戦時中に多くの軍歌が、あたかも戦後の
歌謡曲の代わりの様に歌われていた中で、
特に有名な歌である。
何十年か前のことだが、大相撲に若秩父
というアンコ型の関取が居て、なかなかの
人気力士であったが、母の手一つで育った人だった。
母親に亡き父は加藤隊長だときかされた
らしく、そう信じて子供時代を過ごし、長じ
てから、事実じゃないことを知り、ガッカリ
したと話していたのを、たぶんテレビで見た
記憶がある。
最近読んだ雑誌に、加藤隼戦闘隊の物語
が掲載されていて、それから得た智識だが、
あの名歌は、実はまだ隼と命名された機も
なく、しかも加藤隊長も不在の時期に、隊歌
として歌い出されたものとあった。
正式には陸軍一式戦闘機といい、海軍の
零戦に対抗する戦闘機であり、隼の呼び名
も後から付けられたという。
帝国軍隊には、陸軍と海軍があっただけで、
独立した空軍はなかった。だから陸海軍が
競い合って、別々に飛行機の製造に当たった
のだという。協調こそが大切な時期に対立
していてどうする。
小学校に入学した年に米英との戦争が始まり
当初は陸軍も海軍も強かった。
大本営がウソばかりの大戦果を告げだした時
は、実は敗色が濃厚になっていた。
あの歌には5番までの歌詞があり、4番だけが
哀調を帯びたハ単調となる。
子供心にも悲しく聞こえるエレジーであった。
パパゲーノ