デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



絵画を目を凝らして見ていると、やっぱり集中力が萎えたりするのでちょっと窓から外を見たりもした。


すごく太い柱とセーヌ川ですねぇ



遠くに見えるのはパンテオンですねぇ

18世紀は油彩による肖像画だけでなく、パステル画の肖像画が流行した。1720年にイタリアの女流画家ロザルバ・カリエラ(1675-1757)がパリに招かれたとき、パステルの新技法を伝えたことがきっかけになっているそうだが、それをすぐに取り入れる画家たちはすごいなぁ…。
前回紹介したシャルダンもパステル画で自画像を描いていたが、とりわけパステル画の名手だったのがモーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール(1704-88)である。


モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール「ポンパドゥール侯爵夫人」(1755)
(きれいな画像はこちら

モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールはパステル画に魅せられて、パステル画でも油彩に負けない絵を描けると信念を持ったのか、パステル画に生涯を捧げたという。
さて、描かれているポンパドゥール侯爵夫人(1721-64)って、名前だけでも聞いたことがあるような人だと思う。
古今東西の歴史には、稀に低い身分から貴族や王の称号を得るまでに至ったような生涯を送った女性がいるが、ポンパドゥール侯爵夫人もその一人である。彼女は本名ジャンヌ・アントワネット・ポワッソンといい、平民の階級の出だが1745年にルイ15世と出会い、ポンパドゥール侯妃の称号を受ける。30歳くらいまでは王の愛妾であったが、それ以降は王の良き友人・相談相手であった。
彼女の名前が今に残るのは、彼女の才色兼備さがなせる業か、ダンス、クラヴサン、朗読、歌唱、版画、セーヴル王立陶器製作所の設立などなど、ポンパドゥール式といわれるほどの芸術というか趣味のスタイルをつくりあげたからだろう。セーヴルの陶器なんかはロシアの女帝エカテリーナ2世が莫大な値段で買い上げるほどだった。
芸術への理解が深かったこともあってか、彼女の才気は学問の方にも向けられていて、肖像画にもモンテスキューの『法の精神』や『百科全書』が描きこまれている。こういった当時の進歩的思想は後のフランス革命を引き起こす上での下地になるわけだが、このような思想を保護したのもポンパドゥール夫人のような人だったりするのは、歴史の妙なのか。彼女はフランス革命を目にすることなく、43歳で若死にした。満足とか幸福とかいったことは、いろいろな考え方があるだろうが、最も幸せな時代に彼女は自分の名を残せるほどのセンスを発揮できた、幸せな人だったんだろうなぁと、今になって絵を見たときの事を思い出しつつ感じる。

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