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歴史探訪ウォーク(in Osaka)に参加してきました!

9月24日に長岡京市ふるさとガイドの会が開催された、

歴史探訪ウォーク・史跡探訪

「細川ガラシャ夫人入信の地 大阪玉造と『真田丸』をめぐる」に

参加してきました。



大阪カテドラル聖マリア大聖堂は、大阪市の玉造にある聖堂です。

大阪城公園の南側にあたります。

1894年に玉造教会は誕生しましたが、

残念ながらその聖堂は戦災によって焼失しました。

その後、仮聖堂を経て、1963年3月に

現司教座聖堂「聖マリア大聖堂」へと生まれ変わりました。

 

大聖堂前広場の両端にある石像は

高山右近と細川ガラシア夫人で、彫刻家・阿部政義氏の作です。

大聖堂に入ると、正面に堂本印象画伯の筆による大壁画と

左には高山右近、右にはガラシャ夫人の壁画があります。

戦国時代に生きた、高山右近とガラシャ夫人は、

熱心なキリスト教徒として知られています。



大聖堂の西北には、細川家の屋敷跡と伝えられている

「越中井」が残されています。

この地でガラシャ夫人は石田三成の人質になるのを拒絶します。

自害を禁止していたキリスト教の教えに従って、

家老だった小笠原小斎の介錯のもと、

屋敷に火をかけて、38歳という若さで最期を迎えました。

ここにはガラシャ夫人を記念して辞世の句碑が建っています。



「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の

花も花なれ 人も人なれ」

(散り際を心得てこそ花も人も美しい)



この越中井は屋敷の台所にあったとされています。



こちらの説明板のガラシャ夫人の絵は、

日本画家前田青邨(まえだせいそん)氏の作です。



その後、今年のNHK大河ドラマの『真田丸』の舞台である

真田丸跡を歩きました。

高低差のある地形は当時の真田丸当時の地形も残っており、

それを想像しながら歩くのは楽しかったです。

写真は三光神社にある真田幸村公の像です。

この神社には史跡 真田の抜け穴跡もあります。



真田幸村とその子大助の墓碑がある心眼寺です。




戦国の世の覇権争いに巻き込まれ、

波乱の人生を送った二人。

戦国の世を象徴するような二人の生き様を

感じながら巡った歴史探訪ウォークとなりました。




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「歴史街道」  ~西国街道リレーウオーク~


(表紙)

「歴史街道」から魅力再発見2016「西国街道リレーウォーク」が始まります。

京都・大阪・神戸を東西に貫く西国街道の歴史探訪(見る・聞く・歩く)を、

市町村毎に交通変遷にスポットをあて開催されます。

 

沢山の催しが用意されています。

リレーウオークには学芸員やボランティアガイドさんの案内があり、

地域と西国街道の魅力を再発見する事ができます。


(裏面)

スタンプラリーも開催されていますので楽しみも倍増ですね!

期間は、9月24日(土)~12月19日(月)です。

参加施設12箇所のなかの4ヶ所を回ってスタンプを集め応募すると、

抽選で30名様にデジカメポーチがあたります。

歴史街道ホームページはコチラからご覧下さい。

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ふじばかまの香り ~松栄堂の藤袴~



長岡京市役所前に藤袴(ふじばかま)の花が登場しました。

市内に工場がある、お香の老舗・松栄堂さん

によって公開されているものです。

松栄堂さんは環境活動の一環として、

絶滅危惧種となってしまった藤袴を育成・公開しています。

今では希少になってしまいましたが、

かつては秋の七草に数えられるほど身近な草花でした。

なかでも愛されてきたのは、香りです。

乾燥させると芳香を放つため、

その香りを暮らしの中で楽しんでいたそうです。

また「藤袴」という名前から

着物の「はかま」を連想し、和歌の中でも親しまれてきました。



主しらぬ香こそにほへれ秋の野に誰がぬぎかけし藤袴ぞも
(ぬししらぬかこそにほへれあきののにたがぬぎかけしふじばかまぞも)

古今和歌集の、素性(そせい)法師の歌です。

誰のものかわからない香りが、秋の野にみちみちている。

あのいい香りがする藤袴は、

だれが野に脱いでおいて行った袴なのだろう?

というような意味になります。



当時の貴族たちは香りを着物に焚いて染みこませていました。

特に、高貴な人は素晴らしい香りを身に着け、

その香りだけで誰かわかるくらいだったそうです。

秋の野に、誰のものだかわからないとてもいい香りがする。

ああ、あの藤袴のせいなんだ。

どんな高貴な人が脱いでいったはかまの香りなんだろう、

と思わせる藤袴の花よ。

香りに縁がある藤袴。

王朝のみやびを思い起こさせる藤袴の花を、ぜひご覧ください。

見頃は、来月20日くらいまでとのことです。

松栄堂の環境活動については、こちら

長岡京市役所はこちら↓



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彼岸花を探して ~初秋の乙訓寺~



彼岸花を探して、初秋の風情ただよう乙訓寺へ行ってきました。



門をまっすぐ進んだところ。緑の中に赤色が映えています。



本堂前には、白い彼岸花が咲いていました。



裏手に回ると、小学校が見えます。

子供たちの元気な声を、彼岸花も聞いているようです。



石灯籠のまえの彼岸花。

奥にはまだまだ青い青もみじも見えます。



萩が風にゆれていたり、



真っ赤に熟した実をみつけたり。



弘法大師ゆかりのみかんの実も、

たわわに実って色づいています。



黄色くなったイチョウの葉っぱも、ちらほら落ちていました。

暑い日もありますが、まわりを見渡すと秋の気配がたくさん。

秋を探しに、出かけてみませんか。

地図はこちら↓

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秋の行楽シーズン到来!

吹く風が爽やかに感じられ、お出かけにちょうどいい季節となりました!

シルバーウィークを満喫されている方も多いのではないでしょうか。

JR長岡京の駅前では、連日朝早くから

ハイキングなどで多くの人が集まっています。



当協会にも、

まち歩きなどの情報を求めて、

いつもより多くの方に来ていただいています。

お出かけの際には、当協会の

観光案内所(阪急長岡天神駅前)・観光情報センター(JR長岡京駅前)に

ぜひお立ち寄りください♪

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「大物産展」・「激辛ワールドフェス」 多くの方で賑わいました!




「竹の里・乙訓」と「もうひとつの京都」を結ぶ

「大物産展」+激辛ワールドフェスが22日、

向日町競輪場で開催され多くの人々で賑わいました。



多くのゆるキャラたちも応援に駆けつけました。

長岡京市のお玉ちゃんも壇上から手をふり、

舞台に花を添えていました。

 



乙訓地域や府内各地の魅力を発信する多くのブースが並び、

アイドルグループ「AKB48」のステージなどで盛り上がりました。


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恵解山古墳の鉄刀を見てきました ~ふるさとミュージアム山城~

先日、ふるさとミュージアム山城に行ってきました。



ここには、恵解山古墳から出土した鉄製武器が展示されています。

  

これが古墳から大量に出てきたという鉄刀か…

と、しばし見入ってしまいました。

恵解山古墳は、大量の鉄刀・鉄剣が出土した古墳としても有名です。

なんと150近くの鉄刀が地下から発見され、

その他に剣や槍、短剣もあり、

弓矢のやじりに至っては400点以上も見つかりました。

しかも、バラバラではなくひとつの埋納施設に

きれいに並んで入っていたそうです。



発見の鉄製武器は、現在はこうして

ふるさとミュージアム山城で保管・展示されていますが、

恵解山古墳の頂上部では、

出土した時の状況をイラストで示しています。



古墳にあるイラストを改めて見ると、

あの武器たちがこんなにきちんと並んでいたなんて!と驚きます。

実物を見たからこそ、実感をもって古墳を感じられ、

古墳がある場所で出土時のイラストを見たからこそ、

埋められた当時を想像することができました。



二つの本物から、古代へのロマンをかきたてられた体験でした。

*ふるさとミュージアム山城(京都府立山城資料館)のHPはこちら

*恵解山古墳の地図はこちら ↓


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長岡京市は碁盤の目? ~六条条間小路跡説明板~

長岡京市は、平安京のひとつ前の都、長岡京があった場所でした。

そうすると、平安京のあった京都市のように、

タテとヨコの直線でできている「碁盤の目」状のまちなのか?

ということが気になります。

現在の長岡京市は、碁盤の目状ではありません。

794年に10年間で長岡京が廃都になったあと

碁盤の目状の区画はくずされ、そののち様々な変遷を経たためです。

けれども、かつての碁盤の目状のみちを感じることができる場所があります。

JR長岡京駅西口から、道路を見渡してみてください。


(JR西口からの眺め)

駅から長岡天満宮に通じる、まっすぐな「天神通り」。

ここからは、東西に走る長岡京時代の道路のあとが見つかっています。

これは五条と六条のあいだの細い道、

「六条条間小路」だと考えられています。

長岡京市立産業文化会館の前には、この発見について説明板があります。



もうひとつ、天神通りと平行に通る「アゼリア通り」。

ここは、五条大路だったと推定されています。



長岡天満宮への参道として多くの人が通る「天神通り」と、

商店が立ちならぶメインストリートである「アゼリア通り」。

現在も人々が多く行き交うみちに、かつても大通りがあった

と考えるとちょっと不思議な気持ちになりますね。

長岡京の都人も、同じ道から変わらない西山の眺めを見ていたかも・・・?

*長岡京のみちについては、こちらもどうぞ。(市埋蔵文化財センターHP)

*説明板がある長岡京市立産業文化会館の場所はこちら↓





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乙訓古墳群史跡指定記念のシンポジウムに参加して

去る9月10日、中央公民館で開かれたシンポジウムは

市外からも多くの人が集まり、

3階の市民ホールがほぼ満席の大盛況でした。



シンポジウムは2部構成で第一部は3人の専門家の先生による基調講演。

第二部は乙訓2市1町の文化財担当者たちも加わっての

パネルディスカッション。

それぞれに熱いスピーチやディスカッションがなされ、

会は予定時間を延長するほど白熱しました。



乙訓にある数々の古墳、そこには誰が眠っていたのか?誰の墓だったのか?

すぐにでも答えを知りたいですが、

それは「この古墳が〇〇の墓」と特定する文字資料が

出てこない限り永遠の謎。

それより、これら古墳が日本の歴史のなかで、どういう役割をしていたか?

ということの解明のほうが重要だそうです。

この度の乙訓古墳群の国史跡指定は

2市1町が共同で調査研究を行う基盤ができたこと、

そして学術資料として永久に保存されることが決まったという点で

非常に意義深いことと知りました。

 

乙訓地方は古墳時代を通して、

その時々の大王と密接なつながりをもってきました。

時には政権と一体にダイナミックに動き、

時には王権の地方役人的役割であったことが、

明らかにされています。

乙訓古墳群は全国の古墳の動向と対応しており、

全体を見るうえでも貴重な資料となるとのこと。

その価値の大きさを知ります。



講演ではこの歴史遺産の活かし方のお話もありました。

身近に史跡があることは全国でみれば、

そう当たり前のことではないそうです。

私たち住民はその価値や魅力を知り、

地域の遺産として、大切に保存活用し、

ひいては次世代につないでいくことが

大切であることに気づくセミナーでありました。



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まいぶんミニ展示7「写真で振りかえる市内の首長墓」

長岡京市埋蔵文化財調査センターでは、まいぶんミニ展示7

「写真で振りかえる市内の首長墓」 を開催しています。

本年3月、乙訓地域の前方後円墳を中心とする首長墓が

乙訓古墳群として国史跡に指定されました。

市内では、昭和56年に指定されている恵解山古墳に加えて、

新たに井ノ内稲荷塚古墳、井ノ内車塚古墳、

今里大塚古墳が指定されました。

今回の展示では、それぞれの発掘調査で

撮影された写真の中から、約30点が展示されています。

土の中に埋め戻されて見ることができない古墳の姿を、

写真記録からご覧いただけます。

ぜひお越しください

■展示期間:平成28年9月30日まで(開催中です)

■時 間: 平日  8:30 ~ 17:00
      第2、第4日曜 10:00~16:00

■休館日: 土曜 祝日 第1、3、5週の日曜


■場 所:長岡京市立埋蔵文化財調査センター
(長岡京市奥海印寺東条10-1)

■問合せ: 長岡京市埋蔵文化財センタ-

075-955-3622

詳しくはコチラからどうぞ
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