ものみの塔が神の用いられている唯一の組織か、のトピックの続きを書くつもりだったのですが、ちょっと親子問題で資料が見つかったので、速めにアップしておきたいと思います。
最近、母の攻撃(笑)で、かなり「人間としてどうか」と思う事などを言われ(そういう事は珍しいことではないのですが)いろいろ考えていたんですが、ちょうど、ほかのブログのほうでも、JW親子の経験を取り上げた記事が二つほどあり、これはやっぱり、自分の家だけ特別という事じゃなくって、JW全般にある問題みたいだけれど、なぜ??
と思ってちょっと調べてみました。
これってまるで、自分の親との体験だ、、と思ったブログの記事はこちらです。
ブログ環境設定変更、スィートセントさんのところの、お人形という記事と、
ブログ心の整理のキティーさんの会話という記事です。
ここお二人に共通しているのは、成長を何かみだらな事、と親から言われる事。
これっていじめですよね。成長を止める事はできないんですから。これはうちも同じでした。
ところで、スティーブンキングの「キャリー」という小説の中で、主人公が初潮を迎えたとき、熱心なキリスト教徒である主人公の母親が、その事をなじったり、攻めたりして、結構暴れるのですが~、これを読んだとき、こういう問題はエホバの証人以外でも起こってるんだろうか、
それとも、熱心なキリスト教徒ってエホバの証人?
などと疑問を持ちました。
で、こんな本の存在をみつけました。
●キャロリーヌ・エリアシェフ、ナタリー・エニック著/夏目 幸子 訳
「だから母と娘はむずかしい」
内容抜粋
「精神分析と社会学を専門とする本書の二人の女性著者は、この〈母〉と〈女〉を軸に母親のタイプを分類し、それぞれが娘とどのような関係を結んでいくのかを、童話や小説、映画など100作以上のフィクションを通して鮮やかに分析してみせる。
『白雪姫』『ボヴァリー夫人』『ピアノレッスン』など、物語のなかの母娘の心理を追っていくうちに、読者は両者の間の微妙な心理メカニズムを理解し、やがては自らのケースを相対化し、自分でも不可解だった言動も驚くほど納得できるようになるはずである。
母と娘のあり方にまったく新しい展望を切り拓き、また母と娘が共に幸福に生きるためのヒントを随所に散りばめた本書は、フランスで発表されるや雑誌で特集が組まれ、テレビ番組も制作される(DVD化もされた)など反響を呼び、20万部を超えるベストセラーとなった。」
以上転載終わり
ふ~ん、なかなか面白そうな本ですね。
白雪姫というと、こんな分析があります。
●幸せが怖い子どもたち……親の七がけ幸福論(幸せ恐怖症) ― 岩月 謙司 香川大学教授・理学博士
これはエホバの証人の母親にそのまま当てはめても、なるほど~と思える分析です。
白雪姫の「継母」は原文では本当の親だった。母親は自分の娘に嫉妬して娘を殺すまでになる、
というものです。要約してみると、美しさ、若さというものは「愛される象徴」であり、娘に嫉妬する母親は概して愛されていない。それで無意識に娘に嫉妬してしまう。
そして娘には自分よりは幸せになって欲しくないと思っている。
しかし自分の子だから、最高に不幸になって欲しいとは思えないので、「7掛けの幸福」を願う(100%の幸福に対して、そこそこ問題のある、70%くらいの幸福)
娘は母親に嫉妬されるのが怖くて、自分が幸せになるのを無意識に避けるようになる。
ちょっと本文を引用させていただきます。
「だが、子どもの幸福度が70を越え始めると黄色信号が点滅し始め、100を超えると赤信号になる。300とか500になったら、嫉妬の鬼となる。白雪姫の母が猟師に、白雪姫を森で殺し、その証拠に肝を持ってこい、と命令する様はまさに鬼である。
しかし、当の親は、自分が子どもの幸せに嫉妬しているなんて夢にも思っていない。しかも、皮肉なことに、嫉妬している親ほど嫉妬している自覚がない。また記憶もない。だから、白雪姫の母親は反省しない。反省しないから、白雪姫を何度も殺そうとするのである。たとえ誰かに批判されてもやめることはない。なぜなら、人は身に覚えのないことを反省することは不可能だからである。ここに親の7がけ幸福論の恐ろしさがある」
引用終わり。
な~るほど~。
エホバの証人は親子問題がすごく濃いと思うのですが、親、特に母親と娘にはこんな心理があるのかもしれませんね。
そこを、エホバの証人は「神のご意思」として大義名分を持たせてくれるから、親は放たれた野獣のようになるのかもしれませんね。
世間一般なら、自分で少しは抑えるとか、罪悪感を感じるとか、周りからおかしいよ、と指摘されるとか、抑制があるだろうけど、JW社会では、しつけ、淫行から守る親の愛とかっていろいろ言い訳が出来るので、とまる事を知らない。
みたいな。
それでもって、JWの母親は未信者の夫に愛されているどころか、時に迫害と言う名の家庭内暴力を受けている場合がある。
娘にその怒りの矛先が向かうのは当然の成り行き、みたいなものでしょうか。
JW家庭が母親と息子だけ、なら、母親の怒り、不満は息子にいくでしょう(奨励されている体罰などを利用する)。周りのJWを見ていると、息子と娘がいる家庭だったら、やはり、矛先は娘のほうにいくような気がします。
一般の、親子心理をさらっと調べてみたら、母親が自分と娘との境界線がつかないため、(同性だから、特に)自分がなりたかった姿、夢、幻想をいっきに「自分の分身」である娘にぶつけるという傾向があるようです。
これが子供(娘)の人格無視につながるようですね。エホバの証人だと、何度も言うようですが、子供は親に従え、反抗したものは石うち、親を通して救われる、淫行、他の人を躓かせない、といくらでも親の「欲望」を正当化してくれる教理がでてきますので、
たがが外れたようになってしまうのでしょう。
どうでしょう。
最近、母の攻撃(笑)で、かなり「人間としてどうか」と思う事などを言われ(そういう事は珍しいことではないのですが)いろいろ考えていたんですが、ちょうど、ほかのブログのほうでも、JW親子の経験を取り上げた記事が二つほどあり、これはやっぱり、自分の家だけ特別という事じゃなくって、JW全般にある問題みたいだけれど、なぜ??
と思ってちょっと調べてみました。
これってまるで、自分の親との体験だ、、と思ったブログの記事はこちらです。
ブログ環境設定変更、スィートセントさんのところの、お人形という記事と、
ブログ心の整理のキティーさんの会話という記事です。
ここお二人に共通しているのは、成長を何かみだらな事、と親から言われる事。
これっていじめですよね。成長を止める事はできないんですから。これはうちも同じでした。
ところで、スティーブンキングの「キャリー」という小説の中で、主人公が初潮を迎えたとき、熱心なキリスト教徒である主人公の母親が、その事をなじったり、攻めたりして、結構暴れるのですが~、これを読んだとき、こういう問題はエホバの証人以外でも起こってるんだろうか、
それとも、熱心なキリスト教徒ってエホバの証人?
などと疑問を持ちました。
で、こんな本の存在をみつけました。
●キャロリーヌ・エリアシェフ、ナタリー・エニック著/夏目 幸子 訳
「だから母と娘はむずかしい」
内容抜粋
「精神分析と社会学を専門とする本書の二人の女性著者は、この〈母〉と〈女〉を軸に母親のタイプを分類し、それぞれが娘とどのような関係を結んでいくのかを、童話や小説、映画など100作以上のフィクションを通して鮮やかに分析してみせる。
『白雪姫』『ボヴァリー夫人』『ピアノレッスン』など、物語のなかの母娘の心理を追っていくうちに、読者は両者の間の微妙な心理メカニズムを理解し、やがては自らのケースを相対化し、自分でも不可解だった言動も驚くほど納得できるようになるはずである。
母と娘のあり方にまったく新しい展望を切り拓き、また母と娘が共に幸福に生きるためのヒントを随所に散りばめた本書は、フランスで発表されるや雑誌で特集が組まれ、テレビ番組も制作される(DVD化もされた)など反響を呼び、20万部を超えるベストセラーとなった。」
以上転載終わり
ふ~ん、なかなか面白そうな本ですね。
白雪姫というと、こんな分析があります。
●幸せが怖い子どもたち……親の七がけ幸福論(幸せ恐怖症) ― 岩月 謙司 香川大学教授・理学博士
これはエホバの証人の母親にそのまま当てはめても、なるほど~と思える分析です。
白雪姫の「継母」は原文では本当の親だった。母親は自分の娘に嫉妬して娘を殺すまでになる、
というものです。要約してみると、美しさ、若さというものは「愛される象徴」であり、娘に嫉妬する母親は概して愛されていない。それで無意識に娘に嫉妬してしまう。
そして娘には自分よりは幸せになって欲しくないと思っている。
しかし自分の子だから、最高に不幸になって欲しいとは思えないので、「7掛けの幸福」を願う(100%の幸福に対して、そこそこ問題のある、70%くらいの幸福)
娘は母親に嫉妬されるのが怖くて、自分が幸せになるのを無意識に避けるようになる。
ちょっと本文を引用させていただきます。
「だが、子どもの幸福度が70を越え始めると黄色信号が点滅し始め、100を超えると赤信号になる。300とか500になったら、嫉妬の鬼となる。白雪姫の母が猟師に、白雪姫を森で殺し、その証拠に肝を持ってこい、と命令する様はまさに鬼である。
しかし、当の親は、自分が子どもの幸せに嫉妬しているなんて夢にも思っていない。しかも、皮肉なことに、嫉妬している親ほど嫉妬している自覚がない。また記憶もない。だから、白雪姫の母親は反省しない。反省しないから、白雪姫を何度も殺そうとするのである。たとえ誰かに批判されてもやめることはない。なぜなら、人は身に覚えのないことを反省することは不可能だからである。ここに親の7がけ幸福論の恐ろしさがある」
引用終わり。
な~るほど~。
エホバの証人は親子問題がすごく濃いと思うのですが、親、特に母親と娘にはこんな心理があるのかもしれませんね。
そこを、エホバの証人は「神のご意思」として大義名分を持たせてくれるから、親は放たれた野獣のようになるのかもしれませんね。
世間一般なら、自分で少しは抑えるとか、罪悪感を感じるとか、周りからおかしいよ、と指摘されるとか、抑制があるだろうけど、JW社会では、しつけ、淫行から守る親の愛とかっていろいろ言い訳が出来るので、とまる事を知らない。
みたいな。
それでもって、JWの母親は未信者の夫に愛されているどころか、時に迫害と言う名の家庭内暴力を受けている場合がある。
娘にその怒りの矛先が向かうのは当然の成り行き、みたいなものでしょうか。
JW家庭が母親と息子だけ、なら、母親の怒り、不満は息子にいくでしょう(奨励されている体罰などを利用する)。周りのJWを見ていると、息子と娘がいる家庭だったら、やはり、矛先は娘のほうにいくような気がします。
一般の、親子心理をさらっと調べてみたら、母親が自分と娘との境界線がつかないため、(同性だから、特に)自分がなりたかった姿、夢、幻想をいっきに「自分の分身」である娘にぶつけるという傾向があるようです。
これが子供(娘)の人格無視につながるようですね。エホバの証人だと、何度も言うようですが、子供は親に従え、反抗したものは石うち、親を通して救われる、淫行、他の人を躓かせない、といくらでも親の「欲望」を正当化してくれる教理がでてきますので、
たがが外れたようになってしまうのでしょう。
どうでしょう。