10月14日(日)仲道郁代(Pf)
~ベートーヴェン宇宙 SCENE 3~
紀尾井ホール
【曲目】
1. ソナタ第29番変ロ長調 Op.106「ハンマークラヴィーア」
2.ソナタ第26番変ホ長調 Op.81a
3.ソナタ第32番嬰ハ短調 Op.111


【アンコール】
ショパン/別れの曲
今日の仲道さんのリサイタルはベートーヴェンのソナタを集めた3回シリーズ「ベートーヴェンの宇宙」の最終回。ハンマークラヴィーアと最後の32番のソナタという、超重量級の難曲が2つも並んだ勝負を挑むような選曲。仲道さんはプログラムに「どうかあまり構えずにお聴きください」と書いているが、「全ての音に意味がある」といった内容の自ら手がけた曲目解説からも仲道さんの並々ならぬ意欲が伝わり、選曲も選曲だし、気楽な気持ちで聴けるわけがない。
いきなり1曲目が「ハンマークラヴィーア」。空中分解ぎりぎりのところで成り立っているようなこの難物に、仲道さんは真正面から挑み、堂々とした演奏を打ち立てた。途中ハッとする場面が僅かにあったが、地に足がしっかりと根付いた揺るぎなさと、深い叙情性を伝える見事な演奏。とりわけ第3楽章で聴かせた、解き放たれた「歌」の魅力と、そこから発展してゆく深淵な世界の美しさ。そして、エネルギーを一杯に蓄えて繰り広げられた第4楽章の堂々たるフーガは聴きものだった。
プログラムの真ん中に置かれた「告別ソナタ」は、両端の大曲の中で埋もれることなく、活き活きと生命力溢れる演奏でその存在を訴えていた。そして、ステージ袖に退場するここなく続けて演奏された最後のソナタは、これまで僕が聴いたこの曲の演奏のなかでも最も感銘深い演奏のひとつに数えられるものとなった。
この32番のソナタを演奏するピアニストは、きっと誰でも一種の勝負をかけて挑みかかるようなところがあると思う。気負いが空回りしてしまうケースもあれば、うまく音楽を捉えてがっちりと噛み合うケースもあるが、今日の仲道さんの演奏は、そうした気負いとか挑戦といった次元をも越えたところにあった。第1楽章、腹の底にまで響いてくる濃密な重低音は、ただがむしゃらに突進してくるものではなく、しなやかで深く、闇の中を透視するかのような明晰さで、心の最も敏感なところを射止めてきた。そして、第2楽章では、仲道さんがショパンやグリーグなどの演奏で聴かせてくれる真心のこもった親密さとはまた異なる崇高な世界を見た。いろんなことをやってみたくなるファンタジックな要素もある音楽だが、仲道さんは常に高いところにある一点を見つめ、迷うことなくその高みへ向かって上りつめていった。その姿は魂が洗われるように美しい。果てしなく延びる鮮やかで強い光を放ち、終わりに向かうほどに浄化され、心の深くまで強く響いてきた。
今年の2月に聴いた前回のリサイタルの印象からは、正直ここまでの演奏が聴けるとは思わず出かけた今日のリサイタルだったが、長年に渡りベートーヴェンに挑み続ける仲道さんの思いや探究心が、そのまま演奏という形になって実現した瞬間に立ち会った思いがした。
~ベートーヴェン宇宙 SCENE 3~
紀尾井ホール
【曲目】
1. ソナタ第29番変ロ長調 Op.106「ハンマークラヴィーア」

2.ソナタ第26番変ホ長調 Op.81a

3.ソナタ第32番嬰ハ短調 Op.111



【アンコール】
ショパン/別れの曲

今日の仲道さんのリサイタルはベートーヴェンのソナタを集めた3回シリーズ「ベートーヴェンの宇宙」の最終回。ハンマークラヴィーアと最後の32番のソナタという、超重量級の難曲が2つも並んだ勝負を挑むような選曲。仲道さんはプログラムに「どうかあまり構えずにお聴きください」と書いているが、「全ての音に意味がある」といった内容の自ら手がけた曲目解説からも仲道さんの並々ならぬ意欲が伝わり、選曲も選曲だし、気楽な気持ちで聴けるわけがない。
いきなり1曲目が「ハンマークラヴィーア」。空中分解ぎりぎりのところで成り立っているようなこの難物に、仲道さんは真正面から挑み、堂々とした演奏を打ち立てた。途中ハッとする場面が僅かにあったが、地に足がしっかりと根付いた揺るぎなさと、深い叙情性を伝える見事な演奏。とりわけ第3楽章で聴かせた、解き放たれた「歌」の魅力と、そこから発展してゆく深淵な世界の美しさ。そして、エネルギーを一杯に蓄えて繰り広げられた第4楽章の堂々たるフーガは聴きものだった。
プログラムの真ん中に置かれた「告別ソナタ」は、両端の大曲の中で埋もれることなく、活き活きと生命力溢れる演奏でその存在を訴えていた。そして、ステージ袖に退場するここなく続けて演奏された最後のソナタは、これまで僕が聴いたこの曲の演奏のなかでも最も感銘深い演奏のひとつに数えられるものとなった。
この32番のソナタを演奏するピアニストは、きっと誰でも一種の勝負をかけて挑みかかるようなところがあると思う。気負いが空回りしてしまうケースもあれば、うまく音楽を捉えてがっちりと噛み合うケースもあるが、今日の仲道さんの演奏は、そうした気負いとか挑戦といった次元をも越えたところにあった。第1楽章、腹の底にまで響いてくる濃密な重低音は、ただがむしゃらに突進してくるものではなく、しなやかで深く、闇の中を透視するかのような明晰さで、心の最も敏感なところを射止めてきた。そして、第2楽章では、仲道さんがショパンやグリーグなどの演奏で聴かせてくれる真心のこもった親密さとはまた異なる崇高な世界を見た。いろんなことをやってみたくなるファンタジックな要素もある音楽だが、仲道さんは常に高いところにある一点を見つめ、迷うことなくその高みへ向かって上りつめていった。その姿は魂が洗われるように美しい。果てしなく延びる鮮やかで強い光を放ち、終わりに向かうほどに浄化され、心の深くまで強く響いてきた。
今年の2月に聴いた前回のリサイタルの印象からは、正直ここまでの演奏が聴けるとは思わず出かけた今日のリサイタルだったが、長年に渡りベートーヴェンに挑み続ける仲道さんの思いや探究心が、そのまま演奏という形になって実現した瞬間に立ち会った思いがした。