 だが米国海兵隊航空基地を日本の何処に移設するか否かについては、県内の土地利用の問題であり、また住民や生活環境と安寧、海洋環境等に大きな影響を与えることであるので、県民、住民の意思が重視されなくてはならない国内問題でもある。また米国海兵隊航空基地の拡張敷設は、第一義的には米国の極東、東アジアでの安全保障、前方展開基地の問題であるので、米国政府としても、県民、住民の同意と理解が有事の時はもとより、日常的な基地の維持、軍人の生活にとっても不可欠なことであろう。もし米国内の州で基地建設につき住民投票で7割以上の反対があった場合に、米政府は基地建設を強行するだろうか。
 最近、恐れていた通り、辺野古の北東海域で世界の珍獣マナテイが腐乱状態で死亡していたことが分かった。辺野古埋め立ての犠牲か、工事を強行する前に調査すべきであろう。
 政府は、県民の意思を米国当局に誠実に伝える義務があろう。
若い世代も、第2次大戦で唯一米国が上陸攻撃した沖縄で20万人以上の民間人を含む日本人が殺され、その後連合国米国に植民統治され、更に1972年に返還されてからも米軍基地の7割以上が存在する沖縄県だけがこのような負担、犠牲を負わなくてはならないのか、良く考えて欲しいものだ。
自・公政権に未だに沖縄が米国の植民地との意識が強く残っているからであろうか。
 また横田基地の上空の管制権が未だに米軍にあることも世界に例がない。日本政府に残る植民地意識なのだろうか。安全保障に関係する問題でも、沖縄の民意をこれだけ無視し続ける強引さがあるのであれば、その強引さを少しでも米国当局に向ける自主心を持てないものであろうか。(2019.3.25.)
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消費税再々増税は税金の無駄使いのためなのか!?

2019-04-27 | Weblog
 平成の本音―消費税再々増税は税金の無駄使いのためなのか!?
 10月15日、自・公政権は、臨時閣議で2019年10月に消費税率を8%から更に10%へ再々増税すると表明した。その上で、再々増税による消費の落ち込みを防ぐための対策として、クレジットカードなどキャッシュレス決済を使った消費者へのポイント還元措置の他、低所得層を対象としたプレミアム付き商品券の配布などを検討するとしている。年末までの予算折衝の過程で、自・公両党内で検討される。
 1、増税は政権与党、それに忖度する官僚の無駄使いのためか!
 今回、自・公政権が‘消費増税は消費を落ち込ませる’ことを公認した形となったが、増税をしておきながら、何故低所得層を対象としてプレミアム付き商品券(金券)をばらまく無駄をするのだろうか。訳が分からない。
 そもそも低所得層でもクレジットカードなどを持っている人もいるだろう。それ以上に、全体として低所得層は、所得税も住民税も払ってない上、社会福祉の最大の受益者であり、その低所得層に更にプレミアム付き商品券を何故ばらまかなくてはならないのか。この金券を作るためには、1人5,000円のプレミアムを付ける上、更に印刷代と人件費が掛かるので、可なりの税金を使うことになる。一方で増税をし、他方で税金の無駄使いをするのは国民の利益に反する。
このような税金の無駄使いをするのであれば、更なる増税などしない方がましだろう。
従来地方振興券など、特定の地域や低所得層を対象とした金券の配布は、公明党が提案しているが、公明党の支持基盤である創価学会の底辺層は低所得層が占めていることから、党の支持者の多くが受益者となる。このようなばらまき対策は、明年7月頃に予定されている参議院議員選挙の年に行われることになるので、自・公両党とも票を獲得する材料となる。いわば票の官製買収とも言えるので、政治的にも公正を欠き、非常に望ましくない。
 こんなことをするのであれば、国民としては物を極力買わないように節約するしかないのだろう。

 2、政府、中央銀行のインフレ・ターゲット、金融垂れ流しは賞味期限切れ!
 このような中で、中銀は未曽有の金融緩和を継続する一方、預金者や銀行経営にとってはゼロ金利以上の打撃となるマイナス金利を続けるという不合理な政策を長期化させ、2%のインフレ・ターゲットを設定することにより‘デフレからの脱却’を目標としている。
しかし‘2%のインフレ・ターゲット’は達成できる見通しが暗い上、更に2019年10月には消費税の10 % への再々増税を実施しようとしている。消費者へのポイント還元措置や低所得層を対象としたプレミアム付き商品券の配布など、こそくな措置をとっても、政権側が認めている通り、‘2%のインフレ・ターゲット’の見通しが暗い中で、消費へのマイナス効果が重なるので、中銀の目標達成は困難な見通しであり、いわば賞味期限切れの状態と言えよう。
他方、米国を中心として、欧米は2008年9月のリーマン・ショック後の長期にわたる金融緩和、信用増発の正常化を実施している。長期金利も上がっている。少なくても中銀総裁グループは早期に交代すべき時期であろう。
政府、中銀が賞味期限切れとなった‘2%のインフレ・ターゲット’を先送りし、国内的にも国際的にも弊害が顕著なマイナス金利を含む超金融緩和策をさらに長期に続けることは、国民の利益にはならず、また国際的潮流に逆行する。それを続けることは、国民に無駄と負担を掛けるだけの延命策にしかならないようだ。もっとも保守政治においては、保身と問題先送りが常であるので、政権が変わるまで何事も先送りされるのだろうか。国民も消費を節約するしかなさそうだ。

3、国民の懸念はむしろ政府支出の中身と無駄な使い方
消費増税関連法の第一条で、“税制の抜本的な改革の一環として、社会保障の安定財源の確保及び財政の健全化を同時に達成することを目指す観点から、消費税の使途の明確化及び税率の引上げを行う”とし、消費税の収入については、”毎年度、年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する経費に充てるものとする”ことを明記している。
要するに消費税増税の目的は、” 社会保障の安定財源の確保”と”財政の健全化の同時達成”の2つであり、公共事業や低所得者への給付などではない。もし増税の相当分を公共事業や低所得者への給付等に当てることができるのであれば、そもそも” 社会保障の安定財源の確保”のためと称して、8%、10%への消費増税を行う必要はなかったのではないか。
政府、財政当局の行っていることは不誠実である以上に、消費増税関連法の第一条の趣旨に反する。国民は、増税分は、年金、医療を含む社会保障の充実と財政の健全化であった。国民は、増税を容認したが、歳出面の内容には満足していない。
消費増税により社会保障のための財源を確保しておいて、それで浮いた財源で税を選挙対策のために使い放題という魂胆であったということか。余りにもご都合主義の説明振りとなり、良く言えば国民を愚弄している、悪く言えば国民を騙していることになる。もう一つ不誠実なのは、消費増税を重ねておきながら、社会保障の改善や財政の健全化を行わず、消費税相当部分に社会保障関連費をすべて集中し、それで一般財源を浮かして、景気対策やバラマキの無駄な支出を継続していることだ。だから社会保障関連費が窮屈になり、年金などが実質的に圧迫され、切り込まれている。消費増税関連法では、社会保障関連費は‘消費税のみで賄う’とはされていない。
更に、消費増税の2%相当分を社会保障のための財源以外に流用できるのであれば、もう一つの目的である”財政の健全化”のために、借り換えを含む新規国債の発行抑制や繰り上げ償還により国債負担を軽減すれば、”財政の健全化”のために寄与することになる。そうすれば既に毎年10兆円を越える利支払い負担も減少し、その分財政にも余裕が出てくることになる。それが何故出来ないのか。本来であれば、消費増税法の目的に沿ってそうすべきであろう。そうでなければ法律違反にもなる。国民は、増税するのであれば、年金、医療を含む社会保障の充実と、財政の健全化に支出されることを期待している。
4、政府(議会、裁判所を含む)と地方公共団体に求められる人件費を含む管理費などの節減
国民が消費増税に納得していない理由は、社会保障の改善、充実や財政健全化に増税分が使われていないこと以外にもう一つある。
消費税を2019年10月に10%に増税しても、社会保障の充実や政府が目標とする財政黒字化が困難というのであれば、まず歳出を節減するしかないであろう。財務省や政府税調、党税調などは、‘財源不足’となると‘増税’を検討するが、歳出節減も重要な財源であると共に、財政破綻と膨大な借金を抱えている場合は、歳出の節減は不可欠だ。
 どの民間企業にしても、どの団体にしても長期間赤字が続き、膨大な借金を抱えていれば、まずコスト削減する。特殊法人や独立行政法人を含む行政組織は例外とでも言うのだろうか。逆にそのコスト感覚の無さが行政機関の最大の問題なのだろうが、同時に行政機関は経済や経営を分かっていない集団であり、また内閣も同様ということを物語っているとも言えよう。いずれにしても、現政権が歳出節減に着手しないようでは、経済や国家経営への理解や誠意が欠けていると見られても仕方がないであろう。
(2018.11.11.)
 10月15日、自・公政権は、臨時閣議で2019年10月に消費税率を8%から更に10%へ再々増税すると表明した。その上で、再々増税による消費の落ち込みを防ぐための対策として、クレジットカードなどキャッシュレス決済を使った消費者へのポイント還元措置の他、低所得層を対象としたプレミアム付き商品券の配布などを検討するとしている。年末までの予算折衝の過程で、自・公両党内で検討される。
 1、増税は政権与党、それに忖度する官僚の無駄使いのためか!
 今回、自・公政権が‘消費増税は消費を落ち込ませる’ことを公認した形となったが、増税をしておきながら、何故低所得層を対象としてプレミアム付き商品券(金券)をばらまく無駄をするのだろうか。訳が分からない。
 そもそも低所得層でもクレジットカードなどを持っている人もいるだろう。それ以上に、全体として低所得層は、所得税も住民税も払ってない上、社会福祉の最大の受益者であり、その低所得層に更にプレミアム付き商品券を何故ばらまかなくてはならないのか。この金券を作るためには、1人5,000円のプレミアムを付ける上、更に印刷代と人件費が掛かるので、可なりの税金を使うことになる。一方で増税をし、他方で税金の無駄使いをするのは国民の利益に反する。
このような税金の無駄使いをするのであれば、更なる増税などしない方がましだろう。
従来地方振興券など、特定の地域や低所得層を対象とした金券の配布は、公明党が提案しているが、公明党の支持基盤である創価学会の底辺層は低所得層が占めていることから、党の支持者の多くが受益者となる。このようなばらまき対策は、明年7月頃に予定されている参議院議員選挙の年に行われることになるので、自・公両党とも票を獲得する材料となる。いわば票の官製買収とも言えるので、政治的にも公正を欠き、非常に望ましくない。
 こんなことをするのであれば、国民としては物を極力買わないように節約するしかないのだろう。

 2、政府、中央銀行のインフレ・ターゲット、金融垂れ流しは賞味期限切れ!
 このような中で、中銀は未曽有の金融緩和を継続する一方、預金者や銀行経営にとってはゼロ金利以上の打撃となるマイナス金利を続けるという不合理な政策を長期化させ、2%のインフレ・ターゲットを設定することにより‘デフレからの脱却’を目標としている。
しかし‘2%のインフレ・ターゲット’は達成できる見通しが暗い上、更に2019年10月には消費税の10 % への再々増税を実施しようとしている。消費者へのポイント還元措置や低所得層を対象としたプレミアム付き商品券の配布など、こそくな措置をとっても、政権側が認めている通り、‘2%のインフレ・ターゲット’の見通しが暗い中で、消費へのマイナス効果が重なるので、中銀の目標達成は困難な見通しであり、いわば賞味期限切れの状態と言えよう。
他方、米国を中心として、欧米は2008年9月のリーマン・ショック後の長期にわたる金融緩和、信用増発の正常化を実施している。長期金利も上がっている。少なくても中銀総裁グループは早期に交代すべき時期であろう。
政府、中銀が賞味期限切れとなった‘2%のインフレ・ターゲット’を先送りし、国内的にも国際的にも弊害が顕著なマイナス金利を含む超金融緩和策をさらに長期に続けることは、国民の利益にはならず、また国際的潮流に逆行する。それを続けることは、国民に無駄と負担を掛けるだけの延命策にしかならないようだ。もっとも保守政治においては、保身と問題先送りが常であるので、政権が変わるまで何事も先送りされるのだろうか。国民も消費を節約するしかなさそうだ。

3、国民の懸念はむしろ政府支出の中身と無駄な使い方
消費増税関連法の第一条で、“税制の抜本的な改革の一環として、社会保障の安定財源の確保及び財政の健全化を同時に達成することを目指す観点から、消費税の使途の明確化及び税率の引上げを行う”とし、消費税の収入については、”毎年度、年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する経費に充てるものとする”ことを明記している。
要するに消費税増税の目的は、” 社会保障の安定財源の確保”と”財政の健全化の同時達成”の2つであり、公共事業や低所得者への給付などではない。もし増税の相当分を公共事業や低所得者への給付等に当てることができるのであれば、そもそも” 社会保障の安定財源の確保”のためと称して、8%、10%への消費増税を行う必要はなかったのではないか。
政府、財政当局の行っていることは不誠実である以上に、消費増税関連法の第一条の趣旨に反する。国民は、増税分は、年金、医療を含む社会保障の充実と財政の健全化であった。国民は、増税を容認したが、歳出面の内容には満足していない。
消費増税により社会保障のための財源を確保しておいて、それで浮いた財源で税を選挙対策のために使い放題という魂胆であったということか。余りにもご都合主義の説明振りとなり、良く言えば国民を愚弄している、悪く言えば国民を騙していることになる。もう一つ不誠実なのは、消費増税を重ねておきながら、社会保障の改善や財政の健全化を行わず、消費税相当部分に社会保障関連費をすべて集中し、それで一般財源を浮かして、景気対策やバラマキの無駄な支出を継続していることだ。だから社会保障関連費が窮屈になり、年金などが実質的に圧迫され、切り込まれている。消費増税関連法では、社会保障関連費は‘消費税のみで賄う’とはされていない。
更に、消費増税の2%相当分を社会保障のための財源以外に流用できるのであれば、もう一つの目的である”財政の健全化”のために、借り換えを含む新規国債の発行抑制や繰り上げ償還により国債負担を軽減すれば、”財政の健全化”のために寄与することになる。そうすれば既に毎年10兆円を越える利支払い負担も減少し、その分財政にも余裕が出てくることになる。それが何故出来ないのか。本来であれば、消費増税法の目的に沿ってそうすべきであろう。そうでなければ法律違反にもなる。国民は、増税するのであれば、年金、医療を含む社会保障の充実と、財政の健全化に支出されることを期待している。
4、政府(議会、裁判所を含む)と地方公共団体に求められる人件費を含む管理費などの節減
国民が消費増税に納得していない理由は、社会保障の改善、充実や財政健全化に増税分が使われていないこと以外にもう一つある。
消費税を2019年10月に10%に増税しても、社会保障の充実や政府が目標とする財政黒字化が困難というのであれば、まず歳出を節減するしかないであろう。財務省や政府税調、党税調などは、‘財源不足’となると‘増税’を検討するが、歳出節減も重要な財源であると共に、財政破綻と膨大な借金を抱えている場合は、歳出の節減は不可欠だ。
 どの民間企業にしても、どの団体にしても長期間赤字が続き、膨大な借金を抱えていれば、まずコスト削減する。特殊法人や独立行政法人を含む行政組織は例外とでも言うのだろうか。逆にそのコスト感覚の無さが行政機関の最大の問題なのだろうが、同時に行政機関は経済や経営を分かっていない集団であり、また内閣も同様ということを物語っているとも言えよう。いずれにしても、現政権が歳出節減に着手しないようでは、経済や国家経営への理解や誠意が欠けていると見られても仕方がないであろう。
(2018.11.11.)
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インフレターゲット2%は賞味期限切れ、必要になった政策転換ー再掲

2019-04-27 | Weblog
インフレターゲット2%は賞味期限切れ、必要になった政策転換ー再掲
 総務省は、2月17日、2016年の総世帯の家計調査の結果として、1世帯当たりの消費支出(平均24万2千円/月)が実質で前年比1.8%減となったことを公表した。前年割れは3年連続で個人消費の不振が長期化している。
 中央銀行は、2013年1月から、インフレターゲットを2%とし‘異次元の通貨供給の量的緩和’を実施し、デフレマインドを払拭し、経済成長を促す政策をとって来た。1世帯当たりの消費支出の前年比実質1.8%減、そして3年連続の前年割れは、インフレターゲット2%目標の破たんを意味する。インフレターゲット2%を目標とする量的緩和は、アベノミクスの第一の矢であり、同時に第二の矢である円安を誘導するものであるので、アベノミクス自体が成果を出しておらず、破たん状態となっていることを意味する。財政再建と言いながら、予算節減は行わず、補正予算に赤字国債まで使っている。
 また2016年前半に、中銀が窮余の策としてマイナス金利を導入したが、それで進んだのは借り入れの切り替えであり、貸し出しは進んでおらず、逆に預金者のデフレ感を煽ると共に、金融機関の収益を圧迫するなど、逆効果となっている。更に、米国が一昨年より金利引き上げを含む金融、通貨の正常化に向かおうとしている時期に、日本がマイナス金利を導入することは米国の動きに逆行する政策と言える。黒田中銀総裁は、意地でもこれまでの金融、通貨政策の継続を主張するであろうが、日本も金利の正常化が必要になっている。そもそも同総裁は、法学部出身の財務官僚であり、実体経済を知らず、法律や規則を定めれば物事が規制できると考えているのではなかろうか。
 アベノミクスは4年を経過して目標を達成出来ないばかりか、言葉や説明とは反対に、事実上破たんし、デフレ下の景気停滞であるスタグフレーションに入っていると言えそうだ。金融政策頼みの景気対策には限界があり、実体経済は各種規制に縛られ停滞しており、これまでの政策を継続しても好転は望めそうもない。政策の抜本的転換と消費者、国民の年金給付減や医療・介護などへの負担感と世代横断的な将来不安への真摯な対応が望まれる。(2017.2.19.)(All Rights Reserved.)
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‘皇居’を京都御所に戻すべきこれだけの理由!!

2019-04-27 | Weblog
シリーズ平成の本音―‘皇居’を京都御所に戻すべきこれだけの理由!!
 政府は2019年4月30日の現天皇の退位、5月1日の新天皇の即位を経て、同年10月22日に新天皇の「即位礼」を実施する方針を決定し、準備が進められている。
 即位の礼についても、詳細は明らかにされていないが、式典に使用される「高御座(たかみくら)」が保管されている京都御所で解体させたうえ東京に輸送された。それだけに掛かる費用が、総重量8トンの解体・輸送経費などで9億円と言われているが、平成天皇同様、新天皇の即位の礼が東京で行われ、江戸城址内にある‘皇居’に住まわれ続けるのであろうか。
 即位の礼は、伝統に基づき、明治天皇はもとより、大正天皇、昭和天皇も京都御所で行われている。天皇は、明治維新後、江戸幕府が無血開城した江戸城内に‘皇居’を新設し、京都御所からそこに移り住まわれている。それは徳川将軍派の再起を封じ込める意味と米欧列強の介入を抑止する上で必要であったと思われる。第2次世界大戦後も、昭和天皇は江戸城址内の皇居に留まった。これは、米国を中心とする連合軍が進駐し、皇居のある江戸城跡内に連合指令本部が置かれることを防ぐためにも止むを得ない措置であったと考えられる。
 昭和天皇崩御後、平成天皇はそれを継承したが、現在は米軍の進駐はもとより考えられず、また国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に留まっている必要はなくなっているのではないだろうか。即位の礼が東京で行われたのは、平成天皇が歴史上唯一の例外となっている。
 むしろ新憲法の下の新時代においては、伝統に沿って天皇は京都御所に復帰され、江戸城址は国民に開放すべきであり、その理由は次の通りである。
 1、歴史上最も平安な現在、天皇が江戸城址に留まる必要はなくなった
 明治維新となり天皇は京都御所から江戸城内に移り住んだが、上記の通り、明治維新直後や戦後直後と異なり、今日国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に陣取っている必要はなくなっていると言えよう。
 新天皇は、歴史に則って京都御所に復帰することが望ましい。天皇が国民統合の象徴であることは認識されているので、京都におられても問題はない。それ以上に関西及び西日本の人々にとっては喜ばしく、誇りにもなることであろう。無論、京都御所には必要な改修等を行った上である。
 天皇のご公務については、憲法上国事行為として10項目掲載されているが、必要な時には東京等、必要な場所に赴くことは交通事情が飛躍的に向上している今日では問題ない。また東京に滞在し、或いは一定の期日東京での公務が必要な時は、赤坂の迎賓館(赤坂離宮)を所定の改築をし、そこで執務、宿泊されればよい。現在赤坂の迎賓館は、年数回しか使用されておらず、著しい無駄になっており、その活用を真剣に考える時期であろう。日本は、少子超高齢化の本格化を迎え、税負担人口が減少する一方、国民総所得の2倍に当たる1,000兆円を超える公的債務を抱え、これが年金支給額の実質削減と並んで国民の将来不安の大きな原因になっている。国家や地方公共団地が無駄な施設や土地を抱えている余裕はなく、無駄を無くしていくことが不可欠になっている。

 2、旧帝国憲法の下での’皇居’の存在は現行憲法の下では時代錯誤
 戦後日本においては、旧帝国憲法に代わり、新憲法が制定され、主権は国民にあり、いわば大政は国民に奉還されているので、国民の偉大な歴史的、文化的遺産である江戸城跡に‘皇居’を置いておく必要性はもはやなく、江戸城址を国民に奉還することが望ましい。それ以上に明治維新は過去のものとなり、天皇専制は終わり新憲法になっても江戸城址を‘皇居’により封じ込めて置くことは不適当とも言える。‘皇居’、‘皇居’と言われ、そのような先入観があるようだが、江戸城址なのである。
 そのようにすることが、日本の歴史に沿うことになると共に、東西の文化的、社会的なバランスが回復し、東西のバランスある発展が望めるのではなかろうか。

 3、日本や世界にとっての偉大な歴史遺産、江戸城址は国民に開放すべき
 江戸城を中心とする江戸の人口は、幕府が発足した17世紀初頭には15万人程度と言われているが、18世紀初頭には100万人を超えたと考えられている。
人口はロンドン(1801年約 86万人)、パリ(同約 54万人)と比較しても世界一の大都市であったと推定されている。文化的にも、参勤交代により地方の文化も持ち込まれ、多様性があり、また版画や日本画、歌舞伎、相撲そして魚市場など、欧州でも評価される高い文化が華を開いた。
 その中心が江戸城であり、江戸文化は東京だけの歴史、文化遺産ではなく、日本の、そして世界の文化遺産と言えるので、それを再評価し、人々に開放し、可能な範囲で復元、保存して行くことが望まれる。江戸城址は世界有数の観光資源となるであろう。またそれに関連する城外の江戸時代の遺跡を加えると更に豊かな歴史文化遺産となろう。

 4、首都圏直下地震等の大規模災害等に備え、天皇の京都御所復帰が望ましい
 首都圏直下地震等の大規模災害の発生は現実のものとなりつつあり、各種の、緊急対策が検討されているが、それでも自然災害や何らかの不測の事態が想定の範囲を超える可能性も念頭に入れて置く必要があろう。そのような首都圏緊急事態への対応の一環として、伝統に則り天皇の居所を京都御所に戻しておくことが望ましい。そのような緊急事態の際、立法、行政、司法の政府機能が打撃を受けるが、象徴たる天皇をも巻き込むことを避けるため、皇居の京都御所復帰を真剣に検討すべきであろう。天皇が京都御所に復帰される場合の対応については、上記1.の通りであり、十分対応可能であると共に、江戸城址の国民への開放や赤坂御所の有効活用などの可能性が広がり、有益であろう。
東京への一極集中を是正し、地方都市の活性化を図るため、従来型の地方への助成金などでは限界的な効果しか期待できず、もっと抜本的なシステムの転換を図らなければ達成できないことは明らかだ。戦後の歴代政権の施策では地方の活性化を実現出来なかったばかりか、逆に東京への集中を招き、地方の人口減や限界集落の増加が加速していることからも明がだ。抜本的な転換が望まれる。
(2018.10.15.)(Copy Rights Reserved.)
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新天皇即位の礼を京都御所で何故行わないのか!!

2019-04-27 | Weblog
シリーズ平成の本音―新天皇即位の礼を京都御所で何故行わないのか!!
 政府は2019年4月30日の現天皇の退位、5月1日の新天皇の即位を受けて、同年10月22日に新天皇の「即位礼」を実施する方針を決定した。即位の礼の詳細については明らかにされていないが、式典に使用される京都御所に保管されている「高御座(たかみくら)」が解体させたうえ東京に輸送された。総重量8トンで、解体・輸送経費9億円とも言われている。
1、新天皇の「即位礼」を京都御所で行い、居所とすることが望ましい
「高御座(たかみくら)」が玉座として新天皇の即位の礼に必要か否かは疑問
の残るところではあるが、古式に則るというのであれば何故京都御所で挙行しないのか。「高御座」を何故解体までして京都御所から東京まで持ち出すのか。
 歴史的に天皇は奈良、京都に都を築き、京都御所も京都に現にある。維新を迎えた明治天皇はじめ、大正天皇はもとより昭和天皇も即位の礼は京都御所で行っている。
 現平成天皇については、昭和天皇ご崩御に伴う即位であり時間的な余裕もなく、また新憲法の下での初めての天皇の交代でもあり経験不足等であったため、一連の即位式を東京で行った。当時の問題としては、一部過激派グループに対する警備上の問題があったとされている。しかし今日では治安情勢は改善していると共に、警備力も向上していると思われるので、即位の礼は本来の歴史に則り京都御所で行うことが望ましい。歴史的に、東京で挙行された平成天皇の即位の礼は唯一の例外である。
 一部には即位の礼には外国要人が多く招待される可能性があるので、京都には宿泊施設が不十分との意見もあるようだ。京都は、外国要人が頻繁に訪問する国際的な観光都市であり、また近接する大阪等の宿泊施設や関西空港や新幹線の存在を考慮すると、京都に難癖をつけているに等しい。
 また現行憲法上天皇は国家元首ではなく、あくまでも国民の統合の象徴であり、対外的に日本を代表するものではない。主権は国民にあり、国民が選んだ国会で指名された首相が対外的にも日本を代表する実務上の元首と言えよう。従って国民的、国内的行事である即位の礼には、全世界から元首級を招待する必要はなく、在京の各国政府の代表である大使の他、日本皇室と緊密な関係がある王室等のある諸国からの国王、王女などの招待を中心にするなど、簡略化も可能であろう。
 
 2、‘皇居’の京都御所への復帰と江戸城址の国民への奉還
 (1)‘皇居’の京都御所への復帰
 尊王攘夷派の江戸幕府との抗争は、江戸城の無血明け渡しという形で決着し、明治維新となり天皇は京都御所から江戸城内に移り住んだ。それは将軍派の再起を抑える意味と米欧列強の介入を抑止する上で必要であったと思われる。
 また1945年8月に日本が無条件降伏をした後も、昭和天皇は江戸城内の皇居に留まった。これは、米国を中心とする連合軍が進駐し、皇居のある江戸城内に連合指令本部が置かれることを防ぐためにも止むを得ない措置であったと考えられる。
昭和天皇崩御後、平成天皇はそれを継承したが、現在は米軍の進駐はもとより考えられず、また国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に留まっている必要はなくなっていると言えよう。
新天皇は、歴史に則って京都御所に復帰することが望ましい。天皇が国民統合の象徴であることは認識されているので、京都におられても問題はない。それ以上に関西及び西日本の人々にとっては歴史的にも地理的にも喜ばしく、誇りにもなることであろう。無論、京都御所には必要な改修等を行った上である。
天皇のご公務については、憲法上国事行為として10項目掲載されているが、必要な時には東京等、必要な場所に行くことは交通事情が飛躍的に向上している今日では問題ない。また東京に滞在し、或いは一定の期日東京での公務が必要な時は、赤坂の迎賓館(赤坂離宮)を所定の改築をし、そこで執務、宿泊されればよい。現在赤坂の迎賓館は、年数回しか使用されておらず、著しい無駄になっており、その活用を真剣に考える時期であろう。日本は、少子高齢化の本格化を迎え、税負担能力が低下する一方、国民総所得の2倍に当たる1,000兆円を超える公的債務を抱え、これが年金の削減と並んで国民の将来不安の大きな原因になっている。

(2)江戸城址の国民への奉還と東西の文化的バランスの回復の必要性
 江戸城は、欧米列強が開国を狙う中、天皇を戴いた薩長土肥の尊王攘夷派が徳川幕府を倒し、勝海舟と西郷隆盛との協議の末、戦火を交えることなく徳川幕府が江戸城を明け渡し、江戸を戦火から守ると共に、欧州列強の介入を招くことなく、1868年に明治維新を迎えた経緯がある。
従って江戸城は、東京の前身である江戸と共に内戦で破壊されることなく引き継がれ、城内に‘皇居’が建設され、天皇が京都御所から移り住んだ。皇居のある江戸城は、第2次世界大戦においても米国による東京への絨毯爆撃の対象から除外され、焼失した大手門を除き、幸運にもその歴史的な姿が維持された。
江戸城を中心とする江戸の人口は、幕府が発足した17世紀初頭には15万人程度と言われているが、18世紀初頭には100万人を超えたと考えられている。人口はロンドン(1801年約 86万人)、パリ(同約 54万人)と比較しても世界一の大都市であったと推定されている。文化的にも、参勤交代により地方の文化も持ち込まれ、多様性があり、また版画や日本画、歌舞伎、相撲そして魚市場など、欧州でも評価される高い文化が華を開いた。
その中心が江戸城であり、江戸文化は東京だけの歴史遺産ではなく、日本の、そして世界の文化遺産と言えるので、それを再評価し、可能な範囲で復元、保存して人々に開放することが望まれる。
現状でも江戸城址は、内郭(主要建物を含む内堀内)でも東西2.3km、南北1.8kmで、周囲約7.8kmに及ぶ広大なもので、主要な門や周囲の石垣や建築物は重厚で、正に日本最大の城址を思わせる。また明治維新に向けての内戦を回避し、大手門以外は第2次世界大戦末期の爆撃からも逃れたため、城址内の植物や鳥、昆虫などは江戸時代以来の大変貴重な自然遺産だ。江戸城址内に江戸が残っていると言っても過言ではない。それを保全すると共に、江戸を象徴する江戸城址を保全し、文化遺産、自然遺産として公開することが望ましい。それは世界に誇れる貴重な観光資源ともなり、大きな経済効果も期待出来る。(江戸城址再興の詳細は、別掲「皇位継承は新時代にふさわしい簡素で親しみやすく」の4.を参照。)
明治維新後、江戸城は旧帝国憲法の下で、専制君主としての天皇のお住まいとして使用され、‘皇居’と呼ばれているが、それにより世界に誇れる大変貴重な歴史的な遺産江戸城が隠れてしまう結果となっている。
戦後日本においては、旧帝国憲法に代わり、新憲法が制定され、主権は国民にあり、いわば大政は国民に奉還されているので、国民の歴史的、文化的な財産である江戸城に‘皇居’を置いておく必要性はもはやなく、江戸城址を国民に奉還することが望ましい。そのようにすることが、日本の歴史に沿うことになると共に、東西の文化的、社会的なバランスが回復し、東西のバランスある発展が望めるのではなかろうか。(2018.10.6.)(Copy Rights Reserved.)
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