デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



シャルル・ボードレールの墓(モンパルナス墓地)


ボードレールが詩篇の実に多くの決定的な表現を思いついたのは、仕事机に向かっていたときではなかったと、ポルシェが指摘しているのはまったく正しい。(ポルシェ、一〇九ページを参照)    [J24a,6]

今になって、たとえ短くともモンパルナス墓地に立ち寄っておいてよかったと思っている。ムードンのセリーヌの墓を参った後、軽い気持ちでパサージュめぐりの前にボードレールの墓に参っておこう、モンパルナス墓地にはサルトルやボーボワールの墓もあることだし、と本当にその程度の気まぐれに近かった。その時はボードレールの業績はおろか、ベンヤミンの『パサージュ論』におけるボードレールの断片の重要性が、今よりはるかに分かっていなかったのだ。
とはいえ、今では分かっているのか、と問われれば答えに窮し、逃げたくなるのは変わっていない。また、ボードレールについては『悪の華』も堀口大学訳で目を通した程度、内容にはいまいちピンときていないし、ボードレール自身の批評や、ボードレールについての伝記や評論も読んだことがないのだ。ベンヤミンの『パサージュ論』の断片を除いては。

なのでありきたりなことしか書けないのだけれども、やっぱりベンヤミンは19世紀のパリの「集団の夢」を暴き出す手がかりとして、パリに存在していた群衆のなかに身おいて群衆や町のことを研究している遊歩者に目をつけたのだと思う。遊歩者については(ちょっと飛躍しすぎた解釈かもしれなかったが)こちらでも少し触れたけれども、パサージュで扱われたりパサージュで発生する商品価値となるものの神格化が19世紀中葉から起こることを見抜いたり、パリを古代の象徴としてみているような視点を持っていたりする、ベンヤミンにとってとびっきりの遊歩者がボードレールという存在だったのではないか。私にとってもその遊歩者の視点は興味深い。なぜならかつて読んだ作品の作者の視点とも重なるからだ。

この作品における現代性(モデルネ)とは、食器セットあるいは光学器具における商標のようなものである。商標は、それがどれほど長持ちするにしても、その商標の示している会社がひとたび倒産すれば、古びた印象を与えるものである。だが、ボードレールが自らの作品について抱いた明らかな意図は、それに商標を与えることだった。「紋切り型(ポンシフ)を作り出すこと」、それが彼の目論見だった。そしておそらくボードレールにとって彼の作品の最高の栄誉は、商品経済のもっとも世俗的な事実の一つであるこの事実自らの作品でもって模倣し、模造したことにある。おそらくこれがボードレール最大の功績である。しかも、かうも永続性を保ちながら、かくも迅速に古びたものとなること――それは明らかに彼の意図した功績なのである。    [J82,6][J82a,1]

遊歩者が町を徘徊するときに耽っている追憶(アナムネーシス)としての陶酔の素材となるのは、彼に感覚的に見えるものだけではない。この陶酔はしばしば、ただの知識をも、いや埃をかぶった資料さえも、自ら経験したり生きたりしたものであるかのように吸収しつくすのである。こうした感覚によって受容された知識というのは、なによりも口伝えによって人から人へと伝わるものである。ところが、こうした知識は一九世紀においてはほとんど気が遠くなるほどの膨大な量の文献の中に定着するようになった。「パリの街路という街路を、家という家を」描き出したルフーヴ以前でも、夢見心地ののらくら者というパリ風景の中の点景は描かれていた。こうした文献を研究するのは、夢見ることに没頭すべく用意された第二の人生のようなものである。そして彼がそうした本から得たことは、アペリティーフの前の午後の散歩の際にはっきりした姿(ビルト)をなす。実際に彼は、パリに最初の乗合馬車が走ったころ、ノートルダム・ド・ロレット教会の裏のところで三頭目の加勢の馬が馬車につながれたことを知っていたがゆえに、そこの急坂を靴の底でもっと強烈に感じたはずではなかろうか。    [M1,5]

「何に強制されるでもなく外出して、まるで右や左に曲がるだけでもう本質的に詩的な行為となるかのように自分の思いつき(インスピレーション)に従うこと。」エドモン・ジャルー「最後の遊歩者」(『ル・タン』紙、一九三六年五月二二日号)    [M9a,4]

デルヴォーは、遊歩のうちに、パリの社会のさまざまな社会階層を、ちょうど地質学者が地層を読むように、苦もなく読み取ろうとしている。    [M9a,1]

文人(オム・ド・レトル)――「彼にとってもっとも切実な現実とは実際の光景ではなくて、研究である。」アルフレッド・デルヴォー『パリの裏面』パリ、一八六〇年、一二一ページ    [M9a,2]

遊歩者の心理について。「われわれが皆、目を閉じて思い浮かべることができる忘れがたい光景というのは、ガイドブック片手に見つめた光景ではなく、われわれがその時には注意を向けなかった光景、ある過ちとか、行きずりの恋とか、たわいない面倒事とかといった他のことを考えながら通った場所の光景である。われわれにいま背景が見えるのは、そのときはそれが見えていなかったからなのである。ディケンズが、精神の中に事物を刻みつけたのではなく、むしろ、事物の上に自分の精神の跡を残したのも同じことなのである。G・K・チェスタートン『ディケンズ』(「著名人たちの生涯」叢書9)、ロランとマルタン=デュポンによる英語からの仏訳、パリ、一九二七年、三一ページ)    [M11,3]

プルーストにおける遊歩の原理。「すると、そうしたいっさいの文学への関心とはまったく無関係に、それとはなんの結びつきもなしに、突然一つの屋根、石ころに反射する太陽の光、道路の匂いが私の足をとめるのだ。それは、それらが私に贈ってくれた特別の快楽のためでもあるが、またそれらが私に見えるものの向こうに何かを隠していて、それを取りに来てみよと誘っていながら、私が努力してもそれを見つけだすことはできないようだったからでもある。」『スワン家のほうへ』<『失われた時を求めて』Ⅰ、パリ、一九三九年、二五六ページ>。この箇所を見ると、古きロマン主義的な風景感情が解体し、風景ついての新しいロマン主義的見方が成立してくる様がはっきり窺える。風景〔Landschaft〕といってもそれは、都市が遊歩にとってまさしく聖なる土地であるというのが本当ならば、むしろ都市風景〔Stadtschaft〕であるように思えるが。このことをボードレール以降本論ではじめて描いてみよう。(もっともボードレールには、彼の生存中にたくさんのパサージュがあったにもかかわらず、パサージュが出てこない。)    [M2a,1]

進歩に対して敵対的な態度を取ったことが、ボードレールが自分の詩においてパリを征服しえた不可欠の条件だった。彼の詩と比べてみるならば、後の大都市の抒情詩は、どれも弱いという印象をまぬがれない。そうした抒情詩には大都市という主題に対する留保が欠けている。ボードレールがそれをもちこたえたのは、その進歩に対する狂気じみた敵対感のおかげであった。    [J66a,1]

ボードレールにあって、パリは古代の象徴となっていて、パリの群衆が現代(モデルネ)の象徴となっているのと対照をなす。    [J66a,2]

ボードレールが、遠さの魔力が消えてしまった視線を捉えようと努めたことに決定的な意義を認めなくてはならない(「嘘への愛」〔『悪の華』〕を参照)。この点に関しては、アウラを、見つめられた物の中に目ざめる視線の遠さとする私の定義を参照。    [J47,6]

遊歩者にとって、自分の町は――たとえ彼が、ボードレールのように、そこで生まれた場合でも――もはや故郷ではない。自分の町は遊歩者にとっては一つの舞台なのである。    [J66a,6]

目覚めた人間が夢を想起するという方法で書こうとした意欲作『パサージュ論』。でも目覚めた人が19世紀にどのようにアプローチするか、それには当時の集団の夢を研究したり表現することに長けた遊歩者の視点を得ることがもっとも有効なのではと私も思う。なぜなら、遊歩者は商品経済の神格化が起こるさまを、デパートや万博の前身となったパサージュで扱われる商品だけでなく、「紋切り型の商品価値」としての娼婦や、娼婦が身につける服のモードの本性にも、すでに19世の時点で見出しているからだ。
ということは、遊歩者はある意味目覚めていることになる。だから、たとえボードレールが19世紀の人であっても、彼は事物から物の本質や背後にあるものを取り出そうとする遊歩者であり、夢うつつだが目覚めていることには変わりないのだろう。
なんてことのない、ぼろ・くずにも正当な位置を与えたいベンヤミンの、「現在が過去に衝突して過去へと喰い込む」とか「救いには、確固とした、見かけ上では荒々しい介入が必要」とか「狂気と神話の錯綜した藪を除去しなければならない」とか、時に過激とも思えてしまう言葉は、やはり遊歩者の視点を介してはじめて理解できるように今なら思える。『パサージュ論』で書かれるはずだった歴史は、いわゆる勝者の立場から書かれた英雄的・神話的に構成された歴史や、19世紀のことを頭のおかしい時代とか頽廃の時代といった風に色眼鏡で見る歴史でなく、進歩に寄与しなかった芸術が進歩を説明するといったポジティブなもの、事物が忘却から過去の時代を呼び起こしてくれるといったアウラ、子どもの頃の記憶や過去に存在していた婦人の"ひだ"の感触が感じとれるような肉感的・視覚的なところまで、次元的に高めたものにしたかったのではないか。

「時代を越えた永遠の真理」などという概念とは、きっぱりたもとを分かつのが良い。しかし真理というものは――マルクス主義が主張するように――ただ単に、認識の時代的関数であるばかりではなく、認識されたものと認識するもののうちにともに潜む時代の核〔Zeitkern〕に結びついている。この点はまさに真であり、それゆえ永遠なるものはいずれにしても、理念というよりはむしろ洋服のひだ飾りのようなものである。    [N3,2]


パリの市街地図から一本の刺激的な映画を作り出すことができるのではあるまいか。パリのさまざまな姿をその時間的な順序にしたがって展開していくことによって、街路や目抜き通り(ブールヴァール)やパサージュや広場のここ数世紀における動きを三〇分という時間に凝縮することによってそれができるのではあるまいか。それに、遊歩者が行っていることも、まさにこれ以外のなにものでないのである。■遊歩者■    [C1,9]

それにしても、ベンヤミンがそのまま研究を続け著述に励み、「引用符なしで引用する術を最高度に発展させ」て本(『パサージュ論』)を書いたとしても、ボードレールに関する記述を盛り込む段となるとベンヤミンでも相当手こずるのではないかと、勝手ながら想像している。ボードレールに埋没するだろうとまではいわないが、本の半分以上がボードレールの内容になってしまうんじゃないだろうか(笑)。



C・ボードレール、1821年4月9日―1867年8月31日


約190年前のシャルル・ボードレールの生まれた日(現地時間の4月9日)にアップするには、まだまだ書き足す内容があるなという自分に不満足な観念が正直残るが、今回はここまで。



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