先日SLAの岡雅史、小林和寿、あと俺が出ている映画「蟹ゴールキーパー」の試写会に行ってきた。
映画の内容はある蟹がいじめられ、助けられ、逃げだして、働かされ、恋をし、
いつの間にかキーパーになっていたという物語。
そのある蟹が「蟹」である事意外、普通の人間社会での普通の出来事。
と、まぁ、こんな内容である。
ちょっと前に「制作編」でこの映画のことを書き込んだのだが
銀幕に移っていた俺は「客席で見ている俺よりも」冷静で楽しそうだった。
数少ない台詞なのに何を言っているかわからないところもあったが
目的がはっきりしていたので「何をしに来た」か見ていてわかった。
正直、俺の役は誰が変わってもいい役。
だからこそ何をするべきか。
だからこそ何を残してこなければいけないか。
シンプルにシンプルに。
今年の前半はずーっとこの事がぐるぐる回っている。
もう一度見直し本質を探りつかめ。
あのテレビでシアトルを歩いているシーンがある。
このテレビでは俺はずーっと笑ってはいないのだが
DANさんから顔がにやけていると言われる。
もう一度書くが一度も顔も目もニヤけてはいない。
しかしそういう雰因気があるような気がしなくもない。
ではなぜそう「感じた」のだろうか?
DANさん曰く
「俊介の嬉しい気持ちとテレが混じり、にやけている様な雰因気が出た」
ということだった。
なるほど。そうおもった。
人間ってすげーなぁとおもった。たった一人で色んな化学反応がおきる。
二人だったらどんな事になるんだ?未知の世界に踏み出す事になるのだろう。
人間とはとても未知なる動物で不思議な動物である。
果てしない道、つきすすもう。
いや、どうも自分が出てるのは不思議な気分である。
でもみんなが喜んでくれたんでよかったです。
さて、一番俺が気に入っているシーンは「運命のコーヒー」に出会うところ。
本当に飲んでいるように見えたし、合格あげれた。
もっとカメラの事が分かっていれば良かったのだが、今はこれで良いと思う。
「コーヒー入ってなかったの?」
「CMみたい」と言ってくれた人もいて、嬉しい限りである。
銀行を見上げ決別し目標に向けて歩きだすシーン。
ここはビートのつなぎ目がはっきりしなかった。ちょっと見ていても気持ちが悪かった。
ただ収穫は背中。
カメラに背を向けて歩くところがあるのだが「俺がやるんだ」という気持ちが背中に出ていたと思う。
そこと銀行を見上げている所(銀行での思い出)は良かったと思う。
本当に一瞬一瞬の大切さがわかった。
さてさてあとのシーンどもは「松田公太氏」ではなく「楠木俊介」であった。
生活習慣というものは恐ろしい。
前にも書いたが色んな歩き方、色んな話方、色んな姿勢、的確な気持ち、
もっともっと明確にしなければいけない。
俺は一つのパターン(自分)しか持っていない。
やることはたくさんある。一つ一つ意識をしっかり持って手に入れる。
もうちょい撮っていたシーンがあったのですが使われていなかった。
尺的に使えなかったのかもしれないが「何かがだめだったから使われなかった」そう考えるようにした。
すると今、何が俺の練習で必要なのか、現場でどうベストコンディションを持ってくるか。
そういったことも見えてくる。
次回画面に出る時、どう納得いくインパクトを出せるか。
自分の成長に楽しみである。
先日放送された、この番組の再現Vに出させていただいた。
見てくださった方もいらっしゃると思うので現場で感じた事を書こうと思う。
撮影現場で役者が求められるもの。
それは役者としての幅。引き出しといった方がわかりやすいかもしれない。
だからといって、やたらめったらやったらいいと言うものでもない。
再現の場合は、実物がいるわけだからその人に近づけなければいけない。
実際にあった行動だからその感情を探らなければいけない。
自分自身それが分かったうえで監督の言う事から求めている絵を理解し、調整し、
その人間になる。
実際、俺が本で読んだ「松田公太氏」と監督が求める「松田公太氏」は微妙に違っていた。
監督は「松田公太氏」と生で撮影し話を聞いている。
俺は悲しいかな「松田公太氏」みたいなバリバリの社長とは係わり合いのない世界にいるので想像上の人物。
しかもそれは俺がベースになって出来いるもの。
俺が「松田公太氏」になる上で必要なものがあった。
それは先頭に立ってすべてを「正面」で受け止める勇気とパワー(情熱)そして毎日楽しんでいる事。
そして核となる部分は「あのコーヒーが忘れなれない」ということ。
この2点だけに集中した。後は監督のディレクションに五感を研ぎ澄ましリンクさせる。
そして感じた事は色んな種類の人間観察が必要という事と色んな歩き方が出来なければいけない。
歩きから一つでそいつがどこの生まれでどういう育ち方してきたか、金持ちなのか貧乏なのかいろんなモノが出せるはず。
日々の生活で何を見て、何を実践するかそれが出来るか出来ないかで今後大きく変わる。
舞台をバンバン打ってもっと濃度の濃い練習しないと画面に出た時一瞬で蹴散らす事の出来る役者にはなれない。
「日々の生活」突っ込む事も出来るし妥協する事も出来る。
嬉しいメールが来た。
「社長と似ていたね」
外見だけなのかもしれないが役者冥利に尽きる。
次回は実際、Vを見終わってからの感想を書こうと思う。
見てくださった方もいらっしゃると思うので現場で感じた事を書こうと思う。
撮影現場で役者が求められるもの。
それは役者としての幅。引き出しといった方がわかりやすいかもしれない。
だからといって、やたらめったらやったらいいと言うものでもない。
再現の場合は、実物がいるわけだからその人に近づけなければいけない。
実際にあった行動だからその感情を探らなければいけない。
自分自身それが分かったうえで監督の言う事から求めている絵を理解し、調整し、
その人間になる。
実際、俺が本で読んだ「松田公太氏」と監督が求める「松田公太氏」は微妙に違っていた。
監督は「松田公太氏」と生で撮影し話を聞いている。
俺は悲しいかな「松田公太氏」みたいなバリバリの社長とは係わり合いのない世界にいるので想像上の人物。
しかもそれは俺がベースになって出来いるもの。
俺が「松田公太氏」になる上で必要なものがあった。
それは先頭に立ってすべてを「正面」で受け止める勇気とパワー(情熱)そして毎日楽しんでいる事。
そして核となる部分は「あのコーヒーが忘れなれない」ということ。
この2点だけに集中した。後は監督のディレクションに五感を研ぎ澄ましリンクさせる。
そして感じた事は色んな種類の人間観察が必要という事と色んな歩き方が出来なければいけない。
歩きから一つでそいつがどこの生まれでどういう育ち方してきたか、金持ちなのか貧乏なのかいろんなモノが出せるはず。
日々の生活で何を見て、何を実践するかそれが出来るか出来ないかで今後大きく変わる。
舞台をバンバン打ってもっと濃度の濃い練習しないと画面に出た時一瞬で蹴散らす事の出来る役者にはなれない。
「日々の生活」突っ込む事も出来るし妥協する事も出来る。
嬉しいメールが来た。
「社長と似ていたね」
外見だけなのかもしれないが役者冥利に尽きる。
次回は実際、Vを見終わってからの感想を書こうと思う。