一 閑 堂

ぽん太のきまぐれ帳

新作歌舞伎『児雷也』/上

2005年11月29日 | 歌舞伎・芝居
思いもかけずにはまってしまった『児雷也』。四回みたにすぎないけれど、常日頃、舞台は一期一会と、一度きりしかみない私にしては驚きだ。面白い舞台でも二回程度なのだから、今月はお祭り月間だったのだろう。
もちろん上には上がいて、十回なんて人も…。素晴らしい!立廻り好きの人ほど、はまっていた気がする。

『児雷也』は、三階さんと音楽部がなかったら成立しない舞台だった。
そして、いかにも菊五郎劇団らしい舞台だった。(初日感想二回目感想

菊五郎というと、さっぱりとした世話物というイメージがあるかもしれない。だが、必ずしもそうではない。
三代目菊五郎は、妖怪変化物や早替わりなど、ケレン芝居をした人だし、仁木弾正などの実悪でも人気を博した。
さらに、幕末大人気だった五代目は、錦絵などでみると、十三代目羽左衛門時代から舞台ですぐに肩脱ぎになって両性具有の、少々エロなオーラを発散しまくり、悪の華の魔力で、見物を虜にした役者であるらしい。
もちろん、黙阿弥との出会いによって、さまざまな世話物をヒットさせ、江戸前世話物の代名詞ともなったのだがもともとに【危なさ】をもっていた役者だったようだ。
官能性への直感のようなものを重視した五代目は、理詰めだった九代目團十郎とは、芝居づくりが異なった。
また写実への傾斜でも、初代左團次の実事とはまた異なるタイプだったようである。
この路線からすると『天竺徳兵衛』や『児雷也』などのお江戸スペクタクルは、正しく音羽屋のお家芸だ。

その後が、九代目の薫陶を受けた六代目の活躍となり、更には六代目精神を継承する松緑・梅幸時代、次には羽左衛門・芝翫時代となるが、実をいうと、現菊五郎が目指すものは、六代目路線の継承とはまた微妙に異なるよう
な気が、私はずっと以前からしている。
ことにその感が強くなったのは、菊五郎劇団の重鎮、十七代目羽左衛門が亡くなってからだ。

当代には、六代目時代に取り組まれた新作歌舞伎への情熱はそのまま持ちながらも、日本が多分にロマン主義、権威主義でもあった時代のイデオロギーを芝居づくりから薄めていき、「今、この時のイデオロギーとは距離をとり、
目指すべきはあくまでも古典歌舞伎」という意識があるような気がしてならない。
この立場は、歌舞伎という芸能が文化遺産に認定される現代だから可能なのであって、旧劇として存続が危ぶまれた明治や、富国強兵まっしぐら、国際社会における日本国家の地位向上が知識人たちにとって大問題だった大正から昭和初期、また、女方廃止危機に直面していた戦後すぐにおいては、そのようなゆとりはなかっただろう。

だが、平成の今、菊五郎が目指すのは、太平楽な江戸歌舞伎
近世、江戸という場所で、ただ歌舞伎のためにつくられた純歌舞伎の復権であるような気がするのである。
それも、今のご時世で徹底的に受けることを諦め、「わかる人がわかればいいや」と考えているのでは?とさえ、思う。今、これが新しい、歌舞伎って面白い!といった熱いセールストークは、なしなのだ。
歌舞伎を斬新さでもってアピールしたくなる、同時代精神のようなものとは一線を引き、淡々と「ご見物衆はともかく、とりあえず歌舞伎専業者として、やっておくべきことをやっておかないと…」といった職人気質で、芝居
づくりをしているような感じがする。

ともあれ、菊五郎がここ数年、国立劇場でずっと試みている純歌舞伎の復活は、私にはとても面白いのだ。
かつてあったところの歌舞伎とは、まあ、たいていこんなもんですわ、というノリが、最高なのである。
にも関わらず、復活にあたっては、実は相当入念に、準備はしているらしい。
唯一の劇団制を維持している力を発揮し、多くの団員を巻き込み、あるいは彼らに一任して、さまざまなアイディアを公平に募り、それらを吟味してまとめ上げている、とのことだ。

この、劇団制というのが、音羽屋の魅力には違いない。
たとえば、劇団に在籍する役者は、原則として全員トンボが返れるはずだ。それができないと一人前じゃない、といった気風が、少なくとも現三津五郎の頃までははっきりあった。
また、得意の世話物を出す上で、なくてはならない役者は、脇および、その他大勢を演じる三階さん達でもある。
なんとなく世話っぽいレベルでなく、平成でも可能な限り江戸らしい世話をみせようとすれば、昔の日本の生活感そのものを体でしっている役者の、フトした何気ない動きや仕草がなんといっても大事だし、彼らに備わったものに対し、後から生まれた役者は、どう太刀打ちしてもかなわないはずだ。
しかるに、彼ら古老は、近い内にすっかり姿を消してしまうだろうから、今時点で盗めるものは盗んでおかないと世話物そのものが、今後丸っきり成立しないことになる。
音楽も同じことだ。劇団には、踊りはできてナンボの役者が多いから、地方との息が合っていなくては話にならない。もちろん、世話物における鳴り物は、芝居そのものでもある。あと、新作を出すことが当たり前だった劇団の歴史からしても、竹本の作曲など、ツーカーで了解できるブレーンが必須だ。
だからこそ、劇団は、常にチームとして動く
シンをとる役者だけで芝居にならないことを嫌というほどしっているために、歌舞伎の基礎技術を尊び、それらの技芸の世代間継承を、チーム全体で、常に考えているはずなのである。

それは、なぜなのか?
一言でいうなら、音羽屋の家の芸とは、かつては当たり前に幕内にあったろう、歌舞伎の基礎体力・総合力に、依存する代物だからだ。
同時に、世話物とは、実のところ、保存不可能な領域の芝居でもある。
何よりもリアルさが前提とされているけれど、そのリアルさの手本は【江戸】であって、平成ではない。
にも関わらず、見物がすでに【江戸】の匂いへの感応力を失っており、平成の自分たちにわかるものを求める。
世話物が、一見すると時代物よりわかりやすそうにみえるだけに、より一層そうなる。
要するに、伝統歌舞伎としての世話は、伝承することそのものがほとんど無謀な、矛盾律なのである。
私個人は、古典歌舞伎でまず絶えるのは世話狂言だと考えているし、その時期はかなり早いと感じている。
劇団でさえ味わいが薄くなっており、前進座の方が「いかにも世話らしい…」と思えるくらいなのだから。

こういう矛盾律を、菊五郎は早くから察知できただろう。
役者が一人失われる度に「もう二度と再現できない」形や風情が実感できたろうし、全く埋め合わせのきかない中それでも【江戸】の世話にこだわることは、見果てぬ夢を妄想することに近いしんどさだったと思う。
まして、見物にとって、【江戸】の世話とは、どんどん縁遠いものになっていく、ピンと来ないものなのだ。
それゆえか、今の菊五郎には、ある種の諦観が感じられるのだ。「まあ、滅びちゃうだろうね」という感覚が。
その分、今や完全に滅び去っている純歌舞伎の復活に、意欲的になれるのかもしれないのだが…。

おそらく菊五郎にとって、歌舞伎とは、作品自体でも演技術でも興行成績でも、あるいは同時代性でもない。
劇団制だから保ってこられたさまざまな技術・知恵の総体が、歌舞伎の姿なのであり、伝承すべきは、そのような
総合システムそのものだろう、という意識があるように思われる。

タイムマシーンがないのに、どうやって【江戸】を保存し続けていくのか?といえば、理屈じゃなく、現代の見物の熱狂でもなく、劇団在籍の古老の体や声、姿をまず信じ、焼きつけ、その上で可能な限り模倣していくだけだ。
むろん、刻々と滅びゆく前近代を体の中に植えつける修業として、立廻りや踊りも絶対に外せない。
なんというか、インフラありきというのが、菊五郎劇団の姿勢であるような気がする。
それがあった上で初めてモノづくりができ、それらは人に宿っていると考えるのが、いわゆる職人的思考である。
芸術的アプローチや自己表現としてのモノづくり、あるいは同時代性を模索する歌舞伎の姿と、菊五郎劇団の方向性とが異なるのは、そこなのである。
なお、現時点での興行として外すことができない「今感」は、あくまでも入れ事として扱われている。ちょっとしたご趣向の範囲を決して出ないのだ。劇団の復活などをみていると、そのことがとてもよくわかる。

話が迂遠になってしまったが、少なくとも私にとっての『児雷也』のよさは、劇団の職人魂にあった。
役者をみせる芝居でもありながら、近世には当然だった厳しい階級制度下、全員がそれぞれの分を尽し、後には何一つ残らない、非日常の興奮や気分、一致挙行のお祭りを、あくまでも歌舞伎役者が独自に創りあげ提供する。
こういう仕組みが、いかにも江戸っぽい気がしてならないし、『児雷也』は歌舞伎らしさ、歌舞伎の定式をきちんと踏襲した、存外、律義で真面目な、新作歌舞伎だったとも思う。
以下、もう少し、具体的な感想をあげてみたい。 次へ
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