ガラシャ祭のメインイベント・行列巡行。
行列にはお輿入れ行列、歴史文化行列、町衆祝い行列の
三種類があります。
このうち「歴史文化行列」は、
古代から近代にいたる長岡京市の
各地域に関する歴史上の人物等が
時代を超えて忠興と玉の婚礼のお祝いに集う、
というコンセプトで行われ、
生きた歴史絵巻が眼前で繰り広げられます。
(写真は過去のものです)
歴史文化行列の最後を飾るのは、江戸時代の「桂昌院」です。
この方は「生類憐みの令」を出した五代将軍・徳川綱吉の生母ですが、
長岡京市とどんな関わりがあるのでしょうか?
仏教にふかく心を寄せていた桂昌院は、
長岡京市のある由緒あるお寺の復興に尽力しました。
それは、乙訓寺。
兵火で焼かれたことでお寺は衰退していましたが、
徳川家の祈祷寺とし、寄進を行って焼失したお堂を再建しました。
本堂、鐘楼、石灯籠などはこのとき再建されたものだそうです。
そのため、本堂の屋根を見上げると、
徳川家の「葵」の紋があります。
いまの乙訓寺があるのは、桂昌院のおかげなのですね。
※過去のガラシャ祭の様子はコチラからもどうぞ(実行委員会HP)
(乙訓寺地図)
行列にはお輿入れ行列、歴史文化行列、町衆祝い行列の
三種類があります。
このうち「歴史文化行列」は、
古代から近代にいたる長岡京市の
各地域に関する歴史上の人物等が
時代を超えて忠興と玉の婚礼のお祝いに集う、
というコンセプトで行われ、
生きた歴史絵巻が眼前で繰り広げられます。
(写真は過去のものです)
歴史文化行列の最後を飾るのは、江戸時代の「桂昌院」です。
この方は「生類憐みの令」を出した五代将軍・徳川綱吉の生母ですが、
長岡京市とどんな関わりがあるのでしょうか?
仏教にふかく心を寄せていた桂昌院は、
長岡京市のある由緒あるお寺の復興に尽力しました。
それは、乙訓寺。
兵火で焼かれたことでお寺は衰退していましたが、
徳川家の祈祷寺とし、寄進を行って焼失したお堂を再建しました。
本堂、鐘楼、石灯籠などはこのとき再建されたものだそうです。
そのため、本堂の屋根を見上げると、
徳川家の「葵」の紋があります。
いまの乙訓寺があるのは、桂昌院のおかげなのですね。
※過去のガラシャ祭の様子はコチラからもどうぞ(実行委員会HP)
(乙訓寺地図)