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日本男児もしてみむとてするなり

ベネディクト16世

2005-04-20 13:06:15 | 国際
新法王、ナチス青年組織メンバーの経歴 (読売新聞) - goo ニュース

高齢のドイツ人教皇だから当然こういう過去があってもおかしくないでしょう。経歴を見ると35歳で第二バチカン公会議にに神学顧問として出席したとありますから、早くから教理畑におけるバチカンのエースだったようで、当然出世も早く50歳で枢機卿になっています。

ところで、バチカンとナチスは友好関係だった時期が長かったのは有名な話です。当時のバチカンにとって「宗教はアヘンだ」として宗教を否定し教会を破壊していたソ連は明白な敵でした。そしてそのソ連は「来るべきドイツ革命」とか何とか言いながら、ドイツにおける革命に向けて激しく工作をしていたわけです。南部でカトリックの勢力が強く伝統的につながりの深いドイツにバチカンが肩入れするのは自然な流れでした。ヒトラー自身がオーストリアのカトリック出身でしたから、バチカンとしてもまさかああいうことをやり始めるとは当初は思っていなかったのでしょう。次第にバチカンとナチスは疎遠になっていきました。しかし最後までナチスのシンパがバチカン内部にいたこともまた確かなことのようです。

ナチスの民族浄化の対象はユダヤ、スラブ、ジプシーなどに拡大して行きました。当時バチカンは、ユダヤ人やジプシーが虐殺されてもさしたる関心を示さなかったようです。異教徒が少々殺されようが共産主義者から教会を守るためには仕方がないと割り切っていたんだとおもいます。もっともポーランドはスラブ人のカトリック国だったので、この地域での虐殺についてはバチカンも心が少々痛んでいたはずです。しかしそれも、より大きな悪である共産主義の拡大を防ぎ教会を守るためには致し方ないと言い訳しながら黙認していたのではないでしょうか。しかしそういうバチカンの態度は結局ナチスが教会を迫害し始めたことで採取的には裏切られるのですが。

こういう過去に思いをはせると、ポーランド人教皇に仕えた側近中の側近がドイツ人枢機卿で、彼が次の教皇に選ばれたというのも何か歴史の因縁のようなものを感じてしまいます。

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