facciamo la musica! & Studium in Deutschland

足繁く通う演奏会の感想等でクラシック音楽を追求/面白すぎる台湾/イタリアやドイツの旅日記/「ドイツ留学相談室」併設

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2010

2010年05月02日 | pocknのコンサート感想録2010
~ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2010~
東京国際フォーラム
今年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンは「ショパンの宇宙」と題して、生誕200年を迎えるショパンの作品を中心にプログラムが組まれた。会期が短縮となった去年同様に今年も3日間の開催。そのうち初日の5月2日に東京国際フォーラム出かけ、5つの公演を聴いた。家族総出で聴くのも恒例となっているラ・フォル・ジュルネだが、今回は昼過ぎの公演を家族で聴いた。

エスニック系の屋台がたくさん出るのもこのフェスティヴァルの楽しみのひとつ。トルコのケバブにベトナムのフォー、台湾のタピオカミルクティなど試したが、タピオカミルクティー(300円)はタピオカが少なすぎ。台湾みたいにシェイクもしてくれないし… こんなん、タピオカミルクティーと呼びたくない!つい先月台湾で飲んだ(食べた?)珍珠奶茶が恋しい… あ、でもこれは演奏とは関係ない話。本題に入りましょう!

~5月2日(日)~

Pf:児玉桃
ホールD7(フランコム)

【曲目】
1. ショパン/4つのマズルカ op.41
2.ショパン/スケルツォ第2番 変ロ短調 op.31
3.ショパン/ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58

児玉桃のビアノは音がきれいだ。粒立ちがよく、各声部がそれぞれの役目を明確に弾き分ける。舞い上がった音は重力に逆らわずに降り立ち、端正で自然なラインを描く。そんな中だと時おり立ち止まって遠くに目をやったり、息をちょっと止める音の仕草がいっそう引き立つ。

マズルカではそうした呼吸のセンスが光り、スケルツォでは華やかな美音が映えた。ソナタでは整ったフレーズが有機的に連なってカチッとした枠組みを作ったなかで、瑞々しい音が自由に活き活きと行き交った。光が湖面できらきらと反射する美しさや、その光が湖底まで届く透明感が、音楽の聴かせどころをくっきりと鮮やかに彩っていった。とても清々しく、また元気をもらえるショパンだった。

フンメルとモーツァルト
ホールC(ヴィアルド)

【曲目】
1. フンメル/トランペット協奏曲 変ホ長調
2. モーツァルト/交響曲第35番 ニ長調 K.385「ハフナー」

【演 奏】
Tp:ロマン・ルルー
ウィルソン・ヘルマント指揮パリ室内管弦楽団


フンメルのコンチェルトでトランペット・ソロを吹いたルルーはフランスの若手プレイヤー。大柄な体でトランペットが小さく見える。演奏の方は、うーん、どうなんだろうか… 特に美音という印象は受けなかったし、テクニックが跳び抜けて秀でているという感じもしない。悪くはないし、時々ハッとするようないい音が聴こえはしたが、全体にソツなくこなしたという感じ。

耳を引いたのはむしろオーケストラ。アメリカ出身のヘルマントが指揮するパリ室内管弦楽団からはデリケートで瑞々しい音が聴こえてきた。モーツァルトの「ハフナー」では水を得た魚のように活きの良い演奏を聴かせてくれた。金管が映えた華やかな響きも、木管たちの温かく香り高い響きもいい。小気味良いテンポで進みながらも随所で柔らかなニュアンスで親密に語りかけてくるその語り口が粋で洒脱。ショパンがテーマの今回の「ラ・フォル・ジュルネ」でこんないいモーツァルトが聴けたのは思わぬ収穫だった。
Pf: アダム・ラルーム
G409(グジマワ)

【曲目】
1. モーツァルト/ピアノ・ソナタ第12番 ヘ長調 K.332
2.シューマン/子供の情景 op.15
3.ショパン/即興曲第3番 変ト長調 op.51
4.ショパン/スケルツォ第1番 ロ短調 op.20

今回5公演分のチケットを買ったうち唯一家族みんなで聴いた公演。ラルームというピアニストは名前を聞くのも初めて。フランス出身の若手で華奢な体つきの男性ピアニストだったが、これは素敵な出逢いとなった。

ラルームの手を触ったら、赤ちゃんの手のようにふくふくと柔らかいのでは、と想像してしまいたくなる瑞々しく柔らかな弾力性をそのタッチから感じた。そんな「ぷにぷに」のタッチで奏でるモーツァルトは気取ってなくて、打ち解けていて、モーツァルトの素顔に触れたような気分になった。悪戯っぽい目をした素顔のモーツァルトが、何か面白い話を始めそうな期待で心をくすぐられる。奇抜なことも大袈裟なこともしないでモーツァルトをこんなに楽しく聴かせることができるラルームのセンスに感服した。

続く「子どもの情景」でもそんな味が効いていた。3日前に聴いた恵さんの思い入れたっぷりの演奏より一見ずっと淡白だが、ささやかなウィットに富んだ演奏からは子どもの心に潜むいろんな感情が呼び起こされた。

ショパンでは表現の幅が更に拡がり、スケルツォのスケールの大きな演奏を聴いていたら、大海原を小さな舟で漕ぎ出し、大きな波間を進んで行くようなワクワクした浮揚感を覚えた。ラルームはこの先更に注目されるピアニストになるのではないだろうか。
ショパン ピアノ・ソロ作品全曲演奏
第2部 1827年-1828年「青春」 B7(ドラクロワ)

【曲目】
1. 3つのエコセーズ op.72-3
2.コントルダンス 変ト長調
3.ワルツ 変ホ長調 KK IV a-14
4.葬送行進曲 ハ短調 op.72-2
5.ノクターン ホ短調 op.72-1
6.ソナタ第1番 ハ短調 op.4
7.マズルカ イ短調 op.68-2
8.ポロネーズ 変ロ長調 op.71-2
9.ワルツ 変イ長調 KK IV a-13
10.ロンド ハ長調 op.73

【演 奏】
アンヌ・ケフェレック(4,5)
フィリップ・ジュジアーノ(6)
イド・バル=シャイ (7,8)
アブデル・ラーマン・エル=バシャ(1,2,9,10)
【朗読】石丸幹二


ショパンのピアノソロ作品を複数のピアニストで14回の公演で全曲演奏するという今回の「ラ・フォル・ジュルネ」でも一大イベントの2回目の公演。ここでは「青春」と題してショパン17~18歳の作品が演奏された。演奏はケフェレックやエル=バシャなど著名ピアニストを含む4人が担当した。

演奏された曲はどれも耳当たりが良く、流れるような旋律がキレイだが、お行儀が良すぎるというか、「キレイに仕上げてみました」的な曲が多く、つかみどころが見つからない。まだショパンの本領発揮前の時期の作品という感じ。おまけにこのB7の会場は響きがデッドでステージも見えにくく眠くなること多いが、空腹を満たした後の公演ということもあってウトウトしてしまった。

そんな中でとても心に響いたのはイド=バル=シャイの弾いたマズルカ イ短調Op.68-2。心の奥底にある秘密をそっと語り聞かせるような右手の旋律にハッとして、そのまま心が捉えられた。「歌う」というより「語り聞かせる」ような演奏に強い個性を感じた。後でプログラムを読んだらこのマズルカはこの時代の作品の中では「17歳の頃の作品だが、非常に有名な曲」と紹介されていたので、曲自体の魅力もあるのかも知れないが、次のポロネーズでも同じ印象を受けた。イド=バル=シャイはイスラエルの新進ピアニストということだが、機会があったらじっくり聴いてみたい。
コルボ指揮/メンデルスゾーンの「パウロ」
ホールA(フォンタナ)

【曲目】
◎ メンデルスゾーン/オラトリオ「パウロ」Op.36

【演 奏】
S: ソフィー・グラフ/A:ヴァレリー・ボナール/T;クリストフ・アインホルン/Bar:ピーター・ハーヴェイ
ローザンヌ声楽アンサンブル
シンフォニア・ヴァルソヴィア
ミシェル・コルボ [指揮]シャルロット・ミュラー=ペリエ/A:ヴァレリー・ボナール/T:ダニエル・ヨハンセン/Bar:クリスティアン・イムラー
ミシェル・コルボ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア/ローザンヌ声楽アンサンブル


曲目は何であれ、毎年の「ラ・フォル・ジュルネ」でひときわ深い感動を与えてくれるコルボが宗教作品の大作を取り上げる公演、今回はメンデルスゾーンの大作オラトリオ「パウロ」を聴いた。「エリア」に比べると日本で上演される機会はずっと少ない「パウロ」だが、コルボの演奏はこのオラトリオが「エリア」に優るとも劣らない名作であることを伝えてくれた。

コルボがオーケストラと合唱を介して聴き手に伝えてくれるのは、優しさと慈愛と祈り。ゆったりとした長いフレーズでは神様の優しい眼差しが全ての人々のうえに降り注がれ、穏やかで満たされた気持ちになり、アクセントが効いた輝かしい強音のフレーズでは、天上から射す神々しい光を浴び、喜びと感謝の充足感に打ち震える。無機的な音は皆無で、全ての音がコルボによって祈りを込められ、祝福されているように優しい光を放っている。ステージ両サイドの大スクリーンにモニターで映し出されたコルボの表情を見ていたら、神様が宿っているように思えた。合唱もオーケストラもソリスト達もコルボに魔法をかけられたように天上の調べを奏で、歌った。

「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」のコラール旋律が壮大かつロマンティックにアレンジされた序曲から最後の輝かしい合唱まで、オケも合唱もソロも魅力的な音楽を次々といくつもいくつも聴かせてくれたが、第11曲の合唱「見よ、私達は耐え忍んだ人達を心から賛美する」の音楽が心から離れず、終演後に買ったCD(「エリア」とカップリングの4枚組)で家ですぐに聴き返した。ヴィオラ(チェロも?)の息の長いこの上ない柔和な旋律に乗って、合唱が”Wir preisen selig...” (賛美する)と歌い重ねる至福の歌はもしかするとこの世で最も美しい音楽ではないか、と思ったと同時に、コルボでなければこんな美しい演奏は実現できないとも思った。

去年の「ロ短調ミサ」をコルボの指揮で聴いたときの感想を読んでいたら、「指揮台に用意したあった椅子には殆ど座らず、殆ど立って指揮をしていた」と書いていた。今回のコルボは殆ど椅子に座っていた。表情や動き、何よりもその音楽からは「老い」は感じなかったが、やはり年齢による体の衰えはあるのだろうか。これから1回でも多くコルボの演奏に接したい。

ラフォルジュルネでの声楽作品の公演ではいつも歌詞対訳が配られてとても助かったが、今回は有料(300円)だった。しかも版の違いか、省略があったのか、2回も歌詞と演奏が違う部分があって、歌っているところを見つけるのに苦労した。有料で配るならこのあたりは解決しておいて欲しい。

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2009

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伊藤 恵 ピアノ・リサイタル | トップ | 2日目(その1):台南町歩き ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

pocknのコンサート感想録2010」カテゴリの最新記事