チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキー『1812年』大団円 アレグロ・ヴィヴァーチェ」

2012年12月14日 00時17分04秒 | 戦勝&大聖堂奉献式祝いに(イワイニ)1812年

チャイコフスキー 1812年



"イマワ"むかし、
マニフェストなる美名の空手形にて愚民を謀り政権をとり
日本国の足を引っ張りにひっぱりし蛸政党ありけり。
その反日政党に選挙にて負けし政党が総裁の母校大学空手部にて、
主将なむ傷害致死の疑いにて逮捕されける。
師走朔日がことなり。
同部OBとふ山梨県上野原市なる個人タクシー運転業が77歳、
先輩づらふかせけるが稽古のオブザーヴァーとて来たりて
部員を大いに困らせてけり。

現在6人の同部では部員減少による廃部を危惧して、
<目的に合わせて練習ができます>
<練習は2時間と短いです>
<勉強やアルバイトに支障をきたすことなく練習ができます>
などどいうキャッチを謳って部員拡充に努めてたという。さらに、
危険性を伴わない「寸止め」を重要視していたという。ところが、
77歳OBは「当身(実際に打突すること)」でやれとしつこく要求し、
寸止めで稽古してるところを中断させて主将に高圧的に迫った。
77歳OBは主将にビンタをしたらしい。師範でもない
ただの迷惑人である者が非礼にも暴力行為をはたらいたのだが、
主将はついに77歳OBの強要に屈し、では「当身」でと、
右足回し蹴りを寸止めではなく、
77歳OBの左顔面に食らわしてやったということである。ところが、
77歳OBは口ほどにもなくざまなく昏倒し、
2時間後に頭蓋内損傷で死亡した、というのがあらましなようである。

KARATEとKARAOKEを瞬時には見分けることができず、
ナポレオンと早野凡平の顔をしばしば区別できない拙脳なる私には、
ロシア語を恥じて宮廷でフランス語を使ってたロシアがなぜ、
ナポレオン軍に素直に屈しないで抵抗したのか未だに不思議である(※)。
今から200年前の1812年6月にいわゆるネマン川を渡って
ロシア領内に侵入を開始したラ・グロン・ダルメ(ナポレオン軍)は、
9月にいわゆるモスクワに進軍、制圧した。が、
ロシア軍の焦土作戦におめおめとひっかかったナポレオンは、
にっちもさっちもいかなくなった。ついに、
10月19日にモスクワからの退却を開始した。
当初60万だった兵がこのときには10万になってた。
ロシア軍のいわゆるクトゥーゾフは敗走撃ちにかかり、かつ、
退路の選択肢を失わせたのである。ナポレオン軍にとっては
もちろんヘイタンな道ではない。飼葉が底をつき馬が死んでった。
死馬がわずかばかりの食糧となった。
死んだ兵の腿肉も同様だったらしい。
飢えと凍えで脱走兵が相次いだ。が、
ロシアの農民に捕まって殺されてった。
ヴィャージマでロシア軍に滅多討ちにされたナポレオンは、
11月3日、無責任にも軍を現地解散として、
ただひたすら逃げ帰ることに専念した。
ほうほうのていのナポレオン軍が
11月14日に氷点下25度のいわゆるスモレンスクに達したときには、
兵数は3万強になってた。それから待機軍と合流したものの、
11月28日のいわゆるベレジナ川渡河では、あらかじめ
橋を落とされてたので、ナポレオン軍の工兵らは
仮橋を架けながら凍え死んでった。川を渡れたのは
合流軍も含めて半分の2万強だけだった。
現在のベラルーシのミンスクに達した12月5日にナポレオンは
新たに徴兵を行って軍を再編するために自分だけ
トロイカ橇で先に逃げ帰り、将兵を置き去りにした。
大将というものはそうやってでも生き残ルシカないものだが、
軍を任された義弟のミュラも軍を捨てて逃げた。
大将らに見捨てられた軍が現在のリトアニアの
いわゆるヴィリニュスに到達したとき、
兵数は8千となってた。ちなみに、
敗走兵の中でこの町に留まって現地人と結婚したのが、
いわゆるロシア五人組のキュイの父親である。途中また
待機軍が加わった1万のナポレオン軍が、
ロシア領からポーランド領となって
ロシア軍がおいそれとは手出しできなくなる
いわゆるネマン川を渡り終えたのが12月14日である。

チャイコフスキーの「1812年」は、
この戦勝記念と戦没者慰霊のために
ツァーリ・アレクサンドル1世が建立を勅裁した
「救世主ハリストス大聖堂」の奉献式にあたって演奏されるべく
ニコライ・ルビンシテインを通じて依嘱されたものである。
曲は、
A=ラルゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B=アンダーンテ、4/4、3♭、「進軍ラッパ」
C=アッレーグロ・ジュストのソナータ、4/4、6♭
 第1主題
 推移部挿入=「ラ・マルセイエーズ」
 第2主題=破棄したオペラ「地方長官」の二重唱
 第3主題=ロシア民謡「門の前で」
A´=ラルゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B´=アッレーグロ・ヴィヴァーチェ、4/4、3♭、
   「進軍ラッパ」「ロシア帝国国家」
という大がかりな構成になってる。このエントリはその
B´の箇所、大団円である。

強弱記号は「ffff」となり、
ロシア軍の「進軍ラッパ」があらんかぎりの音で奏される。
[Allegro vivace、4/4拍子、3♭(変ホ長調)]
♪(ドー>)ソッソッ・<ドー<レー・・<ミー>レー・>ドー<レー│
 <ミー●●・>ドー●●・・ドーーー・ーーーー│
 >●●ソッソッ・<ドー<レー・・<ミー>レー・>ドー<レー│
 <ミー●●・>ドー●●・・ドーーー・ーーーー│
 >●●ラッラッ・<レー<ミー・・<レー>ラー・>ファー<ラー│
 <レー>ラー・>ファー<ラー・・<レーーー・ーーーー│
 >●●ソッソッ・<ドー<レー・・>ドー>ソー・>ミー<ソー│
 <ドー>ソー・>ミー<ソー・・<ドーーー・ーーーー♪
これを3拍子の
♪ソソ・<ドー・<レー│<ミ>レ・>ドー・>ソー│
<ラー・ー<ド・ド<レ│>ドー・ーー・●●♪
としてしまうと、
松本智津夫による新興仏教テロ革命を支持してた中沢新一とオトモダチの
坂本龍一が調子に乗って欽ちゃん走りでルート5を進軍してしまう。ともあれ、
小太鼓、大太鼓、シンバル、鐘、大砲、などを使い分けたチャイコフスキーの
「打楽器使いのテクニシャン」ぶりが遺憾なく発揮されてる。ただし、
右二つ巴紋の革を張った山鹿流陣太鼓が打ち鳴らされることはない。
「進軍ラッパ」の繰り返しからは
「ロシア帝国国家(ボージェ、ツァリャー・フラニー=主よ、ツァーリを護り給え」
が加えられる。
♪ソーーー・ーーーー・・ーーーー・ーーーー│
 <ラーーー・ーーーー・・ラーーー・ーーーー│
 >ソーーー・ーーーー・・ーーーー・>ミーーー│
 >ドーーー・ーーーー・・ーーーー・ーーーー♪
(cf; 「ロシア帝国国歌『主よ、ツァーリを護り給え』」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/6993f85bd32b99cc937a305e7c12f79b)
♪ソー>♭ソー>ファー(3連符)・・>ミー>♭ミー>レー(3連符)│
 >♯ドー>Nドー>シー(3連符)・・>♭シー>ラー>♭ラー(3連符)♪
という強烈な3連符半音階下降咆哮のあとの、
6小節にわたる鐘の連打が他のオケの全奏と合わさって、
(1812年はおろか1880年にもなかったものだが)戦闘機の
威圧的なエンジン音に聞こえる。

ラ・マルセイエーズやロシア帝国国歌などを使い、
大吹奏楽団や大砲まで加えたケレン味たっぷりの
低俗な音楽だったから"気が進まなかった"とはいえ、
真の低俗作曲家ではとても書けないレヴェルの音楽を
チャイコフスキーは仕上げた。機会音楽でさえ、
チャイコフスキーの手に掛かれば実に感動的なものになるのである。
変ホ長調の主音Esの2オクターヴにわたる
3段構えのユニゾンでこの壮大な曲が閉じられたときに
心動かされない者には、矢追純一が顔を出してきて、
"Merry Christmas, Mr Lawrence!"
というセリフを吐いてしまいそうな音楽モドキふぜいが似つかわしい。
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「チャイコフスキー『1812年』ラルゴ(ロシア正教聖歌)の全奏での回帰とポロネーズ」

2012年09月07日 00時17分27秒 | 戦勝&大聖堂奉献式祝いに(イワイニ)1812年

チャイコフスキー 1812年


今日、2012年9月7日は、
ナポレオン率いるLa Grande Armee(ラ・グロンダルメ=大陸軍)14万を
いわゆるモスクワの西約100kmの
Бородино(バラヂノー、いわゆるボロヂノ)で
Михаил Голенищев-Кутузов
(ミハイール・ガリェーニシシェフ=クトゥーザフ公爵、1745-1813)が総司令官の
ロシア帝国軍12万が迎えうった
Бородинское сражение
(バラヂーンスカエ・スラジェーニエ=いわゆるボロヂノの戦い)から
200年にあたる日である。結果、
ナポレオン軍は3万5千、ロシア軍は4万5千の死傷者という、
双方大損害を被りながらの痛み分けに終わった。
ナポレオンは急遽ロシア軍殲滅作戦に切り替えたこの戦いで
目的を果たせなかった。いっぽう、
多大な損失を出しながらもロシア軍はかつての
対スウェーデン大北方戦争と同様に、この戦闘で持ちこたえたのを機に
焦土作戦に打って出たのである。つまり、
このボロジノでナポレオンは詰んでたのである。ちなみに、
焦土作戦とは、
攻められてるほうが自軍自国の施設・農地を焼き払って後方に退却し、
その拠点を奪られても占領した攻め手のほうがかえって困っちゃう、
という戦法である。これは戦略的には効果的でも、
自国の庶民を飢え死にさせるという非情な作戦である。
おもしろいことに、
露・中・朝(韓)という、日本の近隣悪徳国家が得意とする戦法である。
それはともあれ、
ボロヂノーというよりはボロボロヂャッタノー、
スモレンスクから動かないでフォン=メック夫人が生まれるのを待ってればよかった、
我が生涯の一番の失敗じゃったわい、
とナポレオンはこの戦闘をセント・ヘレナで回顧したらしい。ちなみに、
Бородино(バラヂノー、いわゆるボロヂノ)という地名は、
日曜作曲家として知られる化学者のいわゆるアレクサンドル・ボロディンの
Бородин(バラヂーン)という名と同源である。もとは、
борода(バラダー=顎髭)であり、ボロヂンの祖先の
渾名が「髭おじさん」だったのである。
外来人でないロシア人のサーネイムは渾名が転じたものが多い。
大柄でデブだからトールスティでタルストーィ(トルストイ)、
ノロマで実直だからラフマーヌィでラフマーニナフ(ラフマニノフ)、
である。

チャイコフスキーの「1812年」は、
A=ラルゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B=アンダーンテ、4/4、3♭、「進軍ラッパ」
C=アッレーグロ・ジュストのソナータ、4/4、6♭
 第1主題
 推移部挿入=「ラ・マルセイエーズ」
 第2主題=破棄したオペラ「地方長官」の二重唱
 第3主題=ロシア民謡「門の前で」
A´=ラルゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B´=アッレーグロ・ヴィヴァーチェ、4/4、3♭、
   「進軍ラッパ」「ロシア帝国国家」
という構成になってる。その
A´の箇所である。

この曲は、
ヴィオーラ2棹とチェロ4棹の、たった「6声」のmfのソリで、
ロシア正教の聖歌:
"Спаси(スパスィー=救い給え),
Господи(ゴースパヂ=神よ),
люди(リューヂ=民を) Твоя(トヴァヤー=汝の)"
つまり「神よ、汝の民を救い給え」、
[Largo(ラルゴ)、4分音符=60、3/4拍子、3♭(変ホ長調)]
***♪ドド|<レー・<ミー、
   ・>ドド|<レ<ミ・<ファファ・ファー|ーー・ー・ーー|
   >ミミ・ミミ・ミー|ーー・ミー・ミー|>レー・ーレ・レレ|<ミー・ーー♪
を奏でるところから始まった。が、ここでは、
ナポレオンの大陸軍が食い物も暖もないモスクワから
這々の体で逃げ帰る情けない敗北を嘲笑うかのように、
鐘が打ち鳴らされる中で、バンダも加えた吹奏楽器軍が
上記旋律をfffの大音響で奏するのである。それに、
弦楽器軍が木管軍を従えて壮大なスケイルの合いの手を入れる。
このA´部はたった22小節ながら、
21小節め(次の進軍B´部になだれ込む前2小節め)では、
吹奏楽器軍は、
♪【レーーー・ーーレレレ(3連符)・レーレー】│レーーー・ーー>シー・>ソー<シー♪
という律動を高らかに歌い上げるのである。この
【】内の律動は、チャイコフスキーがこの曲を書いた1880年の
4年前から翌年に書けて作曲した「交響曲第4番」の「運命の動機」と、
3年前から翌年に書けて仕上げた「オネーギン」の第3幕の
舞踏会の幕開けで用いた、
♪【ターーー・ーータタタ(3連符)・ターター】♪という
【ロシア帝国の対外的勝利と偉大さの誇示を象徴するポロネーズ】
なのである。実際、
ナポレオンが侵攻してきた1812年には、
ロシア帝国の国歌ともいうべきものは、
オースィプ・アントーナヴィチ・カズローフスキィ(いわゆるコズロフスキー、1757-1831)
が作曲した、
****♪ドーード・<ミー>レー・>ドー<レー│<ミーーー・>ドーーー・●●●●│
   >ドーー<ミ・<ソー>ファー・>ミー>レー│<ミーーー・ーーーー・●●●●♪
"Гром(ь) победы, раздавайся!"
(グローム(ミ)・パビェーディ、ラズダヴァーィシャ=勝利の轟音よ、敵を粉砕せよ)
というロシア帝国主義の力の象徴【ポロネーズ】だったのである。かつて、
モンゴル人に屈服させられ、その血を注がれて、200年も組み敷かれてた
負け犬の劣等感が厚顔な性格にさらに追い打ちをかけ、
力に頼る粗野な国民性を増長させたのである。
自分のものは自分のもの。他人のものも自分のもの。
北方領土を不法占拠するなどはいかにも奴らラッシーヤという所業である。
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「チャイコフスキー『1812年』ソナタ部から結尾部へ」

2012年07月01日 20時47分22秒 | 戦勝&大聖堂奉献式祝いに(イワイニ)1812年

チャイコフスキー 1812年


東京じゅうが「金環日蝕」で浮かれてたのも、もう
先々月の話になってしまった。
騒ぐこと自体は悪いとも思わないが、
なぜ「金環日蝕」は起きるのか、
なぜある特定の地点では何百年に一度しか見れないのか、
ということを学ぶことのほうが重要なはずである。が、
教えもしない教師、伝えもしないマスコミ、知ろうともしない7割の国民、
というアホのトライアングルはジョン・ケイジの愚にもつかない
「4分33秒」のように何の音も発しなかった。反対に、
妄言を吐いたのがIMFである。
"日本が安定的な歳入を得るには消費税率を少なくとも
15パーセントに引き上げることが望ましい"
のだと。現在の日本の消費税率は5パーセントである。いっぽう、
地球・太陽・月という三つの星の関係は絶妙である。
「ある特定の地点では数十年に一度だけ日蝕になる」のではなく、
それぞれの大きさ、距離、そして、
地球から見た太陽の"見かけ上の"軌道である黄道と
月の軌道である白道が5度の傾きでずれているために、
「日蝕は通常は生じない」だけのことなのである。

民主党は、自民党と官僚と財界のトライアングルの癒着によって
予算の無駄づかいがなされてるからそれらを削れば
増税なくして新たな予算が組めると豪語し、
その子供手当に目がくらんだ愚かな選挙民が騙されて
民主党を大勝させたのが3年前である。
原発が善いか悪いかなんて議論するのは不毛である。
大飯原発再稼働に反対する、おそらく3年前に民主党に投票した人民が
金曜夜、総理官邸前に大勢集まったらしい。
デモ隊の連中はネットで連携してデモる人員を増やしたようだが、
PCもスマホも電気で動くものである。
電気の無駄遣いに他ならない。
電気を大切にね! でんこちゃん、岸ユキ女史である。
総理官邸前に集まっても何の利もない。
そんな金と暇があるんだったら、
もっと益のあることをしたらいい。
サヨクはご立派なことは言うがてめえは金儲けに余念がない、
というのがほとんどである。つまり、ただの支配欲旺盛者なのである。
サヨクにはオペラとかクラシック音楽の鑑賞がシュミ、なんていう手合いも多い。
つまり、文化人気取りなのである。
こいつらにオペラやクラ音の何が解るものか。
オスプレイの事故率は他の航空機類の平均事故率より低いにもかかわらず、
売国売琉球仲井真は何でも反対するポウズをとるサヨクの常で
森本防衛大臣の前で拒否ってみせた。
識名トンネル建設工事補助金不正受給問題では、
東大工学部時代のオトモダチの大成建設社長と、
その子請け・孫請けをしてる愛人の建設会社との
灰色トライアングルが鳴動してたと週刊文春が書いてた。

200年前、ナポレオンによるロシア遠征は大失敗に終わった。その故事に因んだのが
チャイコフスキーの「1812年」である。
トライアングルの「ター●●・●●タタ・・ター●●・ター●●」という律動が消え、
コントラバスが変ロ音のppに鎮まるとともにオクターヴ上のティンパニがトレモロを刻んで
……この変ロ音はこの箇所をずっと通奏する……、
再現部が終わると同時に、A部B部が再現される結尾部への橋渡し部となる。
チャイコフスキーの「1812年」は、
A=ラルゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B=アンダーンテ、4/4、3♭、「進軍ラッパ」
C=アッレーグロ・ジュストのソナータ、4/4、6♭
 第1主題
 推移部挿入=「ラ・マルセイエーズ」
 第2主題=破棄したオペラ「地方長官」の二重唱
 第3主題=ロシア民謡「門の前で」

A´=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B´=アッレーグロ・ヴィヴァーチェ、4/4、3♭、
   「進軍ラッパ」「ロシア帝国国家」
という構成になってる。その
■の箇所である。
ホルン3管によって、「ラ・マルセイエーズ」の冒頭の断片が
変ホ長調で吹かれる。それを受けた高中弦が
ロシア民謡「門の前で」の断片で調を変じる。
ホルン3管が今度は「ラ・マルセイエーズ」の冒頭の断片を
ヘ短調で吹奏する。高中弦がまた
ロシア民謡「門の前で」の断片で調を転換する。
→ト短調→ハ長調→ヘ短調→変ト短調→変イ長調
→変ロ長調→ト短調→変ニ長調→変ホ長調、
と高揚させて、
コルネット2管とトランペット2管がそれぞれオクターヴ・ユニゾンで
「ラ・マルセイエーズ」の冒頭の断片をマルカティッスィモで強奏する。
♪ソソ・ソーソー│<ドーーー・ーーーー・・ドーーー・ーーーー│
<レーーー・ーーーー・・レーーー・ーーーー│
<ソーーー・ーーーー・・ーーーー・>ミーーー│
>ドーーー・ドーーー・・<ミーーー・>ドーーー♪
以降はvnの刻みが引き継いで、
<レーーー・>♯ドーーー・・<レーーー・<ミーーー│
<ファーーー・<♯ファーーー・・<ソーーー・<ラーーー│
<シーーー・<ドーーー・・<レーーー・<ミーーー│
<ファーーー・<♯ファーーー・・<ソソ
(以降、木管群と弦楽五部が)
>Nファファ・・>ミミ>レレ│
<ミミ>レレ・>ドド>シシ、・・<レレ>ドド・>シシ>ララ│
<ドド>シシ・>ララ>ソソ、……♪
という長いスケイルを続ける。
→[Poco a poco rallentando(ポーコ・アポーコ・ラレンタンド=徐々にテンポを減じて)]
→[3/4拍子]
→3拍子に変じて3小節めから
[senmpre rallentando al ……(次の指定のLargoまで常に速度を減じつつ)]
終いの3小節めでバス・チューバが、最後の1小節でバス・トロンボーンが
スケイルによるゼクヴェンツに加わって結尾部を導く、のである。
曲の始めではヴィオーラ2、チェロ4という弦楽6重奏で奏でられた
ロシア正教聖歌=
"Спаси(スパスィー:救い給え),
Господи(ゴースパヂ:神よ),
люди(リューヂ:民を) Твоя(トヴァヤー:汝の)"
が、バンダも加えた勝利の大音響となって再現される前の、
しつこい"溜め"である。

ロシアの大統領選規定の脆弱性を突いたプーチンの企てによって
ワンポイントの大統領からまた首相へと転じたいわゆる
メドヴェージェフが択捉島にやってくるらしい。
鳩山が身、既に屑鉄なり。菅が心、既に虚空なり。
野田がマニフェスト違約、既に三匹めの泥鰌なり。
天魔覆滅!
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「チャイコフスキー『1812年』のソナタ部の再現部」

2012年05月01日 00時19分02秒 | 戦勝&大聖堂奉献式祝いに(イワイニ)1812年

チャイコフスキー 1812年


最近、集団で歩いてる人の群に車でつっこんで
殺傷する事件が相次いで起きてる、のだか、それとも、
ことさらに報道されることが多いだけなのか、
巷では素晴らしいだの天才だのと言われてるらしい
ガウディやフンデルトヴァッサーの建築物が俗っぽすぎて
気持ち悪く思えてしまう拙脳なる私には判らない。が、
祇園、亀岡、館山、岡崎……
これらの事件を起こしてる被疑者が乗ってた車には、
「軽自動車」という共通項がある。しかも、
"駐車場でアクセルとブレーキを誤って"、なんて
健常なら間違えようのないミスを犯して
大きく踏み込んで人をはねる"じいさん"ではなく、
"若者"である。先日、
若者グループと仕事をする機会があった。
彼らは私が普段ラーメンを食わないと知って、
「美味いラーメン屋がありますから」
といって、私を連れてってくれた。が、
私がそこで目にしたのは、
とんでもないトッピングと雑巾を絞った出汁が利いた
ゲロみたいなスープにまみれた
小麦粉の塊のような麺だった。
たった800円程度の値とはいえ、おごってくれた
彼らのメンツをつぶせず、死にものぐるいで
麺がスープに隠れるところまで食った。
「歳だからスープを飲んじゃだめって医者に言われてて」
という方便を用いて。とにかく、
今の若者はこんなクズを旨いといって食うということに、
(これではやっぱり日本の将来はないな)
と確信した。辛いものを好み、
旨味を知らないその舌では、一事が万事、
ものの良し悪しを判ずる脳がないのである。
"高いなら旨くて当たり前"
と言って、少しでも安い物を求めるのが昨今の流れ、
なのである。ヒューザーなる手抜きマンションに群がった人々も、
"他人より賢い買い物をした"ことを
自慢し優越感に浸ってたのである。
金沢から東京(浦安)までたった3500円。それが、
45人。たった157500円の"売り上げ"である。
下請け先が2軒。たしかに、
金銭に余裕のない人には願ってもない選択肢、
なのかもしれない。が、
それでどうやって利益を上げるのか……
阿漕な商売しかないだろう。
考えただけでいたたまれなくなる。
[安物買いの銭失い]
と昔の人は言った。銭を失うだけならまだしも、
命が容易く奪われるのである。
死んだ女子高生は現在重態の母親とディズニーランドではなく、
"新大久保に行くことを楽しみに"してた、
のだという。日本人なのにあんな
なんとか流などというマガイモノに夢中になって、
どう考えたって採算が取れそうもない安いバスで
親子して夜行で心躍らせ向かったことを思うと、
あわれすぎて胸がつまってしまう。

そうして買い手は「安さ」を要求し、
売り手は「安さ」を追求する。
人件費をケチって中国、インドネシア、ヴェトナム、バングラデシュで製造する。
"ものづくり"などとは無縁の世界がもうできあがってる。
160年前に米国によって扉をこじ開けられた日本は、
日米戦争とその敗戦を経て現在、その要害すべてを
中国に乗っ取られてるのである。
そりゃそうだ、
丸腰の弱虫など誰が怖がるものか。
いいようにされるだけである。
渡辺崋山が指摘するまでもなく、
日本は4つのプレイトの最前線上に乗っかってる
火山の多い国である。
かつては休火山、死火山などもあったが、今は
河野化山である。輸出拡大を目論む中国が
日本にもっとも送り込んでるのは、
背乗りなりすまし日本人である。いつだったか、
偉大なる鳩山元首相は仰せになった。
"日本は日本人だけのものではない"
マンセー! 由起夫さまは、
2020年までに25%削減するはずの温室効果ガスである
排気ガスCO2を撒き散らす自動車のタイヤで儲けた爺さんの血を引く、
由緒正しい"日本人政治家"である。
ありがたいお言葉である。しかしながら、世の中に
地球温暖化、などというのがもし本当にあるのだとしたらそれは、
"温室効果ガスの増大"などであるはずがない。
大気中のCO2の割合は0.035パーセント、
増えたとしてもせいぜい0.04パーセントでしかない。
そんなもんがたとえ100倍増えたって、
JRAの競馬で人気薄馬の単勝馬券を100万円買ったって
オッズがビクともしないのと同様である。それより、
地殻活動の変動のほうがよほどもっともらしい。

かつて徳川幕府は、
カトリックを先兵として侵略を企ててたスペイン・ポルトガルを閉め出した。
そのとき、こいつらがスゴスゴと引き下がったのは、
"善意"からだとでも思ってるのだろうか。
兵器の数と武士の教養・戦力の恐ろしさに手が出せず、
策を弄した「島原の乱」では、内通者ただ1人以外の
3万7千人を老若男女問わず皆殺しにした幕府の気概に
恐れをなし、尻尾を巻いて退散したのである。
徳川幕府が成った頃、ロシアではロマノフ朝が支配を確立した。
蒙古人に屈服し、200年以上もの間隷従させられた
ロシア人は、ロマノフ朝までの200年間もなお、周辺白人国に負け続けた。
そして、ロマノフ朝となっても、結局は
他の白人を支配層として受け入れざるをえない後進国だった。
ロシア帝国の貴族のほとんどは帰化白人系である。それでも、
ナポレオンが侵攻したときには、
600年前の屈辱の二の舞は踏まなかったのである。

チャイコフスキーの「1812年」は、
A=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B=アンダーンテ、4/4、3♭、「進軍ラッパ」
C=アッレーグロ・ジュストのソナータ、4/4、6♭
 第1主題
 推移部挿入=「ラ・マルセイエーズ」
 第2主題=破棄したオペラ「地方長官」の二重唱
 第3主題=ロシア民謡「門の前で」
A´=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B´=アッレーグロ・ヴィヴァーチェ、4/4、3♭、
   「進軍ラッパ」「ロシア帝国国家」
という構成になってる。

短い展開部に次いで、
提示部での提示、推移を省略された第1主題が、
確保の部分から再現される。
提示部のときとほぼ同様のオーケストレイションである。が、
唯一、相違がある。提示部では、
両翼vnが奏でる主題をフルート2管とクラリネット2管が
補ってたのであるが、再現部では、
オーボエとクラリネットが役割を交換されてるのである。
提示部では
[es→des→ces(h)→c→des]
と進み、そのdesを異名同音disと読み替えてニ長調のミとして、
(変ホ短調でスキャンすると、
「ラー>(N)ソー>(N)ファー<♯ファ<ソ●ソー(これをニ長調のミと読替)」)
という、とてつもない感動を呼び起こすチャイコフスキーの天才的転調がなされ、
ラ・マルセーエーズの断片がニ長調で吹奏された。いっぽう、
この再現部ではその転調橋が半小節早められ、短縮される。
[es→d→des→c→cis]
(変ホ短調でスキャンすると、
「ラー>♯ソー>(N)ソー>♯ファ<ソ(これをロ長調のレと読替)」)
ラ・マルセーエーズの断片がロ長調で吹奏され、ロシア正教の鐘を模した
「ドー<ミー<ドー>ソー│<ミー>♯ラー<ソー」
が"打ち鳴らされると、
第2主題が第1主題の同主調の変ホ長調で再現される。が、これもまた、
短縮され、オーケストレイションも変ぜられ、あっけなく再現される。
提示部のときとは随分と様変わりしたものとされてる。
つづく第3主題もあっさりと処理され、最後のコントラバスが
変ロ音に鎮まるとともにオクターヴ上のティンパニがトレモロを刻んで、
再現部が終わる、と同時に、
A部B部が再現される結尾部への序奏(橋渡し部)が始まる。
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「チャイコフスキー『1812年』のソナタ部の展開部」

2012年02月09日 22時44分29秒 | 戦勝&大聖堂奉献式祝いに(イワイニ)1812年

チャイコフスキー 1812年


今日の東京の日中は、
日光が降り注ぐ陽気で、車の中は暑いくらいで、
かといってエアコンをクーラーにするほどでもなく、
窓を開けるのが嫌いな私には、車の
乗り心地が悪い、杉花粉も飛んでくる、
イマイチな一日だった。ところで、
日光の手前、といえば、かつては、
今市だったが、平成の大合併の一環で、
日光となってしまった。そんな
日光に墓があるのは、慈眼大師、
天海である。天海といえば、今ふうの満年齢で
107歳まで生きたとされる
怪僧である。カイソウといえば、海苔も
海藻である。日本橋の上から読んでも下から読んでもな
老舗海苔屋の海苔を炙り、
餅を磯辺に焼いて食った。
もちろん、味つけは小麦が入ってない
たまり醤油である。う~ん、旨い。
たまりません。正真正銘の
日本人に生まれてよかった。ときに、
昨日、ロシアの空軍機が太平洋と日本海で、
日本の領空に接近してすれすれに飛行しつづけ、
挑発行為を行ったという。これは、
前日2月7日が我が国の「北方領土の日」であることへの
示威行為である。
「チチンプイプイ、プイプイプーチン、飛んでけっ!」
七里結界、である。ちなみに私は、
無宗教・無信心であるが。

チャイコフスキーの「1812年」は、
A=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B=アンダーンテ、4/4、3♭、「進軍ラッパ」
C=アッレーグロ・ジュストのソナータ、4/4、6♭
 第1主題
 推移部挿入=「ラ・マルセイエーズ」
 第2主題=破棄したオペラ「地方長官」の二重唱
 第3主題=ロシア民謡「門の前で」
A´=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B´=アッレーグロ・ヴィヴァーチェ、4/4、3♭、
   「進軍ラッパ」「ロシア帝国国家」
という構成になってる。

展開部は第1主題が短く調理されたあと、
トランペットと小太鼓が戦場を連想させる煽りを入れる。
提示部の第2主題にはトライアングル、
同第3主題にはタンバリンが添えられて、
チャイコフスキーの打楽器使いの妙が聴けたが、
ここでは提示部のナポレオン軍の進撃を示した
ラッパと小太鼓の連打が展開されるのである。そして、
提示部で第1主題に附随して提示された
「ラ・マルセイエーズ」がさまざまな楽器で
細切れに繰り返される。そしてまた今度は、
大太鼓とシンバルの掛け合いがぶちかまされる。
そうしてわずか35小節程度の展開が
とっとと済まされる。そして、第1主題が、
提示部の提示、推移を省略された、
確保の部分から再現される。
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