デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




教会もいろいろだが、プロテスタントの西教会は本当に質素であった。レンブラントが埋葬された教会にちなんで、その頃のオランダの歴史についてちょっと考えてみたくなった。






ローマ教会が君臨する中央集権的なカトリック教会に反対するプロテスタントの教えは、ネーデルラントで大きな反響を巻き起こした。
宗教改革者にジャン・カルヴァンという人がいるが、彼も免罪符の教会による販売を非難した一人であった。カトリックに対するカルヴァン派の抵抗は激烈で、1566年には町から町へと広がったイコノクラスム(聖像破壊運動)の波によって各地の教会堂でステンドグラスや彫刻や絵画が破壊された。
また、この頃起こった戦争に「八十年戦争」がある。これは北ヨーロッパにおけるプロテスタント勢力の拡大を食い止めようとしたネーデルラントの支配者スペイン王フェリペ2世(カトリック)に対する、ネーデルラントの貴族と改革派による反乱であった。この反乱は1568年に始まり、1648年のミュンスターの和約締結まで続くが、宗教問題だけでなく、政治的理由からもスペインの支配から開放を目指すものであった。



1648年までに、今のオランダとほぼ地理的に重なる北部ネーデルラントの7州は共和国の樹立にこぎつけた。オランダ共和国は「国教」を定めなかったが実状はカルヴァン派国家であった。オランダにおいてプロテスタントの教義だけでなく、国家として新たに独立したことは、人間個人の責任の強調のみならず、実験科学や経験哲学が促進されることとなった。自らの力で神の言葉を読んで学ぶことができるための信者の教育を目指した宗教改革者の教義が人口に膾炙したオランダで著述生活の大半を過ごした人物がデカルトである。レンブラントもそういった時代に生きた画家であった。

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