珈琲貴族の31文字の酔ひ綴り__≪酔ひ月和歌集≫

珈琲貴族の31文字の酔ひ綴りを、和歌(うた)としてお月さまに描くことができたら・・・酔ひ月(よひづき)として・・・

「中森明菜 歌姫の復活」

2015年01月08日 | 和歌

珈琲貴族の文学と仏教のブログ^^
↑クリック^^
「珈琲貴族のBourbon Salon・・ほろ酔い気分で<文学と音楽と仏教話^^>ちょっとリッチな恋月夜」平安文学が楽しめます^^!!


珈琲貴族のmusictrack^^ ←クリック 珈琲貴族の作詞の音を見ること聴くことができます^^!



「中森明菜 歌姫の復活」

昨年2014.12.31の「紅白歌合戦」に明菜が出演した。
どれだけ待っただろう。

明菜が夢に何度か出てきたことがある。
それは、明菜のことを忘れかけようとしたときに、夢に出てくるのである。

今でも覚えているのが、
レコーディングに私と打ち合わせしている夢と何かおしゃれなテラスのカフェで笑い合って話をしていた夢である。
その2つの夢の明菜の顔は、今でも不思議なことに覚えている。

それこそ、明菜と一緒になんては、夢のまた夢なのであるが^^!

小野小町の和歌の古今和歌集に、夢の歌が出てくる。
古今和歌集には、18首選ばれているが、その中の6首が夢を詠んでいる。

「思ひつつ 寝ればや人の 見つらむ 夢と知りせば さめざらましを」
「いとせめて 恋しき時は むばたまの 夜の衣を かへしてぞ着る」
「うたたねに 恋しき人を 見てしより 夢てふものは たのみそめてき」

「夢路には 足もやすめず かよへども うつつに一目 見しごとはあらず」
「うつつには さもこそあらめ 夢にさへ 人目をよくと 見るがわびしさ」
「限りなき おもひのままに 夜も来む 夢路をさへに 人はとがめじ」

その中でも、「思いつつ・・・」と「限りなき・・・」の2首が、明菜の夢を見て、朝起きたときに感じたものであったのかもしれない。

「思いつつ・・・」
※あの人のことを思いながら眠りについたから夢にでてきたのだろうか。夢と知っていたなら目を覚まさなかっただろうものを。
「限りなき・・・・」
※果てしないあなたへの思い――この「思ひ」の火のままに導かれて、暗い夜だって、あなたのもとへ来ましょう。夢路までも人は咎め立てしないでしょう。

って、書けば少し言い過ぎの感があるのかもしれない^^!!
しかし、これに近い思いは確かにあった気がする。


ただ、本当に、もしかしたら、このままもう中森明菜は私たちの前から永遠に姿を消してしまうのかもしれないと思っていただけに、こうして復活の兆しを見せてくれたことは、中森明菜をデビューから応援してきた私にとっては言葉にならないくらいの喜びであった。

第一声は、小さな声で「ごぶさたしています。 中森明菜です。」だった。
それだけでもやはり嬉しかった。


明日の1月9日、夜10:00からNHK総合で、特番「中森明菜 歌姫復活」が放映される。
昨年末の「第65回 紅白歌合戦」出演のための舞台裏や海外で行われてきた新曲など製作風景などの番組になるという。
どんな内容であろうと、私には嬉しい限りである。
明日という日が、今から待ち遠しい。

私のこのブログの2011年2月15日に「歌姫 中森明菜のこと^^!!」を書いて載せているから、「歌姫 中森明菜」の登場は2回目となる。
↓が、2011.2.15の私が明菜のことを書いたブログである^^。

「歌姫 中森明菜のこと^^!!」2011.2.15記←クリック

当時の記事を今一度読見返してみたが、あれから想いは一切変わっていなかった。
本当に今でも好きでたまらない歌手である。


紅白で歌った新曲は、「rojo -Tierra」で、スペイン語らしい。
訳せば「赤い大地」のようだ。
作曲は、浅倉大介氏&鳥山雄司氏である。
新曲を聴いたときに、いやにデジタルぽいって思ったら、案の定浅倉大介氏の作品であった。
私は、T.M.Revolutionのときからになるが、あまり好みではない。
おそらく私が、若くないからであろう。どうしても好きになれないのである。

作詞は、Miran:Miran氏と川江美奈子氏との共作のようだ。
Miran:Miranは、明菜の作詞ネームであるから、再びということである。
川江氏は、今井美樹、一青窈、平原綾香に楽曲を提供しているシンガーソングライターであるが、ずっと以前に「赤い花」や「紡ぎ唄」「嘘つき」などですでに明菜とタッグは組んでいるのである。
本来、作詞作曲までして楽曲を提供してきた川江氏にとって、作詞だけってことは珍しいことである。
だから、他人の作曲に戸惑いを感じ、言葉に少しのズレが見えるのであろうか。
それと川江氏の作詞は、従来、もっと情緒に溢れていながら乾いている気がするのあるが、この詞は、無理に言葉を繋げていて、それでいてからっとしたものに仕上げようとしてるが、妙に湿っているようにしか思えないのである。

そういうこともあるのだろうか、私には明菜復活の新曲「rojo -Tierra」は、どうもしっくりこないのである。

と言っても、所詮、私の感想にすぎない。
何度か聴いていけば、この楽曲もまたいいと思うときがくるかもしれない^^!

と言っても、やはり明菜の歌声を聴けたことには変わりはない。
それだけで満足すべきなのかもしれない。

「一日も早く、完全復活してほしい!」と言う気持ちと、「ゆっくりでいいから、歌いたいときに歌っていってほしい!」との気持ちである。



「年の暮れ テレビに映る か細さに 何を思ひて 君は唄わん」

「明けた年 菜に陽が当たり 春模様 初夢見るは 君の歌声」
 


おいおい^^和歌
「rojo –Tierra(ロホ ティエラ) 「老女-ティアラ」と 錯覚し どんな歌かと 少し怯える^^」(おいおい^^)!!

 




人気ブログランキングへ ←お読みなって楽しかった方は、左の「魔法の壷」をクリックしてくださいねっ^^!



【アンデルセン】新春を祝うパンセット 6名様モニター募集!



\焼きたて/熊本・有明海産一番摘み焼海苔を30名様にモニター!

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 和泉式部(4) | トップ | 「私と映画(1) 序章」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

和歌」カテゴリの最新記事