デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



作品はドン地方のコサックたちの平和な物語なのかと思いきや、第一次世界大戦の帝政ロシア時代から始まる物語であることに、まず驚いた。
物語は、第一次大戦前、平和を享受している主人公グリゴーリイ・メレホフが、若さゆえの傍若無人で隣家のすでに妻の身であるアクシーニヤと情事にふけったことで、アクシーニヤの夫ステパン・アスターホフとの確執がどうなっていくかが物語の主軸になっている。
とはいえ、これはひょっとするとサブエピソードの感を免れ得ない。なぜなら第一巻を読んだだけで、物語が、第一次大戦に引っ張り出された田舎の人々である主要人物たちの生活や精神がどのように変化し軌跡を描いていくかの物語であることが分かるからである。
第一巻の後半では、帝政を顛倒させる目的で民衆の不満を明確な言葉にして語る人間の影響から、戦闘で負傷したグリゴーリイは思想的に感化され始めるわけだが、第二巻の冒頭に入るとブンチュークという人物が軍隊内でレーニン指導による社会民主党(のちの共産党)のアジビラを皇帝支持の上官の目が光っているなかで撒き、大戦に続く形で内乱が起こることを匂わすエピソードがある。この思想が地主と民衆との間で対立を生み、第一巻で登場した人物たちが各々どういった立場をとるのか、という展開になっていく気がするが、事はそう単純ではなくて、幾重もの男女の不倫と救われない情の惰性からの情事による三角関係が影を落としていくところが、この作品のミソのような気がする。
それにしても、『静かなドン』は分量的にV・ユゴーの『レ・ミゼラブル』ぐらいありはしないだろうか。読書が長丁場になること必至である。

ところでピート・シーガーが書いた名曲「花はどこへ行った」は、キングストン・トリオやPPMらがカヴァーしたことでも有名だが、この曲のインスピレーションの元になった作品がショーロホフの『静かなドン』である。そのインスピレーションの元になった箇所は第一巻 第一編 第三章にある。

つづく

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