毛唐もすなるブログといふものを

日本男児もしてみむとてするなり

中立という名の欺瞞

2005-05-03 23:59:59 | 國神社・政界再編
靖国神社参拝、安倍氏「次の首相もするべきだ」 (読売新聞) - goo ニュース

こういう当たり前のことを言ってニュースになることが、現在の日本の病理を象徴しています。

「靖国参拝は是か非か」という問題を立て方自体が既に日本流に左旋回しています。日本流左旋回の特徴は、「日本国は日本民族のものである」という常識の欠如から来ています。あんたら一体全体何人かと問いたい。

歴史に省みれば、国家の枢要な地位に就きながら、靖国神社に参拝しない方がどうかしています。国民は「政教分離だから、やはり参拝はいけないのではないか」という、一見中立を装うサヨク・マスコミや教師に洗脳され、ことの本質を見失っています。中立を装うサヨク・マスコミなどは、巧妙に戦死者を愚弄することを常態化させているのです。欺瞞です。

もし、日本国憲法が靖国参拝を許さないなら、そういう憲法の方が間違っているに決まっていますから、さっさと改正しなければなりません。なぜなら、憲法はその民族の歴史と伝統に基づく常識の発露でなければならないからです。

「日本国憲法に政教分離と書いてあり、その政教分離は米国流の厳格分離だから参拝してはいけない」というのは、思考停止の類であって、到底知的態度とはいえません。何で米国の理屈が日本に適合するのかの説明がないからです。

そういうと直ぐに国家神道とか何とか言い始める人がいます。そういう人は政教分離というものを知らないのです。政教分離は歴史的に出てきたものですから、唯一の真理があるものではないのです。その辺は前に書きましたから書略します。

ともかく、靖国に関するサヨクの策略は、「憲法に政教分離と書いてあるから」と言って、通常人の「靖国に参拝するべきだ」という常識を相対化することです。その策略にはまり、「憲法に書いてあるから」というところで思考停止しいては、まさに連中の思う壺です。もう一歩前へ思考を進めなければなりません。

繰り返しますが、「靖国参拝は是か非か」という問題の立て方自体が、一見中立を装いながら既に左旋回しているのです。そこでは、靖国に参拝する正当性の挙証責任が参拝側に負わされてしまいます。これは変です。常識に適った問題の立て方は「靖国に参拝しない方がどうかしているのではないか」です。そうすれば、靖国に参拝してはいけない理由の挙証責任は反対派に移りますから(談)。

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2 コメント

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Unknown (太郎)
2005-05-20 14:11:28
>通常人の「靖国に参拝するべきだ」という常識

これを常識と決め付ける事が非常識です。日本国は単一民族でもないし単一宗教でもありません。多様な価値観への理解を欠いています。



>憲法はその民族の歴史と伝統に基づく常識の発露

どこで習ったんですかね?近代憲法史を良く勉強された方がよいと思いますよ。
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Unknown (pochisensei)
2005-05-20 18:14:21
コメントありがとうございます



多様な「価値観」とおっしゃりますが、あなたにとっての「価値」とは何なのでしょうか。

それが明らかにならねば議論は平行線です。



わたしにとっての「価値」はおおよそ「美意識」と言い換え可能です。どのような行為を美しいと感じるか。そこがポイントです。



近代憲法歴史についてですが、批判するなら最低限根拠を示してください。そうでなければ、お答えできません。



批判的コメントは大歓迎ですが、最低限根拠を示してください。それがわたしのいう「価値」=「美意識」にも通ずるものです。
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