2月19日(木)パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK交響楽団
《2015年2月Bプロ》 サントリーホール
【曲目】
1. R.シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」 Op.20
1. モーツァルト/ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503
【アンコール】
バルトーク/チーク地方の3つのハンガリー民謡~
Pf:ピョートル・アンデルジェフスキ
2.R.シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」Op.40
今年9月の新シーズンからN響の首席指揮者に就任するパーヴォ・ヤルヴィを迎えた今月の定期は、去年の12月に聴いたドイツカンマーフィルとの素晴らしい演奏の記憶も新しく、期待大で出掛けた。
ステージからこぼれるほどの大編成の楽員が待つステージに颯爽と現れたパーヴォ・ヤルヴィがタクトを振り下ろし、颯爽と始まった「ドン・ファン」は、自信に溢れ、活力みなぎり、グイグイと前進しつつ輝かしいサウンドを響かせた。その様子は、まさに自信過剰で向こう見ずなこの交響詩の主人公を体現している。
オーケストラの並々ならぬ気合いが、無駄に消費されることなく演奏の血となり肉となり、熱い息吹を吐きながら迫ってきた。それだけでなく、ドン・ファンが夢見心地になるところでの叙情豊かな表現も素晴らしい。茂木さんの息の長いオーボエの詩情をたたえた調べが特に耳に残った。
次はオケの編成をぐっと絞り、アンデルジェフスキをソリストに迎えたモーツァルトのコンチェルト。劇場での華やかなセレモニーの開始を伝えるようなオケの前奏でも、パーヴォ/N響は引き締まった輝かしい演奏を聴かせた。何度も表れる3連打のモチーフがワクワク感を高めて行きピアノを導く流れの何と生き生きした息づかい。アンデルジェフスキのピアノは、そんなオケの息づかいをそのまま受け継ぎ、クリアで嬉々とした言葉を紡いでいった。
オケとピアノがロマンチックに溶け合う、というのではなく、それぞれが自分の個性を示しながら戯れているよう。陽光を浴びてさざめく海面がオーケストラなら、そこをピチピチ跳ねる魚がアンデルジェフスキのピアノといったところ。こんな両者の戯れは第3楽章でのチャーミングなやり取りで益々ウキウキさせてくれた。アンデルジェフスキはまるでジャズの即興を弾くように、インスピレーションがどんどん涌き出てくるのが楽しくて仕方ない、という様子。アンコールで弾いた曲もとても即興的に聴こえた。
後半は再びシュトラウス。ここでもパーヴォ/N響は底力を発揮した。オケが一丸となって跳びかかり、食らいついてくる勢いがハンパでなく、防具をみんなかなぐり捨てて、怪我など顧みず裸で挑んでくる本気の迫力を感じた。この気迫はここでも空回りすることなく、各セクションが膝を突き合わせてガッチリとスクラムを組んで突進してくる。がむしゃらに突っ走るだけでなく、エネルギーは内部にも向けられ、演奏にたっぷり滋養を与えることで、潤いと光沢がもたらされるところは、N響の懐の深さと言えるだろう。
「英雄の戦い」の終盤で「ドン・ファン」のホルンのファンファーレが高らかに鳴り響いたとき、プログラム最初の「ドン・ファン」と繋がったたけでなく、シュトラウスが愛してやまなかったモーツァルトの作品が2つの交響詩の間に置かれた意味がはっきりと示された。
終曲「英雄の引退と死」で奏でられたまろさんのヴァイオリン・ソロは、第3曲「英雄の伴侶」で聴かせた、魅力的だけれど一筋縄では行かない、したたかな女性像の描写とは打って変わって、長かった生涯を穏やかに閉じる主人公のことを全て受け入れ、優しく包み込むような慈愛に満ちた表現が素晴らしく、自画自賛の塊のようなこの交響詩を、普遍的な次元に押し上げていた。
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《2015年2月Bプロ》 サントリーホール
【曲目】
1. R.シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」 Op.20
1. モーツァルト/ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503
【アンコール】
バルトーク/チーク地方の3つのハンガリー民謡~
Pf:ピョートル・アンデルジェフスキ
2.R.シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」Op.40
今年9月の新シーズンからN響の首席指揮者に就任するパーヴォ・ヤルヴィを迎えた今月の定期は、去年の12月に聴いたドイツカンマーフィルとの素晴らしい演奏の記憶も新しく、期待大で出掛けた。
ステージからこぼれるほどの大編成の楽員が待つステージに颯爽と現れたパーヴォ・ヤルヴィがタクトを振り下ろし、颯爽と始まった「ドン・ファン」は、自信に溢れ、活力みなぎり、グイグイと前進しつつ輝かしいサウンドを響かせた。その様子は、まさに自信過剰で向こう見ずなこの交響詩の主人公を体現している。
オーケストラの並々ならぬ気合いが、無駄に消費されることなく演奏の血となり肉となり、熱い息吹を吐きながら迫ってきた。それだけでなく、ドン・ファンが夢見心地になるところでの叙情豊かな表現も素晴らしい。茂木さんの息の長いオーボエの詩情をたたえた調べが特に耳に残った。
次はオケの編成をぐっと絞り、アンデルジェフスキをソリストに迎えたモーツァルトのコンチェルト。劇場での華やかなセレモニーの開始を伝えるようなオケの前奏でも、パーヴォ/N響は引き締まった輝かしい演奏を聴かせた。何度も表れる3連打のモチーフがワクワク感を高めて行きピアノを導く流れの何と生き生きした息づかい。アンデルジェフスキのピアノは、そんなオケの息づかいをそのまま受け継ぎ、クリアで嬉々とした言葉を紡いでいった。
オケとピアノがロマンチックに溶け合う、というのではなく、それぞれが自分の個性を示しながら戯れているよう。陽光を浴びてさざめく海面がオーケストラなら、そこをピチピチ跳ねる魚がアンデルジェフスキのピアノといったところ。こんな両者の戯れは第3楽章でのチャーミングなやり取りで益々ウキウキさせてくれた。アンデルジェフスキはまるでジャズの即興を弾くように、インスピレーションがどんどん涌き出てくるのが楽しくて仕方ない、という様子。アンコールで弾いた曲もとても即興的に聴こえた。
後半は再びシュトラウス。ここでもパーヴォ/N響は底力を発揮した。オケが一丸となって跳びかかり、食らいついてくる勢いがハンパでなく、防具をみんなかなぐり捨てて、怪我など顧みず裸で挑んでくる本気の迫力を感じた。この気迫はここでも空回りすることなく、各セクションが膝を突き合わせてガッチリとスクラムを組んで突進してくる。がむしゃらに突っ走るだけでなく、エネルギーは内部にも向けられ、演奏にたっぷり滋養を与えることで、潤いと光沢がもたらされるところは、N響の懐の深さと言えるだろう。
「英雄の戦い」の終盤で「ドン・ファン」のホルンのファンファーレが高らかに鳴り響いたとき、プログラム最初の「ドン・ファン」と繋がったたけでなく、シュトラウスが愛してやまなかったモーツァルトの作品が2つの交響詩の間に置かれた意味がはっきりと示された。
終曲「英雄の引退と死」で奏でられたまろさんのヴァイオリン・ソロは、第3曲「英雄の伴侶」で聴かせた、魅力的だけれど一筋縄では行かない、したたかな女性像の描写とは打って変わって、長かった生涯を穏やかに閉じる主人公のことを全て受け入れ、優しく包み込むような慈愛に満ちた表現が素晴らしく、自画自賛の塊のようなこの交響詩を、普遍的な次元に押し上げていた。
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