9月28日(金)フェルメール・クァルテット ファイナルステージ
~ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏会第2日~
紀尾井ホール
【曲目】
1.ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第5番イ長調Op.18-5
2.ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第11番へ短調Op.95「セリオーソ」
2.ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第13番変ロ長調Op.130
2年前の春、やはり紀尾井ホールでジュリアード、アルバン・ベルクSQと並んで「世界のトップ・スリーを聴く」シリーズで柔らかく深い響きの演奏に魅了されたフェルメール・クァルテットが、引退記念ツアーでベートーヴェンをやるというからには聴きにいくしかない、と2日目のプログラムを聴いた。
第1曲目のOp.18-5からさっそく2年前に聴いた時の記憶が甦ってきた。柔らかな音質で均整のとれた響きに前回の印象がそのまま呼び起こされた。そしてただ整っていて美しいだけでなく、深い色合いが全体を支配し、この初期の作品に濃淡豊かな味わいを与える。
2曲目の「セリオーソ」では作品自体の思索的な突っ込みの深さを、フェルメールの演奏が更なる深みへと導いていった。「激しさ」「厳しさ」「情熱」といったものが強調されることの多い冒頭のモチーフが、このように思索に富んだものだったということをフェルメールSQは教えてくれる。幅広いダイナミックレンジや強烈なアクセントといった、いわゆる「ベートーヴェンらしさ」よりも、内的な世界を描くことに精進しているようで、音楽の核心に向かっているのを感じる。第2楽章冒頭のチェロの順次下行から最後に首をもたげるモチーフは思索に富んだ「問い」に満ちていて、返答を求められているよう。聴いている方もその「返答」を捜そうと演奏にのめり込んで行く。
第13番のカルテットは「大フーガ」の方ではない初稿版で演奏されたが、「大フーガ」は別の演奏会で単独で演奏されることになっており、全曲演奏会という趣旨から考えてもこれは正しい選択といえよう。
ここでもフェルメール・クァルテットの柔軟性と音色の美しさが際立つ。そしてその響きが運んでくる清められた典雅な風。第4楽章のAlla danza tedescaからイメージされるレントラー風の素朴なドイツ舞曲というよりも、高貴な響きを帯び、柔らかな羽毛を身にまとった白鳥の舞いを思わせ、それは第5楽章のCavatinaの深い深い世界へと導かれて行く。「大フーガ」に代えてアレグロのフィナーレが置かれたことで、プログラム解説によれば「ロココ風ディヴェルティメントの性格へと転化された。」とあるが、フェルメールのアレグロ楽章は秋の木漏れ日の中、霧が晴れたように人生を達観した老人が馬車に乗りゆったりと去ってゆく映画のラストシーンを観ているような気分にさせられた。
フェルメールカルテットが「さよなら」と微笑みながら去っていってしまう気がしたが、フェルメールのファイナルコンサートシリーズは3公演のセット券を買ったので、まだあと2公演聴ける。次回への期待は高まるばかりだ。
フェルメール・クァルテット ファイナルステージ第4日(10/3)
フェルメール・クァルテット ファイナルステージ第5日(10/6)
~ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏会第2日~
紀尾井ホール
【曲目】
1.ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第5番イ長調Op.18-5
2.ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第11番へ短調Op.95「セリオーソ」
2.ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第13番変ロ長調Op.130
2年前の春、やはり紀尾井ホールでジュリアード、アルバン・ベルクSQと並んで「世界のトップ・スリーを聴く」シリーズで柔らかく深い響きの演奏に魅了されたフェルメール・クァルテットが、引退記念ツアーでベートーヴェンをやるというからには聴きにいくしかない、と2日目のプログラムを聴いた。
第1曲目のOp.18-5からさっそく2年前に聴いた時の記憶が甦ってきた。柔らかな音質で均整のとれた響きに前回の印象がそのまま呼び起こされた。そしてただ整っていて美しいだけでなく、深い色合いが全体を支配し、この初期の作品に濃淡豊かな味わいを与える。
2曲目の「セリオーソ」では作品自体の思索的な突っ込みの深さを、フェルメールの演奏が更なる深みへと導いていった。「激しさ」「厳しさ」「情熱」といったものが強調されることの多い冒頭のモチーフが、このように思索に富んだものだったということをフェルメールSQは教えてくれる。幅広いダイナミックレンジや強烈なアクセントといった、いわゆる「ベートーヴェンらしさ」よりも、内的な世界を描くことに精進しているようで、音楽の核心に向かっているのを感じる。第2楽章冒頭のチェロの順次下行から最後に首をもたげるモチーフは思索に富んだ「問い」に満ちていて、返答を求められているよう。聴いている方もその「返答」を捜そうと演奏にのめり込んで行く。
第13番のカルテットは「大フーガ」の方ではない初稿版で演奏されたが、「大フーガ」は別の演奏会で単独で演奏されることになっており、全曲演奏会という趣旨から考えてもこれは正しい選択といえよう。
ここでもフェルメール・クァルテットの柔軟性と音色の美しさが際立つ。そしてその響きが運んでくる清められた典雅な風。第4楽章のAlla danza tedescaからイメージされるレントラー風の素朴なドイツ舞曲というよりも、高貴な響きを帯び、柔らかな羽毛を身にまとった白鳥の舞いを思わせ、それは第5楽章のCavatinaの深い深い世界へと導かれて行く。「大フーガ」に代えてアレグロのフィナーレが置かれたことで、プログラム解説によれば「ロココ風ディヴェルティメントの性格へと転化された。」とあるが、フェルメールのアレグロ楽章は秋の木漏れ日の中、霧が晴れたように人生を達観した老人が馬車に乗りゆったりと去ってゆく映画のラストシーンを観ているような気分にさせられた。
フェルメールカルテットが「さよなら」と微笑みながら去っていってしまう気がしたが、フェルメールのファイナルコンサートシリーズは3公演のセット券を買ったので、まだあと2公演聴ける。次回への期待は高まるばかりだ。
フェルメール・クァルテット ファイナルステージ第4日(10/3)
フェルメール・クァルテット ファイナルステージ第5日(10/6)
僕は何年か前、地元新潟でフェルメールを聴きました。そのときはラズモフスキーの2番とOp.127でした。
まさに仰るとおり、馥郁として滋味豊か、けれどもその響きの中から、毅然としたベートーヴェンの音楽が響いてきて、まさに襟が正される思いでした。後にも先にもあのように品格があるベートーヴェンの四重奏は聴いたことがありません。
最終日の演奏が聴けるといいのですが、生憎と8日の「トリスタン」を聴くために棒に振った東響新潟公演の替わりに川崎定期を聴きにいくことになりバッティング。
涙を飲み飲みフェルメールを諦めました(泣)。
フェルメールSQの感想にこのようなコメントを頂けるなんて嬉しいですねー、前回このカルテットを初めて聴いた時、「アメリカの弦楽四重奏団」ということで勝手に想像していたイメージと全然違ったことで益々強い印象が残り、今回の最後の来日はずっと前から楽しみにしていました。前回と変わらぬ健在ぶりで引退は本当に惜しまれるところです。とにかくあと2回の公演を心に刻んで参ります。