作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 日ハムに連勝 】

2011-06-16 18:12:12 | 02 華麗な生活

あまり騒ぎたくはないのだが、ここ6試合を5勝1敗で
切り抜けて、
漸く投打がかみ合ってきたタイガース。

チームに活を入れたのは最年長の金本だが、牽引車は
マートン。
ひところは脇を大きく開けて、何をするんだろうと
訝しく思っていたのだが、
見事に脇が閉まったバッティング
に変ったのが大きい。

二番にセカンド平野を入れるのがボクには解らん。
セカンド守備、特に鳥谷とのコンビで併殺網を考えたら、
平野より関本が上と
決まっているじゃないか。

その関本だが、何で手首コックに拘るのだろう。
コックなら親指の方にしなさい。
野球の基本はダウンスイング。親指の方にコックしたら、
自然とダウンスイングになる。

ゴルフでも手首を後方に曲げるコックをする人で、
上手い人を知らない。

ダルビッシュを褒め称える筋には悪いが、捕手と大声で
会話したり、打者を打ち取って
大声で吼えるのは、
パ・リーグには大勢居るようだが、マナーとしては感心
できない。
楽天の田中マー君も同じこと。

昨日のゲームで勝った勝ったと騒げないのは、
またも榎田を使ったこと。
今までにも、どれだけの投手を酷使で潰してきたことか。
久保コーチは何とかして
クビにしないと、若手投手が
全員潰れるぞ。例として上園はどうした。桟原はどうした。

あの場面では久保田を起用しないで、いつ久保田を
投げさせるのか。

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【 アカンが何もしない陰に 】

2011-06-16 14:51:12 | 02 華麗な生活

相馬市だったか南相馬だったか、酪農業を営んでいた
二代目が自ら生命を絶った。

堆肥を作るための小屋に、いっぱい遺言を書き残し逝った。悲壮である。

四十代前半の彼には妻と二人の男児が居た。
妻は地震が怖いと言い残し、
二人の男児を連れて
フイリッピンに帰国していた。
この後、フイリッピン女性の妻はどうなるだろう。

故国で裕福な暮らしがあるはずがない。
貧しければこそ異国の中年男と結婚したのだ。

二人の男児は7歳と5歳。
日本語しか話せないのではなかろうか。

ここから始まるのは、哀話だけだと思うのだが、
民主党政府は彼女たちに何を
してやるのだろう。

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【 神戸でも多くの親が子を亡くした 】

2011-06-16 12:05:00 | 02 華麗な生活

神戸の震災といえば、長田区の火事が代表とされる。
だが長田の火事は、震災の後に起きた火事による被害だ。

震災の直撃で、亡くなった人々はむしろ東灘区から芦屋市
にかけて多い。

ボクが住んでいた、JR摂津本山駅の周辺だけでも、
木造家屋は全滅だった。
多くの神戸大学の学生が、
家賃の廉いアパートや文化住宅に住んでいて、震災の
犠牲になった。中には前夜故郷から戻ってきたばかりの
若い学生さんも。

もっと哀れだったのは、修学旅行から戻ってきた中学生が、
家と両親を失ったことだった。可哀想でならない。


道をはさんだ角店の酒屋の兄ちゃんが言った。ここを基点
に半径五百メーターの
範囲だけで500名が亡くなられまし
たと。カレは仕事柄、各家にお得意さんが居たから、
情報
通であった。500名の犠牲者は本当のことだろう。

どこに家があったやら、どこまでが道だったやら、
分からなく
なった地に、多くの花束が供えられていた。
ボクはガレキと化した近隣の地を歩きながら、花束を見て
は両手を合わせて、
亡くなった人への鎮魂の祈りを捧げて
いた。

車道には大阪方面からの見舞い客が溢れていた。

消防車も自衛隊の車両も、人が邪魔になって動きが取れ
なかった。想い出したくない記憶である。


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【 毎日のように被災地が映る 】

2011-06-16 11:36:21 | 02 華麗な生活

もうすぐ百日が経とうとしている。だが被災地はいずこも
ガレキ山だ。国が全額費用を分担するといいながら、
一向に片付けが進まない。積み上げられたガレキの山の
中から、家族の遺品が残っていないか、
捜しまわる人の姿
を見て胸が打たれる。

「道の駅」が復興に役立っているらしい。何もかも津波で
浚われた人々にとって、
そこが食堂・喫茶を兼ねる憩い
の場になったのだ。

お互いに家族を失った人たちが集まり、談話を交わすこと
で新たなコミュニティが
生まれている。
可愛い盛りの14歳の娘さんを失った、42歳のお母さんが、
諦めきれぬ思いを
抱えて、「道の駅」で地場の産物を販売
している。

政府は党内抗争に明け暮れて何もしない。
だが現地はそれなりに、再起への道を歩み始めている。

頑張れ東北。ボクも95年に起きた阪神大震災をもろに
受けて、しばし呆然とした。

各所に立てられた「頑張ろう神戸」の旗を見る度に涙ぐんで
いた。



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