~聴覚障害6級~

話せる。歌える。
聞こえているけど聞き取りにくい。
感音性難聴者が適当に呟きます。

2ちゃん

2009年11月30日 | インターネット上のこと
以前、2ちゃんねるの感音性難聴関連のスレッドを覗いた際、
あ~、私はこういう障害なのかと、
改めてうなづいた文章が沢山ありました。

手帳にメモってあったので、ちょっと紹介します。
私が書いた文章ではなく、
日本のどこかにいる同じ障害を持つ方々の文章たちです。

今の私の状況を客観視すると、本当に的確すぎることばかりです。
文章は多少変えてあります。



・障害年金は貰えない。
・人脈作りが難しい。→人脈がない。
・地域に溶け込めない。
・ウツになりやすい。
・障害の特異性ゆえ、理解を得にくい。
・忍耐とか寡黙。
・将来ない。
・どこに行っても蚊帳の外な人生。



ここまで暗い人生ではないと思いますが、
健聴者がごく普通に楽しめていることができないもどかしさは、
いつものこと。

そして、対人関係にかなり影響していること。
これが難聴者にとって、一番辛い部分です。
聞き取れないことよりもずっと。



対人にそれほど関係ないものでも、
楽しむこと、利用することなどを諦めなければならないことが、
結構色々あります。



携帯電話社会において、
着信メロディーや着信ボイス、着うたなど、
私にはどうしても聴こえない音なので、
これらを楽しむことは諦めました。

昔、趣味の仲間で着メロを自作で作成していました。
みんなが楽しんでいたことなので、
これらの音が聴こえないことは言えませんでした。
喜んで欲しいと厚意で作成してくれた仲間に
「ありがとう。」と言うのが精一杯でした。
失礼なことだったかもしれません。


電子レンジのチン音や、家電のピー音も聴こえないので、
こられの機能をちゃんと活用できないわけです。

家電のベルの音も聴こえないこともありますし、
留守電もスピーカーに耳を近付けて聞かないと、
何を言ってるのかさっぱりわかりません。

ドラマなどでよく、普通に部屋をうろうろしながら、
留守電を聞くシーンがあったりするけれど、
健聴者は色んなことをしながら、そして距離があっても、
そんな風に言葉が耳と脳に入ってくるんですね。

聞き取りにめいっぱい集中しても、聞き取れない身からすると、
こんな風に普通に聞き取りができるのなら、
世渡り上手になれるだろうなと思うくらいです。


また、興味のある講義や講座などに参加したい気持ちはあるけれど、
参加したところで、経験上、内容の1割以下しか理解できません。

マイクを通した言葉の聞き取りは、とても難しい。
遠い異国の外国語を聴いているかのような理解度なので、
参加することに意義があるとは言え、躊躇します。


耳から入る内容がなくても諦めていない分野もありますから、
そのあたりは趣味の部分なので、またいずれ。



対人関係だと、もっと色々な場面を諦めているかもれません。

グループに溶け込んで、わいわいしている人達が本当に羨ましい。
私もあの中に入りたいけど、入ったところで、
タイムリーな話題に乗り掛かれず、表面上は笑っていても、
心の中はすきま風だらけになるのは初めからわかっている。

会話のキャッチボールがスムーズにできないから、
おとなしい人、ノリの悪い人と言う印象ばかり作ってしまう。

そうしているうちに、人脈を作れなくなってしまう。


ベランダとベランダや、庭と道路などで10メートル以上離れているのに、
普通に会話している近所の人達。
健聴者はあんなに距離があるのに、ほぼ普通の声で会話できるんですよね。

1メートルも離れていなくても、聞き取れない私からしたら、
あんな距離でも会話ができれぱ、近所付き合いも楽しいだろうな。
私はそれができないから、そういう距離に近所の人がいたら、
挨拶だけして会話しませんって言うオーラを放出してしまう。

そうしているうちに、近所に溶け込めなくなってしまう。


対人スキルがなく、人脈も作れず、
どこに行っても蚊帳の外。

家族といる時と1人でいる時が、一番安らぎます。


そして、社会で頑張っている難聴者達が「将来ない」なんておかしい。

頑張っても頑張っても、
聞き取れていないことでその頑張りが全て駄目になる経験もあります。
難聴と申告していても、社会はそういうところ。

そんな社会を少しずつでも変えてみたい。

中度難聴だからこそ、できること。
何かないかしら。

今は何も浮かばない。
無力だな。

教習所にて

2009年11月27日 | 子ども時代~成人時代
今から18年前の28才の時に通った教習所。

教習所では、補聴器をつけて通いました。
補聴器に対する期待は少々はずれたけれど、
しないよりは補聴されていると思ったからです。


講義は必ず最前列の席に座ったので、
内容はほぼ理解できたと思います。
筆記試験は、全て一発合格でした。


問題の実地。

車と言う密室で、隣に教官がいる状態でしたので、
補聴器を左耳につければ、教習内容はほとんど理解できました。

が、声の波長と言うか、声の質と言うか、渇舌なのか、
すぐそばで話してくれても、聞き取れない場合がありました。

聞き返すと、「何で1回の説明でわからないのかっ。」と怒られました。

健聴者にとって、同じ話しを2度させられることは、
こんな簡単な話しの内容が理解できないほど頭が悪いのか、
人の話しを聞いていないのか、と解釈していることが多く、
本当にうざいようですから仕方のないことです。

そこで補聴器をしている耳を見せ、
「難聴なんです。すみません。」と申告をしました。

「それならそうとちゃんと言ってください。」と言われました。


難聴なんです。
聞き取れません。


そのたびに「すみません。」と謝ってしまう。
よくよく考えると、何で謝らなきゃならないんでしょうね。
こちらは何も悪いことをしていないのに。


そして「難聴なら初めにちゃんと言ってください。」


今なら最初からそう言えることも多いけれど、
言えない空気、言えない環境、言えない雰囲気と言うものがあるのです。
難聴を言ったらそこで終了的な。

「すみません。」と謝らなければならない障害です。
言い出しにくい障害だと言うことです。
聾の方に比べると、はるかに理解されにくい聴覚障害です。


怒ってくれた教官のおかげで、
その後は難聴の生徒だと言うことでの教習となりました。

まぁ、特に何かの配慮があったわけではありません。
無線教習が免除されたくらいでしょうか。
教官達も配慮して聞き取りやすく話してくれたかどうかは、
私にはわかりませんでした。


ある若めの教官は、路上教習の際、
私が難聴者だと言うことなのか、一言も言葉を発っしませんでした。

指で「そこを左。」「そこを右。」と合図するのみ。

何か話しても聴こえないと思ったのでしょうか。
どう接すれば良いのかわからなかったからでしょうか。


結局、申告すればしたで、何も教えてくれなくなるのです。

何も話してくれなくなることはよくあることです。
だから、申告することに多少の抵抗があるのです。


一部の教官からはきちんと教えてもらえなかったけれど、
実地試験も本免で1回落ちたのみで、無事、免許取得。


今思うと、あの時、免許を取っておいて本当に良かった。
今の車生活に大いに役立っています。

補聴器

2009年11月25日 | 補聴器
20代半ばは、結婚・出産・子育てと、
専業主婦ながら、めぐるましく過ごしました。

子供時代同様、新しい人間関係も生活も、一番充実していた時期でした。

妊娠中も子育て中も、近所のママの仲間が沢山でき、
公園遊びのあとに各自のおうちに遊びに行ったり、
育児サークルに入って、わいわい過ごしたり、
難聴だと言うことを全く意識せずに、自分らしく生きていたと思います。

近所に、初めての子育てへの不安を感じていて、
同じくらいの子供がいる友達が欲しいと言う、
同じ気持ちのママが大勢いたことが、幸いだったのかもしれません。


グループで行動している時に、たまに、
「あれ、私、今、仲間はずれになってるかも。」
と感じることがありました。

今思うと、その時のタイムリーな話題に乗っかれず、
勝手に疎外されてるような気持ちになっていただけだと思います。

それでも、仲間に難聴であることは申告できませんでした。
20年前は、難聴を申告すると言う考えさえありませんでした。



18年前の28才の時、私は運転免許を取得しました。

免許を取ると決めたら、いきおいで、
当時、幼い2人の子を連れて市内の教習所へ行き、
あっと言う間に手続きを済ませてしまいました。


ただ28才当時、聴力にかなり不安を感じ始めていました。

教習所での講義や実地をこなせるものなのか。
少しでも自信をつけようと思い、初めて補聴器を購入しました。


補聴器に関することは全くわからず、
当時よく行っていたデパート内で購入を決めました。

補聴器専門店ではなかったかと思います。
たぶん、眼鏡屋さんの中で販売していたものかも。

そこで、聴力検査をしていただきました。

検査の内容には記憶がないんですが、あれこれと検査され、
「普通の人の半分位の聴力ですね。」と言うような説明があり、
適切な補聴器を選んで下さり、購入となりました。

当時、5万円だったと記憶しています。


視力の悪い人が眼鏡をかけると、ほとんどの人が、
かなりの視力を取り戻せるのとは違い、
補聴器を使用しても、健聴者に近付くのは難しいと改めてわかりました。

まず、普段聞こえていない身の回りの様々な雑音が入り、
人の声の音量は多少大きくなりますが、
言葉としては、機械を通した音になり、
聞き取りとしては、ほんの少し向上する程度です。

むしろ、環境や条件によっては、聞き取りが下手になることもあります。


難聴者は人によって音の聞こえは様々だと思いますが、
私は機械を通した音がほとんど聴こえません。

電子音も聴こえませんから、レンジのチンの音や家電のピー音もわからないし、
携帯のベルも着メロや着うたも聴こえません。

マイクを通しての声も判別が難しくなります。
言葉が膨張して割れて聴こえてしまいます。

つまり、補聴器も機械です。
大幅な補聴は期待できないのか、と少々がっかりした記憶があります。


今は、デジタル補聴器も色々開発されているそうですし、
聞き取りがより明瞭になるものも販売されているのかしら。
そういう機能がデジタルってことなのかしら。

補聴器に関して無知すぎて、
少し勉強しなくてはいけないかもしれないけれど、
来年こそ、新しいものを購入したい。

補聴器購入の福祉支援については、こちらの記事参照

書き忘れたけれど、私の市の福祉支援を受けられる補聴器は、
耳掛け式になるとのこと。
耳穴式の方が便利だけれど、耳掛け式もいいかも。


しかし、高価すぎる補聴器。
いつか、眼鏡のようにおしゃれで、手軽に買えるようになるのかな。

いや、ならないですよね。
あんな小さな繊細な機械なんですから。
眼鏡とは違います。


今現在の私は、集音器を髪の毛で隠して使用していることがあるけれど、
新しい補聴器を購入したら、髪の毛で隠さず出掛けてみよう。
補聴器を隠さずに、友達や仲間や憧れの人に会いに行こう。

よし、これが、来年の目標のひとつだ。
実現するかどうかは、自分次第。

無理かな…。









18年前に購入した補聴器。
耳掛け式です。
右耳にも左耳にも対応できます。

しかし、何でこう老人くさい色のケースなんだろう。
一般的に補聴器は、こういう色のイメージなんでしょうね。

そんなイメージを取り払うくらい、
希望に満ちた色をどんどん取り入れて欲しいものです。

スカイブルーとか、淡いピンクとか、綺麗な赤とか。

補聴器の色もカラフルになってきているようなので、
ケースもきっとカラフルになっていることと思ってます。

耳鳴り

2009年11月22日 | 雑記
物心ついてから、24時間ずっと耳鳴りがしていました。
物心つく前から鳴っていたかどうかは記憶にありません。

気付いたら耳の奥からいつもキーーーーと、常に鳴っていました。
耳鳴りを耳鳴りだと知らず、
誰でもこういう音がいつも聴こえているのだと思っていました。


耳鳴りがしているのは普通のことだと思っていたけれど、
しない方が普通だとわかったのは、たぶん高校生くらい。

難聴を自覚し始めた時期と重なります。→こちらの記事参照


キーボードを打っている今も、
耳からなのか頭からなのか脳からなのか、
ずっとキーーーーーーと鳴り続けています。

難聴は治らなくても、耳鳴りがなくなったら、
もう少し聞こえがよくなるのではないかと思うくらいです。

私の耳鳴りは一生続くと思われるので、実際はわかりませんが、
難聴と耳鳴りはセットなのでしょうか。

慣れている音とは言え、意識していない時は良いとして、
意識し出すと、精神的に追い詰められそうな音です。


この音は一体どこから感じる音なのでしょうか。
わからないことがいっぱいです。

まぁ、わかってもどうすることもできないと思ってます。

漢方がいいとか、何か耳鳴りを抑える薬があるとか。
試したことはありません。

専門家が専門的なことを云々述べていても、
物心ついた時から難聴とセットになって耳鳴りがしている者じゃないと、
根本的にも感覚的にもわからないと思ってます。




健聴者の年齢別の平均聴力を。

年齢   1,000Hz      4,000Hz

    男性 女性    男性 女性

 25    8    7      8   6
 30    8    7      8   6
 35    9    8     10   6
 40    9    8     12   8
 45    10  10     14  10
 50    11  11     16  13
 55    12  13     22  15
 60    15  15     29  17
 65    16  19     34  25
 70    18  24     35  33
 75    22  23     37  32


これを見ると、私の年齢では10デジベルが健聴の聴力。

どんな聞こえなんだろうな。
体験したいものです。
補聴器をしてもほんの少し聞き取りやすくなる程度で、
聴力はさして補聴されていませんから。

私の聴力は、手帳によれば、右82.5で、左73.8なので、
世間的に多少耳の遠くなった75才よりも、
ずっと聞こえが悪いと言うことになります。

老いて耳が遠くなった方でも、
平均的には、今の私よりはずっと聞こえているのでしょう。



世界保健機関(WHO)による分類。

軽度→26~40dBHL
中等度→41~55dBHL
やや高度→56~70dBHL
高度→71~90dBHL
非常に高度→91dBHL以上


私は勝手に中度難聴者だと思っているけれど、
聴力の分類からすれば、高度難聴だったのですね。

よく考えれば、6級と言えども、手帳を取得できた時点で高度なのかも。

その上、対人スキルがことごとく低下する障害でもあります。
それによって、疎外感を味わったり、
自信や向上心を失くしたり、人間不信に陥ったり、
精神バランスを崩すことも多い障害だと思います。

それらを全てひっくるめたのが聴覚障害だと思ってます。

そんな試練を受け止めて、日々生きています。

でも不幸ではないと思ってます。
ただ、不便で生きにくいだけ。

最近の私

2009年11月20日 | 対人関係
最近の私は、自分の身体のメンテナンスのために、
病院やエステなどに行ってます。

これらの場所は、予約の電話を含め、順番待ち、
先生や看護師や受付の人との対応などが気掛かりで、
頑張るぞぉと心の奥で意気込まないと、
行動できない苦手な場所だったりします。

まぁ、病気の場合はそんなことも言っていられませんが、
病気ではないので、行かなくても健康には支障のない場合の話しです。


最近行ったのは、美容皮膚科と歯医者。
そして、アカスリエステと美顔エステ。


最近は、どの場所でも難聴であることを先に言うようにしていますが、
「聞こえているみたいだし話せるのに、何で聞こえてないんだろう。」
的な表情をされることが多いです。

特にカウンター越しの受付の人に。
難聴であると申告してもです。


相手の声のトーンや波長、空間、周りの空気などで、
よく聞き取れることもあれば、
何度聞き返してもどうしても聞き取れないことがあります。

難聴であることを申告した上で、
耳に手を添えて「えっ?」「もう一度ゆっくり話して下さい。」
などとお願いすると、
「何でこの人、人の話しを聞いてないんだろう。」
「こんな簡単な話しが理解できないなんて、頭悪いのかな。」

病院の受付には、このような表情をされることが多く、
聞き返すことへの恐怖が生まれます。

そんなの気のせいだよ、と言われますが、
長年、そういう場面に出会っていますから、
人の表情から気持ちを読み取る術には長けています。

わかりやすいほど、みんな同じ表情と対応なんですから。


子供達が小さい頃、小児科の受付で、
薬に関する説明が聞き取れなくて、聞き返したら、
ムッとされ、もう説明をしてくれなかったことがありました。

人の話しを聞かない感じ悪い人に見えるんでしょうか。


別の小児科のカルテが見えた時は、さらに愕然としました。
「母親は人の話しを聞いていない」と、書いてあったからです。

マスクをして、机にむかったまま質問する医師で、
質問されているのに聞き取れず答えられなかったからだと思います。

視力は普通ですが、
カルテに書いてある文字を一瞬にして速読できるのは、
難聴者だからこそかもしれません。


順番が来て呼び出しされていても気付かず、
2時間位、待合室でずっと待っていたこともありました。
いいかげん順番は過ぎてるだろうなと思う頃に聞いてみると、
「何度も呼んだのにねぇ。」と呆れた顔をされることはよくあります。


長年、そんなことが重なって、軽く病院恐怖症です。

だから、最近の私は、ちょっと頑張っているのかもしれない。



アカスリエステを体験して気付いたことがありました。

カウンター越しの受付で時間と内容の予約をした時、
私が話したことに対して何度か聞き返されたのです。
いつもとは逆の立場です。

私の名前を言っても、予約の内容を話してもなかなか聞き取れず、
ゆっくり丁寧に話し、筆談もしました。

名前を書いた紙を見て「コレ、ナンテヨムノ?」と言われ、
初めて外国人だったことに気付きました。
韓国人のエステシャンでした。

日本に滞在している日本語があまりわからない外国人は、
難聴者と少し似ているのかもしれません。
根本的には違いますが、お互いの言葉が聞き取れず、
内容が理解できない点は共通していました。

その受付の人が施術してくれたので、
カタコトの日本語とジェスチャーが、私にとっては非常に心地よい対応でした。

そのアカスリエステに次に行った時は、
日本語が上手な別の韓国人エステシャンでした。

難聴のことを言うと、わかりやすい話し方と対応をしてくれ、
聞き取れない時は、ゆっくり大きな声で話してくれました。

思うに、日本に来て聞き取れない経験があるからこそ、
難聴で聞き取れない立場をわかっていらっしゃるんじゃないかなと。


聞き取れない立場を恐らく知らなくても、
素晴らしい対応をしていただいたこともあります。

映画館のチケット売り場のカウンターでのこと。

「難聴なので聞き取れないんですが。」と言うと、
わかりやすいようにメモに筆談で、座席や時間などを明記し、
チケット販売をスムーズに進めてくださいました。

相手の立場を理解し、それ相応の対応が素早く出来る。
仕事ができる女性は、このような人のことを言うんだなと思います。


何故、病院関係の対応は、いつも心が折れるんだろうな。

患者の立場も気持ちも、理解できない人達の集まりなのかな。