ぽんペル日記

ヨーキーぽんちゃんとの暮らし。ペルも仲間入り。

新たな一歩

2011-07-31 22:11:19 | ひとりごと

りゅうの闘病記を書くきっかけは ブログ村の新しくできたカテゴリー

「犬 闘病記 永眠」

に登録した事でした。

 

愛する子を亡くした飼い主さんたちが 

同じ場所で 同じ心の痛みを癒せる場になるのかなって期待しての登録でしたが 

その時は 登録してるのが2人だけで まるでわたしの独占場所のようになってしまってました。

人気記事も 新着記事も わたしのブログ名だけが並び

とても 恥かしく 穴があったら入りたい心境でした。

このカテゴリーに添ったブログじゃないと また強制移動させられても悲しいので 闘病記を 思い出しながら書きました。

書くよ!!って前もって宣言した割には どうも お粗末なものしか書けませんでしたが

いざ 書き終わると 虚脱感に襲われました。

りゅうを 思い出し また亡くした当時の気持ちにタイムスリップしたような感覚でした。

昨日 ひとりっきりだったので 久しぶりに大泣きした一日でした。

うまく 言葉にして気持ちを伝えられませんが

もうこのブログで りゅうの事を書けないような なにも書くことがなくなったような そんな気持ちになっていました。

一晩寝て 今日もあまり体調も 気分もよくなかったんですが

ふと りゅうの祭壇に目をやると 

羊毛りゅうと 骨壷の写真のりゅうが

心配そうに こちらをジッと見つめていました。

この数日間 実は とても悩んでいることがありました。

そして おもいきって 前に進むことに決めました。

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きっと りゅうは 応援してくれると信じています。

「おかあさん それでええねんで」

そう言ってくれると 信じています。

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椎間板ヘルニア 闘病記  ありがとう

2011-07-24 21:01:46 | りゅうの椎間板ヘルニア闘病記

素人ながらも 一生懸命に頑張りました。

祈るような気持ちで 家族がひとつの目標に向かいました。

そして りゅうは その思いに みごとに応えてくれました。

手術してから丸二カ月 発症してからだと丸三カ月

立つどころか 動かすことも出来なくなった足が ピクン と動きました。

いつものように プールをして ドライヤーで乾かせていた時

りゅうの足が 風を避けるように動きました。

床に寝かせて 温風をかざすと

足で床をかき出しました。

起きあがることは無理でも 横たわったままでしたが

ゆっくりと足を動かして 少しずつ少しずつ 体の位置が変わっていきました。

もう ほんとうは希望を失い諦めていただけに うれしいパニックになりました。

それからというもの お風呂で浮いているだけだった足が

そろりそろりと犬かきをするようになりました。

肉球を床につけると ナックリングが 減ってきました。

あれほど屈伸運動を手助けしていても みるみる落ちていた筋肉が

たとえ横たわったままでも 自分の力で動かすだけで 戻り始めました。

人間の赤ちゃんの首がすわり 寝返りを打ち お座りが出来 つかまり立ちをする。

りゅうは まるで そんな感じでした。

そして りゅうは 奇跡をおこしました。

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2006年9月のりゅうです。

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2006年11月のりゅうです。

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この病気の為に りゅうが失ったものは多いです。

風を感じて走ること

飛び乗ったり飛び降りたりすること

後足で耳や体を掻き掻きすること

伸びをした時に後足も一緒にのばすこと

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だけど この病気の為に わたしたち家族は りゅうからたくさんの幸せをもらいました。

名前を呼ぶと 首をかしげてくれる 

訴えたい事があると ちょんちょんと手で合図してくれる

帰宅すると ドアの所まで出て来てくれる

トイレに入ると 戸をガリガリしてくれる

ニ階に行くと階段の下で お座りしてくれてる

ご飯を作ってると 足元で見上げてくれる

なんてことのない日常が こんなにもありがたくて

しあわせでした。

こんなことがなかったら

あたりまえすぎて ありがたみも感じないまま りゅうと過ごしていたでしょう。

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りゅうの闘病記は これで終わりです。

いざ書いてみると 

同じ病気で苦しみ悩んでいる愛犬ちゃんや飼い主さんの参考になるような闘病記には なってませんでしたが(笑)

わたしにとっては

人生で これほど泣いて 笑う事が この先あるのかどうか

とさえ思える出来事でした。

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椎間板ヘルニア 闘病記   リハビリ

2011-07-22 10:42:55 | りゅうの椎間板ヘルニア闘病記

手術のストレスか? 体を動かせないストレスか?

それとも 長期服用中のステロイドの副作用か?

原因はわかりませんが りゅうの耳 足 しっぽの毛が 抜けだしました。

抜けるというよりも 皮ごと剥がれ落ちるという状態でした。

やわらかい感触だった体が つるつるヌメヌメした感触に変わり

黒光りしてきました。

もともと歯垢がたまっていたせいもあって 

りゅうの歯も あっという間に 抜け落ちました。

ヘルニアになる前の かわいかったヨーキーの顔つきが みるみる変わっていってしまいました。

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病院から話が出た リハビリ施設への入所は

お金が出せる自信がなかったので お断りするしかできませんでした。

りゅうが 歩けるなら 精一杯の事をしてあげたいと思いながらも

それが出来ないのが 悔しかったです。

ちょうど その施設が TVで放送されると教えてもらい 見てみると

りゅうのように動けなくなった子が プールでリハビリをして 歩けるようになっていました。

その放送の題名は

       夢の扉

だったと思います。

りゅうに 夢の扉を開ける機会を与えてあげられなかった 情けない飼い主。

そんな 後悔を 一生背負っていきたくない!!

そんな思いから 見様見真似のリハビリが 始まりました。

その時に 一番苦労したのは

りゅうの体のサイズにあった 介護用品を探しだすことでした。

どこに行っても 四肢麻痺の子用の補助ベルトがありません。

タオルをお腹に渡して宙吊りにさせたりもしましたが 安定感がなく

うまくいきませんでした。

そして ネットでやっと巡り合え 直接そのお店に行き りゅうに巻きつけて納得したのが 前にも画像を載せたこれでした。

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当時は こんなにしっかりした体じゃなかったので 

ただ空中でぶら下げてるだけでしたが 横たわったままでいるよりも

体を起こせているというりゅうの喜びが 感じられました。

バーチャルの散歩をしているりゅうは うれしそうでした。

次に探したのが ライフジャケットです。

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ジェットバス付きの お風呂や プールには入れてあげられませんでしたが

狭い我が家のお風呂で りゅうは これをつけて ぷかぷか浮いていました。

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こんな素人リハビリを続けているうち りゅうの足に奇跡が起きだしました。

 

 

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椎間板ヘルニア 闘病記  居心地のいい場所 悪い場所

2011-07-21 13:00:53 | りゅうの椎間板ヘルニア闘病記

体はカチカチに固まり 足は伸びきったまま曲がらない

水さえも 自分では飲めなくなったりゅうが

帰ってきました。

入院中は 気にもしなかった 手術で剃られた毛の部分や 傷跡を 

あらためて見て 

こんなに 広範囲を切り開かれたんだと思うと 胸が張り裂けそうになりました。

それでも 生きて帰ってきてくれた。

希望を捨てずにいよう。

そんな気持ちも初めだけで

日々 変わらない容態に いつしか諦めモードになっていきました。

筋肉がおちて ペロペロに骨と皮だけになった足を見るたび

涙が出てきます。

いざ立てるようになったときに 筋肉がないと 立てるものも立てない

と言われて 毎日ほぼ一日中 足の屈伸運動をしていました。

でも そんなことをしたところで 落ちた筋肉が元通りになることもなく

だんだん わたしの精神状態までもが 悲鳴をあげだしました。

りゅうの 屈伸運動をさせないと もっと悪くなる

そんな強迫観念にかられて りゅうを置いて 出かけることができなくなりました。

この時期に 娘の高校の卒業式があったのに それさえも 行きませんでした。

人に会うと 驚かれるほど 顔つきまで変わっていたようです。

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抜糸は 手術の報告も兼ねて 発症した時に診てもらった病院にいきました。

お借りしていたレントゲンと 大学病院から渡すように言われたCT画像を渡しました。

てっきり 診察室で 手術の話や 今の状態を聞かれると思っていました。

もしかしたら りゅうの頑張りを ねぎらってくれるかなってワクワクもしていました。

だけど

一切 なにも聞かれず CT画像も見てくれませんでした。

何しに来たの?

そんな態度に感じました。

抜糸をお願いすると あ~そういうことね!って態度でした。

ちょいちょいっと抜糸をされて ヘルニアに関しては うちは関係ないですよって態度でした。

がっくりきました。

その後 何回かこの病院に行きましたが ヘルニアのことは 聞かれないままでした。

一生懸命に頑張ったりゅうを ないがしろにされたような うとましく思われたような なんとも言いようのない 冷酷さを感じました。

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大学病院の待合室も だんだん慣れてきたわたしは ほかの飼い主さんと会話を交わせる余裕もでてきました。

重病の子が多い待合室では 寝たきりのりゅうに あたたかいまなざしがありました。

がんばったのね!

欲しかった言葉も ほかの飼い主さんから かけてもらえました。

もう ダメなんだろうなーとやけくそになってる わたしの心が あたたかくなる場所でした。

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りゅうの固まった体が少し柔らかくなりだしたのもこの頃(術後三週間)です。

背中は こんもりと猫背のように曲がってしまいましたが

足の深部痛覚も残っていました。

排泄も 感覚があって 教えてくれました。

大学病院から 名古屋にあるリハビリ施設に預けてはどうかという話がでてきました。

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椎間板ヘルニア 闘病記  宣告

2011-07-17 00:20:03 | りゅうの椎間板ヘルニア闘病記

手術翌日 元気になったりゅうに会えると思いながら 病院に向かいました。

昨日は 麻酔が醒めきってなかったから あんなに元気がなかったけど

今日は絶対に大丈夫!!

そう思うと 歩く速度もはやまりました。

でも部屋に通され 飛び込んできたのは 

点滴の管だらけのグッタリと横たわってるりゅうでした。

頭を撫でると わずかに表情はやわらぎました。

「りゅう 痛いんか?  動かれへんのか?」

そう問いかけると 涙をいっぱいためて 訴えかけるような眼で見つめていました。

先生から 説明された事

それは 耳を疑うような話でした。

ほとんどの子(今までの実例)は 術後すぐか 数時間で 歩いていたか 歩く素振りをしたらしいです。

りゅうを 一晩観察したところ 歩く様子が全くうかがえないし

歩こうという気持ちが ないようだと・・・・・・

思ったより ヘルニアが重症で 長期にわたって神経を圧迫していたそうです。

この時点で この状態ということは 

歩ける希望は薄く  このまま寝たきり状態だと言われました。

そして とどめの一言が 

「残念です」

頭が真っ白になりました。

残念って・・・・・・見捨てるの・・・・・・

なんのために 辛い麻酔をかけて検査して 痛い思いをしてまで手術させてしまったのか。

前より もっと体も足もガチガチに固くなってしまってるりゅうを見て

自分がした決断が とんでもない事態を招いたことに 間違った決断をした自分に怒りがこみあげました。

しなければよかった。

なんてことしてしまったんだろ。

りゅうが かわいそうで 謝るしかできませんでした。

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次の日も次の日も また次の日も りゅうに会いにいきました。

歩くどころか 動く様子すら見せてはくれませんが 

わたしが頭や体を撫でると 表情は安心したように見えました。

動けないりゅうでも 生きていてくれたという喜びも感じられるようになってきました。

わたしたち家族しか知らなかったりゅうが 若い学生さんたちに可愛がってもらってる様子を見てると

それはそれで 微笑ましい気持ちにもなれました。

赤ちゃんのように タオルにくるまれて  学生さんたちと散歩しているりゅうは ちょっと甘えた表情もしていて

可愛かったのを覚えています。

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退院の前日 もう一度 先生から説明がありました。

「おそらく このままの状態でしょう。

寝たきりの状態でも わずかに首を持ち上げられたら お赤飯でしょう。」

ふざけたような言い回しに 腹が立って 言い返したような記憶があるんですが なんて食ってかかったのかは 忘れてしまいました。

このやりとりを見ていた大学院生の先生が 言ってくれた言葉が 

「先生は あんな言い方しましたが 二か月 三か月して歩く子もいますから 頑張ってみましょう」

でした。

この時は ピンとこなかったんですが 家に帰って ネットで検索しまくると

二ヶ月後に歩けた子がいました。

実際のその子は見ていませんが ヘルニアの掲示板みたいなところで

そう書いてありました。

うろ覚えなんですが

海君という子の飼い主さんが 相談者の方たちを 励まして親身に答えておられた掲示板だったと記憶しています。

ネットに慣れてないし ネットがこわいというイメージを持っていたわたしは 相談を書いては消していました。

のどから手が出るくらい なにかアドバイスがほしくてたまらなかったのに 勇気がなくて 相談できなかったんです。

でも この掲示板と 大学院生の先生が言ってくれた言葉で

わたしの希望の灯は 消えませんでした。

とても感謝しています。

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退院の日を迎えて

りゅうは生きて帰ってきてくれました。

 

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