アップルビーのような万年反抗期の長男(10歳)にふりまわされ、家庭が崩壊するんじゃないかと思った日々もあり、夏休みは毎年特に恐ろしい期間でした。
でも、今年で本当にそんな時は終わりそうです!いや、終わらせます(宣言)。
いやあ、大暴れの長男に文字通り悪夢、地獄の日々だった昨年、一昨年。ほっっっんとにツラかった!そのときと比べれば平和すぎてびっくりするような感謝、感謝の今年の夏。でもね、人間って欲が出ちゃうんだなあ。
あのときは、これさえ改善されれば後はもう贅沢言いません!!!
って思ってたのに・・・。状況が改善されれば、次なる改善を望んでしまうものなのですね。そもそも“改善”っていう考え方自体が間違っていた。
私が長男を「正そう」とさえしなければ、ご機嫌にまわる。これはいくらなんでもちょっと・・・という言動にあっても、嫌だなと思う感情はそこで感じたら終わりにして、そのあとは「今」に集中して引きずりさえしなければ上手くいく。
そういうこと体験で学んだ・・・ハズでした。
ただ、先日ふと
「でも、これって許しちゃっていいの?これ許しちゃったらどんな大人になっちゃうのよ?これ正すのが大人の責任なんじゃないの?」
という思いが出てきて、長男を正しちゃったんですね。穏やかな口調で。でも、それに対して反撃に出た長男の行動がもう唖然とするくらいヒドイもので・・・。そのとき、なんだかこれじゃあ、ただの言いなりじゃないか!私はそこまで屈辱的なことされる覚えはない!こっちが優しくしてればいい気になりおって!!!とヤンキーの神が私に降りてきました。結果、あやうく昨年、一昨年の長男に戻りかけました。
で、今日長男とは全く関係ない件で、久々に神ノ木クリニックの扉を叩いたんです。
神ノ木クリニックの山本先生は、西洋医学のバックグラウンドを持ちながら、ホメパシー、漢方でも処方してくれて、シュタイナーのアントロポゾフィーにも精通している不思議な先生。以前は先生の解釈が面白くて、何かあると通っていましたが、最近はほとんど行かなくなっていました。
だって、先生の答えが分かってるから。もうね、つきつめると、すべて「成長の一過程」で「感謝」なんです。病気もギフト。悪いものなんてなくて、全てはありがたいこと。なあんにも心配することはナイっ(言い切る!)。
山本先生は、医者じゃなくて、もはや子育てカウンセラー!?人生相談室!?とっても、穏やかで優しい先生ですが、長男のこと相談するといつもとっても厳しい答えが返ってきます。
お母さんが変わるしかないんですよ。全てはお母さんへのメッセージですよ。
って以前言われて、なかなか受け入れられなかったのですが、今回「いくらなんでもこれはどうなのか」ということまで許容しなければいけないのかということを聞いてみました。そしたらね、
・母親は子どもに仕える存在(言いなりでよい)←先生は子どもは神様って言ってますからねえ。
・母親がどれだけ自分のプライド(価値観)を捨てられるか
・母親の価値観で判断しない。自分が認められないことでも、やりたいようにやらせる。いつか感謝される。
など言われまして。こうやって文字にするとどこででも言われているようなことですが、先生の口から言われるとガツーン度が違いました。
そして、衝撃の一言が、
「気にしない そうすればプラスマイナスゼロ」
もうね、とどめの一言ですよ。神ノ木クリニックよお前もか・・・だったんです。
最近自分から読む本、ブログ、出会う人、みーんな受けるメッセージは同じようなことで、で、神ノ木でもとどめを刺された感じです。
でもね、でもね(つい「でも」が出てきてしまう)、いくらなんでもこれは問題でしょう?これも気にしなくっていいんですか???と聞いたら、「ホラ、そこにもう母親の価値観が入ってる」と。
読むと生の声で言われるとでは大違い。ガツンと殴られた感じでしばらく頭がボーッとしました。
帰宅してすぐ夫に話したのですが、なんと!!!私そのあと何しないと言われたか忘れちゃったんですよ。
答えは「気にしない」だったのですが、思い出せない間「○○しない」の○○に入る言葉をあれこれ考えてました。
期待しない、問題視しない、不安視しない、ジャッジしない、コントロールしようとしない・・・で、気づきました。あ、気にしないってこれ全部ひっくるめての言葉なんだなあ、って!
そしてね、このお母さんだったら、それができると思って自分(母)を選んで生まれてきてくれたんですよ。その子のやりたいようにやらせるのは、その魂に対する最大のエチケットですよ、って。
分かっていたつもりでした。なるべく親の価値観で縛らないようにとは思っていました。でも、世間に迷惑をかけるような子には当たり前だけれどしたくないのが親心。朝から晩まで動画やゲーム三昧だったり、弟たちに暴力ふるってたりしたら問題視しちゃう。が、それも親の価値観。
やりたいようにやらせる、というと放任との線引きが難しい。その子に向き合わないというわけではない、でも干渉しない。
やりたいことがたとえ、親の目から見て建設的なことでなくても、ホラ、三ねんねたろうを思い出さなくっちゃ。
さきほども書いたように、いままで色んなところで同じようなメッセージ受け取ってました。でも、受け取りたくなかったんです。誰か助けてーって叫びつつ、助けが、答えがもらえてるのに受け取ろうとしてなかったんですね、私。海でおぼれかけているのに、差し出された棒を受け取らずに「浮輪持ってきなさいよ!」と言って沈みかけてる人のようでした。あ~、バカだったなあ。
私が子育てのバイブルとしてる『子どもを信じること』(田中茂樹著 大隈書店)にも同じようなこと書かれています。この本を読んで実践して、長男との関係はすごく改善されました。それでも、最後の一線というかまだプライド捨て切れてなかったんだなあ。
自分が問題視するから問題になる。不安視するから不安になる。
気にしなければ・・・あれ?問題はない!?
そう、長男は素晴らしい子なのです。
もはや幸せしかないんだなあ、って気づかされた一日でした。
自分の子が朝から晩までゲーム三昧だとしても認められる?実際にはすーーーーごくそれ受け入れるのって難しいよね(涙)。理不尽に荒れられても受け入れる。気にしない。すんごい修行!?いや、でも気にしなければ修行でもなんでもないよね。最初の覚悟だけ。価値観、プライド捨てるところだけ。やってみるよー。乞うご期待!