神は愛であり、人間は“ 神の子 ”であるから、
“ 愛 ”がなければ生きられないのである。
人間の魂にとって、“ 愛 ”が必要なのは、
人間の肉体にとって“ 空気 ”が必要なのによく似ている。
空気が無ければ人間の肉体は窒息してしまうが、
“ 愛 ”が感じられなくなると、人間の魂は窒息しそうになり、
たまらなく苦しみを覚え、麻薬中毒患者の禁断症状のように、あばれ廻り、
のたうち廻る衝動にかられるのである。
学生のゲバ棒騒動の奥にも、親と子、教師と学生、社会と個人、国家と国民との間に、
断絶状態が起っていて 愛が感じられない結果、
魂の のた打ち廻る姿が行動化しているのだと見ることもできるのである。
『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号
「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 二十九日の法語 谷口雅春