デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



閻連科(イェン・リェンコー)作(泉京鹿訳)『炸裂志』(河出書房新社)読了。

中国の文革から改革開放を経て現在に至るまでの功罪を描いた小説に余華の『兄弟』があるが、『兄弟』がリアリスティックな描写で悲壮感漂う内容で物議をかもす作品ならば、閻連科の『炸裂志』は改革開放後の「富める者から富め」というスローガンの下、いろいろな意味で野心に忠実で欲望にまみれた人々が炸裂という名の架空の町を直轄市に成り上がらせるというある種の荒唐無稽な超絶描写の中に改革開放がもたらしたものやその実態を暴き出している作品である。
『炸裂志』ではものごとが進む際に超自然的な起こるが、私にはすんなり受け容れられ大きなカタルシスを得ることができた。それはたぶん、昔に魔術的リアリズムと称される手法を用いたガルシア・マルケスの『百年の孤独』を読んだ時のものに近いような気がする。
また余華の『兄弟』だけでなく、エヴァン・オズノスの『ネオ・チャイナ』やピーター・ヘスラーの『北京の胡同』などを読んで現代中国の町の劇的な変化やそれを推進している大きな欲望についてどことなく分かったことに加え、中国の大都市の平日の朝の乱雑さ目にしたり銀行街の大通りの幅の半端じゃない広さにため息をついたり、修復されてきれいになりすぎてしまった明代や清代の歴史的建造物が観光客に与える違和感をリアルに覚えた体験があったからこそ作品の荒唐無稽な出来事に臨場感を覚えたのだと思う。もし現代中国の発展についてシンボリックな作品を紹介してと言われたら私は『炸裂志』を推す。

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