peaの植物図鑑

東山ふるさと歴史講座「今泉街道」現地探訪~長坂宿から摺沢宿へ(その6) 2014年8月7日(木)

2014年8月7日(木)、東山公民館(館長・鈴木勝市)、田河津公民館、松川公民館、石と賢治のミュージアム:主催の「昭和26年度 東山ふるさと歴史講座」の第4回(一関市の研修バスと徒歩による現地学習)”歩いてみよう今泉街道~長坂宿から摺沢宿へ”(9:00~15:00時)が行われました。講師は東山支所教育文化課 畠山篤雄氏。

(その6)は、善龍寺からの旧道(旧・今泉街道)は、現在の県道19号(一関大東)線の北側を流れる砂鉄川と大船渡線の線路に挟まれた部分を約800~900m東進し、そこで線路を横断するが、その手前までの約600mほどの区間は道も定かではないとのこと。そして、その先の旧道は町道(今は「市道」)と重なって荒瀬・流矢に達しているそうです。

(下)旧・今泉街道は、下の地図の赤い線のように通っていたそうです。

B

?滝沢山善龍寺、?火産霊(ほむすび)神社、?観音堂境内の碑、51.高金坂道上の碑、52.旧摺沢村との道境にある碑、①境界(長坂と摺沢)、②渡船碑、③雲南田の庚申碑、④雲南神社、⑤礼田の庚申碑、、⑥観音堂、⑦宿駅(摺沢駅)、⑧高建寺

P1130733a

この周辺の「旧・今泉街道」(旧道)について、岩手県教育委員会発行の「岩手県文化財調査報告書 第41集・今泉街道」(昭和55年3月31日発行)の(6)流矢~八幡前の項には下記の通り記載されています。

”長坂と摺沢との境界を流れる沢に架けられた土橋を渡ると、旧道は大東町に入り、町道と重なって約800m進んだ地点で砂鉄川を右に横断し、その支流の曽慶川が合流する付近の旧道の北側に弘化4年(1847)の渡船碑(高さ108cm、幅50cm、厚さ35cm、花崗岩)が建っている。それには「為観光院貞応妙室姉開聴得解加藤茂孝室造新舟以旅客便易往復」と刻まれており、渡船場であったことが知られるが、日常は一本橋が架けられており、出水時に舟で渡ったという。ここから坂道となる旧道は樹木におおわれており、昔日の面影が良く残されている。そして大船渡線の敷地の北側に沿って約300m進んだ民家の前で線路を右に横断し、さらに県道の北側を流れる曽慶川の左岸に達し、そこから再び線路を斜断して摺沢駅の後方を通って市街地に入っている。

http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E141.19.56.390N38.59.28.570&MT=%E4%B8%80%E9%96%A2%E5%B8%82%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E7%94%BA%E6%91%BA%E6%B2%A2&from=map_tp&SH=&sw=1[一関市大東町摺沢:goo地図]

私たちは、時間の関係もあり現在「今泉街道」と呼ばれている県道19号線をバスに乗って大東町摺沢字流矢まで移動しました。現在の県道は、砂鉄川の南側を走っているので、大東町に入ると直ぐ左折している道を下って流矢橋を渡って対岸に着きました。(下)砂鉄川右岸の上流側から見た流矢橋。

P1130712a

(下6つ)流矢橋のすぐ傍に植えられているハナガサギク(花笠菊)が、鮮黄色で八重の花を沢山咲かせていました。

P1130748a

P1130749a

P1130750a

P1130751a

P1130753a

P1130755a

キク科 ルドベキア(オオハンゴンソウ)属 Rudbeckia spp.

ルドベキア(大反魂草の仲間)は、北米に約15種が知られている多年草で、ごく一部が一、二年草である。花心が盛り上がっているのが特徴で、広く流通しているR.ヒルタ(和名・荒毛反魂草)は一、二年草。草丈が30㎝ほどの矮性品種から90㎝のものまであるが、黄色の花の基部が褐色の’グロリオサ・デージー’が有名である。また、一重咲きで花心が褐色のものは牧場などに野生化している。花期は7~9月。オオハンゴンソウ(R.ラシニアタ)は宿根草で、花心は初め黄緑色、草丈は60~300㎝。切花用に栽培もされるが、各地の川沿いなどに野生化している。本種の八重咲き品種に<strog></strog>ハナガサギク(花笠菊)がある。いずれも丈夫で栽培が容易。[講談社発行「野の花・街の花(監修:長岡 求)」より]

P1130728a

(上)砂鉄川の右岸に沿って走る旧・今泉街道から見た「流矢橋」(橋の下流側から)

P1130726a

砂鉄川に架かる流矢橋から砂鉄川に沿って赤い丸の方に延びている道が旧・今泉街道だそうです。(下)流矢橋。

P1130727a

(下)「流矢橋」が架かるすぐ近くの砂鉄川の風景。重機がある近くの道が現在「今泉街道」と呼ばれている県道19号(一関大東)線。

P1130736a

(上)旧・今泉街道は上に見える砂鉄川の右岸(川のこちら側)に沿って走っていたそうです。川の向かい側には現・県道19号(一関大東)線とJR大船渡線が走っています。

P1130776a

(上)砂鉄川に架かる「流矢橋」を渡って、摺沢側で私たちを待っているバスに乗るために少しだけ歩きます。(下)流矢橋の上から見えた「曽慶川」。この直ぐ傍で砂鉄川に注いでいます。

P1130777a

P1130779a

(上)このバスが停止している道が「今泉街道」と呼ばれていた旧道で、現在の県道ができるまではここが県道でした。前方に見える現・県道の跨道橋の下を潜って摺沢の市街地(旧「摺沢宿」)の方へ進みます。(現在は「県道135号線」)

 

P1130780a

(上と下)この道が現・県道19号(一関大東)線から分岐している道で、私たちが乗ったバスはこの道を下って来て左折して「流矢橋」を渡ったのでした。

P1130782a

(下2つ)昼食休憩のため摺沢公民館などがある一関市大東町コミニュティセンター(一関市大東町摺沢字街道下25-3)に到着しました。この日も猛暑日で「熱中症注意日」の看板が立てられていました。

P1130805a

P1130786a

P1130804a

(上)昼食休憩中も地図を見ている講師の畠山さん。広げているのは住宅地図を切り貼りした特製の地図。


今年の3月で85歳の「後期高齢者」。花や木の実、特に山野草が好きで何時もデジカメを持ち歩いています。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「町のイベント」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事