母が、乳がんだって

2009年6月末、70歳の母から「乳がんになった」と言われました。

手術終わり

2009-07-28 21:54:08 | 日記
筋肉にはメスを入れず、術中の検査でもリンパ節転移は見られなかったので
予想以上に早く終わり、麻酔から覚めるのも早かったので、
病棟ナースさんが慌てるほど早く病室に帰ってきた。
でもすぐ次の手術を待っている他の患者さんがいる(母の耳に聞こえてきた)、
これが日常なのだから、皆さんには本当に頭が下がる。

忙しいはずのC先生が病室にいらして、
その時点で判った範囲の結果を知らせていただく。
輸血も必要なく、短時間で終わったので、消耗は心配ないそうだ。
確かに帰ってきた時は疲れた顔していたけど、血色は悪くなかった。

A先生からは、2年間ほど傷の痛みがあると伺う。
父は直接聞いたのに、あまり理解できないみたいだった。
母は「まったく判ってないね」と言い放つ。

酸素マスクが取れるまでは、○の話をし、続いて◆の話をする、という感じで
それぞれ意味は通るけど突然違う話をし、急にうとうとしていた。
寝惚けている、に近いと聞いていたが、確かにそんな感じだった。

マスクが取れると、喋る喋る。
麻酔が効いてくるまでに手術室をもっと見ておけば良かったとか
切り取ったものを見せて欲しいと言うのを忘れたとか
お腹空いた、口が渇く(喉の渇きは点滴で感じない)

明日、A先生が様子を見に、一瞬立ち寄っていただけるというので
母は「もう来なくて良い」と言ったのに、父はまた来ると言い出す。

主に鈍痛が多かったようだが、父が病室にいる間は口にしなかったけど、
C先生の来室後何もすることがない(しない)父に帰宅を促し、
そそくさと(本当に)帰っていった後、
痛みをちょっとずつ愚痴るように訴え始める。
意固地になっているので、父への抵抗のつもりでか、かなり我慢していたのだ。
咳に慣れていないので、少し出るらしい痰も上手く出せない。

どこまで自力でやらせてよくて、何をやっちゃダメなのか
渡された資料では判断できず、私も相当動揺してしまい
誰かに聞こうと飛び出すと、フロア看護師長さんしかいない...。
うろたえたあまり恥ずかしい質問の仕方をしてしまう。

弟が仕事を早退して来てからは、更に喋る喋る喋る。
弟は元気そうで良かったと嬉しそうだけど、
これは私が完全にナーバスになっているんだろう、
母がスーパーハイテンションになっているだけな気がする。
喜んでいても、病人を興奮させてはいけないという意味が分かった。

帰りの電車を待つホームで、携帯ニュースをチェックした瞬間、
私と同年の川村かおり(私の中ではこっち)さんの訃報記事。
帰宅まではなんとかこらえ、部屋で声を出さずに大泣き。
逃げずにまっすぐ立ち向かう勇気を彼女はずっと持っていただろう