母が、乳がんだって

2009年6月末、70歳の母から「乳がんになった」と言われました。

術後経過は良いので明日退院

2009-07-31 21:48:08 | 日記
朝早起きして病院に行き、ちょっと話してから出勤し、
定時で飛び出して、ちょっと話して帰宅の日々はしんどかった。
でも大病院に家族が入院している人は、皆さんほぼ似たようなことだし、
うちの入院期間は長期じゃない。
それに、昔の1ヶ月半の検査入院の時には言わなかったのに、
「今日はいつ来てくれるのかなって思うとワクワクして...」というので
数日のことだからと張り切ってしまい、私もちょっと疲れが出てきたか、少し咳が出始めた。

点滴は手術の翌朝取れたが、ドレーンバッグは今日の午後までだった。
これ使っている間は、混んでるから食事室での食事はダメ。病室で食べる。
管がひっかかったりしたら大変、が理由らしい。

母もこういう細かい理由までは知らなかったんだけど、
木曜日に、父がA先生に会いに来た際(待ち合わせを病室にするなよ)、
お昼を一緒にする気は無かったから、帰って欲しかったのに
父は階下のコンビニ弁当買ってきて病室の中で一緒に食べようとした。
病室では面会者の飲食禁止なのだから、それはいくらなんでも、
と食事室に移動して(もちろんトレイは母が自分で運ぶ)
渋々一緒に食べて、戻ったら、ナースさんに結構叱られたって、ちょっとしょげていた。

もちろん少し痛がるけど、リハビリも良い感じに出来ているようなので
出来れば、回数を決めたメニュー組んだ方がいいのか聞けたらなーと思ったが、
大病院だから諦めるしかない。
聞こうにも、そもそも人が歩いていない。

母は、父の前では、頑なに痛いとは言わないようにしてる。
(で、帰ったら、2年間毎日「痛い」って言い続けるつもりだそうだ)
近所の整形では、4時間たてば次を飲んでいいと言われてる痛み止めが
ここでは6時間後でないと許してもらえないので、なかなかお願いするタイミングが難しかった。

それでも年の割に、経過が良いらしく、ドレーンバッグも今日の夕方取れた。
管に付いているポンプ?で液を動かすのが楽しいと何度もやってみせていたが、異物は異物、うっとうしかったという。
取れたら母がすっきりしてしまい、勝手に決められたあれこれの文句を言わなくなった。

私だけが心配していた、保険適用外の検査費用も払える範囲内だった。
そりゃ払うけど、入院決める前に説明してくれても良かったのに、と。
その他モロモロの費用の心配も一段落した。
弟も安心しきってしまい、文句言うのは私だけになってしまった。

退院時に使う肌着の相談も準備もできなかったし、
(あげく本人が面倒がってしまった)
なんかこれからが大変。
神経質になりすぎていると自分でも少し思うけど、
うちは父も弟ものんきすぎる。

父は2年は痛いと言ったA先生の言葉を忘れ、
知人に「半年で治る」とメールを送っていて、
母をあきれさせた。

父も弟も、母がもう元気になったと思っている。やっぱりな。
母自身は、術後からずっと、なんかテンション上がっていると自覚している。
私は急にことが運びすぎた、その反動が怖い。
母が謎の悟りをひらいて変な教祖サマになる心配はないけど。

私はまだしばらく睡眠薬が必要みたい。

手術終わり

2009-07-28 21:54:08 | 日記
筋肉にはメスを入れず、術中の検査でもリンパ節転移は見られなかったので
予想以上に早く終わり、麻酔から覚めるのも早かったので、
病棟ナースさんが慌てるほど早く病室に帰ってきた。
でもすぐ次の手術を待っている他の患者さんがいる(母の耳に聞こえてきた)、
これが日常なのだから、皆さんには本当に頭が下がる。

忙しいはずのC先生が病室にいらして、
その時点で判った範囲の結果を知らせていただく。
輸血も必要なく、短時間で終わったので、消耗は心配ないそうだ。
確かに帰ってきた時は疲れた顔していたけど、血色は悪くなかった。

A先生からは、2年間ほど傷の痛みがあると伺う。
父は直接聞いたのに、あまり理解できないみたいだった。
母は「まったく判ってないね」と言い放つ。

酸素マスクが取れるまでは、○の話をし、続いて◆の話をする、という感じで
それぞれ意味は通るけど突然違う話をし、急にうとうとしていた。
寝惚けている、に近いと聞いていたが、確かにそんな感じだった。

マスクが取れると、喋る喋る。
麻酔が効いてくるまでに手術室をもっと見ておけば良かったとか
切り取ったものを見せて欲しいと言うのを忘れたとか
お腹空いた、口が渇く(喉の渇きは点滴で感じない)

明日、A先生が様子を見に、一瞬立ち寄っていただけるというので
母は「もう来なくて良い」と言ったのに、父はまた来ると言い出す。

主に鈍痛が多かったようだが、父が病室にいる間は口にしなかったけど、
C先生の来室後何もすることがない(しない)父に帰宅を促し、
そそくさと(本当に)帰っていった後、
痛みをちょっとずつ愚痴るように訴え始める。
意固地になっているので、父への抵抗のつもりでか、かなり我慢していたのだ。
咳に慣れていないので、少し出るらしい痰も上手く出せない。

どこまで自力でやらせてよくて、何をやっちゃダメなのか
渡された資料では判断できず、私も相当動揺してしまい
誰かに聞こうと飛び出すと、フロア看護師長さんしかいない...。
うろたえたあまり恥ずかしい質問の仕方をしてしまう。

弟が仕事を早退して来てからは、更に喋る喋る喋る。
弟は元気そうで良かったと嬉しそうだけど、
これは私が完全にナーバスになっているんだろう、
母がスーパーハイテンションになっているだけな気がする。
喜んでいても、病人を興奮させてはいけないという意味が分かった。

帰りの電車を待つホームで、携帯ニュースをチェックした瞬間、
私と同年の川村かおり(私の中ではこっち)さんの訃報記事。
帰宅まではなんとかこらえ、部屋で声を出さずに大泣き。
逃げずにまっすぐ立ち向かう勇気を彼女はずっと持っていただろう

ちょっと落ち着かない入院

2009-07-27 23:01:05 | 日記
朝9時半着。

基本説明を本来する事務の方の手が空かず、担当ナースさんから全説明。
この時点で初めて手術の内容(名称?)を知った母と私。
「胸筋温存左センチネルリンパ節除去」の文字が見えた。
ナースさん、さすがプロなので驚きは一瞬。
「まだ殆ど何もご存じない段階」の記録を淡々と。

薬の話や、各担当からの説明スケジュールを伺う。
父は偉い立場の先生にしか興味無いので、
病棟担当のお医者さんとナースさんの区別が付かない。
手術室の担当ナースさんや麻酔医の先生の説明もパスして院内設備探索。

そうこうするうちに弟も来た。
ようやく術前説明をC先生から受け、様々な同意書にサイン。
ステージ1までは行ってない初期と思われる、ただ乳頭付近にあるので
胸筋から上の切除が最適な治療です、という
映像見ながらの説明で理解はしたけど、
前日にコレ全部一気に言われるのってやっぱり何だかなあ。

父はがんの勉強をしたと言い張る割りに、的外れな質問を繰り返す。
ほぼ毎日、こういう聞いてるようで聞いていない年寄りの
相手には慣れていると思うが、
先生達に申し訳ない気分になってしまう。

父はコネを使ってここまで早く進められたことを
弟へ自慢げに語る語る。
私も母も、コネ診察なんて最悪だと
それぞれ愚痴メールしているので
さすがに苦笑いするしかなかったみたいだ。

父は、C先生から、術後の経過を見て継続しての診察が必要、
の話はもう全然聞いてなくて、
手術の方法や今の段階で推測される病状をオウム返しの再質問。
(あんなにものすごく判りやすい説明だったのに)
その根底にあるのは、A先生来るかと思っていて来なかったし
だったら何か質問しないと勿体ない、という妙な考え。
この変な思考にはずっといっしょにいないと気がつかないけど。

だから弟には「もうすっかり老人なんだから、変な言葉はスルーしろ」と
叱られたけど、アンタはたまにしか会わないからそう言えるんだと
心の中で言い返す。

善意の暴言も無神経な行動も四六時中よ、
ここ数年程度のことじゃなくて、
私達が子どもの頃からそうだったでしょ、
って、もうきれいに忘れてるあたりが父親の息子

母は、弟ともう少し話したかったが、
父が時間ぎりぎりまで一緒にいようとするのに
耐えきれず、諦めて病室の外へ我々を追い出す。

元々誰にでもそうだけど、
今日という日になっても、
母をいたわり、気遣う言葉も行動も
相変わらず、まったく無い。

病院の枕が合わないので、
明日は普段使っているのを持っていく。
サンダルも冷え予防靴下と一緒では無理だったので
別のを持って行く。

少しでもやることがあると、泣かないで済む。

入院前夜

2009-07-26 21:25:43 | 日記
先ほどA先生から父に電話があり、
手術の時間が当初の予定から変更になったことを知らされた。

既に寝ていた母を、父が興奮してたたき起こし
仰天した母が狼狽して私に言いに来た。

父の態度や言動は既に諦めているが
ちょっと信じられない時間の手術開始。
弟は来られそうにない。
父はそれを少しも気にかけていない。

もう、ご好意なのか、
振り回されているのか
わからなくなった。

病院側に申し訳ないという気後れと、
こんな強引に割り込んだ患者を
普通に扱って貰えるのかという不安が
母に大きくのしかかっている。

安心させてあげる、って
そんなの全然出来やしない。

ああ、私にもっと稼ぎがあれば。

ここ数日、私が泣いてしまう理由は
母が可哀相なのと、勝手に事が進む悔しさとが
入り交じっている。

入院までのあたふた

2009-07-25 14:58:32 | 日記
母は乳腺専門クリニックのB先生と一緒にマンモグラフィの画像を見たとき、
しこりと同じ色の点が散らばっているのを見て、
全摘とサラリと言われたときに、ああそうか、と受け入れたという。
私もあの青白い点が意味するところはそういうことかと思った。

でも「これ何ですか」って気軽に質問できないのが何とも落ち着かない。
なってしまったのものはしょうがないのだから、せめて知りたいのに、聞く相手が判らない。大学病院じゃ無理なんだろうか。
母の嘆きは主にこういう内容だ。

うっかり父に先に相談したことで、勝手に決められたことは
いろいろと細かなことに影響してしまっている。

かかりつけの循環器開業医のD先生に薬を一時停止する報告に行った際も
元々月1回診察の、単なる次回という時に
「実はこうなりまして、しかも急展開で...」という報告になり、
普段は冷静なD先生もさすがに驚いてしまい、処方薬を出す数の相談を双方で忘れてしまった。
これは私がそのうちに取りに行けばいいだけのことで済むけど。
このD先生には父もかかっているが、気が合わないらしく、薬がなくなってからようやく行く。代診の先生で済ませていることも多いので、D先生には話していなかったようだ。

D先生のところはいつも混んでいるので、両親とも風邪程度の時とあちこちの痛みは近所の内科+整形外科の医院に行っている。
内科のE先生と整形のF先生は両親も気に入っていて、私も捻挫で通っている。
この2人の若い先生は、非常に話しやすい、ある意味ヘンな先生達。

私は昨年暮れに咳風邪をひき、酷く咳き込んだ瞬間に腰を捻挫した。
そのときにこの医院で診て貰い、1ヶ月ほどして良くなってきたところで
今度はインフルエンザにかかってしまい、短期間に激しく痩せ衰えてしまった。
職場復帰後に電車内でバランスを崩して、もう一度腰を捻挫、今度は広範囲で重めに。
椎間板やすべり症には至らずに済んだけれど、急激に痩せ衰えたことで
筋力も体力も抵抗力も免疫力も低下していて、ものすごく治りが遅く、まだ痛み止めが必要な状態。
10年ほど世話になっているアレルギー科では私が嫌がるので飲み薬は数日しか出されず、皮膚科でも同じだった。薬キライだから医者には慣れていなかった。
初めての整形では、私の症状だと飲み薬中心と言うことで、初めて1週間以上薬を処方された。
このとき初めて、私が本来の効き目も出るけど副作用が強く出やすい体質(母も副作用出やすい)で、だから私が薬嫌いなのだという説がでる。そのため、色々と薬を探して貰った。同時期にアレルギー科で軽~中度の気管支喘息とも確定され、一気にどこかしらの医者通いが普通になってしまった。

眠れないというより、泣き疲れて寝入ったり、すぐ起きてしまうことを
どこの医者に相談するべきか、数日迷った。
このままでは私の体力が持ちそうにない。

喘息でかかっているアレルギー科の先生は、積極的に相談したいというタイプの先生ではない。(違った意味でヘンな先生なので)
さすがに不眠相談は整形じゃないだろうと思い、滅多にかからないのだけれど、E先生に症状だけを言う。

睡眠薬は初めてだけど、E先生は不眠の原因について何も聞かず、捻挫の続きの話と薬の効果の説明をいろいろするだけだった。正確には聞き出そうとして、私がどんな変な表情をしていたか、見てやめた感じ。

数日後、整形に行くと、私が何も話さないうちに、F先生が睡眠薬のことと、整形で処方する薬との飲み方の工夫などを話し始める。そして不眠の心当たりを聞き出そうとして、やっぱりやめて、筋肉の緊張を解くための睡眠の取り方について一生懸命説明してくれる。

父は、やっぱり、E先生にもF先生にも話したな。時期的に、私や弟より先だろう。ただ、父がしばらくこの医院に行く予定は無いので生体検査後の話は知らないと思う。
だけど、母が自分からは何も話さず、私が何も話さないことで、先生達は何となく察しているだろう。

私は、医者の守秘義務に甘えて、「実は」と話してしまうべきだったのだろうか。
毎度の「もうイヤなんだけど薬まだ要りますか」「痛がってるからまだ飲んでて」の会話をせずに、「早く目覚めすぎるので薬下さい」と薬嫌いが自分からいきなり言い出したあたりで察してください、というほうの失礼な甘え方で良かったのだろうか。

職場の上司には「親が入院手術をすることになった」としか言ってない。父か母かも病名も言う必要がないので楽だ。(私の重要度がその程度ということでもあるけど)
自分の友人にも言えていない。気軽に言いにくい年代になったということか。

勝手にことが進んでしまって、父が自分メインの知人に変に話しまくったせいで、誰にもまだ知らせるなと母は意固地になったな、と弟は言った。
今の母の希望は、あちこちに知られたくない、ひっそりと耐えたい、だから
私がかかりつけの先生達にも言わないのは間違ってないと思いたい。

睡眠薬は、まだ試して1週間弱。泣き疲れて眠ることはなくなった。
いつまでも飲んでいたくないけど、今だけは助かる、と思うことにする。