作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 グリコ事件犯人の一人が 】

2011-08-02 14:40:09 | 02 華麗な生活

59年から60年にかけての大騒動であった。
週末のNHKが金曜・土曜を割いて、未解決犯行と題し
グリコ・森永事件をドキュメンタリー風に仕立てて放映した。

そこで思い出した男が一人いる。元社員の一人である。
当時怪人21面相を名乗る犯行グループは、大阪市の妙な
場所に脅迫文を置いて
、警察や新聞社のイラダチを誘って
いた。

ボクが58年5月に入居したビル。
御堂筋と新御堂筋とが分かれる三角形の
頂点に立つ。
三角形の底辺に当たるのが、国道一号と二号線だ。
逆三角形と思ってくれたら良い。

御堂筋パレードの基点でもあるS生命の新ビルは、
当時の大島大阪市長の
肝いりもあって、世界で初の
全壁面テフロン加工でも世界的な話題になっていた。

すぐ北側にD火災ビルが五階建てぐらいの古いビルで、
S生命の25階は
目だっていた。
二つのビルが背中合わせになっていて、車も人もあまり
通らない。
その土地感を、犯行グループの一人が知った。

在阪の新聞社、朝日、毎日、産経と続けて犯行文書が
宛てられて読売だけが
取り残された。
その読売に宛てた文書が、なんとDビルの裏口から
見つかって
大騒動になった。

そんな騒ぎのあった日の昼過ぎだった。遅い目の昼食を
摂りに、ボクは数名の
社員と共に国道二号線を渡り、
大阪駅前第三ビルの地下街に入った。

そこでエガワと出合ったのだ。
エガワはボクの会社が西中島で創業してから初の
人事募集で入社してきた。
学生時代にベルリン大学に留学経験ありとの触れ込み
だった。意外と
ドイツ語は殆ど出来なかったが、物怖じを
しないし、大勢の聴衆の前で堂々と
喋ることが出来るから、
これはモノになるとボクは最も期待した。

社員が増えると、社内に閥みたいなものが出来る。
ボクの小さな会社にも、小さな閥が出来たらしい。
閥の親分Sに
エガワはいびり出される形で会社をやめた。

ボクの前では見せなかったが、酒ぐせの悪さは相当なもの
と言われていた。
エガワが最初の退職をしてから、およそ
一年ぐらいが経って、会社と目と鼻の先で
ばったり出会った
形であった。
いびり出した張本人が先頭に立って、エガワの再入社を
求めてきた。
ボクには異存はなかった。

エガワは太いふちのメガネを掛けていて、胸が特別に厚い。
グリコ犯の一人、JR甲子園口のコンビニで写された、犯人
グループの一人と
酷似していると言えた。

「お前ちゃうやろな。場所も近いし、出会ったあの時どこへ
行っていたんや」とSと子分たち。
「そんな~、ボク違いますよ~」

暫くはおとなしくしていたエガワが、また酒の上で乱暴を
すると訴える者が現れ、ボクは困った立場になった。
エガワは学生時代アメフトの選手だった。
だけど他の社員は、エガワに首を巻かれ、陸橋の階段の
五番目ぐらいの高さから
飛び降りるのに付き合いきれない。

昼間のエガワは優秀な男なのだ。ボクはエガワを惜しんだ。
だが怪我人が出ても困る。厳しく叱責したのは当然だ。
エガワはしゅんとして、うなだれていた。
そして翌日辞表を持ってきた。
二三日後に、エガワの母親から電話があった。
泣いている。泣き声で訴える声が哀れだ。
「あの子は、社長さんをすごく尊敬していて、今度の仕事は
続けて見せると言っていたんです」

会社の和を取るか、エガワのやる気を取るか。
エガワ本人からも電話があった。
「ボクもよく分からんのです。酒を飲むとおかしくなるんです。
このままじゃ、そのうちに
怪我人を出してしまいます」。
エガワも泣いていた。

グリコ・森永事件も騒ぎがおさまり、世間から忘れられたころ、
知らない女性から
会社に電話があった。

「わたし、エガワさんから求婚されているものです。
自分のことなら、小林社長が
一番よく分かってくれている。
う言われるのでお電話させていただきました」

二度目の退職から七年ほどが経っていた。
彼女は三宮でバーを経営していると名乗った。
どこかしら水商売の人だとの感じがあった。

「エガワさんって、どんな方ですか。このお話を受けても
良いでしょうか」
ボクは困惑した。エガワが今何をしているのか、それさえ
知らないのだ。
「エガワくんのご両親が住吉駅の近くにお住いだとご存知
ですか」
「ええ、そういう風に伺っています」
彼女の店に毎晩行くらしい。そして結婚してくれと。

エガワには奥さんもいたし、女の子が二人も居たし。
「あのう、お役に立たずにすみませんが、エガワくん、
いま何をしてるんでしょう」
「神戸の清掃会社の、某有名ホテルの班長さんです」
「とにかく、何年も会っていないボクに無責任なことは
言えません。カレのお母さんと
お話になるのが先だと
思いますが」
「そうですか。もっとお親しいのかと思ってお電話しました。
すみませんでした」
この話はこれで終わりである。

エガワくんは、今どこで何をしているのだろうか。
グリコ犯ではとの疑いが消えたわけ
ではないのだが。
読売宛のD火災の裏門から見つかった手紙の置き場所を、
エガワ
なら知っていても不思議じゃなかったし。



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【 月額6万円の家賃が一挙120万円に 】

2011-08-02 10:32:25 | 02 華麗な生活

ドイツでの所要を終えて帰国。伊丹空港まで出迎えてくれた
社員たちがニコニコしている。
何か良いことでもあったの
だろうか。話の中味を聞いてのけぞった。バカか、お前等。
会社にカネの成る木でも植わっているのか。

御堂筋パレードの計画があった。そのパレードの基点の
場所にS生命のビルが建造中
であるとは知っていた。
が、まさか。暢気な社員たちは、そのS生命に連絡を入れて
新事務所の候補に上げていたのだ。
家賃が何倍、いや何十倍かになることに無関心
なのだ。
起業者と給料取りの大きな違いを改めて知った。

驚いたことに、その翌日かに昼食を摂りに外出し、
帰社したら見知らぬ背広姿があった。
S生命の不動産部の人だった。

「ウチみたいな、昨日今日出来たての小さな会社に、
お宅の厳しい審査は通りませんよ」
「いえ、すでに通してあります。社長さんがサラリーマン
として、どんな活躍をされたか
有名な方ですから」
「とにかく、一度現場をご覧ください」

ハナシの種にはなるだろう。一生の目の保養にと、
出かけて行った。かなたに大阪城が見える。こっちの方が
はるかに高い。秀吉に勝った気分になる。
見渡す中に、ボクがこの前まで居た会社が低く、小さく
見えた。他に数社のライバル
商社のビルも。
これを日々眺め下ろしながらの気分はさぞ爽快なものだろう。

そこへS生命の部長がやってきた。

「お家賃だと思われると確かにお高いでしょう。
だけど如何でしょう。御社の宣伝費
とお考えになれば」。
さすがは部長だけのことはある。殺し文句を知っている。

家賃は月額120万円、保証金が1200万円だという。
到底手の届かぬ金額だが、
何となると浅はかに考えた。
それからが地獄だった。カネの苦労を味わったことを社員
たちはどこまで分かっていたやら。
その時点で会社の金庫には、かき集めて400万円の現金
しかなかった。
ボクには最後の財産として、S化成の株が1万株あった。
時価が650万円くらいだった。

主力銀行面で通ってきていたT銀行の支店長代理に、
1200万円を貸せと言った。
使い道は御堂筋に新築のS生命のビルの保証金。
400万円を定期預金にする。
ボクの持ち株を時価650万円担保に入れる。

てっきり快諾されるものと、その時は思っていた。
支店長決済でみごと拒否されるとは
考えもしなかったの
だからオメデタイ。
それが58年の2月始めのこと。

新ビルの入居が5月からだった。残された時間は3ヶ月しか
ない。
闘志が湧いてきた。
「ようし、何としても1200万円、耳を揃えて5月初めまでに
用意するぞ」
あんな思いは以後もしたことがない。当時の代理店の数が
およそ25軒。
美容室にワゴンを乗り付け、美容用品の行商
を業とする、決して豊かじゃない
中小企業だ。
幸いにして三年間かけて行なったセミナーの効果が出て
きていた。
世界で初めて特許を取った美容食品「ビューティキャップ」
の評価が高まっていた。

4月末には1400万円ぐらいの現金が口座にあったから
思議である。3ヶ月で新たに1000万円稼いだことになる。

この時も、受取手形を銀行で割ることは考えなかった。
以来手形を割ったことも振り出したこともない。
第一、手形帳を持ったことがない。

(この稿続きます)


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【 菅になぜ大金があったか 】

2011-08-02 09:48:00 | 02 華麗な生活

三鷹市にある「市民の党」を主宰する酒井剛は、
自らレーニン主義者を誇り、
日本に共産主義革命を
起こすのが目的と豪語する、とんでもない野郎である。

菅直人こと官ガンスの政治資金団体「草志会」から、
6250万円が「市民の党」
に渡っていることは、もはや菅も
否定できないが、問題は菅にそんな大金を
自由にする
金ずるが何処にあったかだ。

政治資金助成法に基づく、政党助成金の民主党の分から
大幹部、菅に渡った
カネと見るしかない。
民主党全体でおよそ2億円が「市民の党」に渡っている
のである。

政党助成金は、国会議員5名以上を抱える政党にのみ、
国民一人頭250円の
税金から支給される。
三鷹市の「市民の党」に政党助成金が支給される筈は
ない
のである。

民主党を中継して極左共産革命主義者の手に2億円が
渡った。
これはれっきとした犯罪である。
菅の関りを否定できるものではない。

むしろ菅こそが、酒井剛の三十年来の仲間と言える
のではないか。
菅の出身は、社会市民連合である。
故人となった田英夫が作った組織で、
菅の他に江田五月や
千葉恵子などの、北朝鮮に魂を売り渡した非国民が
集まっている。揃って拉致実行犯、辛ガンス死刑囚の
助命嘆願書に署名した。

よど号ハイジャック事件は、ボクがドイツ駐在時代に起きた。
よど号の犯人は計9名。彼等の配偶者要員として森順子を
はじめ日本から
北朝鮮に密航した女どもが、産んだ子ども
が計20名だ。全員日本に帰国している。変った女どもだ。
巧い話に乗っての実質拉致の疑いも有り得る。

よど号の主犯、田宮高麿の妻となった森順子が、ヨーロッパ
に遊学中の
日本人を拉致した舞台の一つがウィーン。
ウィーン空港には、当時のソ連圏航空機が
乗り入れていて、
空港内を走るバスを乗り間違えたら、簡単に東ベルリンに
もピョンヤンにも行けた。

石岡亨・松木薫の両氏は、その手で森順子に騙され、
北に拉致された。
有元恵子さんも同様の手口で被害に
あった。事件が判明したのは昭和55年だが、
その前年
までボクはウィーンに居を構えていた。
ほぼ週に二回はウィーン空港を利用して、東欧圏に
出入りしていたから、空港の内部には詳しい。

ウィーン空港を舞台に、睡眠薬入り紅茶を飲まされた
日本女性がピョンヤンに連れ去られ、彼女の叔父に当たる
人の大活躍で救出される話が小説仕立てで有ったのだが
どこに行ったのか見当たらない。森順子などの手によって
ヨーロッパ経由で北に拉致された犠牲者の数は何十名に
のぼるであろう。

日本の総理は拉致実行犯の仲間なのである。このまま
放置しておいて良いのか。国民よ目覚めよ。


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