3月にある日、午前中に仕事を終え、パリ郊外のモントロイユ Montreuil に向かった。終点の前の方が町の中心のようであったので、クロワ・ド・シャヴォー Croix de Chavaux で降りる。そこから Rue de Paris に沿ってパリ方面に歩く。それから、殺風景なRue Emile Zola に入りひたすら下ると、あるところから雰囲気が一変し、端正で静寂と気品に満ちた住宅街が現れる。通り一つでこうも違うものかとの驚きが襲う。住んでみたいと思わせてくれたそのカルティエがヴァンセンヌの町であった。その雰囲気を楽しみながらどんどん下っていくと、St Mandé の標識があらわれ、さらに下っていくと Général de Gaule 通りに辿り着いた。この通りにはたくさんの不動産屋がある。その中の一つに入り、こちらの様子を聞いてみた。受付嬢も親切で、感じがよい。もと来た道を戻るのは気分が重いのでさらに道を下っていくと、不思議な人口の石の山が見える。その向かいは高級住宅が壁の中に並んでいる。一つ一つ写真に収める。Porte Dorée のメトロが近いはずだが、疲れていたので盲導犬を訓練中の巨大といってもよいくらいの女の子にどこに駅があるのか聞いてみた。"tout en bas" と言われてさらに歩く。Avenue Daumesnil を登っていくと、"tout" というだけあって相当先にそれらしいところがあった。メトロの路線図によるとドメニルが近くなので、郊外の地図を買おうとして降りる。駅近くの雑誌を売っている Point Presse という店でパリ郊外の適当な地図を買う。これまでは見難いと思っていたフランス・スタイルの地図が急に非常にわかりやすいものに変わっていた。今ではこれでなければ駄目という状態になっている。この日の疲れを癒すために、メトロ入り口前のビストロに入り、ビール Affligem、Blanche とJambon d'Auvergne を食べながら一日を振り返っていた。
そこで買ったばかりの地図を眺めていると、先ほどの巨大な石の山が Grand Rocher であること、さらに道を尋ねた近くには盲導犬訓練学校 Ecole de Chiens Guides d'Aveugles があるのを発見し、妙に気分がすっきりしたのを思い出す。
仏語との付き合いの歩みに比例して愛着が重ねられていくようですね。
ある偉い学者によると、現在の東京は「拝金主義」でなければ、最低の夢も追いにくい精神性の砂漠化進行中とのこと。日本全体では「拝金派」30%「嫌金派」30%残りがオタクで、オタクも「嫌金派」とすればほぼ全員に近い「拝金派」は東京に偏在しているであろうという論旨です。文化果つるような地方都市に住んでる者はあらためて「このなにげなさを大事にしよう」と思いつつ、パリなどはやはり東京とは対極にある街なんだろうなあとも思います。
もっともわたしのパリ散歩はかなり不愉快なことにけつまずくエピソードが少なくなく、中欧の飾りのなさの方に惹かれましたが…。
フランス語を話すようになってから、パリでの滞在が全く別のものになってきました。少し怪しげなフランス語を話す老人を興味を持って扱ってくれているのではないかとの疑いを持ち始めています。強烈な個性の人もいますが、余り憎めません。すべてを受け入れてみる、という姿勢が生まれているせいでしょうか。エージングの効果かもしれません。
ところでこのお説、Y先生のものではないかと思いますが、いかがでしょうか。以前にも触れたことがありますが、このブログでもY先生との接点は若干認められます。
http://blog.goo.ne.jp/paul-ailleurs/e/263f0b1bd0675ecdb488025dd52429b3
http://blog.goo.ne.jp/paul-ailleurs/e/ec0e8e4a469b8ea4667204c4d92ba89e
こんな方を国の政策審議会などで活躍させないのは、やはり困ることがあるんでしょうかねえ。
都知事選で”花形”の黒川紀章氏は元々地道な都市計画と取り組む京大の西山夘三ゼミだったのに、東大の丹下ゼミに鞍替えし、華々しい道を歩かれたとか。今日の氏の姿は50年前の帰結という建築家が少なくないですね。
晩年が遥かに過ぎ去った細い道と繋がるとは怖いことですねえ。
「ジャクリーヌ・デュ・プレの全て」(7時間半)のビデオを借りて観ました。3日分の重労働。これも嫌金派の楽しみかも。
デュ・プレは懐かしい存在ですが、どのような運命が働いていたのでしょうか。あれだけのものを残すことができたのですから、この世に生まれてきた理由はあるとは思うのですが、