
先の休みに20年ほど前のノートをめくっていて、NHKテレビで夏目漱石の評伝を見た後に残していたメモを発見。予想もしないものが出てくると、当時確かに生きていた、何らかの精神活動をしていたことを確認でき、頭の中に力が漲ってくる。それは、芥川龍之介 (1892年3月1日 - 1927年7月24日) が久米正雄 (1891年11月23日 - 1952年3月1日) に宛てて書いた次のような言葉であった。
「世の中は、根気よくやる人には頭を下げるが、華やかなことは一瞬のうちに頭から去っていく。人はみな馬になろうとするが、牛になれ。そうして、死ぬまで押し続けるのだ。何を押し続けるかと言えば、それは他にはない、他人ではない。それは自分の中にある何か本質的なものなのだ。」
芥川はやはり自身を馬であると感じていたのかという思いが湧いたのか、自ら馬になろうとしている心を戒めようとでも思って控えた言葉であったのか。メモを見た時は驚いたが、その時のことが微かに浮かび上がってきている。
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(22 février 2007)
この記事について、kounit 様からここで取り上げた言葉は漱石のものではないかというコメントがありました (コメント欄をご覧下さい)。さっそく調べてみたところ、ご指摘通り、漱石から芥川と久米に送られた手紙であることが判明しました。記事にある手紙の要約を読み直してみると、相当思い入れの強そうな書き方をしていますので、その言葉に集中し過ぎて周りを見落としていたのかもしれません。このような誤りが随所に転がっている可能性がありますので、お気付きの点がありましたらコメントの方をよろしくお願いいたします。
kounit 様、ご指摘ありがとうございました。訂正版を明日出すことにします。これに懲りずに今後ともよろしくお願いいたします。
ところで、漱石って、俳句が意外にいい味だしているんですね。ずっと、以前、ネットで数人で漱石の俳句を読んだことがあります。
月に行く漱石妻を忘れたり
木瓜咲くや漱石拙を守るべく
叩かれて昼の蚊を吐く木魚かな
寝る門を初雪じゃとて叩きけり(記憶あいまい)
印象に残る句がたくさんありました。
冬月さん
グールドが漱石が好きだったというソースは何ですか?英訳の「草枕」を読んだとすれば、それに最高の小説と言うからには、欧米の作品も沢山読んでたのでしょうか?
あの世捨て人の演奏が漱石にまで辿れるとしたら、ファンには衝撃的な事実ですね。是非ソースをお教え下さい。彼の自宅でつぶやきつつ弾いているLDがあります。
グールドと漱石の結びつき、意外だったようですね。ぼくとしても、紹介させていただいた意味があったというものです。
初めて知ったのは、数年前の朝日新聞の日曜版だったと思いますが、松岡正剛さんのページがコンパクトにまとめられています。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0980.html
わたしの「冬月」をクリックしても、当該ページに行けます。グールドは英訳版で触れたようですね。ぼくも、英訳版というのに興味を持ちました。
「『草枕』はさまざまな要素を含んでいますが、とくに思索と行動、無関心と義理、西洋と東洋の価値観の対立、モダニズムの孕む危険を扱っています。これは二十世紀の小説の最高傑作のひとつだと、私は思います」
という言葉の中にある対比、思索と行動、西洋と東洋、モダニズムに孕む危険などはここでも興味を持っているところですので、この面からもグールドを見てみたいと思いが出てきています。
木瓜(ぼけ)咲くや漱石拙を守るべく
le cognassier du Japon fleurissant
Sôseki garde son mode de vie
simple et honnête
(http://fr.wikipedia.org/wiki/Cognassier_du_Japon)
月に行く漱石妻を忘れたり
admirant la lune
Sôseki a oublié
sa femme
叩かれて昼の蚊を吐く木魚かな
étant frappé
vomit des moustiques
le bloc en bois de poisson*
*木魚 mokugyo : un instrument à
percussion utilisé dans un rituel
bouddhiste
(http://en.wikipedia.org/wiki/Mokugyo)
(Sôseki; traduit par paul-ailleurs)
松岡さんも言ってますが、グールドも俳句を知っていれば、夢中になったかもしれませんね。
冬月さん
グールドと漱石などに関する情報有難うございました。「草枕変奏曲」の書も知りませんでしたし、映画「砂の女」を100回も観た話も初めてでした。「砂の女」は映画化の前に林光作曲、千田是也の演出で大阪労音がミュージカル制作をしていますが、スタッフで1度もグールドは話題になりませんでしたね。驚きました。
彼がライヴを止めてからの晩年に、来日公演もう一歩までいったことをご存じですか?ホロヴィッツ(2回)やカラヤンとベルリンフィルなどさまざま招聘した梶本尚靖氏が、一番招聘に情熱を燃やしていたのが、グールドだったのです。「ミコさん、絶対にやるからね。これは僕の天命やからね」と言い何回も接触し、実現しそうな時に突然の訃報だったのです。
グールドの個性は全くオンリーワンだったと思いますが、なにぶんライヴに接しておらず、ピアノでの来日最高はミケランジェリだったと思います。自分のピアノを持ち込んでの演奏でしたし。リヒテルと言う人も多いのですが、リヒテルは何度も来てくれましたしね。
今日もいい気分で終わります。有難うございました。