『今日の一冊』by 大人のための児童文学案内人☆詩乃

大人だって児童文学を楽しみたい、いや、大人こそ読みたい。
ハッとする気づきのある絵本や児童文学をご紹介♪

第12回児童文学ピクニック

2017-06-26 17:48:49 | 児童文学cafe&picnic


今日は『ひみつ・かくれ家』がテーマの児童文学ピクニックでした~

いやあ、秘密テーマのもの多い!そう、秘密って、人を成長させる大きな要素なんです!児童文学って基本成長物語だから、どうしても部分的にせよ、秘密が入ってくる物語が多いんですよね

ところで、こういう成長の原動力になる秘密って何歳ぐらいから発生してくると思いますか?
 
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答えは、小学3~4年生からなんですって
第二次反抗期に入ると、現実的な願望が生まれて、そこから現実の壁と自分の限界(欠点・弱点)を実感し、そこに秘密が発生してくるのだそうです。この人とは秘密が共有できる、この人とはできない、そんな感じで、秘密は、対人関係の距離感覚の訓練になるそう。自分を知る第一歩=自分の欠点・弱点を知ったとき、これが真の自立の第一歩になる

秘密ってなかなか奥が深いんですねえ

さて、そんな秘密といっても色んなタイプに分かれます。

出生・生い立ち・過去の秘密、隠れ家・秘密の場所、秘密のプレゼント、秘密の交流・友情、人には知られたくないネガティブな秘密、身に危険が・存在を守るための秘密、秘密の計画、探り出したい・解明したい秘密

で、今回は区分してみました。秘密は冒険とも結びつきがちなので、男子向けのワクワクな本もいっぱい。
引き続き、一冊ずつ紹介していきますね。

そして、そして、今回も美味しいものが並びましたよ♪



瓶詰の中身は、ズッキーニとポテトのレモン醤油マリネ、ズッキーニとトマトのマリネ、ひじきのマリネ、チャナダルカレー、梅ジャム、生ハチミツレモン。デザートには枇杷の種杏仁豆腐!美味でした

今回が2回目の参加の方から、
“もっと早くにこの集まりを知っていればよかった!初回から参加していたかった!”
の声があり、とても嬉しかったです。もっともっと魅力のあるピクニックにしていきたいです
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よるの美容院

2017-06-25 16:35:14 | 日本文学


『よるの美容院』(2012年)市川朔久子作 講談社 234頁
第52回講談社児童文学新人賞受賞作


とても優しくて、穏やかな時間が流れている物語。色々あるけれど、人っていいな、と思わせてくれる。ああ、これはドラマ化とか映画化されたものを見たいなあ

≪『よるの美容院』あらすじ≫
まゆ子とタケルは幼なじみで、中学受験仲間。ある日、タケルの交通事故を目撃してしまったことがきっかけで、次第に声を出せなくなってしまうまゆ子。最初は学校でだけ話せず、家では普通にしゃべれていたのに、授業参観をきっかけに「わけありの子」として見られることに・・・。耐えがたくなってきたまゆ子は、遠縁のおばであるナオコ先生のもと『ひるま美容院』に預けられ、そこで、さまざまな人と出会い、自分の殻を破っていく。声を失った少女の再生物語。


■ シャンプーはいろんなものを洗い流してくれる


シャンプーをしている場面の描写がですね、なんともいえずいいのです

 ごし、ごし、ごし、ごし。
 指先が、呼吸に合わせてリズミカルに動く。
 ナオコ先生の指のぬくもりが心地いい。じんわりとしみこんで、まゆ子の頭もぽかぽかとしてくる。髪の毛のすぐ下を、地がぐんぐんとめぐっていく。
 ふと指がはなれ、ざあっという音とともに温かいお湯が肌を伝い落ちた。細やかなお湯のつぶがパチパチと地肌をたたきながら、まゆ子の頭からいろんなものを洗い流していく。温かい湯気が胸の奥まで満ちる。(P.161)

吉本ばななが好きな人は好きなんじゃないかな、この物語。作者の人を見る目がとても暖かいのです。人って不器用で、意固地で、自分ではどうしようもなくって・・・でも愛おしいの。


■ みんな各々何かを抱えている

ひるま美容院の登場人物には、まゆ子以外にも“何か”を抱えている人が、いっぱい出てきます。

お手伝いのサワちゃんはおしゃれな現代っ子で、なぜ昔ながらの美容院にいるのか謎。

まゆ子が唯一声を出してしゃべれる相手である颯太は、サワちゃんとは血のつながっていない姉弟。

ナオコ先生もどうやら出戻りらしい。

昔まゆ子のお母さんも何か思い詰めてひるま美容院に来たことがあったりとか、まゆ子に着せた着物は誰のものだったのか、とか明かされないままの謎もいっぱいのまま物語は閉じます。そこもまたいい。全て語られないところがいい。それぞれに、みな物語を抱えてるんだなあ、って。

とはいえ、私は妄想しますよ。ナオコ先生って、まゆ子のお母さんの義理のお母さんだったんじゃないかな、って。
幼い頃一時一緒に暮らした、血のつながってない親子。あの着物は一緒に暮らしたときの思い出で、まゆ子のお母さんに着せたものなんじゃないかなー、って。一緒に暮らした期間は短く、結婚式には呼んでもらったけれど、縁は切れているからなんとなく疎遠になって・・・で、まゆ子のお母さんは何かで思い詰めたときに、初めてひるま美容院を訪ねる。そのときの温かさが忘れられなくて、自分の娘の託す先として真っ先に思い浮かんだのがひるま美容院だった、んじゃないかなあ。(勝手な憶測です


■ 古き良き日本の魅力・場の力

そして、ナオコ先生はもちろんのこと、この物語の最大の魅力は、“場”があること。ありのままの自分を受け入れてくれる“場”。昔ながらの美容院って、美容院というよりパーマ屋さん。ちょっとスナックにも似たところがあって、社交場であり語り場なんですね。色んな人が色んな思いを抱えてやってくる。ナオコ先生の天使の手で、髪を洗ってもらいたくて。癒しの場なんです。

もう一つ、この美容院のある「こでまり商店街」自体もまたいいんだなあ
「こでまり商店街」の人たちは、ほんのちょっとでも見知った顔が通れば、お店の人もお役さんもひとこと声をかけずにはいられない人種。まゆ子のようなわけありの子だってかまうことはない。ちょっと、おせっかい。でも、それが人と人のつながりを実感できる、そんな古き良き日本がここにはあるんです

ひるま美容院に来る前、いろんな人がまゆ子母子を助けようと、いろんな知恵をさずけようとしてくれていたんですね。本や新聞記事やインターネットの情報から神社のお守りやらなんやらであふれかえる家。本だけでも、医学書セラピー、児童心理、スピリチュアルetc.etc.まゆ子親子がそれらにさんざんふりまわされ、つかれはて、送り主の「しんせつ」が、母子を追い詰めてしまっていた。

でもね、ナオコ先生はいうのです

「ねえ、まゆ子。声が出ないのは、悪いことかしら?」(P.90)


って。まるっと受け止めてくれるのです。おいつめない。

親子だけじゃね、煮詰まっちゃうこともあるの。近すぎて見えないこともいっぱいあるの
他人が入って、みんなで子育てしようよ。親ではどうしようもできないこと、他人がすっと心に入れることもある。素直になれることもある。

淡い初恋にもキュンキュンしてしまう、心に染み入る物語でした




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歴史にするには早過ぎる

2017-06-23 20:42:02 | 日本文学



『太陽の子』 灰谷健次郎作 角川文庫


今日は沖縄慰霊の日だそうです。お恥ずかしながら、私知りませんでした。沖縄好きで、何回か遊びに行っているというのに!Yahooニュースにも載りませんしね・・・。教えてくれたKさん、ありがとう!というわけで、今日の一冊はコチラ。『太陽の子』です。

昨日紹介した『ナオミの秘密』は、物理的な戦争が終わっても心の中での戦争の苦しみは終わらないユダヤ人の人たちの話でした。
同じように日本でも、特に沖縄の人たちの苦しみは長引いたこと、もはや知らない世代が多くなってきたのではないでしょうか。そんな沖縄の人たちの苦しみを知ったきっかけが、私にとっては『太陽の子』だったんです。当時小学校の高学年だったでしょうか、この物語は強烈で、ガツーンと殴られたような気分でした。え?え?戦争終わってるのに???って。まだトラウマという概念すら知らない小学生時代でしたから・・・。

≪『太陽の子』あらすじ≫
ふうちゃんは、神戸生まれの女の子。おとうさんとおかあさんは沖縄出身で、神戸の下町で琉球料理の店「てだのふあ・おきなわ亭」を営んでいる。やさしい常連さんたちに囲まれて明るく育ったふうちゃんだが、六年生になった頃、おとうさんが心の病気で苦しむようになる。おとうさんの病気の原因は何なのか?ふうちゃんは、「沖縄と戦争」にその鍵があることに気づきはじめる…。戦争は本当に終わっているのだろうか。なぜおとうさんの心の中でだけ戦争は続くのか?今、日本人が本当に知らなくてはならないことがここにある。(BOOKデータベースより転載)


灰谷健次郎さんって、なぜか批判も多い。身近なお友だちでも、灰谷さんと出身地が同じ人が「大っキライ!」と公言している人もいる。彼の問題を指摘している文章も色々読んでみました。確かに、当たっているところもあるのかもしれない。

でもね。当時小学生だった私に、こういう現実もあるんだよ、と強烈なインパクトで教えてくれたことは、やはり大きかったのです。この物語を通じて、私は沖縄の悲劇を忘れまい、と思うようになりました(なんて言いつつ慰霊の日があるのも知りませんでしたが)。繰り返してはいけないと思ったもの。ラストのふうちゃんの決意の言葉は、凄みがあって、感動するというよりぞっとさえしたのを覚えています。死んだ人の数を聞かされるより、一人ひとりの人生を知ることのほうが、より戦争の愚かさというものへの理解が深まる。そして、こういう背景を知ったうえで、沖縄を訪ねると、本当に沖縄の人たちの笑顔のすごさが分かります。悲しみに裏打ちされた強さ、笑顔。

6月の運動会で次男(小3)たちは、カチャーシーと、BEGINの“三線の花”でエイサーを踊りました。なんか見てるだけで泣けてきたんですよね。子どもたちが一生懸命踊っているから、というのももちろんありますが、心に響く“何か”がある。沖縄には“何か”があるんですよねえ。

お友だちがリンクを貼ってたモンゴル800の『ひめゆりの詩』、私もリンク貼りますね。

~平和と呼ぶには遠く、歴史にするには早すぎる・・・~

「沖縄 慰霊の日」himeyuri ~ひめゆりの詩~ / MONGOL800



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手渡したい戦争文学

2017-06-22 17:46:28 | アメリカ文学


『ナオミの秘密』(1995年)マイロン・リーボイ作 若林ひとみ訳 岩波少年文庫
 ALAN AND NAOMI,1977 Myron Levoy


今日の一冊はコチラ。うん、想像に難くありませんが、絶版です。読まれないには惜しい作品。ぜひ図書館で探してみて下さい。

舞台は第二次世界大戦末期のニューヨーク。ナチから逃れて来て、精神的に病んでしまい、誰とも口を聞かなくなってしまったナオミと、彼女を立ち直らせようとするアランという男の子の物語です。アメリカでは映画化もされています。

正直言うと、あらすじだけで、本文読む前から気分がどよ~んとしてたんです。でも、次回児童文学ピクニックのテーマは“秘密”だし、読まねばなあ、みたいな義務感から読みました、実は。ユダヤ人、ナチ、この二単語が出てくるともう苦しくて苦しくて、目をそむけたくなる。でもね、作者の筆力なのか、12歳という多感な時期の少年の心理も丁寧に描いていて、ぐいぐい読ませる!感情移入して、一気読みでした!


■同じユダヤ人でも、背負ってきたものがこんなにも違う


アランはユダヤ人なので、多少の差別は受けていますが、ニューヨーク在住なのでナチとは無関係に、それなりにいい少年時代を送っています。スティック・ボール(簡易野球)に夢中になったり、カトリックだけれど親友のショーンと飛行機に夢中になったり。

ところが、ナオミのほうは壮絶な人生を送ってくるんですね。ナチに抵抗運動をしていた父親を目の前で殺され、命からがらフランスから親戚のリープマンさんのところにたどり着くのに、3年も(!)かかるのです。ナオミが過ごしてきた時を思うと、胸がしめつけられる思いです。戦争って本当にいや!!!

それにしても、ユダヤ人の人たちの絆の強さには驚きます。海外にいる同じ民族の絆とでもいうのかな。もう大きな家族なんですね。みんなで、一丸となって、ナオミを救おうとする。それは、もうとっても素晴らしいこと。でもね・・・そこで、白羽の矢がたったのが、同世代のアランなのですが、これは正直言ってアランがかわいそうでした。女の子の相手をするのが一番恥ずかしい年ごろ。友だちとも遊びたい、でもその時間をナオミに割かなければいけない。12歳の男の子には荷が重すぎる仕事なんです、はっきり言って。12歳前後の同世代の子どもたちが読んだらどう感じるんだろう?ぜひ読んでもらいたいなあ。


■嫌々始めたことからも、目が開かれることがある


自由を奪われるアラン。あまりの責任の重さに、私も最初はアランに丸投げした大人たちに憤っていました。が、アランが次第にナオミに惹かれはじめると、人生何が幸いするかワカラナイなあ、と

ナオミは本当は頭がよくて、魅力的な子なんです。アランも頭のいい子なので、すぐにそれに気づく。そして、大人たちがお礼を言うたびに嫌な気持ちになるんです。最初は頼まれたから仕方なく、嫌々始めた。でも、今ナオミに接しているのは自分の意志。だから、大人たちから「お願い」と言われると、「あなたたちのためにするんじゃない!」と言うようになるのです。だってね、アランはナオミの相手をすることで友だちまで失ったんです。けれど、そこからは自分の意志で、大人たちのためではなく、ナオミのために相手をしている。だから、お礼を言っていいのはナオミだけ。でも、ナオミはぜったいにお礼なんか言わない・・・その必要がないことを知っているから、と。


■ツライ現実の中にある希望


アランの友情のおかげで、ナオミがだんだんと回復していくさまは、心躍ります
そして、ついに、なぜナオミがひたすら紙を細かくちぎっていたかの秘密が明かされる場面で涙。本当に、戦争の残虐さというものは、あとあとまで尾を引くもので、なかなか終わりが来ないのです。ナオミが過去のことを口にできたことで、ああ、これからは回復に向かう!と思った矢先の悲劇。終わり方は、そんなあ、、、、とアランと一緒に地面に顔を押し付けて泣きたくなるような悲しい結末です

それでも!この物語に希望を感じるのは、既に読者もナオミを知ってしまったからなのかも。アランのお父さんの言うように、大丈夫、大丈夫、時間が解決してくれる、って心のどこかで信じてる。ナオミの底力を信じてる。信頼と友情の物語です

表紙絵はあの太田大八さんによるもので、読み終えた後だと、ああアランとナオミだなあ、って思う。けれど、この内容とこの表紙から中身が読みたくなるかというと・・・現代っこには難しい気がしました。だからこそ、手渡す人が必要なのよね。絶版にするには、モッタイナイ手渡していきたい物語です。

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住宅街の中のパワースポット!?

2017-06-21 13:33:30 | 絵本

『めっきらもっきらどおんどん』長谷川摂子作 降矢なな絵 福音館書店

今日の一冊はコチラ。
何度読んでも飽きない、子どもたちに大人気の絵本です。神社の木の根っこの穴から、妖怪の世界へ転がり込み、妖怪たちと楽しく遊ぶお話です。これは、ホント傑作。絵も言葉のリズムもいい。学校の読み聞かせなんかで読むと、子どもたちが一斉に呪文をとなえてくれるんです。それが、たまらない

昨日三男(4歳)の遠足で立ち寄った、白山神社というところがね、まさにこの絵本に出てくるような場所だったんです!
主人公のかんたがめちゃくちゃに唱える呪文
“ちんぷくまんぷく あっぺらこのきんぴらこ じょんがらぴこたこ めっきらもっきら どおんどん”
を唱えたら、妖怪たちの世界へ滑りこめるのでは?と思わせてくれるようなところでした。こんな感じ↓



住宅街、バス通り沿いにあって、決して人里離れているわけではないんです。日常の延長線上にある。なのに、鳥居をくぐり、階段をのぼれば、凛とした別世界。後ろを振り返れば、家々は階段の下に沈んで見えず、見えるのは北鎌倉の山並みだけ↓



神社横の森からは、光が降り注いでいて、異界への入り口になっているのでは?と思わずにはいられない光景なんです↓



そして、神社のあとは散在ヶ池森林公園へ↓



散在ヶ池といえば、こちらです↓

そのときの紹介記事はコチラをクリック

散在ヶ池森林公園もとってもよかったあ。一歩森へ入ればシンと静まり返って、聞こえるのは歩く音と、高らかに歌うオオルリの声のみ。片面は断層の岩山、足元にはせせらぎ。とても暑い日だったのだけれど、森の中は涼しくて、流れる空気が違う。



いいなあ、ここ

散在ヶ池は人工湖で、この辺は昔子どもの水難事故が多かったことから、心霊スポットでもあるみたい。けれど、森の中は、いまや現役の子どもたちの笑い声が鳴り響き、むしろパワースポット!?のように感じました。だってね、子どもたちはキラキラしているし、悪い霊はよりつけないよね。浄化されちゃうよね、って

天園ハイキングコースまでつながっているようなので、次回時間のあるときにはもっともっと歩きたい場所となりました♪

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