2月12日(日)、長岡京市産業文化会館にて
NPO法人長岡京市ふるさとガイドの会主催の歴史講演会、
「乙訓と継体天皇」が開催されました。
講師は長岡京市生涯学習課の小田桐淳さん。
歴史講演会はいつも人気ですが、
今回はとりわけ多くの方が訪れ、席が足りなくなるほどでした。
今回のテーマは、「継体天皇はなぜ乙訓地域に宮を置いたのか?」
古墳時代の天皇・継体天皇は518年、
乙訓地方に弟国宮(おとくにのみや)を置きました。
ちなみに来年2018年はそれから1500年の節目の年になります。
これまで弟国宮については、
大和政権の中心部である奈良に入ることができなかったため、
その周辺にしょうがなく作った宮だった
と捉えられていましたが、そうではない、とお話しされます。
ポイントは、長男の勾大兄皇子(のちの安閑天皇)。
皇子は弟国宮ができるすこし前に皇太子となっており、
長男を大和に派遣し、それを後方支援するために選ばれたのが
乙訓地域だったのではないか、ということです。
乙訓地域は、奈良に近いことはもちろんですが、
継体天皇と縁戚関係や交流のある
河内・丹波・宇治にも地の利があり、
もともとの勢力範囲と考えられる近江地方にもつながります。
乙訓地域は「交通の要衝」と至るところで耳にしますが、
その重要性を今回も深く感じた講演会でした。