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フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

漱石の手紙 LETTRES DE NATSUME SOSEKI

2007-02-23 00:13:07 | 日本の作家

今日は、昨日取り上げた内容の訂正になる。芥川龍之介から久米正雄に送られた手紙として紹介したものは、夏目漱石からこの2人に出されたものであった。kounit 様のコメントがなければ、気付かずに過ぎてしまっていた。改めてkounit 様に感謝したい。

もう20年程前になるのでその番組のことは覚えていないのだが、昨日要約された手紙を取り巻く状況は以下のようになる。芥川は大正5年 (1916年) 2月に短編 「鼻」 を発表する。その夏2人は千葉の一の宮に滞在するが、そこに漱石から問題の手紙が送られてくる。少し長くなるが、引用してみたい。

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 あなたがたから端書がきたから奮発して此手紙を上げます。僕は不相変 (あいかわらず) 「明暗」 を午前中書いてゐます。心持は苦痛、快楽、器械的、此三つを兼ねてゐます。存外涼しいのが仕合せです。夫でも毎日百回近くもあんな事を書いてゐると大いに俗了された心持になりますので三四日まえから午後の日課として漢詩を作ります。日に一つ位です。・・・・勉強をしますか。何か書きますか。君方は新時代の作家になる積でせう。僕も其積であなた方の将来を見てゐます。どうぞ偉くなつてください。然し無暗にあせつては不可 (いけ) ません。たゞ牛のやうに図々しく進んで行くのが大事です。文壇にもつと心持の好い愉快な空気を輸入したいと思ひます。是は両君とも御同感だらうと思ひます。/今日からつくつく法師が鳴き出しました。もう秋が近づいて来たのでせう。/私はこんな長い手紙をたゞ書くのです。永い日が何時迄もつゞいて何うしても日が暮れないといふ証拠に書くのです。さういふ心持の中に入ってゐる自分を君等に紹介する為に書くのです。夫からさういふ心持でゐる事を自分で味わつて見るために書くのです。日は長いのです。四方は蝉の声で埋まつてゐます。以上

  八月二十一日
 久米正雄様
 芥川龍之介様


 返事をもらった漱石は、この三日後にまた手紙を書く。その中に、「牛になることはどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れないです」 とあり、次のように続いている。

 あせつては不可せん。頭を悪くしては不可せん。根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知つてゐますが、花火の前には一瞬の記憶しか与へて呉れません。うんうん死ぬ迄押すのです。それ丈です。決して相手を拵らへてそれを押しちや不可せん。相手はいくらでも後から後から出て来ます。さうして吾々を悩ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。/是から湯に入ります。

  八月二十四日
 芥川龍之介様
 久米正雄様
 君方が避暑中もう手紙を上げないかも知れません。君方も返事の事は気にしないでも構ひません。

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 読んでいると漱石の細やかな心配りが見える。この話に私が反応したのは、おそらく自分への戒めとして捉えようとしたのではないかと想像している。

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