ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■ 三度目の殺人 (2017)

2017年09月17日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
ピンと張りつめた温度の低い画面。それは事件の高揚の反動のようだ。“生れてこなかった方が良い人間もいる”“誰を裁くのかを、誰が決めるのか”“ここでは誰も本当のことを言わない”“あなたはただの器なのか”そんな呪詛が我々を常識のらち外へと導いていく。

【ご注意】これ以降、作品の結末に関するネタバレがあります。

端から善悪や真実の追究など眼中になく“真実とは何か”などという、手あかのついた哲学もどきの話しをするつもりは是枝裕和にはなさそうだ。蛇足だが、当然、真犯人は誰なのかなどという「答え」は是枝の関心の範疇にない。

重要なことは、これは法廷ではなく接見室での出来事を核に据えた話しだということだ。制度や人の社会的公平性を問う法廷劇ではなく、ひたすら内側へ閉じていくことで制度と人の相容れなさを提示する密室の心理劇なのだ。争ったり、裁いたり、裁かれたるする以前の問題(話し)なのだ。

核心は、自分は人を殺めたかもしれないとほのめかす三隅(役所広司)が、一貫して、争うことも、裁かれることも「拒絶」しているところにだ。この作品の凄味は、法制度の建てつけや運用の矛盾ではなく、物事の正しいありかたを規定する道理(制度)と、人が心地よく生きるための感情(倫理)の間に存在する避けられない違和を、強引かつ巧みにあぶり出したところにあるのだ。

(9月9日/TOHOシネマズ)

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