シュンスケのほら穴

人生第二部
俳優 三田俊介
カゼノフクママ

一日目へて 二日目 裏

2012-07-23 07:14:59 | 和太鼓

実はこの日は芝居の稽古が重なり、初めの演奏と少しだけ盆太鼓を打って、そのまま稽古場へ。

芝居の稽古をしつつ、太鼓の練習をする。なので練習の時間配分の中でどれだけ身のあるものが出来るか、集中力と本気具合。意味のある練習。時間との戦い。

人間は面白いもので、身体の中が笑い始めると打っていても楽しく音も笑うし、うつむいて打っていると音も、うつむく。

後は本番中はないのだけども練習の最中にテンションが抜けた時、身体のどこに何の集中持って行くか。

もっともっと芝居と太鼓をつなげよう。

そして、一番きつい二日目に抜けてしまってごめんなさい。
バイクにまたがり風を切り背中で矢倉を見つめ稽古に向かうのでした。


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一日目へて 二日目 表

2012-07-21 17:03:22 | 和太鼓
当日、合間を縫って盆太鼓のテゴト(技)の練習をしようとしたら先生からのメールのやり取りで「祝い打ち」もやる事に。

しかしこれも練習していない。

昔、去年のビデオを見返して自分の型を思い出す。もちろん去年と一緒だとつまらないので、一つテゴトを加えた。昨日の盆太鼓で失敗したテゴトだ。

俺の中で祝い打ちの完成系の音の流れが見えているのだが、どうすればそこにたどり着くのかわからない状態。音のつなぎ方がわからない。単調なリズムを刻む。

リハで少し変えてみたが失敗し、練習でやってない事はできないなぁなど当たり前の事を思い、シンプルにもどし、本番へ。

二日目は工夫と書いたが結局、一日では工夫までいかずアイディア止まり。
ただどの音で身体の左手に意識するとか、脚を前に出すとか、一拍ずれる所を溜めるにはやっぱり左手の収めだとかアバウトの所をもっと明確にしていった。

面白いものでちょっとした角度、ちょっと身体が中に入ったりすると打てなかったり音がずれる。体勢次第で打ちが失敗する。昨日、いつのまにか怪我してた人差し指もバチとへそが一緒になってなかったからだろう。
演奏中だったので気がつかなかったがやっぱり緊張によるエンドロフィンがでていたのだろう。

気持ちが入っている分、重心が前に行く。それを堪え下に下ろす。本当に日本のものは剣術に通じるとおもう。

よい点は演奏はやっぱり楽しいということ。悪い点は昔に比べて緊張しなくなってしまったこと。去年は口から心臓を出ながらやってたんだけどなぁ。もっと太鼓を芝居レベルまであげようとおもう。

ちなみに昨日頭打ちした盆太鼓は初心に戻り、なんでもポジティブに楽しく身体で打とう!とやったら少し身体がノリ始めた。

身体の血管のなかに曲が流れ込む。身体が弾ける。そんなイメージ。

そのイメージを保ちながら3日目に。




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太鼓へて。一日目。

2012-07-19 10:50:05 | 和太鼓
今回の盆踊りはとても自分自身に喝をいれた。
一日目に自分の実力に絶望し、二日目に工夫を凝らし、三日目に音と身体を一体化させる感じになった。

一日目の盆太鼓に限り、絶望したのだが、まぁテゴト(技)がでない。一年目の俺と大差なかったとおもう。言い訳になるが、演奏の練習はしていたが、盆太鼓の練習はみな数時間もなかったのではないだろうか。
でもだから出来なかったというわけではなく。

俺が教わっている先生は基礎と演奏を基準に教えている。たぶん盆太鼓はすぐできるでしょ?という事と、演奏に使っているテゴトはそのまま意識してリズムに乗せればそのまま盆太鼓に使えるからだ。

それを練習段階で意識しなかったため盆太鼓が成長してないという現実を突きつけられ、絶望したのである。もちろん、そんな事は踊ってる人や楽しみにきてる人には関係ない。だからやる事はしっかりやった。でも、きつかったあんなに太鼓を学んできて出来ないのがショックで顔が真顔になっていた。

一日目が終わり急いで音とテゴトをつなぐ。カタコト電車にゆられ、降りるべき駅で降りるのを忘れ終点まで行き、歩きながらぶつくさ音を刻み、二日目に向けて盆太鼓の予習に入る。


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