珈琲貴族の31文字の酔ひ綴り__≪酔ひ月和歌集≫

珈琲貴族の31文字の酔ひ綴りを、和歌(うた)としてお月さまに描くことができたら・・・酔ひ月(よひづき)として・・・

和泉式部(4)

2015年01月04日 | 和歌

 

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和泉式部(4)

 

年が明け、2015年

今年はどんな一年になるのだろうか。

なにか大きいものが来そうな予感が!!

 

今年に入って最初のブログとなる。

 

新年早々は、明るい話題もと思ったが、やっぱり和泉式部のことをもう少し書いていこうと思う。

和泉式部(3)の続編である。

ただ、彼女の濃密和歌思わせ歌は、また今度にと思う。延期の連続である。

いったい、いつになるのだろう。楽しみにしていた読者のみなさんには、ごめんなさいである。

またまた、「乞う、ご期待!」ということで!!

 

 

さて、和泉式部は、いつ生まれたのだろう。

 

その出生が未だにわかってないのである。

974年    与謝野晶子説

976年   上村悦子説

977年  玉井幸助説

978年   藤岡忠美説

978~979年 山岸徳平・村上治説

と、さまざまである。

 

与謝野晶子を除くその誰もが日本を代表する国文学者である。

昭和女子大初代学長の上村女史、王朝文学と言えば藤岡氏、和泉式部全訳を執筆した村上氏など錚々たる人たちなのであるが、はっきりとした誕生年がわからないのである。

一番支持されているのが、978~979年とした山岸徳平・村上治説である。

 996年に橘道貞と結婚。997年に娘の小式部内侍を出産。その小式部内侍が藤原道長の子である教通との間に産んだ静円の誕生年が1017年であったために、おそらく和泉式部は18~19で道貞と一緒になったのだから、978~979年に産まれたのだろうと。

この根拠も、私如きの分際で、高名な先生方には大変申し訳ないが、実に曖昧と言えば曖昧、いい加減といえばいい加減なのかもしれない。

出生に関して、付け加えると、和泉式部の幼名は「御許丸(おもとまる)」である。

まぁ、ここでそんなに論じることでもないので、次に話を進めていこうと思う。(おいおい^^)!!

 

それでは、どんな女性だったのか、当時一緒に生きていた女性二人からまったく違う二つの評価がある。

 

あの紫式部は、和泉式部のことを「紫支部日記」の中にこう評している。

かの清少納言を、「したり顔した中身のない才女ぶった女性である。」とまで酷評している紫式部である。

 

その紫式部の和泉式部評を現代意訳にすると

 

「和泉式部という人は、趣深く手紙のやり取りをした人であります。
それにしても、和泉は、男にだらしなく感心できない面があります。でも、文章の方面の才能が見える人で、言葉の艶やかな魅力があるようにも思います。
だけど、確かに彼女の歌は趣向を凝らしていますが、知識やしっかりとした見る眼がなく、ただ目につくような言葉を思いついたように詠んでいるとしか思えません。

人の作品を評価したとしても理解が深くないからあてにはなりません。
みんなが、凄いなって思うような立派な歌人だとは思えません。」

と、清少納言よりも柔らかであるが、かなり厳しく評価しているのである。

 

ただ、私から言わせると、紫式部の歌は、心が通っていないものが多い気がしてならない。

自分の才に溺れているのは、むしろ紫式部のほうだと思ってならないのである。

もしかしたら、紫式部自身、そのことを知っていたのではと思うのである。

だから、この評は、嫉妬なのかもしれない。

 

ここに「無名草子」がある。

平安時代に書かれた「草子」で、清少納言の「枕草子」のように多くは知らないと思われる「草子」であろう。

実に面白い書であるから、平安文学に興味のある人にはお奨めの一冊である。

 

「草子」とは、一般的には日記や物語、歌本などの総称で、紙で綴じているものを言うが、通俗書物などを草子と呼ぶ場合も多い。

「枕草子」は日記の類であろうが、よく耳にする「御伽草子」はどしらかと言えば通俗書物に類するのかもしれない。

「御伽草子」の中には、「一寸法師」「浦島太郎」「物くさ太郎」「酒呑童子」などがある。

 

この「無名草子」、藤原俊成女(むすめ)が書いたと言われる物である。

その中の一説に「ただ一言葉にても、世の末にとどまるばかりのふしを書きとどむべき、とはおぼゆる」とある。これからもずっと残したいという作者の覚悟が見える書物である。

 

後世にまで残したいというその書の中に、和泉式部評があるのである。

 

現代意訳

「和泉式部は、多くの歌を詠んできているけど、どれもが優れていて秀逸である。これは前世との因縁でしょうか。現世だけの巡り会わせとは思えないのです。

男性問題にしても貴船神社に縋るようなかわいい女性でした。

せめて、和泉式部のような才がほしくてたまらないのです。晩年の和泉式部は、男に捨てられたとき貴船神社に慰められたり、そして大往生していきました。和歌の力は、和泉式部を歌神様にしたのですね。」

 

と紫式部とは真反対の絶賛である。

 

いったいどっちの女性像に近かったのであろうか。

そう考えるだけでも、和泉式部に一度会ってみたいのである。

 

いずれにしても、藤原道長、藤原公任から高い評価を受けていた歌人なのである。

 

 

この辺で次回に続く。

ちょっと中途半端だったかも。

まぁ、いつものことである。

 

 

 

「紫に 焼餅妬かれ 何思ふ 男遊びと 思へば思へよ」

 

「捨てられて 貴船に飛び込み 情け乞う 木造船なら 沈んだままに」

 

 

おいおい^^和歌

「紫は 女魅せるに 乏しいか ムラムラ来ないし 咲きも見えない^^」(おいおい^^)!!

 

 

 

 

 

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