シュンスケのほら穴

人生第二部
俳優 三田俊介
カゼノフクママ

刷り込まれたもの。持ち続けていたもの。

2017-08-07 15:55:45 | 考え方


小さい時から「キツネ」が好きでいつも「キツネ」の絵を描いていました。

尻尾はフサフサ、耳は大きくて、顔がシュッとしてて、躍動感があるそんな狐が好きでした。その「キツネ」は灰色でした。
動物園でキツネをみても、これじゃないと言っていました。

子供の頃、祖母から、キツネは灰色ではないよ、黄色なんだよ。とか顔や体はもうちょっと小さいよ。とかいろいろ教えられました。

赤ずきんちゃんに出てくるのを灰色のオオカミの人間らしいいやらしい目を見て「違う」と泣いていました。

小学校に上がり、なぜキツネが好きなのか、全くわかりませんでした。
小さい動物よりも大きい動物の方が好きだったからです。それでも小さい頃の思いもあり、キツネが好きと言い続けていました。

その割にはお狐様の神社が怖くて行けなかったり、すごく自分の想いを不思議に思っていました。

今年の7月。ダンさんの元にオオカミの世話をしに行ってから、全てがつながりました。
幼稚園の頃や当時の記憶がよぎっては消え、よぎって消えフラッシュバックしました。
猛虎のフッサフッサの尻尾を見てわかったのです。

小さい頃に「キツネ」だと思っていたのはオオカミだったのです。全てが合点行きました。なぜキツネが好きになって行ったのかも。
当時、オオカミのグッツはほぼありませんでした。悪者としてイメージを刷り込まれ、売れなかったからかもしれません。
そんなこと知らない子供の頃の自分は、尻尾が大きくて先っぽが黒っぽくて、灰色っぽくて顔がかっこいいやつが好きと言っていたのを祖母がキツネにすり替えたのでした。
こっちの方がいいよ。可愛いよ。と言って。尻尾がフサフサしていたのと耳が大きいのもありオオカミを「キツネ」と思い込んでしまったのです。

そして成人するとインディアンの暮らし方に共感覚えるようになりました。そこにもオオカミが常にいました。

そして宗教戦争に興味を持ち調べてるうちに、無宗教だと思っていた自分の考え方は自然と共に生きる考え方で神道に近く草原に生きるモンゴル人の考え方に似ていると気づきました。そしてそこにもオオカミが必ずいました。

とってつけた文章になってしまいましたが、自分の人生にとってオオカミはおそらくすごく大切な動物でキーワードだと思いました。

指輪に刻んだ文字もオオカミの事が入っていたり、写真もオオカミのを使っていたり。

オオカミに会う前から俺の中でオオカミが生きていたのだと感じました。

そして本物に。。