印刷図書館倶楽部ひろば

“印刷”に対する深い見識と愛着をお持ちの方々による広場です。語らいの輪に、ぜひご参加くださいませ。

銀塩写真、活版印刷に続く 転写陶器印刷「ブルーウィロー」の国内ルーツ・長崎

2017-03-08 16:47:15 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 番外編-1
印刷コンサルタント 尾崎 章


長崎市内の印刷会社に対する技術サポートで頻繁に長崎を訪れた経緯がある。
大型システム納入時には、土日を挟んだ長期対応となり休日には「長崎市内ぶらぶら歩き」の機会も増加することになる。2000年初頭の休日にカステラで高名な「文明堂総本店」前を通った際にウィンドウに飾られている「オランダ焼」と書かれた「ブルーウィロー」の大皿に目が止まり店内で展示の経緯を聞いたことがある。

同店からは「創業当時からの保有」「購入経緯は不明」「定期的に展示している」との説明を受けている。
17世紀以降、鎖国状況にあった日本は、欧州との交易窓口を長崎・出島に限定したことは周知の通りで駐在したオランダ商館員からオランダ・マストリッヒ市で製造された磁器が出島の外に持ち出されており、これらの磁器は「オランダ焼」として幕府役人及び富裕層に貴重品扱いされた経緯がある。
この「オランダ焼」を代表する絵柄が「ブルーウィロー」である。


近代文明のルーツ・長崎(大浦天主堂)



文明堂総本店のブルーウィロー 





中国から欧州へ輸出された景徳鎮磁器の人気絵柄「ウィローパターン」


18世紀初頭、中国・景徳鎮製の磁器が大量に欧州諸国に輸出された経緯がある。
磁器製作法を会得できない当時の欧州諸国は、中国より輸入した精巧な磁器に憧れ、ステータスシンボルとして扱われていた。
中国磁器・ディナーセットの代表的絵柄としては、中国の山水画で「ウィローパターン」と呼ばれた悲恋物語を描いたデザインを挙げることが出来る。
「ウィローパターン」は、中国高級官僚の娘「クーン・セ」と地方役人の子息「チャン」の悲恋物語で、
①娘の交際を嫌ったクーン・セの父親が娘を塀で囲った楼閣に閉じ込める。
②二人の仲に好意的な使用人の手助けにより駆け落ちを行い、橋の上を追手から逃げる。
③二人は、小舟で沖合の島に脱出するが追手に迫られて入水自殺
④二人を悲しんだ神によって鳥に姿を変えた二人が天空を飛翔するストーリーである。
この「柳、楼閣、塀、橋、島、船、鳥」を配した山水画は人気が高く高級食器の絵柄として長く定着する事になる。
  
 
オランダ・マストリッヒのブルーウィロー





英国で考案された銅版転写陶器印刷


1780年に英国人・トーマス・ターナーによって銅板転写陶器印刷が実用化されると、精密な絵柄の大量生産が可能となり、イギリスに続いてオランダも銅板転写陶器印刷に追随・参入を開始している。
コバルトブルーを使用した銅板転写陶器印刷は、人気のウィローパターンを主力の絵柄としては採用したことより「青い柳・ブルーウィロー」と呼ばれ、ミントン、スボード、ウェッジウッド等のメーカーが「ブルーウィロー」磁器を生産、急速な普及を見せている。

江戸時代末期に日本国内に輸入された「ブルーウィロー」は、当時の幕府より交易を許されたオランダ製品に限られ、オランダ・マストリッヒ市の陶磁器会社:ペトルス・レグー社の製品が多く見られている。前述の文明堂総本店のオランダ焼「ブルーウィロー」もマストリッヒのペトルス・レグー社で生産されたものと推察することが出来る。
同社は日本が開国した4年後の1858年より日本向けの本格輸出を開始、小皿、ケーキ皿、ディナーセット等が長崎・出島を経由して日本に持ち込まれている。「ブルーウィロー」は、日本の・山水画に似通っていた事もあり、輸出の主力製品になったことが記録されている。
現在でも、長崎市内・めがね橋に近い古川町周辺の骨董店でオランダ・マストリッヒ製の「ブルーウィロー」を数多く見かけることが出来る。

 

長崎・出島夜景



ブルーウィローを展示するめがね橋付近、古川町の古美術商





オキュパイド・ジャパンのブルーウィロー

日本国内でも明治時代に入ると銅板転写陶器印刷による陶器生産が開始され、絵柄もオランダ、イギリスに倣ってウィローパターンが用いられるケースが多々見られている。
しかしながら、生産技術が低く「類似品」レベルの品質に止まっていた。
国内の「ブルーウィロー」本格生産は、第二次世界大戦後にピークを迎え、米国向け輸出用として「OCCUPIED JAPAN」と記された製品が大量生産されて戦後復興期の外貨獲得に貢献した経緯がある。現在でも地方骨董商、古物店の片隅で500円程度の「OCCUPIED JAPAN」の「ブルーウィロー」を見かける事が多い。


戦後に国内生産されたブルーウィロー



オキュパイド ジャバンのブルーウィロー




現在も生産されているブルーウィロー

銅板転写陶器印刷の発祥地であるイギリスでは「ブルーウィロー」の人気が高く、ロンドンの大手デパート「ハロッズ」には「ブルーウィロー」のアンティーク品コーナーが設けられている。また、1970年より「ブルーウィロー」の生産を開始していた大手陶器メーカー・SPODE社は、「THE SPODE BLUE ROOM COLLECTION」として「ブルーウィロー」復刻版製品の生産・販売を開始している。この復刻版も上記「ハロッズ」で購入することが出来る。
国内では、創業1908年の大手陶器メーカーである㈱ニッコー(本社・石川県松任市)が「山水」シリーズと題して「ブルーウィロー」を生産、現在も生産を継続している。


イギリス・スポード社のブルーウィロー復刻品



国内・ニッコーのロングライフ製品・山水シリーズ




MADE IN OCCUPED JAPAN の カメラ

第二次世界大戦終了後の1945~1952年までの期間、敗戦国日本は連合国(GHQ)の占領下にあり、民間貿易は大きく制限されていた。民間貿易が再開された1947年からサンフランシスコ講和条約が発効する1952年迄の約5年間は輸出工業製品に「MADE IN OCCUPEID JAPAN」の明記が義務付けられていた。
対象製品には、前述の陶器製品、玩具、日用品そしてカメラ等を挙げることが出来る。
MOJマークと略された「MADE IN OCCUPIED JAPAN」カメラの代表例としては、コニカⅠ型(1947年 現コニカミノルタ)ミノルタ35・Ⅰ型(1947年 現コニカミノルタ)ミニヨン35(1949年 現トプコン)等を挙げることが出来る。


1947年発売のミノルタ35・Ⅰ型



ミノルタ35-Ⅰ型のMOJマーク




また、連合国駐留兵士向けの土産品を主要需要としたMOJマーク付き豆カメラも当該時期には数多く生産され、代表例としては小西六写真(現・コニカミノルタ)が生産したリーダーペーパー付16mmフィルムを使用する豆カメラ「スナッピー」、理研光学工業(現・リコーイメージング)の16mmフィルムカメラ「ステキー」等を挙げることが出来る。
いずれのカメラもカメラ底部または、軍艦部・トップカバーにMADE IN OCCUPIED JAPANと記されていた。
MOJマーク付き製品のコレクターは多く、特に製品数が少ないMOJカメラは人気が高い。また、1947年生まれの団塊世代・カメラマニアが「誕生年カメラ」として収集するケースもありと聞いている。

 
 1947年発売のコニカⅠ型



コニカⅠ型のMOJマーク
 


以上
          
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月例会報告 平成29年2月度

2017-02-22 13:17:58 | 月例会
[印刷]の今とこれからを考える 

        「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成29年2月度会合より)

●コミュニケーション・サービス・プロバイダーへの道

 印刷業がコミュニケーション・サービス・プロバイダーをめざすには、どのように対応しなければならないのだろうか。まずは、個々の印刷会社が進むべき事業領域をはっきりと自覚すべきである。誰しも包括的な総合サービス業をめざそうとするが、たんなる“何でも屋”に陥りやすいので要注意だ。そして、対象とする業界の事情や提供する商材の最終顧客(消費者)の特性を知り、その対象のどんな領域で事業展開していくつもりなのか、その領域でどのような価値を創造し提供していこうとしているのか、そこには、いかなる競合が存在し、どのような競争条件、差別化戦略、ポジショニングでやっていこうというのか。これらを明確に意識する必要がある。顧客に向けて独自の価値を提供できる自社の強みをしっかりと把握したうえで、競争のないブルーオーシャン市場で仕事をやっていけるようになれば、それに越したことはないのだ。


●コミュニケーションの基本方針を明確に決めよう

 次に、印刷業としてのコミュニケーションの基本方針を決めなければならない。コミュニケーションというと、ともすると直接の顧客企業との関係をスムーズにするために取り組むものと受け取られがちだが、そうではない。顧客と“顧客の顧客”である消費者とのつながりを密接にしてあげることを目的としたものでなければならない。顧客企業のマーケティング戦略を協創し支援するものである必要がある。重点とすべき基本方針として考えられるのは、①コミュニケーションを円滑にする市場情報の取得と分析、②コミュニケーションを促進するコンテンツ制作、③同じく印刷物はじめとする各種メディアの製作――などである。これらを上手に組み合わせて、マーケティング支援をベースとした価値あるサービスを提供していけばよい。その際には、販売促進に役立つマーケティング情報をしっかりと収集してほしい。そうでないと、たんなるデータ収集、たんなる印刷物製作に終わってしまう。


●マーケティング・サービス・プロバイダーへの道

 それでは、マーケティング・サービス・プロバイダーという視点で考えたらどうなるか? 最初にすべきは、もう一度、商売の本質を顧みてみることではないだろうか。自社の今月の売上げ、今期の利益、三カ年計画の達成などについ関心が行きがちだが、それよりも消費者や顧客がよく生きるための支援、さらには社会全体への貢献に目を向ける必要がある。いってみれば「どうやって買わせるか」より「どうしたら買っていただけるか」である。顧客視点といいながら、真の顧客起点にはなっていないのが現状なのだ。古来、日本には「顧客第一/社会貢献」という商道文化があり、功利と倫理をバランスよく昇華させてきた。価値創造を主眼とするマーケティング3.0の思想も、顧客にスタンスを置くべきことを指摘している。昨今、経営の世界で唱えられている①カスタマーエクスペリエンス(情と理に基づく顧客の購買経験や消費者の生活体験)②カスタマージャーニー(情報収集に始まり意思決定、購入、使用、廃棄に至る消費行動の満足・感動・感謝の道程)③エンゲージメント(顧客が抱いた商材に対する信頼感、共感・共鳴と次への期待)――マーケティングの着眼点はここにある。


●印刷会社はカスタマージャーニーを意識しよう

 その一つ、カスタマージャーニーの目的は、①顧客企業や消費者の購買・消費行動の各段階のなかに対話の機会を探ること、②顧客・消費者との対話から購買・消費活動を助けるマーケティング手段を見つけること、③顧客企業の商材開発・販売活動と消費者の購買・消費活動を結びつけること――にある。ここでいう対話こそが上記で考えたコミュニケーションそのもの。手段を通して顧客企業と消費者が双方ともお得と感じてもらうことになる。この対話からは、顧客を理解→必要とされる情報の提供→適切な案内→快い取引→満足な消費→信頼の獲得→関与・絆の強化→供給と需要の適正化→市場の創発→知識化→知恵化・文化の育成→企業と消費者に共生、といった望ましい流れが生まれてくる。この間には、多くの顧客接点が存在し、そのつど「4C」(顧客にとってのコスト、価値、利便性、対話)を最適化する情報活動が必要とされる。どんな手段でどの部分にサービスを提供するか。情報提供をお手伝いできる印刷会社がマーケティング・サービス・プロバイダーとなって、両者を取りもつことの意味は非常に大きいのである。 


●自社が得意とする身近なところからスタートしたい

 そうはいっても、最初から専門用語を並べて理想のかたちを論理的に組み立てたいと思っても、実際にはなかなか難しいものがある。全体を考えすぎると前には進めない。抽象的な理論倒れになりかねない。まずは、自分の足場を冷静にみる“虫の眼”を大切にし、そこから全体を見渡す“鳥の眼”で組み立てていくようにすると、ずっと取り組みやすくなる。自分の足場とは自社が得意とする事業領域であり、強みを発揮できる市場分野である。そこを出発点とすれば、めざしたい方向も明確になり、顧客への提案内容にも具体性が伴ってくるはずである。コンピュータシステムでマクロな市場情報を収集するといっても、中小企業には不可能に近い。それより、顧客を訪ねて直接、個別のニーズを聞き出しシステムに蓄えていくというやり方の方が手っ取り早い。日々のビジネスを展開していくうえで効果的でもある。印刷会社が得意とするところだ。身近なところに拠りどころがあることがよくわかる。


●自社の立ち位置をしっかり固めることが大切だ

マーケティング活動をおこなっていくとき、セグメンテーション(市場細分化)→ターゲティング(顧客の絞り込み)→ポジショニング(差別化した地位の確立)が教科書的な基本となっているが、ポジショニングの対象は自社の製品・サービスについてであることが多い。これを自社の事業領域・得意技と読み替え、セグメンテーションの前にもってくるべきだとする学説もある。特化した市場で事業をおこなう中小企業にとって、学ぶ価値のある考え方となっている。自社の立ち位置がしっかりしていないと、激変する経営環境の雪崩に根こそぎ流されてしまう。デジタル技術云々の前に、精神的な部分の強化が必要だろう。経営理念や長期的な経営方針が確立できていないと、環境変化に対応できない。危うい立地だと自覚したら、ポジショニング替えを急ぐ必要がある。経営ビジョンと経営戦略が明確であれば、経営資源やノウハウは自ずと強化される。市場のニーズをきっちり掴んでいる企業だけが素早く変身でき生き残れる。技術や品質のレベルを押し付けがましく“自己主張”する企業は、非常に脆いという事実を再認識したい。


●自ら現状を把握し将来あるべき姿を見通して……

印刷業に携わる一人ひとりがよりよい仕事を続けるために、気重にならずに気楽に、上からでなく横からの目線で、さらに自分たちを外からみて、進みたい領域がはっきりするようなダイアローグ(発展的・問題解決型・創発型対話)が業界内で起きたらよいと思う。印刷業者と認識している個々の企業が、いま一度、自分たちを自分の目と意思で過去から現在(As is)、これからのあるべき姿(To be)をよく見つめ直し、できること、頑張ればできそうなこと(Can be)をまとめ、業界全体で共有し実行することではないか。個々の印刷会社は、外からの周りの風に追いまくられることなく、まずはじっくりと、自社の現状と将来像に思いを巡らし、経営ビジョンを明瞭にすることが先決ではないか。自社の部門や商材の実績集計については皆熱心でも、外から横から診ることが疎かではないか。コンサルタントなどによる“上から目線”の提唱や業界組織の発信だけに頼らず、方向性や力点、留意点は十分参考にしつつも、それは、個別企業の戦略や施策を策定してくれるものではないことを認識し、個々の印刷会社は自ら自社をよくみて、自らの戦略や施策、具体策を文字どおり自ら判断すべきなのである。

以上 

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広末涼子さんのマミヤスケッチ、織作峰子さんのミノルタオートコード、美人が保有する正方形画面カメラの魅力

2017-02-13 11:15:18 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
広末涼子さんのマミヤスケッチ、織作峰子さんのミノルタオートコード、美人が保有する正方形画面カメラの魅力

印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-28
印刷コンサルタント 尾崎 章


1839年にフランスの化学者・ダゲールが考案した銀塩写真法・ダゲレオタイプは、正方形ピントグラスを付けた組み立て式の木製暗箱型カメラを標準仕様としていた。
1900年に米国・コダック社が発売した6×6cm判・6枚撮りカメラ「ザ・ブローニー」は、小型正方形の反射型ファインダーを内蔵、ファインダーで被写体及び画面構成を確認して撮影する「今日の撮影概念」が創生される展開に至っている。
また、「ザ・ブローニー」のファインダーが正方形であった事も起因して縦位置・横位置を意識せずに撮影できる「スクエアサイズ」カメラが定着する契機造りが行われている。
スクエアサイズは、光学的にレンズが形成するイメージサイクルを最も効率的に使用できるメリットが有り6×6判の「四角い画面」は、1933年発売のローライ二眼レフによる二眼レフブームも加わり「標準的な中判フォーマット」として世界に定着することとなった。


コダック ブローニー・フラッシュⅡ




ローライが創生した6×6二眼レフ市場

1929年、ドイツ・フランケ&ハイデック社が初の二眼レフ「ローライフレックス」(117フィルム・8枚撮り)を発売、続いて1933年には普及型二眼レフ「ローライコードⅠ型」を発売して高い市場評価を得ることに成功している。これ以降「二眼レフの王道」を同社は歩み続ける事となった。
国内の6×6判・二眼レフ展開は、1937年は発売された「ミノルタフレックス」(モルタ合資会社→千代田光学→ミノルタカメラ)と「プリンスフレックス」(深田商会)が最初の製品とされている。
第二次世界大戦終了後には光学兵器生産から民需に転換した光学企業からの二眼レフ生産が相次ぎ、特に構造が簡単な二眼レフは「四畳半企業」と呼ばれた家内工業的な企業からの製品も加わり80社以上の企業から100種を超える二眼レフが製品化されたとされている。
アルファベット26文字のうち、「J」「U」「X」以外の頭文字製品があった二眼レフは1957年には年間生産台数が37万台を超えたことが記録されている。
国内二眼レフのヒット製品は、1950年発売の「リコーフレックスⅢ」(理研光学→リコーイメージング)で、本体価格5800円の価格メリットもあり大ヒット製品となり戦後の写真文化発展に大きく貢献している。
二眼レフの国内最終製品は、「ヤシカ124G」(ヤシカカメラ)で1988年に販売を終了、発売20年のロングセラー製品の販売終了と共に国内二眼レフ市場は幕を閉じている。


リコーフレックス 
 


国産最終二眼レフ・ヤシカマット124G





美人写真家・織作峰子さんが牽引するミノルタオートコード二眼レフの中古市場

美人写真家として人気の織作峰子さんが雑誌の愛機紹介で「ミノルタオートコードcds」を度々採り上げた事から中古カメラ市場で同機の人気が一層高まり、市場価格も発売当時価格34.000円の1.5~2倍レベルに高騰する状況が続いている。
1981年のミスユニバース日本代表に選ばれた織作峰子さんは写真家を目指して1982年に写真家・大竹省二氏に師事、1987年に独立して今日に至っている。
織作さんは、師匠・大竹省二氏より貰受けた「ミノルタオートコードcds」を愛機として現在もポートレート撮影、ファッション撮影に使用している事を雑誌記事で紹介している。


ミノルタオートコードcds



織作さんは、「ロッコールレンズの優秀性」「シャープネスの高さ」「ポートレート撮影時のハンドリング性」を愛機の条件として採り上げている。
国内二眼レフのパイオニアであるミノルタカメラ(当時)は、1965年発売の最終モデル「オートコードcdsⅢ」「オートコードⅢ」迄の28年間に20機種を超える二眼レフを生産、独自の「フィルム搬送機能」「ロッコールレンズの優秀性」「リーダーペーパー無の220フィルム対応」等でプロフェッショナルの高い支持を得た経緯がある。
コマーシャル写真で著名な写真家・大倉舜二氏も「ミノルタオートコード」を「ローライフレックス」を凌駕するとして愛用。ミノルタカメラが当該機の生産終了を発表した際には、最終モデルの「ミノルタオートコードⅢ」を5台まとめて購入して今後に備えた逸話も残っている程である。


評価の高いオートコード・ロッコール75mmレンズ




広末涼子さんのマミヤスケッチ


1959年5月にマミヤ光機(当時)が発売した「マミヤスケッチ」(12.800円)は、国産カメラ唯一の画面サイズ24×24mmの正方形画面・スクウェアフォーマットのカメラである。
当時の35mmカメラは、露出計搭載、距離計内蔵、そしてレンズの大口径化等によってカメラ本体が大型化し携行性が低下する傾向があった。
この問題に注目したマミヤ光機は、①35mmフィルムを使用する手軽なカメラ ②撮影時に縦・横のアングルに応じてカメラを持ち直す必要のない正方形カメラをコンセプトに「マミヤスケッチ」の製品化を行っている。


マミヤスケッチ




しかしながら、発売半年後にオリンパス光学から同様コンセプトのハーフサイズカメラ「オリンパスペン」(6.000円)が発売され「マミヤスケッチ」は想定市場を「オリンパスペン」に席巻される状況に陥っている。距離計内蔵、最速シャッター1/300秒、35mm f2.8レンズ搭載等、スペック面では若干の優位性を有していたが「価格差1/2」の「オリンパスペン」に対抗することは不可能で「マミヤスケッチ」は僅か一年弱の商品ライフを余儀なくされている。「マミヤスケッチ」は生産期間が短く、低価格カメラの為に廃棄されたケースが多く中古カメラ市場では程度の良いカメラが少ない「希少カメラ」として取引されていた。
この「マミヤスケッチ」をフィルムカメラマニアの人気女優・広末涼子さんがテレビトーク番組にカメラ持参で出演したことより「広末涼子のマミヤスケッチ」として人気が急上昇している。
程度の良い「マミヤスケッチ」は、60.000円超の価格で取引されているが、「広末効果」が加わり中古カメラ店の店頭で見かける機会は更に稀となった。



正方形画面の魅力

正方形画面の基本は「日の丸構図」で、写真を撮影する人の意識が長方形画面と異なり中央部に集中することによりインパクトの高い写真撮影が出来る特長を有している。
二眼レフの「ローライ」「ミノルタオートコード」そして「マミヤ6」等の正方形画面カメラの人気が現在も高い理由に「日の丸構図」が挙げられるケースも多い。

正方形・日の丸画面構図(サンフランシスコ) 

  
 
        
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月例会報告 平成29年1月度

2017-01-25 09:28:14 | 月例会
[印刷]の今とこれからを考える 

      「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成29年1月度会合より)

●価値志向のマーケティングが叫ばれている

 インターネットの浸透と活用によって売り手と買い手の距離=情報格差がどんどん縮まり、いわゆる顧客主導の時代となってきた。消費者は商品を売り込む対象(ターゲット)ではなく、共創・共生のパートナーへと変わってきている。この現象をマーケティングの理論で捉えるなら、製品志向のマーケティング1.0→顧客志向のマーケティング2.0→価値志向のマーケティング3.0へと変化しているのだ。消費者の心からの感動・共感を得られるような価値を提供していかなければ、ビジネスは成り立たない時代になった。マーケティングという用語のアタマには、①共感・共鳴を呼び起こす「協働」、②感激・満足を与える「文化」、③理念・信条・意志を高める「精神」――などの概念を冠する必要がある。創造性に満ちたビジネス、価値観を共有できるストーリー、発展や成熟を促すパワー。マーケティングの新機軸はここにある。


●消費者の願いが変わっていることに意識して

 消費概念はどのように変わってきたのだろうか? 消費者はモノとして商品を購入するだけでなく、商品の誕生から終わりまでの物語に添いたいと思っている。①商品のデザイン・品質だけでなく背後にあるストーリー、②技術的な機能や価格だけでなく利便性、感動、会話――を望んでいる。新しい時代の生活提案、環境保護などにも配慮した価値づくりを、顧客は企業に強く求めている。あくまで顧客起点のマーケティング支援、つまり顧客(の願い)とともに製品やサービスをつくり上げていくべき立場にあることを、企業は意識しなければならない。印刷産業こそ、そうした輪のなかに加わっていくべき立場にある。印刷産業が強みとする情報編集力、得意な“伝える力”が、こうした時代の要請を後押しできるのではないだろうか。


●よく生きるための生活提案・商品化に全力を

 マーケティングの目的といえば、これまでは人びとの便利で快適な暮らしのための製品企画・商品化にあった。これからは、よく生きるための生活提案・商品化が主目的となる。個々の顧客のニーズを把握して、それらに応えられるビジネスを築けるのか、的確な製品・サービスの提供で支援していけるのか、価値観に共感し共に満足を得ていくことができるのか。求められる課題は多いが、顧客と企業が一緒になって成熟度を高める必要がある。これこそ共創・共生マーケティングの真髄である。消費者も企業も一緒に“よく生きる”ことで、持続可能な社会に貢献していくことができる。印刷ビジネスのあり方、印刷メディアの役割、セールス・プロモーションの手法、その他すべてが転換期にある。個別対応型の受注産業としてやってきた印刷産業こそ、これからのコミュニケーションサービスの最先端に立ち、リーダーとなり得る資格をもっているといっても過言ではない。 


●印刷メディアと電子メディアを活かし切ろう

 印刷業とはどうあるべきかを再定義できたら、電子情報産業との違いを確認して、両者を複合し、あるいは相互に補完し合うことによって、新しい価値を創造していくことを検討した方がよさそうだ。印刷業者は、デジタル技術を駆使してコンテンツを加工・管理し、可変印刷だけでなく電子メディアをも制作できる立場を築いている。その逆に、電子メディアサービス業者は印刷サービスを手がけることができない。つまり印刷産業は、アナログとデジタルの特性をともに使いこなし、さらなる機能や効用をもったメディアに育てあげることのできる力をもっている。これこそ、印刷産業が率先して蓄積してきたノウハウ「見えない資産」なのだ。利用者や消費者が求める多様なメディアの編集と情報発信に、柔軟に対応することで印刷産業自らの発展をめざしていけるはずである。


●真のコミュニケーションサービスを提供しよう

 印刷業が取り組んでいるはずの情報コミュニケーションサービスは、実際には、顧客企業から消費者への一方通行の情報を提供しているにすぎない。これからは、企業(直接の顧客)と消費者(顧客の顧客)との双方向の情報のやり取りを支援する真のコミュニケーションサービスを提供していかなければならない。印刷産業の特質として古くからいわれている御用聞き、あるいは“お手伝い業”の本質はここにある。コミュニケーションの結果、その体験がその後の購買体験や販売促進につながるとするなら、印刷産業がマーケティングソリューションを提供する意義は大きいはずである。印刷産業は、歴史的な経緯からプリントサービス・プロバイダーをめざしがちだが、コミュニケーションサービス・プロバイダーとしてのビジネスモデルを模索した方が発展しやすい。この事業領域でのデジタル技術の活用、とくにITが提供してくれるシステム(仕組み)の導入という点では、まだまだ未成熟なのではないか。それだけに発展の余地は無限にあると思われる。


●紙の書籍市場は、どっこい生き残るかも……

 活字離れの現象と電子メディアの浸透とが相まって、印刷出版市場の縮小が続いている。アメリカでも同じような傾向にあり、5年前までは書籍の将来は明るくないとみられていたという。電子書籍の市場は拡大を続け、読者が何を“読書”とするかを探るのは非常に困難だとされてきた。しかし、アメリカ人の3分の2は未だに印刷された紙の書籍を読んでいるのが現状で、デジタル技術隆盛の現代にあっても「紙の書籍は活性化され得る」という見立てがなされている。電子書籍は印刷出版市場を駆逐することなく、その影響はきわめて限定的だとする。これまでは、紙の書籍が必然的に抱える難題(大量生産によるコスト高、返品問題など)から避けられないといわれてきたが、幸いに、デジタル印刷特有のプラットフォームが解決してくれる。現に、デジタル印刷された書籍のページ数は大きな成長が見込まれている。


●デジタル印刷システムが紙の書籍を救う……

 出版企画に始まって編集加工、高速インクジェット出力、在庫管理に至る新たなサプライチェーンの構築が、紙の書籍の救世主となってくれる。書籍を1冊単位でデジタル印刷できることの利点は、例えば校正紙の作成、返品リスクの回避、在庫解消など幾つも考えられる。もちろん、小ロット対応で製造コストは大幅に減少し、納期は短縮でき、市場へも迅速に提供可能となる。増刷や再販など意に介さない。下記の論文によると、伝統的な書籍に対する需要は明らかに安定していて、デジタル印刷システムが出版社や印刷会社に新しいビジネスチャンスをもたらしてくれると強調している。ワントゥワンマーケティングを柱としていかなければならない商業印刷分野についても、同じような見立てができるのかも知れない。


●通知書や請求書もやはり紙でなければ……

実は、同様の観測は、トランザクション・ドキュメント(バリアブル印刷した個人宛ての通知書、請求書、小切手など)にも当てはまるという。大半のアメリカ人は依然として、記録・保管・備忘に有効な紙の通知書を信頼していて、ペーパーレスで配信されてくるものを好まない傾向がある。企業が懸命にペーパーレス化をはかっている割に、浸透していないのが実情である。人びとには受信する心の準備さえできていない。だからといって、印刷会社は安心すべきではないというところに、論文の趣旨がある。電子メディアが紙メディアに取って変わろうとしているときこそ、カラー化による判りやすさの追求、パーソナライズ化した広告情報の掲載などで「個々の受取人を意識したコミュニケーションの改善をはかる必要がある」と力説する。販促情報を掲載したトランスプロモはむしろ増え続けると予測されているのだから……。
※上記3項目の参考資料=Barb Pellow ; Trend, What They Think? 2016.9

以上
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フィルム一眼レフ、懐かしき露光制御技術展開

2017-01-13 11:33:28 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪

印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-27
印刷コンサルタント 尾崎 章


デジタル一眼レフでは当たり前の露光制御・コントロール技術がマニュアルフォーカス・フィルム一眼レフ当時には大きなセールスポイントになるプライオリティを有していた懐かしい経緯がある。35mm・フィルムカメラへの露出計搭載は、1957年発売の「オリンパスワイドE」(オリンパス光学・18.900円)がセレン光電池露出計を国内初搭載、エレクトロニクスの頭文字・Eを製品名に付記している。

雑誌「写真工業」(2006,1)の「コニカF」紹介記事



一眼レフへのセレン露出計搭載は、1959年発表の「コニカF」が初対応モデルで、1/2000秒高速シャッター、絞り・シャッター速度に連動する露出計を搭載した当時世界最高スペックを有する「コニカF」は世界の注目を集めた。しかしながら、縦走り金属シャッターの生産性及び保守問題解決が難しく僅か900台の生産に止まり、800台は米国向けに出荷され国内販売は見送られた記録が残されている。
フォーカルプレーン一眼レフへのセレン露出計搭載は、感度の低いセレン露出計の問題等より見送られるケースが多く、搭載例としては「キャノンRM」(キャノン1962)に見られた程度であった。



レンズシャッター一眼レフは、競ってセレン露出計を搭載

一眼レフへのセレン露出計搭載は、ファミリー需要向けのレンズシャッター一眼レフがペンタブリズムカバー部への露出計搭載で先行した。
製品例としては、「ニコレックス」(日本光学1960)、「トプコン・ウィンクミラーE」(東京光学1961)、「コーワフレックスE」(興和 1961)、「マミヤファミー」(マミヤ光機 1962)、「ミノルタER」(ミノルタカメラ 1963)、「キャノネックス」(キャノン 1963)、「リコー35フレックス」(リコー 1963),「フジカフレックスⅡ」(富士写真フィルム1964)等々 各社が当該一眼レフの製品化を競った経緯がある。しかしながら、レンズシャッター一眼レフは、交換レンズの制約等よりフォーカルプレーンシャッター搭載一眼レフ普及製品が各社より発売される展開に伴って短期間で需要が減衰、TTL測光方式レンズシャッター一眼レフの製品化展開は、東京光学と興和2社限りの寂しい状況であった。


ミノルタカメラ・「ミノルタER」


  
 
キャノン・「キャノネックス」




世界初、フィルム一眼レフにCds露出計を搭載したミノルタSR7


ミノルタカメラは、1962年発売の同社フラッグシップ一眼レフ「ミノルタSR7」に世界初の外光式Cds(硫化カドミウム)露出計を搭載した。
直径12mmの受光レンズを組合せた高感度Cds露出計は、ASA感度100でf1.4・1秒からf11 1/1000秒 迄の広範囲をカバーする性能を有していた。同年に米国航空宇宙局・NASAが有人宇宙船・フレンドシップ7号にミノルタカメラを搭載、同時にミノルタの測光技術を認めて宇宙船専用露出計の開発契約を締結した事より、ミノルタカメラは「宇宙時代の最高級一眼レフ」をキャッチコピーに販促展開を繰り広げた経緯がある。


ミノルタカメラ・「ハイマチック」




ミノルタカメラ・「ミノルタSR-7」




「ミノルタSR7」に続けと、カメラ本体に外光式Cds露出計をビルトインした製品が発売されている。製品名としては、「キャノンFX」(キャノン1964)、「コニカFM」(小西六写真1964)「ヤシカペンタJ3」(ヤシカ1964)「ペトリフレックス7」(ペトリ1963)、「ミランダ オートメックスⅢ」(ミランダカメラ1964)と、今は無きメーカーの懐かしき製品も並ぶ展開となった。
しかしながら、「ミノルタSR7」発売の2年前・1960年にドイツ・ケルンで開催されたフォトキナ展で旭光学がTTL露出計搭載の「ペンタックスSP」を参考出品、1963年には東京光学が親会社である東芝の技術支援を受けてミラーメーター方式による「世界初のTTL一眼レフ・トプコンREスーパー」を発売、一眼レフ露出測光方式の一大改革が行われ、前述の外光式露出計搭載は3年弱の短命方式となっている。


旭光学・「ペンタックス スポットマチック」




世界初、分割測光機能を搭載したミノルタSRT101 

東京光学「トプコンREスーパー」に3年遅れて1966年にミノルタカメラはTTL測光方式の一眼レフ「ミノルタSRT101」を発売、当該市場への参入を開始した。
「ミノルタSRT101」は、ファインダー情報を水平に分割、それぞれにCds受光素子を配して適正露光を求める水平二分割測光を世界に先駆けて採用、測光技術に関する対応力の高さを再び世界にアピールしている。
「縦位置撮影では?」の指摘も受けたが露出測光精度は大幅に高まり今日のデジタル一眼レフに「当然の機能」として付加されている分割測光のルーツが「ミノルタSRT101」にある事は忘れられた事項となっている。


ミノルタカメラ・「ミノルタSRT101」




絞り優先、シャッター速度優先を両立した世界初の一眼レフ・ミノルタXD

初期のTTL測光方式の一眼レフでは、ファインダー内の指針に対してシャッター速度・絞り・フィルム感度と連動する追針を重ねる「追針式」とファインダー内の定点マークにシャッター速度・絞り・フィルム感度と連動する指針を合わせる「定点式」があり、撮影者は撮影意図に応じてシャッター速度、絞り値、を変えて適正露出による撮影を実施していた。
1970年代に入るとTTL測光方式の一眼レフは、第二世代「AE一眼レフ」へと進歩、1971年発売の「ペンタックスES」(旭光学)を筆頭に、「ニコマートEL」(日本光学1972年)「ミノルタXE」(1974年)「フジカST901」(1973年)「オリンパスOM2」(1975年)「キャノンAE1」(1976年)と各社AE一眼レフが登場することになる。
この時に「シャッタースピード優先AE方式」と「レンズ絞り優先AE方式」の賛否展開が繰り広げられ、シャッター速度優先AE方式の「キャノンAE-1」がモータードライブと組み合わせた「連写一眼!」CMを展開して、絞り優先AE方式の「ペンタックスES」「ニコマートEL」等を抑えて大きくシェアを拡大した経緯がある。

この「シャッター速度優先、絞り優先論争」に終止符を打ったAE一眼レフが1977年発売の「ミノルタXD」である。


ミノルタカメラ・「ミノルタXD」




「ミノルタXD」は、絞り・シャッター両優先AE一眼レフカメラながらコンパクトなボディを基調としたハンドリング適性にも優れ豊富な交換レンズ群を有するシステムカメラとして世界の注目も集めている。
当時、協力関係にあったドイツ・ライカ社へもライセンス供与が行われ、「ライカR4」から「ライカR7」までのモデルが「ミノルタXD」をベースに製品化されている。
「ミノルタXD」は、1982年に生産を終了したが「ライカR7」は1997年迄生産され、ミノルタの露光制御技術の先進性が実証された史実が残されている。


ミノルタXDの測光切り替え A・絞り優先 S・シャッター速度優先


ミノルタカメラがリードする形で展開したフィルム一眼レフの露光制御技術展開は、現在市販されている入門用デジタル一眼レフの全てが対応しておりセールストークには成り得ない当然の機能となっている。「ミノルタXD」発売から40年、フィルム一眼レフの露光制御技術展開は一部マニアの「懐かしの記憶」となった。
 
 
  
  
        
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